百二十六話 ナナナシアの外側

 なぜか電話口の向こうでナナナシアが言い淀む。

 何か思う所があるのだろう、十数秒ぐらい経ってから遠慮がちに続きをしゃべり始めた。

 そんなに、ワイバーンは特殊なのだろうか?


『あのね、篤紫君。見てて楽しいんだけれど、早めにワイバーンからホワイトケープちゃんを切り離した方がいいと思うのよ……』

 しばらくして、耳に入ってきた言葉がそれだった。

 まだ眼下には、まだアウスティリア大陸が広がっている。前方にやっと、海岸線が見えてきた位で、海まではもう少し時間がかかりそうだった。


「いやそれは、どういうことなんだよ。どのみち、しばらく経ったらワイバーンを倒して下に降りる予定ではいるぞ」

『あのね月なのよ、ちょうど一番近い位置に来ているのよ――』

「篤紫様っ、ルルガさんから社内通信が入っていますっ!」

「ごめんまだ、コマイナと電話中なんだ。そのまま繋いでくれ」

「はい、了解しました」

 ナナナシアの言葉を遮って、コマイナが車内回線を繋いだ。


『おい、篤紫。ちょっとこのままじゃあまずいぞ。高度が上がっていってる、ワイバーンが上に向かって飛んでるぞ』

 そしてルルガは意味が分からない事を言ってきた。

 窓の外を見ると、確かに地上からどんどん遠ざかっていることがわかった。

 ……いや待て、どういうことだ? まっすぐ飛んでいたんじゃなかったのか?


「悪い、ルルガ。まだナナナシアと通話中なんだ。しばらく様子を見て、異常があったらまた知らせてくれないか」

『はあ? おまえ、何言ってんだよ。今で十分に異常だし、非常事態なんじゃねえのか?

