六十三話 旧勇者と魔王
「それでペアチェは、どうして俺を城に連れて行きたいんだ?」
篤紫の質問が意外だったのか、ペアチフローウェルは目を見開いた。しばらくすると、その相貌に涙を湛え始めた。
『せっかくお友達になれそうだと思ったのに、家に誘ったら駄目なのかしら……』
「えっ、ちょっ、待って。そういう意味じゃなくてだな」
ペアチフローウェルはしんみりと呟くと、涙をぽろぽろと流し始めた。当然、女性陣が黙っているはずもなく。
「おとうさんサイテー。正座よ、きっちりお説教しなきゃ」
「そうです、篤紫さん。女性に対して、さすがにその言い方は酷すぎます」
床に正座させられてしまった。
正直いえば迂闊だったと思う。既に女子三人が打ち解けてしまった後だから、警戒も解けて完全にお友達モードだった。さらに、ペアチフローウェルも魔王という肩書きだけで、話してみるとどこにでも居る普通の女の子だった。
結局、三十分ほどみっちりとお説教を受けることになった。
「わかった? 女の子に対して言う言葉じゃないんだからね」
「はい。ごめんなさい」
「篤紫さん。謝る相手は私たちじゃなくて、ペアチェさんですよ」
「ペアチェさん、ごめんなさい」
『あ、その。私も、何も壊れないからって、魔法を乱打したのが誤解の原因だったみたいなのよ。こっちこそごめんなさい』
「あー、その気持ち分かる気がする」
結局そのまま、歯を磨いて就寝することになった。部屋数にも余裕があったので、ペアチフローウェルも泊まっていくことになった。
なにか、本質的なことを忘れているような気がするのだけれど……。
呼び鈴の音に目を覚ました。
いつも通り腰元に浮いているスマートフォンをたぐり寄せて、画面に表示されている時計を見ると、時刻は十時を過ぎていた。
と、そこで篤紫は思わず画面を二度見した。
「え、時間が正常に進んでいるぞ……」
十時十六分を表示していた時計は、篤紫の見ている前で十七分に変わった。間違いなく、停止した時間から戻ってから、時の流れが変わっている。
今まで気がつかなかったけれど、これはけっこう大変な事態なのではないか?
チリンチリン、チリンチリン――。
そう言えば、ドアベルが鳴っていたんだった。
篤紫は慌ててベッドから下りると、玄関に向かった。
「オレの顔に免じて、全員でお邪魔することを許して欲しい」
大量の騎士を玄関前に残したまま、リビングにはそうそうたる顔ぶれが訪れていた。
国王レイス・アーデンハイム、王妃ユリディナーレ、王女メルディナーレがソファーに腰掛け、宮廷魔術師ポルナレフ、それから見慣れない騎士姿の男がその後ろに立っている。
「いや、こっちは別荘を借りている身だ。呼び鈴も鳴らしてもらったんだから、問題は無いんじゃないか?」
そう言えば、うちの娘たちはまだ寝ているのか?
昨日の就寝時間が何時か分かっていないけれど、恐らく遅くまで喋っていたと思う。そういう篤紫も久しぶりに寝坊をした。
篤紫は、ホルスターのポケットから人数分のカップを取りだし、同じく取りだしたポットでお茶を淹れた。緑茶の爽やかな香りが辺りに漂う。
「そう言ってもらえると、非常に助かる。
しかしこれは、緑茶か……懐かしいな。かれこれ三十年は飲んでいないか」
カップに口を付けたレイス王が、感嘆のため息を漏らした。
「レイス王は地球にある日本の出身……だったか?」
「ほぉ。日本については明言していたが、地球の名前は出したことか無かったな。それを知っていると言うことは、篤紫殿は日本人なのか」
「元日本人だな。今はもう、違う世界の住人だよ」
しかし、何だか現実感が強すぎる。ここは、本当に桃華の神晶石の中なのか?
ここにいる人たち全員が、間違いなく生きている。しっかりとした意思があるだけでなく、ちゃんと過去も持っている。
最初は物語の中の登場人物が、ある程度自由に喋っている程度の認識だった。実際に森から街道に出て、馬車が襲われている辺りまでは物語の展開と一緒だったはず。ただその辺りから、色々と様子が変わっていた。
何か調子狂うな……。
「それなら、もしかして話が分かるのか……。
ひとつ、お願いしたいことがある。聞いてもらえるだろうか?」
「わかった。まず、話を聞こうか」
レイス王は、篤紫の言葉にしっかりと頷くと、ソファーの背もたれから背中を離して襟を正した。
「ポルナレフから、篤紫殿の腕は聞いている。冒険者だそうだな。
それを踏まえて、指名依頼という形でお願いしたい」
レイス王はそこで言葉を切って、隣に座っているユリディナーレに目配せをする。ユリディナーレは、深く頷き返した。
「魔王国との、橋渡しをお願いしたい。勇者が魔王に挑むという悪しき慣習を、オレの代で断つことを考えている。
そのために使者として、魔王国に向かって貰いたい」
はっきりと、告げた。
何だか、風向きが変わってきたぞ?
