六十七話 ダンジョンが、ない

 篤紫がクレーターの坂を上っていくと、そのあとから緑色の男が付いてきていた。篤紫が立ち止まって振り向くと、同じようにその場で停止している。

 再び歩き出すと、二歩半ほどの距離が開いたまましっかりと付いてきた。その気配を後ろに感じて、篤紫は思わずため息をついた。


 少なくとも、敵意は感じられない。ただ、付いてくる理由が分からなかった。

 インプリンティング……ではないと思う。さっきの様子から、篤紫がクレーターの底に下りる前から、既に跪いていたようだ。

 とすると、調伏したと言うことなのだろうか……永遠の浄化をしたから、その可能性が高いけれど。


 考えながら坂を上っていたら、日差しが射し込んできた。周りに緑色の光が広がったのに気づいて、慌てて振り返った。

 緑色の男が、坂を上る途中で射し込んできた日の光で、それまでくすんで見えていた緑が透き通って輝いていた。さしずめ近いのが、エメラルドの輝きだろうか。まるっきり曇りがなく、反対側の景色が透けて見えている。


 それを見て篤紫は、再び足を止めた。思わず目を見開いた。じっと緑色の男をくまなく観察して、明らかな異常に気がついた。


 コアがない。


 通常、魔物の体内には魔石か魔晶石と呼ばれるコアがある。それが例え、スライムのように、単細胞なのか多細胞なのか生態が不明な生き物ですら、体内には必ず魔石コアが存在している。

 そのコアが、緑色の男には存在していなかった。

 明らかな異常。ただ……篤紫に対しては全く敵意がないようだった。そういえば、刻んだはずの魔術も消えている。


「なあ、おまえは何者なんだ?」

 返事が返ってこないと分かっていて、それでも思わず問わずに居られなかった。案の定、首を傾げた緑色の男は、しばらく考えるそぶりをした後で首を横に振った。

 少なくとも、知恵はあるようだ。さすがに会話のような意思疎通が出来ないが。


 上り始めようとして、篤紫は眉をしかかめた。縁が遠いまま、全然近づけているように見えない。振り返って底を見ると、こっちはしっかりと上ってきたことが分かる。これは、時間がかかりすぎるぞ。


「今から全力で駆け上がるけど、お前を置いていってもいいか?」

 キョトンとして篤紫に顔を向けていた緑の男が、首を横に振った。

「そうはいっても、お前を抱えて上がるつもりはないぞ」

 それは問題がないのか、首を縦に振る。まあ一応言っていることは理解しているようなので、とりあえず置いていくことにしよう。そのうち追いついてくるだろう。

「まあいいさ、付いてこれるなら勝手に付いてこい」


 篤紫はもう一度、上を見上げてクレーターの縁を見据えた。

 距離は分からないけれど、クレーターの規模からすると二、三十キロはありそうだ。そこを一気に駆け上がる。


 後ろを振り返ると、相変わらず緑色の男はそこに立っていた。前に向き直って、浅く息を吐いてから駆けだした。

 足下の岩を蹴って跳躍、大きめの岩を中心に跳びながら、徐々に速度を上げていった。あっという間に跳ぶ速度は百キロを超えて、同時に踏みしめた岩が砕けて沈む割合が多くなっていく。さすがに魔法で衝撃を軽減できない以上、ここら辺が限界速度だ。


 跳びながら、ふと横に気配を感じて見ると、緑色の男が軽やかに岩を跳んで付いてきていた。

 思わず篤紫は半眼になった。何故あいつが、軽やかに跳躍しているんだろう。足下の岩は傷一つ付いていない。高速を維持するために足を踏み込めば、それなりの力で踏みしめるはず。

 何か、魔法を使っているのだろうか?


「あ……そこは駄目だぞ」

 と思っていたら、緑色の男の踏んだ岩が崩れてずっこけた。そのままあっという間に、後方に消えていく。特に魔法は使っていないのかもしれない。

 篤紫も一応は、踏んでも崩れにくい岩を伝って走っている。ただ、油断は禁物と言うことか。進行方向を見据えて、気を引き締めた。




 およそ三十分かけて、篤紫は巨大クレーターの縁に辿り着いた。

「あっ、おうとうさん! ……って、また何か新しいの連れてるよ」

 少し離れたところでクレーターを覗いていた夏梛が、篤紫に気づいて駆け寄ってきた。リメンシャーレとペアチフローウェルも、その近くにある岩の上で座ってくつろいでいた。


「ねえ、その緑色のはなに?」

「あー、こいつは……」

 振り返ると、緑色の男は直立不動で佇んでいた。篤紫が顔を向けたことに気がついたのか、頭を下げてくる。


「緑っぽい岩を浄化したら、こいつになった……のかな?」

「はあ? 相変わらず、メチャクチャだよ。このクレーターもおとうさんの仕業なんだよね?