 データでしか分からんが、何だか外の空気が薄くなっているみたいだぞ』

「……ああ、なるほど。そうかこのまま行くと宇宙空間か」

『おい、なんだよそのウチュウクウカンってのはよ。空気が薄くなってるのとなんか関係があるのか?』

「大ありだな、たぶん空気がなくなる」

『はあっ? すげー異常事態じゃねえか! どーすんだよ、何も対策できねえぞ?』

「すまん、その辺は後で何とかする。そっちは外に出ない限り安全なはずだから、しばらく待っててくれ」

『お、おう。頼むぞ篤紫』


 改めてスマートフォンを耳に当てる。


「ナナナシア、どういうことか説明してくれないか?」

『あー、あー、マイクのテスト中……あ、篤紫君。まだ何とか喋れるのね』

 ルルガと喋っていた間も、一人で何か呟いていたのかもしれない。

 正直、これ以上ナナナシアと通話したくないんだけどな……。

 今回ばかりは、そうはいかないか。


「さっき言っていた月と、ワイバーンってなんか関連があるのか?」

『おおおっ、あの会話だけでそれの関連性に気が付くのね。やっぱりすごいよ篤紫君』

「いいから説明」

『えっとね、ワイバーンの巣って月にあるのよ。それで、希にナナナシア星から動物とか馬車とかが攫われているのよ。月に』

「そもそも月って何なんだよ。ただの衛星じゃないのか?」

『月にはね、ウサギさんがいるんだけど。ワイバーンも住んでいるの。あ、だめもう届かな――』

「いや待てナナナシア、真面目な話をしてるんだが……」

 やがて、急速に声が遠くなったかと思うと、通話が完全に途切れた。


「おい、ナナナシア? こら、いきなり電話切るなよ」

 慌ててスマートフォンの画面を見ると、完全に圏外になっていた。

 窓の外は……マジか、既に宇宙空間か。無重力の影響を受けていないのは、ホワイトケープがダンジョンだからだろうな。ついでに、外に空気が漏れている様子もない。


「また圏外か……まいったな」

『篤紫、完全に外の空気かがなくなったぞ。大丈夫なのか?』

「篤紫様……」

 入れ替わりに、運転席のモニターがルルガを映し出した。

 顔を横に向けると、窓の外には真っ暗な空間の中に、たくさんの星が瞬いている、広大な宇宙空間が広がっていた。

 コマイナが完全に困った顔で、篤紫を見ている。背中の翼が力なく垂れている様子は、まるで猫の耳がしょんぼりと垂れいているようにも見えた。


「まあ、あれだ。ここまで来たら行くしかないってことだな。

 距離からして月に到着するまで十日くらいはかかるから、一旦みんなで集まって状況を整理しようか」

『マジか、相変わらず篤紫の旅行は訳わかんねえな。しゃあねえから、マリエルと会議室の準備しとくわ』

「頼む。俺はみんなに声をかけながら向かうよ。行こう、コマイナ」

 ワイバーンは翼を真横に広げて定滑空モードに入ったようだ。心なしか、速度が上がっているようにも見える。


 ただ……何のために攫われたのだろう。

 ナナナシアは、稀に攫われるケースがあると言っていた。

 だとすれば、何か目的があるのだとは思うが……現状、生物を生きたまま宇宙空間に連れ出せば、酸欠で数分のうち息絶える。

 空気を作る魔法でもあればいいけど、需要がないから聞いた事がない。当然魔道具もないんだろうな……あとで作るか。

 現状、考えていてもラチガあかない事だけはわかった。


 まあ、行けば分かるか。


 篤紫は、さらに動きが悪くなったヒスイを抱き上げた。

 未だにしょんぼりしているコマイナを伴って、車内裏の裏にある扉から商館ダンジョンに足を踏み入れた。




 会議室とは名ばかりで、いつも食事を取っていた食堂に全員が集まっていた。

 多々以前と違うところは、壁面に複数のモニターが設置されていて常に車外の状況が把握できるところだろうか。

 ナナナシア星がどんどん小さくなっていくのが分かる。


「篤紫さん、無事だったのね」

「いや待て桃華、それだと何だか俺がいつも無事じゃないみたいだろう」

「あら、いつも無事じゃないじゃないの」

「……まあ、うん……」

 桃華達はずっと食堂にいたようで、呼びに行く手間が省けた。いやそもそも食堂が会議室だなんて聞いていない。

 咲良と紅羽は何とか落ち着いたようで、モニターを眺めながら桃華が入れたお茶を飲んでいる所だった。

 逆に、今度は瑠美が大口を開けて放心していた。


「なあおい篤紫。ちゃんと説明してくれよ? 全く状況が分からねえんだ」

 モニターボードを設置したルルガが、テーブルについて座った。隣にマリエルとミュシュも腰をかけた。

 反対側には桃華、咲良、紅羽、瑠美の順で座って、コマイナとヒスイは篤紫と一緒にモニターボードの前に立っていた。

 篤紫はヒスイを抱え上げて、近くの椅子に座らせる。


「まず、ルルガ達はナナナシア星が球体であることは知っているか?」

「悪魔族の伝承にはあったので、私は知っていました。ルルガは初めてだったみたいで、さっきまでモニターを見ながら興奮していましたよ」

「お、おいマリエルよぅ。それは言わないでくれよ……」

 マリエルの言葉に、ルルガが顔を紫に染めて慌てだした。ああ、顔が緑だから赤面すると紫色になるんだよな。そもそも知らなくても、何の問題も無いと思うんだけどな。

 一応、最低限の予備知識はあるみたいで、そのあとで宇宙空間や真空の話などをしていくと、首をひねりながらもある程度の理解はしてくれた。


「つまりワイバーンは、ナナナシア星の衛星? である月に向かって飛んでいるってことなんだな?」

「そうなるな。ワイバーンの目的は不明、行き先の詳細も分からない。月にウサギはいるらしいが。

 ついでに言えば、月には空気がないから生身のままで行く事はできないな」

「宇宙に行くのには宇宙服が必要ですのよ。このままですと、わたくしたちはずっとここで過ごさないといけなくなりますのよ……」

 紅羽の言葉に、咲良と呆けていた瑠美がハッとした顔を篤紫に向けてきた。

 うん、確かに地球の常識で言うと宇宙空間に飛び出したりすれば、完全に詰み状態だと思う。ただここは、魔法があって魔術もある。半分くらいは物理法則が無視できるから、大抵なんとかなるんだよな。


「ああ、その辺は魔道具で何とかなるよ。またナナナシアの補助が無いから、いろいろと使用に制限はかかるだろうけど」

「具体的には、どうするのですか?」

「最低限、血管に酸素だけ供給できれば何とかなるだろうから、ネックレスタイプの魔道具を作る予定だよ。一応宇宙空間を想定した保険みたいなものだね。

 念のため体表に薄い空気の膜も張れるようにはしておく。

 ただ、パワーソースが体内の魔力だけだから、魔力欠乏にだけは気をつけてほしい」

「……えっ? ネックレスって、えっ?」

 さすがに想定外だったのか、質問してきた咲良が目を白黒させていた。


 自分でも自覚しているけれど、篤紫の作る魔道具は意味が分からないものが多い。大抵は使う道具の用途に合わせた道具を使う。

 今回だったらマスクを使う、だとか、全身を覆うローブを使う、などの道具に合わせて魔術を刻み、その結果効果が現れると『思われている』ようだ。

 世間の常識なんてそんなものなんだけどね。


 そのあとは、速度が上がっている事が分かって、到着に十日だと思っていたのが五日ほどで済む事が分かった。

 どのみちしばらく待機なので、その間は商館ダンジョン、もしくは魔神晶石車も展開させてあるので大樹ダンジョンに行ったり、自由な時間を過ごしてもらう事になった。


 さて、久しぶりに魔道具を作りますか。

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