三:開門-廃された世界への“門”

 縦四小義しょうぎ、横一小義、厚さ五風仔ふうしの霊透玉の板は、細かな傷と修理の跡だらけ。埋め込まれているのは鉄の球。板の上部に穿たれた穴には古ぼけた紐が通され、何度も使い回されたであろうことが見て取れる。

 簡易的な適正検査を行い、応接室を出た後しばし待たされ。その内に遺産相続の為の手続き書類の確認が終わったとして呼び出され、記入事項の不備の書き足しや訂正を行っている間に、実地試験の準備が出来たとまた違う窓口に呼び出しを食らう。そんなこんなで受け取った仮登録証を照明の光に翳しながら、テンゲンはぼんやりと呟いた。


「仮登録証って鉄球なんだ」

「そそ。鉄は霊力オドを溜めやすくて離しやすいから、ちょっと使うのに丁度いいんだよ」

「そっかぁ……あー、爺やの時計って霊鉄あんまり使わないから。どっちかっていうと霊擬金れいぎきんの方が出番あるのかなぁ」

「霊擬金は術式保存が簡単だからね。時に『鳴響』の複雑時計、あれ機構を詰め込むのに時空間拡張の術使ってるって噂だけどどうよ」

「紛れもなく事実でございます。僕整備出来ます」


 いつの間にやら仲良くなった森霊人エルフと治癒士、そして二人の戯れを静かに見守る防護帽ヘルメットの男。実地試験のために組まれた臨時潜行士隊パーティが時間を潰しているのは、潜行士組合本部の屋舎の最奥に鎮座する、霊鋼製の黒扉――“門”の前である。

 廃界とは、文明が滅び去ったもう一つの世界。テンゲン達が暮らす常界じょうかいのごく近傍に位置するそれは、あまりに近く隣り合うが故に、その一部が常界と接触している。本来離れているべき空間が、一部とはいえ触れ合っていると言うのは、本来ならば廃界も常界も破滅させかねない破綻だ。しかし、時空の接点は奇跡的な均衡を以って両界を穿つ孔となり、やがては上位存在らによって固定され“門”となった。

 テンゲン達がその開門を待つ扉も、そうした世界間を繋ぐ孔の一つであり、人間が通行出来る“門”の中では最も安定的に存在しているものである。とは言え、“門”は常時人が安全に通れるものではない。場所こそは動かぬよう縛り付けられているが、扉の先に人の脚が踏みしめられる地面がいつも有るとは限らないのだ。勝手に押し入ったが最後、時空の狭間に落ちて戻れなくなる可能性とてある。故に、開門の時間――言い換えるならば、廃界へ潜行出来る機会タイミング――は厳正に決められていた。

 扉の前で待ちぼうけている彼等が、その先にある地へ踏み入ることが出来るのは、後半石刻しゃっこくほど後の話だ。


「おおぉっ何じゃこりゃぁ」

多次元庫デポット付与つき鞄でーす。シギョウさんも持ってるでしょ」

「僕のは野営道具と食糧と諸々の調査道具入れたらパンパンになるような低容量鞄だから……そんな一軒家が入りそうな容量のは高くてさ。ちなみにおいくら万てん?」

「んー、十万くらいでどうかな? 付与は僕出来るから」

「十!? 二十、いや三十万払うから作って。マジ作って下さいお願いします」


 いつの間にか雑談から商談へ進化した森霊人エルフと人間の会話を聞き流すこと、四半石刻しゃっこくと少し。

 壁に寄り掛かり携帯端末を弄るヨドの耳が、銀細工の触れ合う涼やかな音を拾い上げる。


「シギョウ、テンゲン、そろそろ気を引き締めろ。今日の開門担当のお出ましだ」


 声を上げながら柏手を二回。乾いた破裂音が空気を揺らした途端、へらへらと笑っていたシギョウは話を切り上げて表情を引き締め、テンゲンも少し遅れて背筋をぴんと伸ばした。釣られるように、周囲で開門を待っていた潜行士達も雑談を止める。

