五:穴底-ある貝札探索士の最期

 投げ放てば必中貫通の影の槍。

 掲げ持てば絶対防御の影隠れ。

 瞼に擦れば夜を見通す千鷹眼せんようがん


 星の女神、金月の渡し守アウレアピーカが授けた風切羽の触れ込みはこうで、効果のほどは成程確かに、言うだけのことはある。


「あっちゃあ、思いっきり捻ってるなこりゃ。一応痛み止めと炎症止めはするけど、しばらく冷やして安静にした方がいいかも」

「ごめんなさぁい……いててっ」

「いやあ、森霊人エルフにこの暗さで歩けってのがそもそも無理難題なんだよ。渡し守様が君に羽根を渡した理由がよーく分かった」


 縦穴の底、霊石灯で照らしても足元さえ覚束ぬほどの闇の中。転がる石を踏んづけて転び、陰影を見間違えて壁に三度ぶつかり、窪みの深さを測り損じて片足を捻挫する羽目になったテンゲンは、遂に耐えかねて星神の神器に頼った。

 暗順応あんじゅんのうとか言う、暗闇に居続けることで次第に慣れて見えるようになる反射が人族の目には備わっていると言うが、そんなものは幻想だ。いつまで経っても暗闇は暗闇のままであるし、どこまで行っても暗いものは暗い。森霊人エルフの目とはまこと厄介なもので、明るい場所ならば昼間の金星すら見通す者がいる一方、暗い場所ではめくらも同然なのだった。

 痛む足首をシギョウに治療されながら、周囲をきょろきょろ。急に鮮明な像を結び始めた視界をゆっくりと慣らしてゆく。先程までの手元も見えないざまは何処へやら、今のテンゲンの視界は、ともすれば地上におけるそれよりも鮮明だ。螭が身を隠す為に開けた横穴の一つずつはおろか、潜行士達が移動のために設けた細かな橋や階段までもが、今や霊石灯を掲げずとも良く見える。

 そんな壁の僅かな窪みを走り回るものあり。霊石灯の微かな光を反射し、ちらちらと耀きながら壁を走り回るのは、色とりどりの宝石の針を背に生やした小鼠である。常界にも似たような針鼠はいるものの、どちらにせよテンゲンに詳しい種類など分かるべくもない。しかし、尋ねようにも生物に詳しそうな――学者らしい見た目をしているからというだけの理由だ――シギョウは治療で手一杯。ならばと、テンゲンはヨドの方へ眼を向けた。


「えーと、『鈴炯艇』?」

「いかにも私の通し名だが、何か?」

「嗚呼えっと、あの鼠。何なのかなって」

「あぁ。――あーいや、分からん」

「えー」

「勘弁してくれ、暗記は苦手なんだ。食える生き物のこと以外覚えていない」


 裏を返せば、食べ物に関しては苦手なりに必死で覚えたと言うことであろうか。頭のてっぺんから爪先まで黒尽くめの衣服と外套と武装で覆い隠し、その概形シルエット以外まるで人間らしい要素の垣間見えぬ彼も、やはり尋常な者と同じ欲求を兼ね備えた人間であるらしい。

 微笑ましいと言うべきか何というべきか。ともあれ、生暖かい感情を込めて目を細めるテンゲンに対し、罰が悪そうにそっぽを向くヨド。そんな彼等の頭上を、嘲笑うかのように宝石鼠が走り抜ける。

 そうこうしている内にシギョウは応急手当を終え、テンゲンは固く巻かれた包帯とその上から貼られた氷術ひょうじゅつの聖符ごと、山歩き用の革長靴ブーツを履いて立ち上がる。がちがちに固められた足首を気にしつつ、地面を軽く爪先で突いていると、シギョウから古い木の杖が投げ渡された。


「これ、誰かの……」

「まあ、今日回収する遺品の一つなんだろうね。でも杖は杖だし? 壊れてもいないみたいだし、有効活用しようじゃん」

「……そだね」


 死人のものを使う、と言うといささか抵抗のある話だが、やはり道具は道具だ。使われないまま死蔵されるより、少しでも使ってやった方が、道具としても冥利に尽きると言うものだろう。そう割り切って、テンゲンは渡された百五十小義しょうぎほどの杖を手に取る。

 枝を切り出して磨いただけの簡素な樫の柄に、先端を飾る霊透玉、柄に開いた穴から吊り下げられたウサギの縫いぐるみ。高度な職人の手技を間近で見た者からすれば、子供が三ヶ月分の小遣いを貯めて買うような、照明付きの杖くらいの役にしか立たないような拙い代物だ。それ自体への思い入れはともかく、命がけで潜り込む場に持ち込むほどの戦術的価値は存在しない。

