序-3:得物-下都の為の下準備について

 玉龍山ぎょくりゅうさんの二合目、樺道村かどうそん

 鬱蒼と生え揃う白樺の森を切り拓き、水を引いて築き上げられた村の端に、白皙院はくせきいんは建っている。此処へヤボシによって拾われた子供達は、まずは孤児院と知らされた建物が伝説の時計師の工房であることに驚き、次に背負う森の深さ暗さに驚き、家主の翁が凄腕の狩人で時計師であることにも驚き、最後にヤボシと同じことをさせられる自分に驚くことになるのだ。

 つまるところ、白皙院育ちの孤児は皆、山を覆う樹海を生き抜くだけの力を帯びていると言うことであり。


「かーっ、よく考えたら晩飯採りに行くのもお前の役目だったっけな!」

「んやぁ、狩りの腕で言うなら桜実オウミの方が凄いし」

「狩ってから肉にして飯にするまで全部出来んのお前だけだぞ」

「そこはほら、年の功っていうか?」

「二十五年ぽっちで言うんじゃねぇ」


 この樹海で二十五年を生き延びたテンゲンは、最早森の獣など鼻歌混じりに仕留める程度には実力者であった。そうと知らぬは本人ばかり、今日から一週間分の夕飯となる跳兎とびうさぎ青角鹿あおつのじかを当たり前の如く捌く青年に、ヤボシは頭を抱えるしかない。

 いくら鉄小人ドワーフ謹製の霊銃れいじゅうを持たせているからとは言え、この山の獣は厄介者ばかりだ。知恵高く逃げ足早く、僅かでも人の気配を匂わせればたちまち姿を消してしまう。挙句、仕留め損ねた手負いの獲物は、悪足掻きの一撃で容易に人を死に至らしめる。

 そして、山暮らしの長いヤボシはともかく、森霊人エルフは基本的に採取と農耕の種族だ。身体は細く膂力は低く、とてもではないが力仕事の多い狩猟に長けるとは言い難い。だと言うのに、テンゲンはそれらを易々とこなしてみせる。それがヤボシには不可解だった。

 それに――


「いつも思うがよ、やたら綺麗に仕留めてくるなお前は。有難い話だが」

「こんな風に出来るのは珍しいよ。大体逃げられるし……鈍臭いのを狙ってるだけ」

「いくら鈍臭いのを狙ってもこうはならん」


 テンゲンの狩りは、妙に正確なのだ。

 今日の青角鹿も傷は脳天に一発だけ。どれだけ調子が悪くても三発あれば仕留めてしまう。確かに、狩人の中には動き回る鹿の目を射抜く達人も存在しているが、その域に手を伸ばせるのはごく一部の限られた種族――少なくとも森霊人エルフではない――の者か、或いは老齢の者ばかりだ。高々二十五歳の若造が至れるものでは到底ありえない。

 それでも、彼は事実として達人の領域にある。これを本人の努力が成し遂げたなどと、樹海歴の長い翁は端から信じてなどいなかった。

 髭をいじいじ、じっとりと睨むヤボシの怪訝な視線などどこ吹く風、平然とした顔でせっせと皮剥ぎに勤しむ青年の頬を、老爺の太い指がぐいと引っ張る。ヤットコも顔負けの力で頬肉を挟まれ、痛い痛いと迫真味を帯びた悲鳴を上げて手を止めたテンゲンを、静謐とした新緑色の瞳がじっと見下ろした。

 テンゲンもまた、恐る恐るヤボシを仰ぐ。成人の男にしては丸っこい、おっとりした瞳は、世にも鮮やかな青林檎の色。その双眸が二度ぱちくりと瞬いた所で、ヤボシの脳内にふと、の構想が過ぎった。