 そしておもむろに始まるのは、最後の準備だ。あるものは手にする得物の調子を確認し、あるものは廃界へ持ち込む機器や糧食の抜けが無いかを確かめ、あるものは深呼吸を繰り返し緊張を静め――緊迫を帯びた騒がしさが、にわかに“門”の前へと溢れ出した。

 その中に、白金札の潜行士達もまた混ざり。ヨドは壁に軽く背を預けたまま、シギョウは今まで座り込んでいたベンチから立ち上がって、それぞれ長い杖を構えるように虚空へ手を添えた。

 その手の内に、音もなく、黒と白がこごる。


神器じんぎだぁ」

「さっきも見せたけどね。“可惜夜あたらよ”と“旭暉きょっき”でーす」

「やめろ、吹聴するな。単なる貰い物だ」


 ヨドが手にするのは、影の如く黒い、持ち手の先端に白銀の宝珠が揺れる櫂――“可惜夜”。

 方やシギョウが持つのは、陽光を縒り合わせたように白い、諸所に黄玉おうぎょくの埋め込まれた、歪な形の長杖――“旭暉”。

 どちらも、人間が作り出したものではない。位高き上位存在かみがみが、その秘めたる権能を込めて練り上げた、真なる奇跡の結晶である。世に数ある霊具れいぐが権能を以って作り上げられた機構の集積とすれば、神器とは権能をそのまま形にしたものと言っていいだろう。

 当然ながら、“北辰”は神器ではない。どれだけ精妙な代物であっても、どれだけ複雑で緻密な機構が中に入っていようとも、これを組み上げたヤボシはただの森霊人エルフで、中に収まっているのは奇跡ではなく極限の技術と叡智なのだ。なればこそ、テンゲンの驚きは至極素直なものであった。

 へぇほぉと関心しきりに眺め回す青年と、それをあしらいながら各々の持つ神器を点検する男二人。整備と確認はつつがなく進み、そしてそれが終わりかけた頃になって、

 は、銀の音を供に現れた。


「何じゃ、今日は面白いのばかり揃っておるの」


 重力などあって無きが如く、ゆるりと宙を飛び来るは黒衣の少女。カササギの翼に変じた腕で空を切り、カササギの脚で床を蹴っては、長く伸びた金の髪を柔らかく揺らすその様は、素人目にも尋常な人族でないことが察せられるだろう。

 夜の如く黒い衣に身を包み、星の如く煌めく装身具で全身を飾り立て、然して豪奢なそれらに埋もれぬ燦然とした美貌を振りまく少女――その名を、金月の渡し守アウレアピーカ

 彼女はあらゆる星の采配を司る夜星の神であり、星の海を往く船頭であり、そして何よりも。


「ヨドよ、この青年はぬしの預かりかえ?」

「まあ、そうなるな」

「ふぅん?」


 ヨドに加護を与える、実に強壮な上位存在の一柱である。

 親しげに短い言葉を交わし、潜行士達の中に紛れる異分子について確かめてから、金月の渡し守アウレアピーカは迷うことなくその足先をテンゲンの方へ。鋭い爪で木の床を傷付けぬよう慎重に歩を進め、惚けた顔で立ち尽くす森霊人エルフの前までやってきた星神は、淡い金彩の瞳を微かに細めた。そのまま青年の頭のてっぺんから爪先まで、じっとりと貼り付くような視線を送ったかと思えば、珍妙なものを見た顔で小首を傾げる。

 切れ長の双眸が壁に向き、天井を見上げ、またテンゲンへ向いて、最後に己が神官ヨドへ送られる。そして、女神からの救難信号を受け取った神官は、溜息交じりに助け船を出した。


