六:先触-番わずの卵

 場所は変わり、穴の底から中腹の洞穴へ。

 巨大な縦穴から真横にぶち抜かれたこれは、幼体期の螭が身を隠す場所を探して掘り進んだ時の名残であり、一部は近くに横たわる鉱脈を貫いている。そう言った場所には往々にして潜行士が入り込み、穴を広げ、別の鉱脈に繋がる小路を掘り、そして一つの巨大な採鉱場を作り上げるのだ。

 テンゲン達が足を踏み入れたのは、そんな大採鉱場の一つ、百年以上も穿り返されて未だ尽きぬ黄玉シトリンの鉱脈であり。

 その最奥より涼やかなるは、鋸の刃が猫の背に生えた黄玉の棘を削る音。

 ぴんと立つはずの三角耳を極限まで後ろに倒し、金色の目を満月よろしく真ん丸に見開き、抱えるテンゲンの腕に思い切り爪を立てる黒猫の視線の先には、糸鋸とやすりを手にしたシギョウの姿がある。その視線は凪の海のように穏やかな色を湛え、けれども決して容赦しない決意を秘めて、残り五本ある背の棘を見据えていた。


「いててっいてててて、爪っ爪が、いってててて」

「UUUUuuuuu……UaWghhhhuuuuuu……」

「やばいやばいすっごい威嚇されてる、急げ急げ」


 当然、猫にとっては恐ろしいことこの上もなし。

 これ以上近づけば命はない、とでも言わんばかりの鬼気迫る形相に、しかし探索士は苦笑いを浮かべるばかり。


「Shaaaaahhhhh!」

「どわーっ!? おーあっぶなぁい!」

「呑気に関心してないで、早くー! もう僕腕限界だから! はよぉーっ!!」


猫が隙を見せたところで素早く背の棘を切り、残像すら残す爆速で繰り出された猫パンチや猫キックをひょいひょいと避け、切断面をやすりで滑らかに整える。そんなことが棘の数だけ繰り返され、テンゲンの腕と太腿に蚯蚓腫みみずばれを数十本作り、ついでに乳酸をこれでもかと蓄積させたところで、ようやく猫は解放の運びとなった。

 棘が無くなって身軽になった黒猫は、森霊人エルフの腕の力が緩んだ途端脱兎の如く逃走。射出されたかの如き勢いで最寄りの小路へ飛び込み、一滴刻てこくも経たず見えなくなった後ろ姿に、潜行士達は呑気に手など振って見送る。

 ――潜行士救助隊、『鵲』。特殊な任務を帯びる彼等とても、普段から本業ばかりしているわけではない。救助要請などそう何度も入るものではないし、一回の報酬は高いもののそれだけで暮らしていくことは流石に無理だ。日常のほとんどは、こうした細々とした採集や魔物退治が主である。

 切り出した黄玉の塊を一つずつ布に包んで袋の中に仕舞い、道具と共に携えた腰鞄の中へ。依頼完了、と満足げに声を張り上げ、探索士は両の拳を天へ突き上げた。


「やー、ホント君がいて助かったよ。『鈴炯艇』は猫過敏症アレルギーだから」

「何でさ。あの服なら完全防備じゃん」

「触る分にはね。ただ、空気に毛がちょっと舞ってただけでも喉腫れ上がっちゃうんだよ。防護帽ヘルメット濾過装置フィルターは付いてないしなぁ」

「なのに依頼受けるの?」

「そりゃ、『鈴炯艇』に死なれちゃ色々困るし、やらなくていいならやらないけどさ。でもあの爆速猫蹴脚キック繰り出してくる相手だもん、低位の潜行士は誰も引き受けたがらないんだよねぇ。高位の潜行士は浅い圏素通りしてっちゃうし」


 確かに、と納得の一声。あの猫パンチや猫キックをまともに喰らいたくはない。シギョウは笑いながら避けていたが、同じことをやれとテンゲンが言われたとて、恐らくは作業中に顔を殴られて終わりだろう。仮にあれを避けられるほど実力者であったとしても、そもそも猫は見つけにくい坑道に身を隠しており、数もさして多くはない。

 ただでさえ廃界は生存するのも厳しい空間であると言うのに、その上要らぬ苦労を背負い込んでまで猫を追いかけると言うのは、成程かなり奇特な者に限られるであろう。

 ――何か役得があったとすれば、猫の毛並みが大層気持ちよかったことくらいだ。


「普通に撫でたいなぁあの猫」

「確かにー。今度大人しい個体探してみるかぁ」


 他愛もない感想は、いつか達成すると言う熱意だけを残して洞穴の暗きに溶け消えた。

 そして、どちらからともなく、二人は服についた黒毛を協力してはたき落とし、腕や脚や服に付けられた引っ掻き傷を治療する。その成果を互いに確認し、これならば過敏症アレルギー持ちの男にも会えるであろうと頷きあってから、一人離れた坑道で作業する『鈴炯艇』の元へ向かった。