篤紫が難しい顔をしていたのだろう。レイス王の顔が、少し悲しそうな表情に変わった。再び、ソファーの背もたれに深く腰を預けた。
「無理は承知している。かく言うオレも魔王と相対し、国に戻ってきて勇者の力を失ってから、初めて分かった事なのだが……」
「魔王国。しいては魔族は悪ではないと?」
「その通りだ。やはり聡いな、同時に篤殿が勇者でなくて良かった。
……話を戻そう。
勇者が女神によって召喚され、この世界に顕現したと同時に、オレたちは一切の真実を喋ることができなくなるのだ。だから、勇者は必ず魔王を討伐に向かうことになる」
「私も父も、それについては悩んでいました。
魔王と友誼を結ぶことができれば、事態が好転すると。
勇者が役目を終えて、初めて話ができるようになり、先王である父も交えて話をしたのですが……」
レイス王に続いて話を始めたユリディナーレが、途中で顔を伏せた。隣に居たメルディナーレが肩を支えている。よく見れば、ユリディナーレの呼気が少し荒くなっているように見える。
「女神の呪いだ。そう呼んでいる。
オレたちには真実を喋った分だけ、命が削られる呪いがかかっているのだよ」
篤紫は目を見開いた。意味が分からない。
勇者が現れれば、真実を喋ることができなくなる。魔王と相対して帰還すれば、条件が緩和される代わりに、喋ることで寿命が失われる。そんなの、本当に呪いでしかないじゃないか。
このままだと、どのみちアーデンハイム王国は、勇者を送り続けるしかない。
「この世界に召喚された者は他にも居るが、勇者を除き一般人と何も変わらない。むしろ、魔法が使えない分、国民よりも命が危険だと言える。
そういう意味では、篤紫殿の一家は例外だ。馬車を襲撃してきた、魔人化した元国民だけでなく、ワイバーンすらも倒したと聞いている」
つまり、魔王国との橋渡しをして欲しいと言うことか。
何のことはない、やはりここは桃華の神晶石の中。物語に沿って話が進むように、強制力が働いているに過ぎないのだと思う。その基本的な物語通りに話が進まないと不具合が生じて、寿命が縮まるのだろう。
これは、いったい何をどうすれば、その呪縛が解けて正常に戻るのだろうか?
「おとうさん、お腹がすいたよ……あれ? 何で王様達がここに居るの?」
篤紫が悩んでいると、リビングの扉が開いて夏梛が部屋に入ってきた。
「あら、皆さんお揃いでどうされたのですか?」
『篤紫の料理は美味しいって聞いたわ。朝食べる料理も作って貰いたいわね。
昨日のプリンも、とっても美味しかったもの』
夏梛に続いて、リメンシャーレもリビングに入ってきた。さらに後ろからペアチフローウェルが入ってきたのを見て、レイス王がソファーから勢いよく立ち上がった。
王国側の全員が息を呑んだのが分かった。
「ま、魔王ペアチフローウェル……」
『あら、勇者じゃない。元気にしているみたいね。しばらく見ない間に、やけに老けたわね。ちゃんと美味しいもの食べてる?』
立ち上がったまま動けないで居るレイス王を見ながら、ペアチフローウェルは不思議そうに首を傾げた。そのまま、篤紫の横まで来るとソファーに腰をかけた。
夏梛とリメンシャーレも何となく、篤紫の隣に腰を下ろした。
レイス王は大きく息を吐くと、ゆっくりとソファーに腰を下ろした。
「……篤紫殿と、魔王ペアチフローウェルは知り合いだったのか?」
『いいえ、昨日始めて会ったわ。お城に来て貰おうと思って、話をしているのだけれど、まだ返事を貰っていないわ』
「つまり……これが本当の意味の縁というわけか……」
レイス王はしばらく目をつぶったまま逡巡していたが、意を決してペアチフローウェルの瞳を見つめた。
「魔王ペアチフローウェル。我が国と友好同盟を結んで欲しい」
『ん? いいわよ』
かくして、レイス王一世一代の覚悟を持った言葉は、あっさりと肯定された。
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