 それでも、此処にそんなものがあるのは事実だ。顔に浮かびそうになる怪訝の表情を押し殺しつつ、ふと杖を裏返してみれば、ナイフで苦労しいしい刻み付けたような傷があった。


 ――“目指せ 九圏! 深海フカミ


 誰によって記されたものなのかなど、考えるまでもないだろう。

 唇を小さく噛み、努めて感情を表に出さないようにしながら、テンゲンは既に穴底の探索を始めていた潜行士達の中に混ざる。



 テンゲンが足首を捻った場所から五ようほど歩いたところに、それは落ちていた。


「貝札探索士、名前はフカミ、女性。廃界での通し名は『白閃はっせん』。死亡判定時刻、紅星月べにほしづき十七日の第二紫透しとう刻五分、死因は頭部強打による脳挫傷――『三閃さんせん』の一人だね、間違いない」

「劣化した縄が降下中に限界を迎えて切れ、そのまま落下死、か。風術や水術に適性はなく、縄の代わりになる降下装備もなく、浮遊フロート泥化リキュファイの聖符もなし。……居た堪れんな、これは」


 根元から千切れて折り重なった縄梯子と、頑丈な組紐に通された登録証、恐らくは死して起き上がった――転変者へと変化した――際に破れ果てたらしい、血と脳漿にまみれたローブの残骸。踏み荒らされ中身の潰れた革の鞄に、千切れて飾玉ビーズの散らばる腕輪状の護符。鞄の中の荷物は、低質な青玉サファイアの原石が袋に一杯と、市販のものですらない粗悪な傷薬のみ。

 食い詰めた低位潜行士の最期が、そこには無情に横たわっていた。

 粗末な装備と言い階梯かいていの低さと言い、恐らくは食うに瀕した挙句一攫千金を狙って登録した潜行士なのだろう。彼女らがどれだけ長く活動していたかは知る由もないが、少なくとも大事な得物をちゃちな大衆品から買い換える余裕もないほど困窮していたのは確かだ。

 そしてそれきり、報われることはなかった。


「あの。このフカミって人、家族は?」

「流石に僕らもそこまで網羅は出来てないけど――この子、まだ十七歳だよ。両親や兄弟がいたら、多分潜行士なんて危ない職業には絶対就かせないんじゃないかな。ましてや彼女は女の子だ」

「だよね……」

「……あんまり過去に思い馳せない方がいい。一人一人を想えるのが理想だけど、そんなことが出来るほど僕らは丈夫じゃないんだ。想像を断つ練習はしといて損はないよ」


 散らばった品々を袋の中に拾い集めながら、シギョウの提案は至って素っ気ない。表情も読めぬほど平静そのもので、顔自体見えないヨドよりも余程涼しい体で作業を進めている。いっそ冷たくも思える態度であるが、『鵲』の仕事内容を鑑みれば、それを責められる道理など誰にもありはしない。

 テンゲンは黙って首肯を返し、まだ痛む足を引きずり引きずり、縦穴の中心近くまで吹き飛んだ腕飾りの部品を拾い上げた。

 身につけてからそれなりに長く経っているのか、ソロバン型の飾玉は表面が擦れて稜線エッジが鈍り、本来海の如く青いはずの霊藍晶れいらんしょうの珠は、霊気マナが抜けきって色が褪せている。何の術が込められていたかは分からぬが、少なくとも直近の数ヶ月は護符として機能していなかっただろう。それでも身に付ける辺り、余程大事な品であったらしい。

 集めたものをシギョウの持つ袋へ流し込み、ひと段落。どうしても頭を過ぎる想像を振り切り、手にしていた杖も袋の中に収めようとしたところで、シギョウが思い出したように呟いた。


「申請すれば、近親者のいない潜行士に関しては遺品引き取り手続きが出来るよ。もしやりたいなら後でやり方を教えるけど」

「え」

「杖の言葉さ。気になってるようだったから。君もいつか九圏目指して潜るんだろ? なら一緒に連れてってやればいい」


 あっけらかんとして笑うシギョウ。唖然として杖に目を落とすテンゲン。両者の間に少しばかりの静寂が立ち込め、そして声がそれを打ち払う。


「教えて」

「任せときな」


 下手くそなウィンクと共にシギョウは笑い、テンゲンもそれに少しばかり困ったような笑みを返す。

 心の重荷を僅かばかり落とした身の軽さが、残りの仕事を少々早く終わらせた。

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