 彼は彼で、何やら小難しい案件の消化に勤しんでいるらしい。手には神器ではなく小型の金槌が握られ、それでしきりに坑道の壁を叩いては、防護帽ヘルメットの下から伸びた――どうやったらそんな器用な装着が出来るのやら、テンゲンには皆目見当もつかなかった――集音器マイク越しに音を聞いて紙に書き込んでいる。


「何あれ?」

「坑道の耐久性調査。今度耐震工事が入るって話だからね、崩れそうなところを先に調べて、工事業者がそこを重点的に補強するんだと」

「そう言うのって専用の資格が要るんじゃないの」

「その辺は僕もよく知らないんだけど、何でか『鈴炯艇』に指名が来るんだよね。まあ組合長が咎めてないみたいだし、僕が知らないだけで資格持ってるのかもよ」


 ふぅん、と気のない返事を一つ飛ばし、テンゲンは頭の後ろで手を組む。その動きで二人に気付いたか、黙々と書き物に勤しんでいたヨドの手が、使い込まれた手帳をぱたりと閉じた。

 集音器の聴音部イヤピースを外し、おもむろに相棒と見習いへ向き直る。


「こっちは終わったよ。そっちは?」

「概ね終わった所だが、耐震工事はまだ先になりそうだな。……奥で卵を生んだ気配がある」

「螭が? まさか“番わずの卵”かい」

「嗚呼」

「うわあ……」


 声を潜めるヨドに、シギョウは苦い顔。何も言わず腕を組み、さも深刻げに溜息を吐き出す二人を余所に、事情を知らぬテンゲンは目を瞬いた。

 情報用地サイトは確かに潜行士として必要な知識の多くを提供するが、だからと言って何でも揃っているわけではない。潜行士達の間で常識的になりすぎた不文律や再現性のない事例は、最初こそは活発に喚起されるものの、年月と改訂リビジョンを重ねる度に重要なものとして口上に挙がらなくなっていく。

 螭の世代交代などはその一例だ。自然な状況下における彼等の世代交代頻度は、通常であれば数千年に一度と鈍足極まりない。森霊人エルフの親子三代の間にも遭遇し得ない稀少事例レアケースなど、記憶するだけほぼ無意味。勿論、過去の研究成果と得られた知見自体は残されるものの、それが引き出され使用される機会は人の世が滅びるまでないだろう。

 故に、霊力附帯情報網オドネットへそれが載ることはなく、テンゲンも知る由はない。

 唯二、この場で詳細を知るは――


「『鈴炯艇』、どういうことですかそれ?」

「螭は基本的に有性生殖の生物なのだがね。子種を孕まない内に死期を迎えると、無性生殖に切り替えることがある。だが、此処の螭は齢七百の若齢だ」

「老衰で死んじゃうってことじゃないんですよね。……えっ、それじゃ」

「ぴちぴちの竜が死ぬくらいの大事件が起きたか、現在進行形で起きてるってことになるねぇ」


 この、白金札の潜行士達のみ。

 此処に居らぬ螭の身に、何らかの危機が迫っている。そう渋い顔で語るヨドとシギョウを見上げて、テンゲンは顔を引きつらせた。

 常界でも廃界でも、竜は上位存在かみがみに並ぶ強者の象徴だ。如何に世代が進み、血統が薄くなった個体であろうとも、並の魔物や転変者など溜息一つで片付けてしまえる。そんな生物に死期を悟らせる何かなど、見習い潜行士には一つしか思い浮かばない。

 しかしながら、このような場所で言ってしまってよいものか。少しの葛藤が、テンゲンに迂遠な言い回しを強要した。


「それ、あの、廃界は大丈夫なんでしょうか」

「廃界が消し飛ぶほどの異常事態が発生しているなら、そもそも“門”が開かんよ。流石に上位存在かみがみが介入してくるだろう」

「で、ですよね」

「だが、具体的にどれほどの規模の災害が発生するかは、起こってみなければ分からない。何しろ螭の活動圏は空の上だ、いかな白金札でも、竜騎士りゅうきしでもない私達に空は飛べんよ」


 確認のしようがない、と言うことであろうか。

 苦々しい声音で語るヨドに、テンゲンは不安一杯の顔を紅い空に向け、見も知らぬ巣穴の主の無事を祈るしかなかった。



 個人間の緊張と仕事の完遂はまた別物。

 ひとまず縦穴の中で終わらせるべき依頼を全て片付け、再び地上へ戻ってきた一行が向かった先は、第一圏の果て。先人達によって敷かれた道の脇、深みへ挑む潜行士達の為に設けられた休憩所の一角で、三人は持ち込んだ飲料と食糧にそれぞれ口を付けていた。


「先行していた探索隊から報告が挙がった。先刻の転変者は二圏の手前で死亡した潜行士隊の一人らしい。残る三体はその場で焼却、遺品は焼却の際一緒に燃えてしまったそうだ。登録証は拾って支部行きの隊に任せたと」