「『鵆』と同じだ。時神の加護を受けている」

「ほう!」

「星術にも影術にも光術にも適性は無かったぞ」

「ほう……」


 喜んだかと思えばしゅんとする。ころころと表情の移り変わる少女に、テンゲンは何も言えず何も出来ず、穴を開けんばかりの熱視線を送るばかり。女神からどうしようもなく放たれる威光は、感じ慣れていない田舎者にはどうにも苦しいものがある。

 しかし、渡し守は御構い無し。神気と愛嬌を振りまきながらヨドとひとしきり言葉を交わし、新入りの青年へお節介が焼けそう加護を与えられそうにないことを示されてすっかり拗ねてしまった。かと思えば、次の瞬間には顔を輝かせ、ずいとばかりテンゲンに寄ってくる。

 思わず後退あとじさった森霊人エルフに、渡し守は楽しげな笑みを一つ。カササギの翼を一振りし、舞い散った数枚の風切羽に軽く息を吹きかけて、最も長い一枚をテンゲンの手元へ飛ばした。


「わわっ、わっ、何、何ですかこれっ」

「投げ放てば必中貫通の影の槍、掲げ持てば絶対防御の影隠れ、瞼に擦れば闇夜を見通す千鷹眼せんようがんわらわからの餞別じゃ」

「い、良いんですか?」

「妾にとってはただの抜け毛じゃ、軽率に使え」

「ははー、ありがたくー!」


 陳謝する青年へは満足気な笑みのみ返し、渡し守は踵を返して“門”へと向かう。対峙する女神の表情は、先程までの愛らしい少女のものではない。遠大なる星の海を渡り、その趨勢と采配を見定め操る、正真なる星の神としてのかおだ。

 何が始まるのか。否、開門の為の何某かが始まるのだと分かっていても、逃れ得ぬ緊張が一同の間に張り詰める。自然場は静粛とした空気に包まれ、それまで賑やかだった門前は、たちまち呼吸も憚られるほどの静けさに満ちた。


〈凝れ無明の夜 お前は死せる星の蔭〉


 響くは古き神の繰る言の葉。

 ひょう――と冷たい風が何処から吹き抜け、集う者どもの背を撫でる。それに身震いする間もなく、閉ざされた扉の奥で、何か巨大なものが目を覚ます音が轟いた。

 その音の様は、さながら丸まって眠る龍が起き上がるかの如し。泰然と鎌首をもたげ、四肢を突き立ち上がり、翼を広げる。そして、眠りすぎた後の猫のような緩慢さで曲がった背を伸ばし、身体に巻きつけていた尾を伸ばし、最後にゆっくりと、錆びついて軋んだ瞼を開いた。

 後はの反応を待つばかり。そう言いたげに大人しくなった黒扉の向こうのものに、渡し守は続けて言い放つ。


〈先の光明へ繋げ、――“微睡みの蔭の道スランバー・ウンブラド”〉


 刹那。

 がちん、と。

 扉の向こうで錠前が外れ、常界こちら側の空気を巻き込みながら、重い黒扉がゆっくりと奥へ開いていった。

 開門した先に滞留するは、光という光を喰らい尽くして尚僅かも開けぬ、真なる闇の沼。


「うむ、繋がったぞ。此度の“門”の安定度は九分八厘、虚実間強度は小数点八点。些か虚実間強度が低い故、虚実酔いに留意せよ」

「増強が要るか?」

「ひよっ子の為にかえ? 要らんとは思うがの、まあぬしが一番槍には変わりあるまい。一度踏み固めてしまえば酷くは酔わぬよ」


 その深みに皆が緊張したのも束の間。

 カササギの少女が落ち着いた声で開門を宣言し、それに対するヨドの提案にはあっさりとした回答ばかり。要はいつも通り、ときっぱり告げられて納得したのか、ヨドとシギョウは迷いもなく、ぽっかりと大口を開けた虚穴うろあなへと足を踏み入れた。

