六十四話 逆らえない力

 友好同盟の話があっさりと肯定されて、王国の一同は再び動きが止まった。過去の対立を考えて、ある程度交渉が難航すると思っていたようだ。

 それがまさかの即答に、提案したレイス王でさえ次の句が出てこなかった。


 逆に、快諾した魔王ペアチフローウェルが、眉をひそめて首を横にひねった。


『あ、待って。口頭だけじゃなくて、ちゃんと書面で残さないといけないわよね。あんまり呼びたくないけれど、じぃじ呼ばなきゃだわ』

 ペアチフローウェルは、おもむろに横に手を伸ばすと、忽然と現れた闇の中に手を突っ込んだ。そして何かを掴んだのか、ゆっくりと引っ張り始めた。


『痛い、痛いですぞ。お願いですから、角を引っ張るのはやめてくだされ』

 闇の中から羊の頭をした悪魔が、顔だけ引きずり出された。ペアチフローウェルは一旦そこで引っ張り出すのをやめると、角を握ったまま顔を近づけた。


『ねえ、じぃ……は、この場では駄目ね。

 クランジェ。どうせ全部聞いていたんでしょう? 書面はちゃんと持ってきてるのよね』

 角を持つ手に少し力を入れたようで、ミシリという音とともに、ペアチフローウェルから威圧に近い強烈な魔力が漏れる。

 それだけで、王妃ユリディナーレと王女メルディナーレは悲鳴を上げるまもなく気絶した。裏に控えていたポルナレフと騎士も、膝をついて頭を垂れている。それは絶対王者の覇気にも似ていた。


「くうっ……あの時は、手を抜いていたというのか……」

 レイス王だけが、歯を食いしばって顔を上げていた。額を伝う大粒の汗が、魔王の威圧の凄まじさを物語っていた。


 ちなみに、篤紫、夏梛、リメンシャーレの三人は、涼しい顔で経過を見守っていた。どのみち、二カ国間の協議が終わるまでは完全に蚊帳の外だ。

 今は、丸い闇から顔だけ出している羊頭の悪魔から目が離せないでいた。初めて見る悪魔らしい悪魔。闇に埋もれている体が、早く見たかった。


『は、はい。女王。ちゃんとお持ちしております。お願いしますから、角を離してくだされ……痛いです』

『ならいいわ、さっさと出てきなさい』

 ペアチフローウェルが手を離した途端に、羊頭の悪魔クランジェは闇から滑り落ちるように出てきた。


「「「おぉ……」」」

 思わず三人から驚きの声が上がる。

 滑り落ちてきたのは、上半身が人間の体で、腰から下が羊の足になっている悪魔だった。羊なだけあって、太もも辺りはモフモフだった。その背中には、悪魔らしい漆黒の翼があった。


「山羊だったら、脚がスレンダーだったんだよね?」

「母の影響で悪魔族は知っているつもりでしたが、羊頭の悪魔は初めて見ました。これはこれで格好いいですね」

「おお、羊だっていい。かっこいいぞ」

 床に落ちて角をさすっていたクランジェが、ペアチフローウェルの隣に座っている篤紫たち三人に気がついて、目を見開いた。おずおずと篤紫の前まで歩み寄ると、その前で跪いて頭を垂れた。


『原初の魔王様……お久しゅうございます……』

「え、待ってくれ。人違いだよ?」

 全く身に覚えがない篤紫は、慌ててクランジェに立ち上がってもらう。それでもしばらく篤紫の顔を、まるで懐かしむかのように見てから、ペアチフローウェルの隣に移動していった。


『女王様、こちらを……』

『ありがとう。これは魔法的な強制力が働く紙よ。悪魔族との契約で使う紙なのだけれど、一部の貴族が間違った使い方をしているのよね……』

 すかさず、クランジェがサイドテーブルを持ってくる。その上に契約紙を乗せて、平和条約の要項を書き始めた。


 その頃になってやっと、ポルナレフと騎士が復帰したようで、騎士は一旦部屋から出て行くと、侍女を伴って再びリビングに戻ってきた。

「篤紫殿。王妃と王女のために、ベッドルームを使うことをお許し頂きたい」

「いえ。こちらが借りている身ですから、自由に使ってください」

「はっ、恐れ入ります」

 騎士は、王妃と王女を移動式の簡易ベッドに寝かせると、侍女を伴って部屋を退出していった。


 その間に、ポルナレフがレイス王の前にサイドテーブルを用意する。


『とりあえずそんなところかしら。最低限の事は書いたはずよ。

 もっとも、それがこの世界でどれだけの効果があるのか、完全に未知数なのだけど』

「どういう事だ?」

 ポルナレフから書面を受け取って、内容を読んでいたレイス王が、読む手を止めて顔を上げた。

 書面の内容としては、書かれていることに何も問題はないように見えた。権利の平等から始まって、利権の話し合いによる解決の明記。侵略行為の禁止に、有事の際の協力体制を築くことまで、およそ平和条約としての体は完璧に為している。


