序-2:通知-見も知らぬ兄の死について

『死亡通知書


白皙院はくせきいん 天元テンゲン

以下の潜行士の死亡を此処に通知します。


潜行士組合中央本部所属 白金札潜行士

楓糸フウシ/『ちどり

続柄:兄

死亡日時不明 死因不明

第九圏にて死亡と推定


遺体は未発見につき、潜行士登録証及び遺留品のみの返却となります。ご了承下さい。

また、潜行士法第二十五条の規定により、天元様に『鵆』の財産分与が認められました。

つきましては、分与手続きの為の書類を添付しておりますので、必要事項をご記入の上潜行士組合中央本部へご返送乃至直接潜行士組合中央本部へお持ち込み下さい。

この度はご愁傷様でした。


    潜行士組合中央本部 組合長

    風禮フウライ


「死亡、通知書……?」


 突然己の手元に届いた手紙と小包に対して、この青年が真っ先に抱いたのは驚きだった。

 その驚きの種類は様々だ。まずは一生縁が無いと思っていた潜行士組合から手紙が来たこと、それが死亡通知書であったこと、ついでに封筒の蓋が古典的な封蝋で閉じてあったこと。そして何より――己に肉親が居たこと。あまりにも色々な種類の驚愕が押し寄せて、書面の向こうで人が一人命を落としている事実を、テンゲンは危うく忘れるところであった。

 これまでの人生で遭遇するべくもなかった未知への緊張か、それとも死亡通知などと言う物騒極まりない書類を手にする恐怖か。ともあれ、痛いほどに早鐘を打つ心臓を宥めすかし、寒くもないのにがちがちと震えて音を立てる奥歯を噛み締めて、文面の最後までじっくりと目を通す。二回目。三回目。続柄の一文字だけ、四回。五回。

 得られた情報を、一言に繋ぎ直せば。


「兄、さんが、死んだ……」


 テンゲンが長々とした文章から辛うじて理解出来たのは、それだけだ。

 そして、理解した瞬間、全身から嫌な汗が噴き出た。がたがたと手が震え、まともに紙を持っていられない。さっと頭から血の気が引き、緊張のあまり乾ききった唇は、それ以上言葉を紡ぐことも出来ずわなわなと震えるばかり。

 見たこともない。触れ合ったこともない。勿論声を交わしたことも、掛けてもらった記憶さえない。そんな幻想の存在同然の肉親が、自分とは全く関係のない所で死んでいた。そのことが、何故だか途方もない衝撃ショックを以て、テンゲンの脳を激しく打擲する。とてもではないが、一人で抱え込んでどうにか出来る強烈さではない。

 危うく取り落としかけた死亡通知書をぐしゃりと握り締め、テンゲンは突き上げるような衝動のままに、二階の自室から飛び出し階段を駆け下りていた。



「爺や……!」


 どたどたと古びた木の床を踏み鳴らし、建て付けの悪い扉を半ば体当たりの格好で押し開ける。その騒がしさたるや、テンゲンらの住まうこの白皙院中にやかましく響き渡り、住人が揃って部屋から飛び出して来たほどだ。あどけない顔立ちの少年少女が、童顔ながら立派に大人の精悍さを備えたテンゲンの顔を次々に見上げ、そして思案げにお互いを見た。

 一方のテンゲンは、どうにも周囲に気を配る余裕がない。よろめきながら、称するところの『爺や』の部屋へと入り込み、そして三歩も歩かぬ内に敷かれた絨毯の上にへたり込む。その背に様子を見守る弟妹きょうだい達の視線が突き刺さっていると、気付いたのは部屋の主たるおきなばかりだ。

 闖入者からの弁明がないことを確認した老人は、小さな嘆息を一つ。ぎぃ、と背もたれを軋ませながら、椅子を回してテンゲンへと向き直る。


「どしたよ、テンテン」


 背の半ばほどまである九十九髪つくもがみをうなじで括り、顎にも真っ白な髭を蓄え、遠見鏡めがねの分厚いレンズの奥に翠眼を光らす背高の老人。その四角張った顔は厳しくも深い慈愛を帯び、がちがち震えて俯く青年を咎めもせず見下ろしている。