 少し遅れて他の潜行士達も続き、最後尾の集団に紛れる格好でテンゲンもついていく。

 周囲を囲む慣れた風情の者に押し流されつつ、意を決して一歩踏み出せば、くらりと目眩のような感覚が少し。同時に襲う、氷室ひむろに入り込んだような寒気を堪えて更に歩を進めると、三歩目で履いたブーツの裏が板張りの軋む感触を捉えた。四歩目には両足が木床に接し、五歩で遂に、目の前の景色が暗黒を抜け出す。

 六歩目を踏み締めざま、恐る恐る顔を上げたテンゲンの視界に飛び込んできたのは、何処か懐かしさのある丸木組の壁。次いで、窓にはめ込まれたステンドグラス。高い天井から釣り下がる霊石灯と――


「おーい。おーい、テンゲーン」

「……はっ」


 視界を遮るように覗き込む、シギョウの姿。

鼻先でぱたぱたと手を振られ、ようやく我に返ったひよっこ潜行士に、何処か微笑ましげな銀色の視線が落ちた。自分も最初はこうなった、としみじみ語るシギョウへ、テンゲンは気恥ずかしさを隠しながら苦笑を一つ。軽く頭を振って気を取り直し、ずっと上にばかり向けていた顔を正面へ戻す。

 視線の先には、どやどやとこの木小屋から出て行く潜行士達と、その流れから外れた壁に寄りかかるヨド。恐らくはテンゲンが自失から立ち戻るのを待っていたのだろう、黙々と携帯端末を弄り、何やら立体幽映ホログラム画像を呼び出している所に、二人揃って歩み寄った。


「『鈴炯艇りんけいてい』、見習い君連れて来たよ」

「了解」


 頷きながら短く返し、携帯端末の電源を点けたまま、二人へと向き直る。目をぱちぱちさせながら、頭一つ分ほど高い位置にある男の防護帽ヘルメットを見上げたテンゲンへ、ヨドは手にした端末に表示されたホログラムを見せた。

 覗き込めば、映し出されるのは青白く描画された見慣れぬ地図。恐らくは現在地なのだろう、画面下部の廃界支部はいかいしぶなる場所に青い点が三つ固まり、そこから一ちょうほど北西へ進んだ所に赤いピンが一本立っている。どうやら此処が目的地であるらしい。


「実地試験として、君には私達が受けた依頼の補助をしてもらうことになる。地図の場所、螭穴りけつからの遺品回収だ」

「遺品……ですか」

「詳しい状況は不明だが、探索士が一人穴に落ち、落ちた先で死亡した。その後現れた転変者は、同じ隊に居た探索士が自分でとどめを刺している」


 ヨドの声は平坦で、しかしながら抑えがたい沈痛さが滲んでいた。それを聞き逃すほど、森霊人エルフの耳は悪くはない。冷淡に振舞ってはいてもやはり人情はあるのだと、テンゲンは聞き入りながらもそっと心に留め置き、そしてゆっくりと頷いた。


「分かりました。やります」

「そうか。――嫌がらないのだね」

「ちょっとは慣れてますから」


 尋常な価値観に照らして、テンゲンの死生観はごく一般的な範疇を逸脱したりはしない。人が死ねば悲しいし、今から遺骨を拾いに行くのだと聞かされて聞き流せるほど冷血な性格でもない。しかしその一方、彼は死に向き合うことに対して、常人ほど恐怖も畏怖も抱かぬ図太さがあった。

 何せ、彼は孤児院化した時計工房に二十五年も住んでいたのだ。その中で、玄関先に放置されて凍死した幼子を見つけたり、工房へ至る道の途中で遭難した挙句捨てに来た者諸共食い殺された肉塊を焼却したりもした。その経験の中で、テンゲンは死者への対処に動揺こそすれ、忌避や嫌悪は抱かぬ気質を身に付けたのだ。

 それを察してか否か、ヨドは何も言わずに頷き返し、そして静かに小屋の外へ辞した。

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