第11話「もう一度Tenderness」

 冬の暮れの事だ。

「俺は再婚する」

 親父が唐突に俺にそうのたまった。

 何を言っているのかと思った。普段と同じ悪趣味な冗談だろうとも思った。

 しかし、親父のする事はこういう厄介な事に限って冗談ではないのだった。

 色々と振り回される息子の身にもなって欲しい。

 だけれども、ひょっとしたらそれも親父なりの俺への気遣いだったのかもしれない。

 二年ほど前になるが、星奈と離れ離れになった頃の俺は酷く心に傷を負っていた。

 心の傷と称すると陳腐な言葉になってしまうが、それでも確かにあの頃の俺は心に大きな傷を負っていた。学校に行く事すら憂鬱で、学校に行ったとしても会話をするのはあの変人トリオくらいで、あの頃の俺は本当に暗い人間だったはずだ。

 実は幼馴染みの風音と話せるようになったのもかなり最近の事で、二年前までは意図して風音を避けていた。風音を嫌っての行動ではない。好きだったからこそ、面と向かって話す事ができなかった。

 もしかしたら……だが、そんな俺の暗い翳を振り払う為に、親父はいきなり再婚を決めたのかもしれない。二年前から極最近に至るまで、確かに俺はひどく情けない人間でしかなかった。それ故の親父の気遣いだったのだろうか。いや、ひょっとするとそれは親父ではなく小麦母さんの意思……?

 まあ、今はどちらの意思でもいい。

 とにかく、俺が言うのも変だけれど、親父は実はよくできた親父だ。

 毎度ふざけてはいるもののそれは親父の一面に過ぎず、かなり思慮深い面と深い思いやりを持ってくれている。星奈との問題があった時も親父は真摯に俺に対応してくれた。悪いのは俺だというのに……、親父は俺を救おうと必死になってくれた。親父は……、俺の父さんは……、そういう父親なのだ。息子の俺がこんなだと言うのに。

 そして……、父さんはきっとまだ前の母さんと愛し合っている。そんな気がする。

 だから、再婚なんてする気もなかったはずだ。

 小麦母さんの事は気になってはいただろうし、いい付き合いをしてもいたのだろうが、再婚するほどの仲ではなかったはずだ。それは親父の語った言葉からも明らかだ。ただやり直す為に……という言葉からも。

 小麦母さんとの再婚を決断したのは、やはり俺の事があったからなのだろう。

 一人きりで暗澹としている俺をこのままにしておいてはならない。少しでも違った環境に身を置く事で、俺の暗澹とした雰囲気を少しでも払拭できたらと思ってくれたのだろうと思う。

 逃げているままでもいかないから……。

 女性から逃げ回っていてもどうしようもないから……。

 やり方は不器用だが、父さんはやはり俺の敬愛する父さんなのだと思う。

「初めまして」

 小麦母さんと三人の娘たちと初めて出逢ったのは、それから数日後のことだ。

 父さんが俺を近所の安いレストランに連れて行き、そこで俺は初めて彼女等と出逢った。

 よくある三姉妹だ。というのが、彼女等の第一印象だった。

 長女、加古川秋子。十七歳。

 何処となくお調子者くさい長女。

 次女、加古川さとみ。十六歳。

 知的な雰囲気の眼鏡娘だが、胸の中に何かを秘めている感じの次女。

 三女、加古川真美。

 俺より三つ年下。中学生の割に小学生にしか見えない三女。

 お調子者の長女、知的な次女、幼い三女。かなりよくある三姉妹だ。

 彼女らと俺が義理とは言え兄弟になるという想像はあまり楽しいものではなかった。

 彼女らの均衡を崩すように入る男兄弟。

 立ち位置的には駄目人間の長男という存在にされてしまいそうだ。

 まあ、それはいい。余り間違いでもないかもしれない事ではあるし。

 それよりも問題は女だらけの家族である彼女等が、兄、若しくは弟という異質な存在を唐突に手に入れてしまい、その異質な存在をどう扱うべきか戸惑っている様子だったという事だ。大概にして、人間は自らの想像も及ばない何物かが身近に現れると、二つの行動のうちどちらかを取ってしまうものなのである。徹底的に排除しようと躍起になるか。必要以上に関心を示してしまうか。そのどちらかだろう。

 彼女等の場合は後者だった。

 男という異質な存在が自分たちの共同体に入ってしまった事により、新たな遊び道具を見つけた子供の如く彼女達は俺に感心を抱いた。簡単に言えば折角家族の中に新しく男が入ったのだから、色々と愉しんでしまえ。というやつだ。

「よろしく、姉貴」

 半分諦めて皮肉って言ってやった言葉を、俺は今でもよく覚えている。

 義理の家族なんて、その頃の俺には邪魔なものでしかなかったからだ。

「あたしの事をお姉ちゃんって認めてくれるんだね。嬉しいぜ!」

 ただ姉貴は何のドラマの台詞なのか、そう言って心底嬉しそうに振舞ってはいたが。

 そうして。

 姉貴と妹達との共同生活が始まって数週間。

 無駄に誘惑をかけてくる姉貴たちのいなし方も何となく身に付いてきた頃。

 一つの事件が起こった。

 真美がふざけた軟派男に絡まれたのである。真美など小学生にしか見えないだろうに、そんな娘に軟派をかけるなどどうかと思うのだが、世間には色んな趣味の人間がいるらしいと俺はその日に実感させられた。

