第73話「残酷よ希望となれ」

 それは出してはいけない答えだったのかもしれない。

 出してはいけない、気付いてもいけない世界の事実。

 けれど、俺は考えてしまった。

 答えを出してしまったから、俺たちの気持ちの本当のところを……。

「勿論、自分の事を肯定したいから、こんな事を言ってるんじゃないんだ」

 何も言わず俺を見上げているお姉ちゃんに向けて、俺は言葉を搾り出す。

 俺の、お姉ちゃんに向けて。

「むしろ否定できていた方が楽だったかもしれないよ。社会通念をそのまま受け入れて自分を否定できていた方がどんなに気が楽だっただろう。実際、俺はその社会通念に逃げ込んでいた。もしかしたら知ってるかな、俺が何度もお姉ちゃんに逢いに行こうとして、いつも玄関前でどうしても動けなくて、断念して逃げてしまってた事を……」

「うん……、窓からたまに見えてたよ。私も哲君に駆け寄りたかったけど、それはできなかったの。駆け寄ってしまったら自分の考えに押し潰されそうで恐くて、自分じゃどうしようもないくらいに身体が震えて……。それにね、哲君も知ってる? 夏前に哲君が女の子と歩いていて、私とたまたま遇っちゃった事があったでしょ?」

「高橋さんと一緒に居た時……?」

「そうなの。それでね、私、実はあの日、哲君に逢いに行こうと思っていたの。この家の玄関近くにまでは行ったんだよ? だけどね、やっぱりできなかった……。できなくて家に帰ろうと歩いていたら、哲君と遇っちゃったの。思えばあの時、もっと哲君と話し合っておくべきだったのかもしれない……」

「いや、あれは……」

 あれは悪いのは俺の方だ。お姉ちゃんが必死で微笑んでくれていただろうに、俺はお姉ちゃんと目を合わせる事もできなかった。あの頃は全てに怯えていて、強がる事しかできなかったから。

 だけど、お姉ちゃんも俺と同じような事をしていたなんて知らなかった。

 やはり姉弟と言うべきなのか、俺達の行動は哀しいほどに似通ってしまっている。

 俺は小さく嘆息してから続けた。

「俺は……、何度もお姉ちゃんと逢おうとして、逢えなかった。ただ単にあの時の事を謝りたいだけなら、或いはもっと早くに逢いに行けていたかもしれない。でも、それができなかったのは、恐かったからだ。俺の出してしまった答えを、確認してしまうのが恐かったんだよ。近親相姦は罪なんかじゃないはずだなんて面と向かって言えなかったし、実感してしまうのが恐ろしかった。だから、逢いに行けなかった。だから、遇いたくなかったんだよ、お姉ちゃんと……」

「それはきっと、私も同じだよ……」

「でも、今日お姉ちゃんは俺に逢いに来てくれた。勿論、恐かったよ。動揺もしたし、優等生ぶって自分の心を隠す事しかできなかった。それどころか、お姉ちゃんの出してくれた『俺との出来事を後悔していない』という答えからも逃げ出すしかなかった。何もかも俺の中で答えが出ていたのに、その答えを認めるのが恐かったんだ」

 答えを出すことより、答えを認める事の方が恐ろしい。

 何も俺達に限った事ではないだろう。

 男女関係、友人関係でもそうだし、広義では学校の試験でもそうだった。

 例えば数学の試験。

 自分の思うままに答えを埋めて、試験問題全てを終えたとする。

 問題を解いたばかりのときには、かなりの自信を持っているものだが、答えが間違っていないか確認する度に不安になる。自分で出した答えのはずなのに、何故か間違っているのではないかと思えてしまう。答えは出せるのだが、答えが正解であるかどうかの判断をするのは非常に難しいのだ。

 だから、俺は恐ろしかった。答えの是非を確かめてしまうのが、恐ろしかったんだ。

 そうして、幾重にも重なる思考の迷宮に、迷い込む事になってしまったのだ。

「答え……。つまり、近親相姦は正しくはないかもしれないけれど、間違った行為でもないのではないかという答え。いや……、それどころかもっと酷い。近親相姦は間違った行為ではなかったはずだという手前勝手かもしれない答え」

「うん……」

「何度も迷ったよ。文献も読み漁ったし、色々と一人で考えた。ずっとずっと、俺の迷うばかりの頭で考え続けた。それでも、どうやっても近親相姦が罪であるという答えが出て来ないんだ。子供に対する遺伝の問題も、突き詰めて考えれば子供を作る気もなくセックスを続ける人達と大した違いが無いように思えたし、人間は根本的に近親相姦に対する拒絶反応があるという学説も俺達には当てはまらなかった。一つだけもっともだと思える学説もあったけれど、それは俺達とそう関係がないようにも思えた」

「もしかして社会学の……?」

「うん。人間は社会的な生物であるという学説。昔、人間は同じ部族同士での結婚が認められていない時代があった。それは人間が社会的に生きていくしか、生きていく方法がないからだ。つまり、違う部族と子供達を結婚させることによって、自分たちの社会を広げる。結婚は個人でするものでなく、異なる社会と社会が行うもの。だから、近親相姦は禁じられる。何故なら他の社会との関わりが無くなってしまうから。血縁者のみで構成される社会なんて、すぐに消え去ってしまう運命だから……」

 俺は一息吐く。

 もしもそんな時代に生きていたら、俺達は俺達の事を納得できたのだろうか。

「その学説は何となく正しい気がしたよ。他者と断絶し、極近しい人間だけで生きていくなんて、そんな事できるわけないもんな。できたとしても、それが人間にとっていい形であるとは言い難いしね。でもさ……」

「そうだね……」

「それは過去の社会の話なんだ。現代社会、結婚は個人でするものであって、家と家がするものだとは一般的な考えじゃないし、家と家で結婚している人達はかなりの少数派だろう。特に近年は情報網の発達で、一人で生きていける人達も増加してきているしね。それでどうにも俺達の関係が否定できなくなる。近親相姦を否定する全ての理由が、時代遅れか根本的に間違っているもので、確固として近親相姦を否定できなくなってしまう。その事によって出てしまう答え……。つまり、近親相姦は罪ではないという答え……。そんな答えを出しちゃってるんだ、俺は……」

 言いながら気が重くなってくる。

 別に俺達は社会通念に逆らいたいわけではないのだ。

 堅苦しいといわれる事もあるが、社会通念は社会通念で必要な事でもあるからだ。

 それでも、俺達は逆らわないわけにもいかない。

 それが俺とお姉ちゃんの出してしまった答えだから……。

 だから、気が重くなるのだ。

 そういう風に生まれてしまった俺達の、戯言のような想いに頼るしかないのだから。

 それは人生という名のゲーム。

 ルールが間違っているのか、プレイヤーが間違っているのか。

 どちらにしろ、やはり間違っているのは俺達だという事になるのかもしれなかった。

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