七:夜番-廃界の赤い夜

 廃界は既に滅び去った世界の残骸であり、世界を運行すべき上位存在も最早此処にはいない。いるのはただ、滅びに取り残されたもの達と淀んだ霊気マナの凝り、そして死して尚生者の如く動く哀れな死体ばかり。

 その事実が示すことは、即ち。


「ほんと、夜になっても明るいんだ」

「廃界の夜神は隠れられたからね、夜の概念は存在しないんだよ。日の入りのギリギリまで」

「ってことは、まだ生きてる神様の司る概念はあるの? 星とか」

「んーまあ例外はあるけど、大体そんな感じ。……まあ、世界が滅んじゃったのにかこつけて職務怠慢してる神性やつもいるみたいだけど」


 コチコチと元気よく時を刻む“北辰”、その針と昼夜盤ちゅうやばん――十二石刻しゃっこくに一度、裏の文字盤の一部が白黒に切り替わることで昼夜を報せる新機能らしい――が夜を示すことを確かめて、テンゲンは赤く染まった空をぼんやりと見上げていた。

 廃界には夜がない。朝と昼の概念はあるものの、空は四六時中夕焼けのように紅く、太陽は極域の白夜よろしく地平線すれすれまで下がっても決して沈むことはない。そのくせ、中緯度温帯域にあると言うこの地には季節の巡りがあり、地には夏の熱気が満ちている。

 一体全体星の構造などはどうなってしまっているのだろうか。仮にも技術者の端くれとして、少しばかり頭で考えなどもしてみたテンゲンであるが、真面目に原理と理屈を考えても全く分からない。その内に気が狂いそうな予感を覚え始めたので、テンゲンは早々に赤い夜空への追及を諦めた。

 時計と言う名の霊具を自身の腰鞄に入れ、設営した天幕の中へ潜り込む。


「ゔぐっ」

「あっすいませっ」


 途端、テンゲンは思い切りヨドの鳩尾に掌底を喰らわせることになった。

 大人四人がゆったり脚を伸ばせるほどの広い居住空間は、抗反帯を展開する機能を有した遮光性の高い内張りインナーシートと、大型の竜種ドラゴンに突撃されても破れない結界を展開する雨覆いフライシートの二重構造になっており、灯りが無ければ手元も見えない。夜目の効かない森霊人エルフでは尚更内部の詳細など見えるわけもなく、呻くヨドが何処にいるかも分からないまま、テンゲンは闇雲に虚空へ謝った。

 そんな彼に溜息一つ、ヨドの手が荷物から探り出した霊石灯を点け、天幕の天井に設けられた金具に吊り下げる。それでもまだ隅の方には闇がわだかまっているものの、主要な位置はよく見えた。

 そんな灯りの下、既に寝る気満々で毛布を膝に掛けたヨドを、テンゲンは驚きと共に見つめる。


「『鈴炯艇』、顔……えっと、大丈夫ですか?」

「人としての形は最低限保った顔ではないかな」

「そうじゃなくて」


 普段は防護帽ヘルメットの下に隠されたかの者の顔は、焼け爛れていた。

 立てた外套の襟と乱雑に下ろした長い白髪に隠れて、激しく引き攣れまだらに色素の抜けた肌と、その上に走る異様な刺青が視界に飛び込んでくる。彼の言う通り、骨格が崩れたり目鼻が欠失したりと言ったことは無いものの、人前で見せられる状態では到底有り得ない。

 なるほど全く露出しない訳だと内心で合点しながら、青年は瞬き一つ。居心地悪そうに薄い氷色の目を地面へ落とすヨドへ、そっと手を伸ばす。

 とりわけ瘢痕の酷い右頰から、憂いを帯びた切れ長の目の下まで走る青黒い刺青。森霊人エルフにも成人になった際刺青を入れる慣習があるものの、そのような意図で描かれたものではない。明らかに何か悪意が垣間見える黒々とした紋様に、テンゲンは少し失礼と声だけ掛けて指を触れた。ヨドはそれを嫌そうな顔で、しかして拒絶することもなく受け入れ、青年が出す答えを待つ。

