百十三話 桃華、激しく怒る

 桃華がもう一人の女の子の上から、再び氷入りのバケツをひっくり返した。当然ながら同じように目が覚めて……こっちは絶望的な表情で固まっていた。


 うん、分かった。こっちが車のバリケードにいた女の子なんだな。たぶんだけど、周りに操る物が無いと本領発揮できないタイプの力なんだと思う。目だけを一生懸命動かして、近くに何も無い状況が確認できたようだ。

 どんな能力か分からないけれど、操作系はその対象部が無いと完全に詰みだからね。仕方ないと思う。


 桃華が二階から降りてきて目の前に立つと、簀巻きにされたままで一生懸命に目を逸らしていた。

 いったい桃華は、この子に何をやったんだ……?


「ちょっと、そこのあなたもこっちに来なさい。ついでにこの子の縄だけを焼いて欲しいわ。

 ……もちろん出来るわね?」

 少し離れたところで横になっていた女の子が、怠そうに起き上がって近づいてきた。恐る恐ると言った様子で桃華の顔色をうかがいながら、簀巻き状態の女の子の縄だけ焼き切った。

 ドサッと言う音とともに、女の子が地面に落ちた。


『まだ怒っておるな』

「そうなのか? ……そうなのかもしれないな」

 桃華は二人を並ばせて正座させている。


 よく見れば対照的な二人だった。

 炎を扱っていた女の子は、真っ赤に染まっていた髪の色が抜けて、現代っ子っぽい茶髪になっていた。目つきはちょっときつめで、活発な印象を受ける。

 そう言えば、関西弁っぽい喋り方をしていたか……使っていた能力も性格の表れなのかも知れない。


 もう一方は、どう見ても黒髪清楚なお嬢様だった。桃華に引きずられていたせいで、サラサラだっただろう髪はボサボサになている。

 顔つきは、優しそうな目元に、涙ぼくろが印象的だ。とてもあの時、銃器を発砲してきた子だとは思えなかった。戦場だと性格が変わるのだろうか?

 今の篤紫たちが着ている紙装甲だと、もしかしたら致命的な怪我を負っていた可能性があった。今さらながらゾッとした。

 もっとも、命を落としたところで否応なしに蘇るんだけど……。


「それで、どうしてわざわざあんな無駄な争いをしていたのかしら? それも、私達を巻き込んで」

「待ってくれよ、逆に何であんたらはあの世界に入ってこられたねん」

 茶髪の子が伏せていた顔を上げて、大きく声を上げた。

 お嬢様っぽい方も同じことを思ったのか、顔を上げて、じっと桃華を見つめている。


「知らないわよ。私達は気が付いたらこの世界にいて、周りに荒廃した街並みが広がっていたのよ。そっちの都合なんて知らないわよ。

 それよりあなたたち、私の質問に答える気はないのかしら?」

 桃華がキッと睨むと、二人ともびくっと体を震わせた。さっきまで争い合っていたはずの二人が、ギュッと抱き合っている。

 いや桃華……どれだけ恐れられているんだよ。


「……異能バトルです。わたくし達、異能持ちは時期が来ると、盟主と呼ばれる上の存在から時が来て戦う宿命にあるのです。

 盟主の強権発動で無理矢理あの荒廃世界に飛ばされます。そこで、対戦相手と相対する指令を、拒否することができると聞いています」

「そうやねん。ただその指令に逆らうと、粛正の名の下に命を奪われるんや。生き延びるためには、必ず戦わんならん。

 その後は、どっちかが倒れるまで永遠に、あの世界に閉じ込められるんや。結局生きられるのは、一人なんやけどな……」

「なんて……無駄な……」

 篤紫は強烈な殺気に、全身の毛が逆立つのが分かった。

 見れば桃華が、涙を流していた。静かに怒っている桃華の姿は、ある意味初めてでとても鮮烈だった。ただ、二人のために怒っていてる。それだけはしっかり感じた。

 しかし今回、二人が同時に現実世界に戻ってきているのは、ある意味想定外だと言うことなのか? 話の流れからすると、戦いが始まるとどちらか一人しか生還できないみたいなんだけど……。



「……あなたたち、名前は?」

「えっ、はっ……わい?」

「そうよ、名前。ちゃんと、あるんでしょう?」

「わ……わいは瑠美って言うんや」

「わたくしは、咲良と申します」

 二人が名乗ると、桃華はそっと二人に歩み寄った。瑠美と咲良は条件反射で再び抱き合って硬直する。

 桃華はそれに構うことなく、未だ正座したままの二人の頭を両手で抱き寄せた。


「私は、桃華よ。さっきはごめんなさい。痛かったでしょう、少し……やり過ぎたわ。でもそうでもしないと、あなたたち止まらなかったもの。

 瑠美、咲良……二人とも、本当は戦いたくなかったのね。命を失うのが怖かったから、心を鬼にして全力で戦っていたのね」

「あ……うっ……ぐっ、えぐっ――」

「うっ、ううぅぅ」

 桃華に抱きかかえられた二人は、辛かったのだろう声を上げて泣き出した。

 