 とにかく殆ど無理矢理みたいなに真美が男に連れて行かれたらしい。

 らしい、と言うのは、俺がその場に居なかったからだ。

 その時、俺は家で漫画を読んでいた。

 漫画のいい場面で唐突にさとみから携帯端末に連絡が掛かったのだ。

「真美が誘拐される」

 あまりに突然すぎて一瞬洒落かと思ったが、さとみの焦っている口調がそうではない事を語っていた。俺は漫画を放り出して、自転車を駆り、さとみの指定した場所まで急いだ。その場所、商店街では人に紛れ、さとみが泣きそうな顔で俺を待っていた。

 どうしたのかを聞く前に、俺は真美が連れて行かれた方向をさとみに訊ね、自転車を飛ばした。急がねばならないと思ったからだ。さとみは俺の自転車の後ろに乗り、しっかりと俺の腰に腕を回した。

 ……考えてみれば、さとみと二人乗りをしたのは後にも先にもその時だけだった。

 自転車を飛ばして真美を探索している最中、さとみが俺にこれまでの事情を説明した。

 この街に引っ越してきたばかりのさとみ達が何となく二人で商店街を回っていると、唐突に男の二人組から質問形式の取材を取られたらしい。テレビ局か何かかと思ってアンケートくらい答えようかとさとみが思った瞬間、真美の姿が見えなくなっていたらしい。

 どうやらさとみから取材を取っている方ではない男が、真美を何処かに連れて行ったようなのだ。ただの取材で場所を改める必要などあるはずもない。不安になったさとみはもう一人の男から逃げ、俺の携帯端末に連絡を入れたというわけらしい。

「私がちゃんと真美を見ていれば……」

 そう呟きながら俯くさとみを横目に、俺は必死に真美を探し回った。

 二、三分、捜し回り、すぐに真美は見つかった。

 隣では真美を連れて行った男と、さとみに取材を取ったらしい男が悠々自適として歩いていた。男達に連れられている真美は明らかに嫌がった表情であり、加えて男の片方が真美の手首を掴んでいる。

 どう見ても明らかに状況が異常だった。

 ただの取材でこんな事を行う理由などあるはずもない。

 考えるまでもなかった。これは変態野郎の少女拉致に間違いなかった。

 思った瞬間、俺はさとみに自転車を任せ、真美の方に駆け寄っていった。

 男達は真美に向かう俺の姿を見て、焦った様子だった。

「お兄ちゃん……?」

 真美が泣きそうな声で俺を見ている。瞬間、俺の確信は更に強固なものとなった。

 間違いない。この男達は何も知らない少女に手を出そうとしている最低の野郎だと。

 思った刹那には、真美の手を掴んでいる男の脛に思い切り蹴りを噛ましていた。脛蹴りは地味な技であるが、その実は相当に痛い。プロレスラーの親父に何度も喰らわされ、俺自身が自分の身体で効果を実証済だ。

 脛蹴りを喰らった男はその場で悶絶し、真美の手首から手を放す。

 俺はそれを見届けてから左手で真美の手首を掴み、突然の襲撃に困惑するもう一人の男に右手で力強く平手打ちを噛ましてやった。これも地味な技だが、やられてみるとかなり痛い。これも親父に何度もやられた俺自身の身体で実証済だ。

 この時ばかりは親父がプロレスラーである事を心底感謝した。

 そうしてから、俺と真美はさとみの待っている場所まで走った。

 真美とさとみを自転車に乗せて先に帰宅させる。

 俺は奴らに見つからないように裏道を走って帰宅した。

 まったく、今日はろくでもない日だ。

 帰宅した俺は居間の壁に寄り掛かりながら思った。

 俺は基本的に平和主義なのだ。喧嘩する度胸がないだけでもあるけれども。

 とにかくプロレスごっこ以外で本気で人を殴ったのは、その日が初めてだった。

 よくあんな大胆な事ができたな、と動悸する胸を抑えながら俺はその場に座り込む。

 後で考えるとあの男達は何も真美を拉致しようとしていたわけではなかったのかもしれない。単に必死に真美を口説いていただけかもしれない。仮にそうだとしても真美を怖がらせていた時点で論外で同情の余地はないのだが。

 玄関に、先に帰って来ていた真美達が顔を見せた。

 俺の姿を認めると、二人とも泣きそうな顔で俺の胸に飛び込んで来た。

 真美だけでなく、さとみまでこんな行動を取るとは意外な感じがした。

 俺はもう面倒は勘弁してくれと思いながら、妹達に頼りにされた事が少し誇らしく、普段は俺をからかう性根の悪い子達だが、それでも弱々しい妹達を護ってやろうと、らしくなく思っていた。情けない兄ではあるが、自分なりにできる事をしてやろう、と。そう思いながら、俺は妹達の柔らかい髪を指に絡ませて、ゆっくりと撫でてやった。

 その日を境に俺は星奈の事を思い出す事が少なくなった。

 この家族とも何とか上手くやっていけるだろうと、俺には初めて思えていた。

 勘違いかもしれないが、俺はその日に彼女等と家族になれたのだ。

 それが俺と新しい家族との思い出。俺の掛け替えのない思い出。

 新しい家族という名の、壊したくない思い出だ。

 だから、俺は姉貴や妹達を大切にしてみせる。

 護ってみせたい。どんな事が起きようと、どんな時であろうとも……。

 それでも、俺は夢に見る。

 星奈と一緒に過ごした時の事。

 自分の犯してしまった過ちの事を。

 あの日の星奈の感触、星奈の温もりと共に……。

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