 果たして、彼は。


時間流切断・様式IIタイムサーヴァー・ツー


 刺青に触れながら、“北辰”の竜頭を押し込むことを返答とした。

 鎖が通る瑠璃刻るりこく側の竜頭は、何もぜんまいを巻いて時刻調整をする為だけのものではない。浅く押し込めば現在時刻を音で報せる時報鳴鐘ミニッツリピーターの機能、深く押し込めば針の進みが一時停止する停時機構クロノグラフに、それぞれ切換使用スイッチ出来るように作られている。

 無論、普通に使えばただの便利な機能である――ただし、この二つの機能が同時に収められていると言うこと自体は、時を商う者からすれば只事ではない偉業である――が、霊力オドを通しながら対応する機能を使う時、この霊具は更に常ならぬ奇跡を起こし得るのだ。

 即ち。


「何を、したんだ」


 青年の手が離れた後の右頰、その爛れた上に染み付いていた青黒い刺青が、消えている。ケロイド状の皮膚や色素が抜けてしまった箇所は元のままであるものの、あの悪意と邪気に満ち満ちた紋様は、首の下ほどまでに撤退していた。

 刺青を刻み付けられた当人も、それは分かるものか。驚愕と興奮、そして押し殺された感動を交えて自身の顔に手を触れるヨドへ、時術士じじゅつしはふにゃりと締まりのない笑みを返した。


「傷が治らずに酷くなる呪いみたいだったので、特に重い所だけ解いてみようかなって……」

「時術でか」

「そです。秘伝らしいので詳しくお教え出来ないんですけど、爺やに教わりました」


 ほお、と深い感心を込めた声一つ。ぺたぺたと頰に触れて感触を確かめていたヨドは、半ば童心に返って感激していたことに思い至ったらしい。罰が悪そうにぱっと手を離し、焼け付いて固まった表情筋をぎこちなく動かして、苦笑のような笑みを少しだけ浮かべてみせた。

 そして、そんな表情も隠すように素早くそっぽを向き、もそもそと毛布の中へ潜り込んでゆく。天幕の手前で寝られては正直なところ障害物も甚だしいところであるが、今から寝ようとする人間、それも目上の者のそれを咎める勇気はテンゲンにない。

 諦めがちに溜息をつきつき、早々に寝息を立て始めた男の上を跨いで天幕の奥へ。最奥にはシギョウの荷物が無造作に置き捨ててあり、迂闊に動かせそうにもない。仕方なく天幕の中央で装備を緩め、鞄の中から引っ張り出した野営用の――本来は冬を前にした長期間の狩り最中に使うものだ――毛布を被って、最後に天井から下がる霊石灯の灯を落とした。

 横になった途端、どっと疲労が押し寄せてくる。思えば朝から大変な目に遭い続けてきたものだと、そんなことをしみじみと思いながら、テンゲンの意識は瞬く間に闇の中へ沈んでいった。



「テンゲン、交代だ」

「はぁい……あー……顔は大丈夫ですか?」

「嗚呼。痕が痛まないのはいいな」

「なら良かった」


 時は流れ、第一水宝刻すいほうこく半。

 その数石刻しゃっこく前にシギョウとヨドが交代し、今度は夜明けまでテンゲンが夜番を務めることになる。

 廃界であっても浅い所となれば宿営所が点在し、そこを借りて寝泊まりすることも出来ないわけではない。しかし、そのような常設の宿は原則、傷病者や保帯士を何らかの事情で喪った者、そしてまともに天幕も買えないほどの初心者を最優先で泊めることになっている。よって、訓練の意も込め、一行は宿場から離れた位置に天幕を張っていた。それ故の夜番だ。

 とは言え、よく整備され人の数も多い第一圏の夜は穏やかなもの。いつものように顔を隠したヨドと入れ替わりに天幕を出つつ、テンゲンは緊張感なく欠伸を噛み殺した。ヨドの方も大して心配していないらしい、まだ入り口付近でもたもたしている青年を余所に、早速毛布の中へ潜り込んでいる。