 二人の頭を撫でながら、桃華が首だけをこっちに回した。


「二人が突然いなくなったから、恐らく盟主とか言うのが外にいるはずよ。打って出るわ、いいわね」

『うむ。我は何かできるのだろうか?』

「……何を言っているの? オルフは留守番に決まっているじゃない」

『お……おお、そうだな。すまぬ』

 桃華に睨まれて、オルフェナはそそくさと篤紫の腕から抜け出して、どこかに駆けていった。あっという間にオルフェナが、視界から消えた。

 いや待て、オルフェナどこへ行く?


「瑠美と咲良は、念のためそこの商館に入って、ロビーで待っていてくれるかしら? あそこなら絶対安全よ。お茶とお茶菓子を出すわ」

「えっ……でも――」

「いいから、早く行きなさい。大丈夫、私達に任せておけばいいわ」

 それだけ告げると、物憂げな二人を立ち上がらせて、商館ダンジョンの中に連れて行った。

 しばらくしてから、桃華は戻ってきて玄関の扉をしっかりと閉める。


「さて、篤紫さん。全力で行くわよ」

「いいんだけど、戦力外の俺いらなくね?」

「何を言っているのよ。あなたがいないとそもそも始まらないわよ。なんて言ったって、私達のリーダーじゃない」

「お……おう。そうか、そう……なのか? わかった。一緒に行くか」

 疑問に思いながら、桃華と一緒に大樹ダンジョンの出口まで歩いて行く。当然後ろからは、ちゃんとヒスイが付いてきている。


「相手の能力が読めないから、とりあえず光の九十九パーセントで動くわよ。

 篤紫さんは、私と手を繋いでいれば魔法の効果範囲にはいるわ。ほら、手を出して」

「あ……はい」

 桃華と手を繋ぐと――世界が止まった。


 そよいでいた風が止まり、聞こえていた雑踏も一切聞こえなくなった。

 自分が地面を踏みしめる音さえも聞こえない。世界の色は全く変わらないのに、およそあらゆる全ての現象が停止している。

 それは初めて見た、時間の流れを操作した視界だった。


 ただそんな中でも体は何の問題もなく、普通に動く。

 空気の壁もなけれど、体の遅延もない。

 桃華の力は、ここまで進んでいるのか……。

 

 桃華に手を引かれながら、大樹ダンジョンの出口の前に着いた。

 ふと後ろを見ると、後ろを付いてきていたヒスイが気が付いて、篤紫の顔を見上げてきた。すごいなヒスイは、普通に光に近い加速世界で動いているよ?

 やっぱり……俺、いらなくね?




 扉を開けると、世界が横になっていた。

 そこは既に、立体駐車場の屋上ではなかった。全てが破壊し尽くされ、地面がむき出しになっていた。

 横に見える地面の少し先に、真っ白なタキシード姿の男が、左手に持った細剣の切っ先を地面に付けて立っていた。


「ほぉ……やっと、黒幕のお出ましか……」

 ヒスイが先に飛び出していって、横になっていた魔神晶石車を起こしてくれた。篤紫と桃華はゆっくけと扉を抜けて、視線を外さずに扉を閉め――ようとして手が空を切った。思わず振り返って、桃華の手を離しそうになった。

 どうやらヒスイが閉めてくれたらしい。


「お前は、何者なんだ?」

「ほぉ、うちの姫二人をどこに隠したんだ? 存在が完全に隔絶されているな。

 しかしお主らは、また妙な異能だな。この加速された隔離世界で存在しているにもかかわらず、我との魂との繋がりないな……我が眷属ではないということか」

 駄目だ、こいつは話が通じないタイプの人間だ。

 右手を顎に当てて、遠くを見て物思いにふけっている。


「あなたは二人の命を、奪うのね……?」

「もちろんだ。逃亡した姫など、我には必要がない。我に必用なのは美しく、強く、そして気高い女王だけだ。

 その他の、情にほだされるような弱い魂は、存在自体が不要であろう?」

「その細剣で、魂を切り刻む。そんなところかしら?」

「ほぉ、主は何故そこまで知っている。ああ……もっとも、我と同じ世界に存在している時点で、次元が違うと言うことか」

 動作がその都度、無駄に芝居がかっている。

 思わず篤紫は、開いた方の手で顔を覆っていた。


 何だこれ、果てしなく気持ち悪いぞ。

 桃華も同じことを思ったようだ。隣から盛大なため息が聞こえた。


「全く気持ちが悪い男ね。いいわ、格の違いを見せてあげるわ」

「ほざけ。たかが劣等種が、なめた口をきくな」

 白タキシードの男の瞳が大きく見開かれた。


 ……ねえ、桃華。何でナチュラルに煽っているのさ。

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