 この数年久しくなかった閃きに、職人としての血が俄か騒ぎ出す。けれども翁はそれを父性で押し留め、真顔と平静を繕って呟いた。


「お前にゃ得物が要るな」

「ふぇ? びゅうじゃ駄目ひゃめ?」

「銃は俺のだ。欲しいなら百万てん払いな」

ひほい!」


 涙目で抗議する息子には構わない。ヤボシはようやく頰を掴む指を離し、ぶつくさ文句を言いながら作業へ戻るテンゲンから離れる。

 逸る足を抑え抑え、振り向かず、翁は思い立った風を装い言葉を放り投げた。


「テンテン、一つ聞くぞ」

「何ー?」

「お前、さっき綺麗に仕留められるのは珍しいっつったな」

「うん」

「仕留められないのは、どっちだ?」


 テンゲンが僅かばかり口を噤んだのは、質問への答えを探していたせいか、はたまた質問の意図を探ろうとしたせいか。

 ともあれ、青年の声は、空気が気まずくなる前に投げ返された。


「大体は構える前に逃げられちゃうかな。構えたら当てられるよ」

「おう、よぉく分かった」

「でもどうして?」

「さァな」


 息子の問いには答えず、離れの解体小屋から母屋おもやへ足先を向ける。聞くことは聞いたのだから、後は技師として手を動かし技を奮うだけだ。説明も釈明も、全ては尽きることなく浮かぶ閃きを形にしてからである。

 豊かな髭の奥で口を真一文字に引き結び、今尚溢れるアイデアを取り零さぬようメモ帳に書き留めながら、心中で決意と覚悟を固め。比例するように荒くなる歩調に任せて、子供達が掘り返したらしい庭の土も踏み締めてゆく。

 ――その後工房に引き篭って出てこなくなったヤボシを、テンゲンが再び部屋の外で目撃出来たのは、彼が諸々の手続きを終えた後。

 時間にして、一ヶ月後の話である。



「じーや、くちゃい」

「んなっ」

雪隠せっちんくさい」

「せっ!?」

「お風呂沸かしたから入って。臭い」

「うぅっ」


 満足気な顔で自室から出てきたヤボシに、まずは丸洗いの洗礼を。

 一ヶ月間溜めに溜め込んだ血と汗と垢を落とし、伸び放題に伸びた髪と髭を揃え、翁に付き合って曇った装身具を磨き上げる。ついでにすっかり忘れていた睡眠欲と食欲を三日間かけて満たし、ようやく翁は待ちくたびれた息子と対面した。

 白皙院の広い居間には、テンゲンとヤボシの二人のみ。他の弟妹ていまい達は、爺やの新作が見たいと散々駄々をこねたものの居間から追い出され、その気配は施錠された扉の向こうで不貞腐れたり聞き耳を立てたりしている。これは後で見せてやらねばと、テンゲンは内心苦笑しながら、それでも真面目な顔を作って翁に話を促した。

 差し向かいに座るヤボシは、テンゲンの目配せに一つ首肯。服のポケットに押し込んでいたものを、酷く無造作な手つきで引っ張り出したかと思うと、テーブルの上にそっと横たえた。

 武骨な手が離れ、古びた霊石灯れいせきとうの下で、白銀の光が煌めく。


「時計……これが、僕の武器?」

「にもなる。普段は普通の時計だ」


 樫の天板の上、隅々まで磨かれ燦然と存在を主張するのは、手巻きの懐中時計だった。

 直径四小義しょうぎケースも蓋も霊銀れいぎん製。蓋には四弁の花咲く紅餞花コウセンカの透かし彫りが入り、留められた薔薇切子ローズカット擬金剛ぎこんごうが灯をはね返している。ぜんまいを巻き上げる竜頭りゅうずは、留め具が繋がるものも含めて何故か三つ。

 蓋を開けた先には、白い文字盤の上に踊る青焼きの針。瑠璃刻から黄透刻まで、合わせて十二石刻しゃっこく分の時刻が時数字じすうじを用いて盤全体に表され、月長刻げっちょうこく側には丸窓の向こうに夜相盤よそうばんが配されて、螺鈿の真珠星しんじゅぼしと半月が煌めく。

 見た目の問題か、テンゲンが予想した以上に機能が少ない。しかし、ヤボシがこれを得物と言った以上、ただの高性能な時計で終わるはずがないのだ。

 ならばと裏蓋を開けてみれば、そこには今日の日付と曜日を示す永久暦と、秒針のみが配置された文字盤が二つ。残り二つの竜頭はこちらに使うものだろう。ついでに青玉刻せいぎょくこく側にも窓が設けられているが、此方は透かし窓になっており、何やら複雑な機構を有した脱進機だっしんきが動いているのが見える。

 既にしてやりすぎなほど機能満載であるが、まだ足りない。この翁がこの大きさの懐中時計を託す以上、恐らくはもっと入れている。ならばそれは何か。予想を立てつつ竜頭を押し込んだ途端、懐中時計から鈴々りんりんと涼やかな音が響き渡った。