 どうにも合わぬ視線を合わせようと頑張って、数滴刻てこく。どうしても動けないらしいテンゲンの様子に小首を傾げなば、横に長い耳に下がる耳飾りがちゃらちゃら音を立てて揺れた。

 その軽い音に気を取られたのか、テンゲンの同じように長い耳がぴくりと動く。その微かな動揺を見逃す彼ではない。素早く椅子を降り、膝をついて、ごつごつと節くれた手でテンゲンの肩を掴んだ。


「テンテン、どした。爺に言えっか」

「……兄さんが、死んだ」


 吐き出す端から搔き消えそうな声だったが、この近距離で聞き逃すはずもなし。老人は髭に埋もれた口をへの字にひん曲げ、とりあえず床に座り込んでいた青年を立たせて近場の椅子に座らせた。

 軽く腕を一振り。腕にぶら下がる数珠がじゃらりと鳴き、部屋の隅の方で寂しく出番を待っていた白磁の茶会道具ティーセットが、我が意を得たりとばかり独りでに動き出す。

 数分もしないうちに、翁とテンゲンの前に茶杯ティーカップがそれぞれ置かれ、鮮やかな朱色の香茶が満たされた。他にも何かもてなそうと言うのか、今度は食料品を投げ込んでいる棚の方が騒がしくなっているが、ひとまず老人が話を切り出す。


「さっき兄さんが死んだとか言ったが、どうしたよ。お前んとこになんか来たのか」

「兄さんの……死亡、通知書、って……」


 ようやくまともな返答が来た。おかしくなっていなくて良かったと、内心本気で安堵しながら、翁はぐしゃぐしゃに握り潰された書類を受け取る。

 丁寧に広げた中身をじっくりと読み回し、僅かな違和感も逃すまいと三回精読。やがてゆっくりと瞼を下ろした翁は、まずは何も言わず香茶を一口含んだ。釣られるようにテンゲンも茶で喉を湿す。

 乾ききっていた口に水を含んだからか、老人の言葉を待たずして零れ落ちた青年の声は、いくらか落ち着きを取り戻していた。


「爺や……僕、孤児じゃなかったの?」


 そう、テンゲンは。

 否、白皙院に住む子供達は、皆親兄弟の居ない孤児のはずなのだ。

 事故、自殺、他殺、口減らし――理由は何でも構わない。とにかく、翁が拾い上げたこの子らは、何らかの事情で親元を頼れぬ身の上となり、時計師である翁の丁稚をする代わりに工房兼自宅への居候を許されている。かく言うテンゲンとて、まだ齢三つにもならぬ時に白皙院の前に棄てられ、以降二十五の今になるまで時計師見習いとして住み込んでいたのだった。半ば孤児院と化した時計工房とも、『孤児沢山の八星ヤボシ』などと揶揄されるこの翁――ヤボシとも、此処に居る子供達の誰より長く付き合ってきている。

 そんな己に兄がいた。とてもではないが、俄に受け入れられはしない。

 泣きそうな声で問うたテンゲンの差し向かい、片手で死亡通知書を畳みながら、ヤボシは翠玉の色の眼をぼんやりと壁に向けた。


「そう言や、お前拾った時……隣にもう一人おったわ。十歳くらいんが」

「爺や!?」


 素っ頓狂な声もやむなし。そんな話が翁から出てきたことは一度もない。と言うより、情報をもたらされて初めて思い出したような口ぶりと顔つきだ。

 唖然とするテンゲンがいくら睨んでも、ヤボシは視線を合わせてはくれなかった。


「いやさ、その小さいのも家に入れようと思ったんだがな。先にお前入れろってせっつかれて、言う通りにして戻って来たらもうおらなんだ。追いかけようにも土砂降りで一よう先まで覚束んのじゃ、爺にゃどうしようもなかったしな」