 大暴れしていたあたし達にも、問題があったかもしれないけれど。目を離すとおとうさん、いつもとんでもない事してるよね」

 確かに、いきなりこんなクレーターが出来れば、普通にびっくりするか。ついでに、怪しい緑色の男も連れている……やばい、事案だわ。


 まだ、付いてきたのが緑色の男で、姿形が幼女じゃなくて良かった。

 そう思って緑色の男を見ると、緑色の男が頷き返してきた。突然淡く緑色に輝き始めると、徐々に縮んでいき幼女の姿に変わった。


 なんでだよっ!


「すごいね。いま、おとうさんが命令したのかな?」

「い……いや、しし、してないよ? かかか、考えただけだよ?」

「なんで、しどろもどろなのよ。別にそんな趣味だとか思っていないよ。

 重要なのは、意思疎通が出来てるか、だよ。馬とかに変化してもらうことは出来るのかな?」

「あ、ああ。頼んでみるよ」

 変化した緑の幼女が気になったのか、リメンシャーレとペアチフローウェルも岩から下りて近づいてきた。

 篤紫はしゃがみ込んで幼女の視線で、馬になれないか頭の中で問いかけてみた。幼女はしっかりと頷くと、少し離れたところに移動して、再び淡い緑色に輝くと、大きく変化して馬へと姿を変えた。

 なんでだろう、一方的に思考を読み取られているんだけど……。


「すごいですね、何にでも変化することができるのですね」

『確かにすごいわね。いったい、どうやって調教したのかしら?』

 リメンシャーレとペアチフローウェルは、緑色の馬に近づいて触り始めた。触った感触が冷たかったからか、慌てて手を引っ込めて手に息を吹きかけている。氷のように冷たいのは変わっていないみたいだ。


「うーん、禍々しい岩があったから、魔術文字に魔力を込めて、永遠の浄化を描き込んだだけだよ」

「あー、たぶんそれだね」

「ええ。間違いありませんね」

『そういえば聞いたことがあるわ。北の丘陵には魔神が封印されていて、その瘴気から魔物が湧いているって、そんな言い伝えがあったはずよ』

 まさか、そんなはずはないよな……。

 そう思いながら緑色の馬を見ると、頭を縦に振る。やめてくれ、そんなつもりはなかったんだよ。魔神って何だよ。


「でも見た感じ、おとうさんの意思を忠実に聞いているみたいだから、一緒に居ても問題ないかもね」

『魔神はあくまで伝承よ。さすがに実在していないと思うわ』

「私も篤紫さんの管理下に居るなら、問題ないと思います。何かあっても、篤紫さんなら何とかしてくれそうですから。

 それよりも、大変なんですよ」

 周りを見回すと、あれだけたくさん居た魔物が一体もいなくなっていた。

 とりあえず話を聞くために、少し前にリメンシャーレ達が座っていた岩まで移動することにする。岩は、上面が真っ平らになっていて、縁に腰掛けるとちょうど座れる高さになっていた。

 だかしかし、あえて岩の上にちゃぶ台と座布団を出して、そこに座った。


「それで、何が大変なんだって?」

 全員が周りに座ったところで、篤紫は急須と湯飲みを取りだして、お茶を淹れた。緑茶の爽やかな香りが、青空に吸い込まれていく。

 そう言えば、ずっと薄暗かったはずなのに今はすごく明るい。吹き抜ける風も軽く、ここが戦場だったことが分からないくらいに空気が澄んでいる。


 緑の馬は、相変わらず篤紫の裏に来て静かに佇んでいた。この忠誠を尽くすような態度が、何だか少し気持ち悪い。

 気配が薄くなった気がして振り返ると、緑の馬は岩から下りて、少し離れた地面の上に、脚を畳んで座り込むところだった。いや、気持ちを汲みすぎだろう。逆に申し訳なくなってきたた。あ、そこ、だからって首を横に振らなくていい。


「魔物の増殖が止まって、頑張って魔物を倒しいてたら一体も居なくなりました。

 問題は、倒しながら探していたのですが、ダンジョンが見つからなかったことです。この地の果て、海岸の絶壁まで行ってきたのですが、その間にもどこにもないのです」

『それで戻ってきたら、ここに大きなクレーターが出来ていたから、びっくりしたのよね。

 夏梛が、篤紫のやったことだって言うから、上がってくるまでここで待っていたのよ』

「え、ダンジョンなかったの?」

「うん、何にもなかったよ」


 篤紫は思わず後ろを振り返った。緑の馬は行儀良く座ったまま、篤紫の方に顔を向けていた。

 もしかしたら、思わず浄化した石がダンジョンコアの代わりをしていたのか?

 だとすると、やっぱりこのフィールドがダンジョン扱いだったことになる。それなら、周りに魔物の遺骸がない理由が頷ける。


 これは予想外だな。ダンジョンコアが手に入らない以上、魔石ダンジョンを造らないといけない流れなのか。

 魔石、手持ちにあったかな……?

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