第78話「てのひらの光」

 火葬場に到着した。

 クラスメイトたちは葬儀場に残り、親族だけが火葬場にやって来ている。

 何分か待ち、さとみの棺を焼き場に入れる時、ちょっとした動揺が起こった。

 原因は真美だった。

 真美は啜り泣きながら棺に縋り付いて、言葉にならない言葉を発した。

「お姉ちゃんを焼くなんて嫌……! 火葬なんてしちゃったら、二度とお姉ちゃんの顔が見られなくなっちゃう……!」

 真美の言葉は俺だけでなく、家族全員の胸に重く響いた。

 真美の言う通りだ。

 火葬が終了してしまったら、もう二度とさとみの姿を見る事ができなくなる。

 それはとても悲しく、泣き出したくなるほど悲痛な現実。

 だけど、それはしなければならない。しなければならない事だ。

 特に神も仏も信じていない俺だが、葬式という行事は必要なのだとは思っている。

 さとみのためではない。

 生きている者が死んだ者にできる事はそんな事ではない。

 葬式は、生きている者にこそ、必要なのだ。

 生きている者が死者を送り、生きている者が死者と別れるための通過儀礼。

 それが葬式なのだと俺は考えている。

 だから、俺はさとみの眼鏡を握り締め、上手く動かない腕で真美の身体を抱き締めた。

 考えてみれば、真美をこうして抱き締めるのは初めての事だった。

 掠れる声で、俺は言った。

「真美……、気持ちは分かるよ……。だけど、さとみはもう……、居ないんだ」

 腕の中では真美が痙攣するように震えていた。

 俺も震えていたが、それは何とか我慢した。我慢しなければならなかった。

 さとみは、もう、居ないのだ。

 棺の中に入っているのは、さとみではない。

 さとみだった人間の、物言わぬ身体でしかない。

 それはきっと真美にも分かっているだろう。

 分かっているから、真美もこんなに痙攣のように震えてしまっているのだと思う。

 突然、真美を抱く俺の頭に軽く手が置かれた。

 姉貴だった。

 姉貴も目を赤く泣き腫らしていたが、それをおくびにも出さずに微笑んでくれていた。

 俺たちが家族になって、初めて三人の気持ちが一つになった気がする。

 その中にさとみがいないという事実が、俺達の胸を更に締め付けるけれど……。

 泣き止めない真美を支えながら、俺は親父達にさとみの棺を運ぶよう施した。

 親父に言われ、係の人がさとみの棺を運んでいく。

 もう二度と、俺はさとみの姿を見る事が無い。

 さとみの肉体がこの世から消滅する最後の瞬間は、そうして終わった。

 さとみが火葬されている最中、俺は真美を抱き締めながらさとみの事ばかり考えていた。

 さとみ。俺の義理の妹……。

 変な事を言って、学校でいつも俺を辟易とさせていたさとみ。

 俺をからかう態度を取りながら、しっかりとした線引きで俺と付き合っていたさとみ。

 情けない俺を殴り付けながらも、普段以上の笑顔で俺を前に進めてくれたさとみ。

 様々なさとみとの思い出が浮かんでは消えた。

 悲しんだらいいのか、理不尽な現実を怒ればいいのか、それは分からなかったけれど。

 だけど、さとみとの思い出はとても大切で……。

 今の俺をこんなにも揺るがすほど、根本を成していて……。

 さとみの眼鏡を見ては、心が壊れそうなほどに震えてしまっていた。

 眼鏡。

 さとみの眼鏡。

 自宅に居た時でさえ、ほとんど外される事が無かった度のきつい眼鏡。

 思い立って、俺はさとみの眼鏡越しに世界を覗いてみた。

 さとみの見ていた世界が見えるかもなんて、馬鹿な事を考えてしまったからだ。

 勿論、そんな事ができるはずもない。

 さとみの眼鏡は度がきついばかりで、周りの世界がぼやけて見えるだけだった。

 眼鏡を外し、自分の掌で目尻を押さえる。

 眼鏡を外しても世界がぼやけて見える気がしたのは、気のせいだっただろうか。

 親族の会話はほとんどなされず、ただ皆は時間が過ぎるのを待っているようだった。

 三十分は経っただろうか。それとももっと短かったのか。

 沈黙している俺達の親族に、火葬場の係の人が声を掛けてくれた。

 さとみの火葬が終了したらしい。

 俺は真美を置いてさとみの身体の成れの果てを見に行こうとしたが、真美は俺の制服に手を掛けて離さなかった。真美も見に行きたいということなのだろう。いいのか、と俺が真美に問うと、真美は何も言わずに小さく頷いた。

 真美がいいと思うのならばいいのだろう。

 俺は真美の手を引いて、焼き場に緩慢と歩を進めた。

 後ろからは姉貴や親族もゆっくりと歩いて来ているようだった。

 係員に連れられ、親父と母さんを先頭に焼き場に入る。

 むっとした空気が俺たちを迎え、その場にはさとみの身体の最後の姿が安置されていた。

 火葬というものは骨だけが残るものなのかと思っていたが、そうでもないらしい。

 骨というほどの物も残っていなかった。

 頭蓋骨もほとんど残っていないし、全体的に少しの骨が疎らに残っているだけだった。

 小さくなってしまったな……。と何となく悲しくなった。

 シンナーを吸っていたり骨粗鬆症だったりする人間の骨は焼いても残らないと聞くが、健康なさとみの身体を焼いてもこうなるのだから、そういう人達の弱った骨なんかは残るはずが無いんだろうな、と何故か俺は冷静に考えてしまっていた。

 冷静なのは、まだ夢でも見ている気分が離れないからかもしれなかった。

 親父が骨壷を持ち、長い箸でさとみの骨を掴んで、壷の中に入れていく。

 真美と姉貴、母さんはその様子を静かに見守っていた。

 俺もそれに倣い、親父のその作業をただ黙って見守った。

 さとみの眼鏡を握り締め、ずっと歯を食いしばっていた。

 真美は涙を流しながらも、最後の別れの儀式から逃げなかった。

 作業は五分も掛からなかった。

 あっという間に骨壷は埋まり、俺達はその骨を抱えて葬儀場に戻った。

 帰る車の中、親父に頼んで骨壷を持たせてもらったが、どうしようもなく軽かった。

 その軽さが、俺の胸にはとても重かった。

 それから、葬儀場でもう一度さとみに念仏が唱えられ、長いような短いような、まるで夢幻のような葬式は終わりを告げた。

 さとみとの別れの儀式は終わってしまったのだ。

 さとみはもうこの世界に居ないのだと、俺は認めなくてはならない。

 それにはまだ、長い時間が掛かるのかもしれないけれど……。


 全てが終わり、家族の誰もが自室で疲労と悲しみから休憩している時。

 俺は一人で安置されているさとみの骨壷を見に行き、覗き込んだ。

 骨壷にはやはり、灰のような骨の欠片が入っているだけだった。

 多くの感情が俺の脳裏をよぎる。

 気が付くと、俺はさとみの骨を手で掴んでいた。

 どうしてこんな事になってしまったんだろう……。

 思いながら、俺はさとみの骨を食んだ。

 味はしなかった。

 灰が口の中に広がるような、そんな感覚しかしなかった。

 何となく視線を移すと、白い灰のような物が俺の掌に広がっていた。

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