「そんな!」

「待て待てテンテン、白皙院ここは森の只中ぞ。晴れた昼間ならまだしも雨の日の夜に、しかもすばしっこい子供探して飛び出せるかよ。爺にだって出来ることと出来んことがあるわ」


 それがどうしたと睨むテンゲンの鼻先を、ふわりと掠める甘い香り。ごそごそと食糧棚を漁っていた何かが、遂に目的のものを探し出してきたらしい。テーブルの上では皿に山盛りの焼菓子クッキーとチョコレートが存在を主張している。翁は誤魔化すように焼菓子を摘み、テンゲンも彼に倣って一粒のチョコレートを手に取った。

 少しばかりの間、焼菓子を齧る音だけが部屋に響き。香茶で口の中のものを流し込んだ翁は、相変わらず気まずい顔で言葉を続ける。


「どうしてあの子がお前を此処に置いて逃げちまったのか、それなのに何でお前を弟として登録したのか――俺だって問い質してやりたいくらいだ」

「…………」

「それでもあの子はお前を此処に置いていって、第九圏に潜り込める凄腕の潜行士になった。お前の知らないところで。だが、積み上げたものだけはお前の所に届いた。そういう風にあの子は仕組んだんだな」

「…………」

「俺ぁよ、テンテン」


 話はいつの間にか、ヤボシの糾弾からテンゲンの話へと移り変わりつつあった。

 その事に感づきつつも、テンゲンに蒸し返すだけの力はない。今此処でどれほどこの翁を責めたとて、起きてしまったことは覆りようがないのだから。ならば、いっそ過去を捨ててこれからの事にだけ目を向けた方が余程気楽だ。

 力なく視線を上げた青年とは反対に、老人は静かに俯いた。


「あの子がお前を呼んでるようにも、突き放してるようにも見えちまうんだよ」


 随分、和らいだ言い方だ。

 何の打算もなく、テンゲンは直感した。同時に、このヤボシと言う父親の、いささか不器用な優しさを感じなどもした。

 故に、テンゲンはようやく笑う。


「爺や、止めてくれるの?」

「あたぼうよ。お前みたいな心優しい奴ァ、一生俺の丁稚やってりゃ良いんだ。潜行士の世界なんざ知るもんじゃねぇ」


 嗚呼、やはり、この翁は優しいのだ。

 広い世界など見ても良いことはないと、安直な決意だけで渡っていけるほど容易な道ではないと、棘のある言葉を敢えて選んで伝えようとしてくれている。

 惜しむらくは、テンゲンと言うこの青年が、ヤボシそっくりの頑固さを引き継いだことだろうか。ありありと実感の込められた忠言を聞いて尚、その答えは変わらない。


「それでも、僕は兄さんを探しに行くよ」


 まだ見ぬ唯一の肉親。その全てがあの薄っぺらい封筒入りの書類と一抱えの小箱に収まっているなどと、テンゲンにはどうしても納得出来なかった。どうしても、腑に落としたかった。

 ならば、兄の辿った足跡を辿り、如何にしてその命を落としたのか。全てをこの目で確かめる他に、テンゲンには己を納得されられそうにない。故に、ヤボシの提示した安穏を跳ね除けて胸を張る。言ったことに後悔はないし、しない。そう言いたげに椅子の上で背を伸ばした青年をじっと見つめて、翁は観念したように目を閉じた。


「折角俺がモノにしてやったってのに、出て行くんかよ。薄情者の親不孝め」

「……兄さんのことを確かめたら、戻ってくるよ。その時の席は空いてる?」

「けっ、どうせ俺でも出来ることだ。居ても居らんでも変わらんわ。やりたきゃ勝手にしやがれってんだ」


 ひらひらと手を振り答えるヤボシだが、仏頂面に隠した真意など、二十五年も付き合ってきた彼にはとうに透けている。つまるところ、戻って来る場所は残してくれると言うことだ。

 何処までも甘い父に感謝しつつ、テンゲンは翁の好意をダシにした己の行動に、少なからぬ自己嫌悪も覚えるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る