 一通り観察したところで、テンゲンは――


「爺や、持つのが怖いよ」


 銃よりも恐ろしいものを渡されたことに、震え上がるよりも早く呆れた。

 そも、手作りの時計自体がテンゲンでは買えぬほど高価な代物なのである。その前提に、熟練の時計師という肩書きと、時計師業界でも最高峰の実装難易度を誇る機能、そして最早測ることも出来ぬ新機能の付加価値が付けば、その値段は文字通り天井知らず。この白皙院一杯に翠玉貨すいぎょくかを詰め込んでもまだ足りぬ値段を付けられかねない。

 そんなものを無償で息子に手渡すなど、この翁は一体何を考えているのだろうか。下手を打てば渡されたこちらが好事家に殺されかねないと言うに。

 概ねそんな感情を込め、テンゲンはヤボシをじろりと一睨み。いつもならばそこで少しはたじろぐ翁だが、今日ばかりは違った。


不朽壊インビンシブル所有者認証オーナーアテストの術は掛けてある。お前と俺以外にゃ誰も使えねぇ」

「いや、そうじゃなくて」

「そのくらい危険な場所だと思え」


 実感のこもった言葉だった。

 静かながら強い語気に圧され、テンゲンは反駁の言葉を失い口を引き結ぶ。


「俺も時計作り始める前は潜行士――保帯士ほたいしでな。辞めるまで一圏をウロチョロしてるような奴だったが、それでも自分なりに廃界の転変者だの魔物だのを相手に出来る奴だと思ってた。一緒に隊を組んでた連中も、生きてりゃ今頃八圏でも九圏でも潜れるような奴だっただろうよ」

「……何があったの、爺や」

「簡単な話だ、一圏に本来出るはずのないバケモノが出た」


 。ヤボシは確かにそう言った。

 だからこそ、テンゲンの中に疑問が浮かぶ。


「バケモノって? 転変者のこと?」


 そう。敢えてバケモノなどと言う呼称を使わねばならない理由だ。

 廃界には数少ない土着の生物と、澱んだ霊気マナの凝りたる魔物、そして死者の成れ果てである転変者以外、生きて動いているものは存在しない。なるほど廃界に残る遺物は動くかもしれぬし、こちらの世界のように死霊や霊魂の形で彷徨うものはいるのかもしれないが、生物というものは三種類しか存在しないはずなのだ。

 ならば、その三種類から外れたバケモノとは一体、何なのか。

 問うテンゲンに、ヤボシは重い声で答えた。


「俺も、分からん。だが、あれは常界じょうかいのものでも廃界のものでも、魔物でも神性でもない」

「…………」

「バケモノがほんの少し翼で撫でた、それで俺の仲間は全員死んだ。高価な武器も防刃の服も、大枚叩いて買った結界の聖符せいふも、何一つとして役に立つものはなかった。俺は多分運が良かったんだろう。たまたま隊列の後方にいて、そいつの翼が撫でていかなかったから難を逃れた」


 後一歩でも内側にいれば、きっと首をねられただろう、と。

 努めて淡泊に語る翁の顔を、テンゲンは見ていることが出来なかった。俯いたこの顔を上げてしまえば、きっと、兄を追いかける勇気など萎んでしまうだろうから。

 卓上で輝く時計を睨む、泣きそうな顔の青年を、ヤボシは慈悲深く見下ろした。


「そのバケモノ、今は」

「俺はその後逃げて、それきりだったからな。どうしてるかは分からん。だが、潜行士は今も変わらず“門”の向こうに行ってるし、バケモノを倒したって話も聞かない」


 つまるところ野放しである。

 そんな馬鹿な、と危うく叫びかけたテンゲンは、ヤボシが声の続きを発するべく息を吸い込んだのを見て、慌てたように口を噤んだ。


「テンテンよ。俺はただの養父だ。だがよ、それでもお前は大事な息子だ」

「爺や」

「俺ァ息子に死んで欲しいなんざ絶対思わん。況してやあんな寂しい場所で、人に殺されるまで彷徨う成れの果てになんかさせたくもない。だからよテンテン、俺ァどんな採算倒れになろうと尽くせる全力を尽くそうと、そう思っただけなんだよ」


 泣き笑うように顔をくしゃりと歪め、ヤボシは言葉を締め括り。

 首を小さく振った拍子に、耳飾りが雨音の如く鳴いた。

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