 そんな彼の様子を視界の端に捉えつつ、広い前室ぜんしつに一人向かえば、小さな折り畳み椅子とガラス張りのランタン、そして菓子が満載の折り畳み机がテンゲンを出迎えた。


「なぁにこれぇ」


 良く見てみれば、机の上には菓子だけでなく魚介の干物や干し肉、挙げ句の果てには酒類まで載っている。おまけに、ガラス張りのランタンは霊石を使うものではなく火を入れて灯すもので、もしやと見れば、ランタンの上蓋は使い込まれた網にすり替わっていた。完全に干物を炙る用のそれだ。

 これでは見張りと言うより酒盛りである。まさかシギョウもヨドも酒肴をつまみながら番をしていたのだろうか、いや流石にそれは、などともやもや考えながら折り畳み椅子に腰掛けたテンゲンは、雑然と広げられた菓子類の上に、手書きのメモが載せられていることにようやく気付いた。

 取り上げて見れば、細っこい直線的な男文字がつらりと並んでいる。


『今日一日よく頑張りました。僕らの目から見て(少なくとも僕の判断では)君は間違いなく合格です。おめでとう。

第一圏の夜明けは大して恐ろしいものではありません。僕らも多少無茶を言った自覚はあるので、夜くらいはのんびり過ごすのも良いんじゃないでしょうか。机の上のものは自由に消費してください。どうせ期限の近いものなので全部食べても構いません。

それじゃ、また朝に起こしてね。』


 そんなことが書かれた紙を、テンゲンは無言で元の場所へ放り投げ。“北辰”の竜頭を押し込みながらゆっくりと立ち上がり、前室から外へと繋がる垂れ幕を退けて外を見る。

 視線を一巡、死角へ隠れるようにうずくまる人影へ向けて、テンゲンは静かに声を掛けた。


「僕で良かったらお手伝いしましょうか」


 そこにいるのは、人間などではない。確信を込めた声を、はどう捉えただろうか。

 うう、ああ、と啜り泣くような声を零しながら、ゆっくりと這いずってきたものを、テンゲンは極力平静を装って観察する。


「ぁ、あ゛……ゔ……」


 諸所几帳面に編み上げた長い黒髪、切れ長の碧眼、白いと言うよりは血の気の引いた肌。歳の頃およそ三十代半ば、がっしりとした体躯の上に霊鋼糸れいこうし製の茶色い外套を羽織り、右手には砲身の長い霊銃れいじゅうを握りしめている。首から下げているのは霊金れいきんの珠が埋め込まれた潜行士の登録証。普通の人間と変わらない。

 しかし、長い外套の裾に覆われた腹から下。本来ならば二足歩行の為の脚が付いているべきそこには、蛇とはらわたを足して二で割ったような、赤黒い触手様の器官が無数に伸びだして血の跡を引いていた。

 明らかに人間としての範疇を逸脱した造形であることは明らかだった。勿論廃界土着の生物にこんなモノは存在しないし、魔物にしてもこのような中途半端な形にはならない上、害意殺意の類は全く見られない。これ即ち、この男は、何処かで死した後に動いた成れの果て。転変者だ。

 上半身だけ男の形をしたそれは、霊銃を杖代わりに地面へ引っ掛けながら、ずるずると青年の前まで這いってくる。が、足元まで近づくので精一杯だったらしい。力尽きて地面に倒れた男の傍らに、テンゲンは内心の警戒を隠しながら膝をつき、恐る恐る転変者の身体を抱き起こした。


「大丈夫ですか」

「大丈夫……大丈夫に見えるか、これが?」


 ひとまず安堵の溜息。まともに会話が通用するようだ。

 転変者と一言で言っても、その姿や力は実に幅広い。昨日の蚯蚓を固めた蜥蜴しかり、今目の前にいる下半身の崩れた男しかり、容姿一つとってもこれほどに差がある。しかしながら、人の意識を保ち、尚且つ会話が成立する転変者は、廃界せかい広しと言えどもほとんど――浅い圏では皆無と言っていいほど――見られない。