「うわちゃあ、遺品ごとやられたかぁ。……その潜行士隊、穴底の人達じゃないだろうね」

「『三閃』ではないな。あれは三人組だ」


 保温筒に入れた湯へスープの素を入れつつ、白金札の潜行士達は今後の予定についての組み直しを検討中。携帯端末に浮かぶホログラムを指で弾き、予定表に書き込んだり情報を参照する二人の傍らにて、テンゲンは長椅子ベンチの縁で片膝を抱えながら、ひっそりと目を閉じていた。

 何もただ漫然と過ごしている訳ではない。横に長い耳を微かに揺らし、周囲に満ちる音に意識を研ぎ澄ます。条件さえ整えば三ちょう先の寝息すら拾う聴力で、潜行士の話し声や身じろぎの音を解析していた。

 廃界とはいえ“門”のすぐ近く、言うほど危険視する必要性がないせいか。人々の賑々しさはどれも適度に弛緩し、より深い圏へ挑む気負いは感じられない。次は何処に行くこれを採る、あれを退治するなどと話し合いが進む中、テンゲンはふと、何やら言い争う声を聞いた。


……しかいないのに……

……士一人が一人でもいれば行ける……

……はそれでいいかもしれないけど……


 それがどのような裏があるのかは知らない。

 声の主が誰かなど知らなくても構わない。

 ただ優先すべきは、口論している二人がとんでもない無茶をしようとしている事実だけだ。

 テンゲンは半ば反射的に顔を上げ、白金札二人へ報せを挙げた。


「『鈴炯艇』、『導杖』、誰か言い争いしてます』

「言い争い……どんな内容だ?」

「『二人しかいないのに向かうのは無茶』『保帯士が一人でもいれば行ける』『イロハはそれでいいかもしれないけど、俺はもう無理だ』――以上です」


 ごく簡潔なテンゲンの報告に対し、ヨドは無言で黒櫂の神器を手にする。かと思えば、先に下がる白銀の宝珠をしゃらりと一鳴らし。銀の粒を零したような音が辺りに広がり、消えると同時に、ヨドの足元に落ちた影が一人でに動き出した。

 男の足元から切り離された影は、あたかも何かを待つように石畳の上にわだかまる。その虚無に向かって櫂の先を軽く当て、男の低い声が紡ぐのは、ごく短い影術の聖句。


〈醜いことは後にしろ、――回収船サルベージシップ


 辛辣な聖句が完成した直後、待機する影に膨大な量の霊力オドが収斂し。

 それが渦巻くがまま、黒い水溜りは釣り上げ機クレーンを備えた帆船の姿を取ると、そのまま地面に染み込むように溶けて見えなくなった。


「後は勝手に廃界支部まで連行されるだろう。だがテンゲン、これから先この手の報告は不要だ」

「あのままだと廃界の中で仲間割れが起きそうでしたけど、いいんですか?」

「言い方は悪いが、場所を考えずに言い争っていること自体が愚かだ。この手の輩の口論はどう諌めても得をしないものでね、私は潜行士同士で起こるいざこざに首を突っ込まない」


 冷酷な声音でそう言い切り、腕組みと共にそっぽを向く。そんなヨドをどこか不安げに見上げるテンゲンへ、シギョウが苦笑いと共に言葉をいだ。


「いやあ、一回潜行士同士で殺し合いみたいになったから止めたことがあるんだけどね、その時に一緒に止めてくれた保帯士が割りを食って殺されたことがあって。すごくいい人だったのに、助けられなかったのがちょっと傷になっちゃってね……それ以来人間同士の小競り合いにはあんまり関わらないようにしてるんだよ」

「あぁー……すいません、首を突っ込んで」

「いいんだよ。助けたい気持ちは僕も『鈴炯艇』もよく分かってるから。でも、君も親切になりすぎなくていい。他人に目を掛けられるのは美徳だけど」


 誰にでも慈愛を振りまいていいのは、相応に実力のある潜行士だけ。そう言い切って、シギョウは保温筒の中身を一気に飲み干す。


「まあ、君は大丈夫そうな気がするね」

「え、そぉ?」

「うん、引き際がいい。危ないと思ったらすぐ尻尾巻いて逃げてそうなとこが僕的に好感触」

「それ褒めてるの?」

「超褒めてるよ僕ぁ。逃げるのに躊躇がないのは長生きできる証拠だよ」


 中身のなくなった保温筒を見つめる、銀貨の色の双眸。その奥に宿る寂寥と悔恨の色が、一体何を想うかは、テンゲンの知る所ではない。

 ならばと夢想することも、二人の潜行士は許さない。机の上に広げ散らかした荷物を素早く片付け、傍に立てかけていた神器を手に立ち上がったヨドとシギョウを横目に見上げながら、テンゲンもまた、何も聞かず何も言わずに立ち上がった。

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