『それについては、女王に代わりわたくしが説明いたします』

 レイス王とポルナレフの視線が向けられた先、目立っていたのはクランジェではなく、その背後だった。


「翼は本物みたいだね、すごい」

「ペアチェさんの巻き角も立派ですが、クランジェさんの直ぐ角も趣があっていいですね」

『私もそっちの方がいいのよね。巻いていると引っかかりやすいのよ』

『……あの、お嬢様方。大切なお話の途中だと思うのですが』

 クランジェの後ろでは、夏梛とリメンシャーレが初めて見る羊頭の悪魔に見入っていた。それに、ソファーに座ったペアチフローウェルが、横を向いて話をしている状況だった。

 その姿を、篤紫は苦笑いを浮かべるだけで、特に咎めようとはしなかった。確かに場合によっては、今やっている話し合いすら、茶番にしかならない。


『いいのよ。私の仕事は終わったわ、既に署名済みだから、あとはそっちの勇者次第よ。ただ、無駄になるんじゃないかしら?

 そもそも私たちは、あなたの国に対して何もしていないし、何もしないわ。それは魔王を何代遡っても一緒のはずよ』

「……つまり、この書面は無駄だと言うことか?」

『その可能性は、否定できないわね』

 レイス王が渋面を浮かべる中、ペアチフローウェルは再び女子トークに戻っていった。


『この状況で、お話をさせていただくことを、お許し頂きたい』

「あ、いや……すまん。頼む」

 相変わらずいじられているクランジェに、レイス王の緊張も若干解けたようだ。深呼吸をすると、ソファーに座り直した。


『端的に申し上げますと、我々悪魔族は魔王国から出ることが出来ません。

 そちらの書面に書いたような条件、国土以外の利権を主張できませんし、本質的に侵略など不可能なのです』

「待て、どういう事だ? 魔物はそちらがけしかけてきていると、伝承にある。そうではないと言うこと……なのか?」

『左様でございます。今回も正直、わたくしがここに居られることが奇跡なのです。

 普段ならば、魔王の大魔法をもってしても、我が国を覆っている障壁を出ることすら出来ないのですから』


 やはりというか、この世界は物語の枠から出ることは叶わないようだった。

 魔物が増えたときに、勇者が現れて、道中の魔物を討伐しながら魔王城を目指す。そして凱旋の折にも溢れた魔物を減らし、つかの間の平和を手に入れる。

 立ち位置を変えれば、勇者が魔物を倒しながら侵略してきて、魔王と相対する条件を達成すると、再び国から去って行く。


 決められたルーチンの中で、何度も歴史を繰り返していることになる。それはこの先もずっと変わらないのだろう。


「では、どうしようもないと言うことか……」

 レイス王は思わずペンを横に置いて、項垂れて頭を抱えた。

『そうでしょうな。異界の勇者は、魔王と相対してそちらの国に戻るまでは、その平和条約の範囲から外れています。そちらの国と、我が国との契約は有効ですが、恐らく何の意味もないのでしょうな。

 ただ……』

 クランジェの思わせぶりな言葉に、項垂れていたレイス王は頭を上げた。


「ただ、なんだ?」

『今回はその条件が及ぼす枠から出ています。本来ならば、わたくしはここに来ることが出来ないはずなのです。

 恐らくは、篤紫殿が何かの鍵を握っていると思われますが……』

「……は? お、俺?」

 傍観者のつもりだったのが、突然話を振られて篤紫は思わず素っ頓狂な声を上げていた。


『はい。女王伝いで、陰から話を伺っていました。

 篤紫殿は、この世界から外に出る術を持っていらっしゃる。そう、わたくしは認識しております』

「本当か、篤紫殿……!」

 全員の目が、篤紫に集まった。


 いや……戻れるとは、思うんだけどね。

 それ以前にナナナシアから、戻り方を聞いていないんだよな……。

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