第二話 目覚めぬ鍵
薄昏い部屋の中央へ置かれた寝台に男が横たわっている。
壁だけではなく、床や天井も切り出された黒灰色の石で囲まれたこの部屋は、吐く息さえも白い。
外から入り込もうとする冷気を拒むために、明り取りの一つもなかった。
壁に付けられた二本の蝋燭だけが彼の顔を照らしている。
揺らめく微かな光に映し出された端正な横顔は、血が通っていないと思わせるほどに青白く、息の音も聞こえてこない。
彼の右目を覆う包帯にはうっすらと赤黒いしみが浮き出ている。
聞こえてくる音もなく、時が止まっている気すら与えた。
その冷え固まった空気を壊し、厚い木製の扉がきしむ音を立てて開いた。
不吉な鳥と言われている
顔は見えず、男なのか女なのかも分からない。
燭台を寝台の端へ置くと、おもむろに彼の栗色の髪へ手を添えて包帯を外していく。
しばらくの間、彼の顔を覗き込んでいたが、やがて懐から取り出した新しい包帯を丁寧に巻いていった。
その者が部屋を出ると、再び時が止まったような冷たい薄昏がりが彼を包んでいく。
*
剥き出しになった岩々が連なる山肌には、草木の影もない。
頂は常に厚い雲が被り、雪で覆われたその姿を見せることはない。
魔の棲む岩山と呼ばれるラガーンダイ。
魔国ガルフバーンの北方に位置する、山間都市ルンディガから更に北へ北へと道なき道を進むと威圧的な断崖が現れる。
どの国にも属さず、来るものを拒み続けるその山の中腹に、古代遺跡と見紛う建物があった。
黒灰色の石が八タルザン(一タルザンは約一.五メートル)程にも積み上がった威容は城塞か、あるいは神殿か。
中へ入るための門さえ見当たらず、その半身は山にめり込んでいる。いや、岩山の内部から押し出されたように貼り付いているというべきか。
どこからが建物なのかも曖昧で、もはや魔の山の一部と化していた。
とても人が住むような所ではないにもかかわらず、建物の中にはいくつもの人影があった。
先ほどよりもやや広い部屋には長机が置かれ、四隅には背の高い燭台が立てられている。やはり明り取りはなく、よどんだ空気の中で机を挟み二人の者が向かい合っていた。
いずれも濡羽色のフード付きマントを身につけている。
「ご報告します、ハザメ様」
ハザメと呼ばれた男はフードを被らず、顔を
剃り上げた頭と、底知れぬ冷酷さを感じさせる切れ長の細い目が印象的だ。
表情を変えずに、彼の薄い唇が動いた。
「リゼイラよ、
「はい、もう出血も少なくなり安定はしておりますが未だ深い仮死の
こちらはフードを深く被っていて顔が見えないが、声からは女性のようだ。
おそらく包帯を替えていたのはこの者だろう。
頭を軽く下げたまま答えている。
「では、もう命を落とす危険はないのだな」
「その点につきましては、ご安心して頂いてよいかと」
さらに深く頭を下げた。
そこへ扉を叩く音がして、かなり小柄な男が一礼をして入ってきた。
顔を上げると、幼子の
二人と同じ色のマントを
「チャザイか、また彼奴の容態を聞きにまいったか」
「御意にござります」
ハザメを向き、立ち止まって頭を下げた。
顔を上げるときにリゼイラへちらと目をやる。
「あれから既に四日が経ちました。そろそろギャラナも目覚めてよい頃かと思いまして」
「そなたが彼奴を救ったとは言え、そんなに気になるか」
「はい。例のお願い申し上げた件もありますし」
その言葉を聞き流し、ハザメは無機質な口調で伝えた。
「命を落とす心配はなくなった。そうだな、リゼイラよ」
彼女はチャザイの方へ顔を向け、軽くうなずき同意を示す。
「安堵いたしました」
笑みを浮かべてはいても目の上の瘤のせいで瞼が下がり、眠たげな顔に見える。
一方、表情を変えずにハザメは続けた。
「彼奴もあのお方の
「そのお陰でこうして生き永らえることが出来、本当によろしゅうございましたな」
チャザイが相槌を打つ。
「よいことばかりではない。仮死の刻から抜け出すのがいつになるやら分らぬからな」
珍しく少し不機嫌そうな口調を滲ませたハザメに、二人は押し黙った。
「あとは待つのみ。これまで長きにわたる時を待ち続けたのだから、それを思えばこの程度は訳もないことなのだが」
そう、ハザメが影の者を束ねるようになり既に二百年余り。
先代の頃から数えれば、その二倍を優に超えた時を生きてきている。
ここで数日、あるいは数週間、数カ月掛かろうともこの者にとっては些細なことでしかない。
「回復が早まるよう、治癒の魔道も施してみては」
「目を覚ませば効果があるやもしれぬが、今のままでは期待できまい」
機嫌を伺うようにチャザイが口をはさむが、今度も素っ気なく返された。
肩を落とし、小柄な体をさらに小さくし、声までも小さくハザメに尋ねた。
「なれば、ただ待つのみということでしょうか」
「彼奴次第ということだ」
椅子から立ち上がると、抑揚のない声で言った。自らへ言い聞かすかのように。
「では、これまで通り、日に一度は必ず診るようにいたします」
ずっと頭を下げながら聞いていたリゼイラが、部屋を出て行こうとするハザメの背中へ声を掛けた。
「決して
立ち止まって振り返ると、彼女へ念を押す。
「彼奴は我らにとって大切な男だからな」
そう言うと薄い笑いを浮かべたように見えた。
それも束の間、再び歩き出したときには感情の読めない顔へと戻っていた。
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