 何故なら、斯様に明瞭な意識を保てる転変者は決まって高位の潜行士の成れ果てであり、そのような潜行士が命を落としたまま捨て置かれることは無いからだ。

 もしも高位の潜行士が遺体を遺したまま死亡するとすれば、属していた潜行士隊パーティの者が全員死亡してそのまま発見されなかったか、或いは低位の潜行士を導いている最中に死亡し、遺体を焼却されず捨て去られてしまったか。他にも可能性はあるものの、それを追及するのは今ではない。

 ともあれ。

 テンゲンはひとまず転変者の男を抱えて天幕内に戻る。そして、先輩ヨドが眠りこけているのをそっと跨ぎ越して自身の毛布を取り、前室へ引き返して男を毛布の上に寝かせた。それの何が嬉しいのか、ずっと皺を寄せていた眉間を緩める様をじっと見下ろしながら、折り畳み椅子に腰掛けて相対した森霊人エルフを見上げて、男は掠れた声を紡ぐ。


「私は、冠木カブラギ。通し名を『千貫せんかん』。六年ほど前に、七圏で死んだ。探索士だ」

「六年」

「嗚呼。その時は確か――同じ隊の隊長が、私を斧で二つに。それから気を失って、気付いたらこの姿だった。以来、人目を避けながら、此処まで」


 恐ろしいことをこともなげに語られ、テンゲンは気が気でない。潜行士隊パーティの仲間を斧で断ち殺すなどと言う蛮行を聞き逃せるはずもなし、そこから目覚めて動き出してしまった挙句一圏まで来たことも信じがたければ、転変者が六年もの間自我を保ち続けていたことがそも前代未聞だ。

 そして何より、このカブラギと言う男が、何故斯様に長い時を掛けてまで七圏という深みから一圏へ這い戻ってきたのか。そこが、テンゲンとしては気になって仕方がない。堪らず尋ねてみれば、彼は、叶い難いこととは分かっているが、と前置きした上で答えた。


「青い空を……もう一度、見たいんだ」

「……あぁ、なるほど」


 廃界の空は、四六時中夕焼けのような赤さだ。多少の色彩の移ろいはあるが、暗闇になることもなければ、爽やかな青空と言うものには尚更変化しない。代わり映えもしない、ただだだっ広いだけのそれを六年もの長きに亘って、しかも年中無休で眺めなければならない辛さは、最早生者の精神で推し量れるものではないだろう。

 若輩の森霊人エルフに言えることは少ない。ただ沈痛に目を閉じ、カブラギの言葉をしっかりと飲み下して共感の意を示すばかり。転変者の方も彼に慰めや解決策を期待してはいないのか、疲れたような表情を隠そうともせず、ぼんやりと暗い天井を見上げている。


「無理に慰めて貰わなくても構わない。暗い所で横になれるだけでも、私は嬉しいよ」

「そんなこと――」

「ある。こんな異形のものに成り果てた私が、人間のように扱ってもらえるだけ至上の幸福だ。……もう少し我儘を言っていいなら、夜明けまで眠らせてくれないか」


 乞われて叶えぬテンゲンではない。半ば反射的に頷き、それを言質として、カブラギは気絶同然に意識を手放した。

 急にぐったりとした男を横目でちらり。男の下に敷いてもまだ余る毛布の端を折り返し、触手ののたくる下半身を隠すように身体の上へ被せる。

 腹から下さえ隠れてしまえば、やはり見た目は普通の人間とさして変わりない。強いて言えば顔から血の気が引きすぎているものの、心臓は遅めながら人と同様に鼓動し、呼吸も細いが確かにある。病を得たと言えば通じてしまうやもしれない。

 異形の部分さえ隠れてしまえば、傍目には転変者と分からぬかもしれぬ。そんなことを考えてしまった、考えたテンゲンの脳裏に、ふと閃きが過ぎる。


「うん、そうだね。――よし」


 提案の価値はある。そう確信して、テンゲンは一人、力強く点頭した。

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