五十四話 ナナナシアストア
「あー、ルーファウス君。すまん……」
ルーファウスの分の魔道ペンを作って向き直ったところで、椅子に座って篤紫の手元を見たまま、目を見開いて固まっているルーファウスに気づいた。そういえば、篤紫が魔道具を作っている現場を初めて見るんだっけ。
「やっぱり、みんなそうなっちゃうよね。
魔導学園で魔道具学科を受けたときには、逆にみんな描くのが遅くて、正直うわぁって引いたもん」
夏梛はルーファウスの横まで歩いて行くと、顔を覗き込んで目の前で手を振った。一瞬身震いして、ルーファウスが帰ってきた。
「な、ななな、ななんですか、その記述速度は。さらにその文字数!
それだけでなく、全てに均等に魔力を注いで、何のブレも無い。仕上がりはまさに、想像を絶する高みの境地。
……さすが先生です、感服しました。
しかし……ほ、ほ本当に、この魔道ペンを私が頂いてもいいのですか……?」
篤紫が頷くと、ルーファウスはとびっきりの笑顔とともに、両手を上に突き上げた。
「いーやったあぁぁっ」
そのまま立ち上がると、全身で喜びを表現してくれた。ただ、そこで自分の状態に気づいたのか、顔だけでなく首まで真っ赤にして、しずしずと椅子に座り直した。
初めてルーファウスの子どもらしい一面が見られて、何だか篤紫はほっこりした気持ちになった。
あらためてルーファウスに深紅の魔道ペンを渡す。
スマートフォンの背面に深紅魔道ペンを付けて、所有者リンクをして貰っていると、自分の椅子に戻った夏梛がスマートフォンの背面カメラで、自分の深紅魔道ペンを見ているところだった。
「夏梛、何してるんだ?」
「うん、あのね。鑑定が出来るようになったから、見ているんだよ。
すごいね、この魔道ペン。品質が最高ランクだ」
「……ちょいと待て、鑑定なんて入ってないはずだぞ?」
「うん、入ってはいなかったよ?
朝見たら、ナナナシアストアっていうアプリが増えていて、その中に鑑定のアプリがあったからダウンロードしただけだよ」
「なんだって? ……あ……本当だ」
いつの間にか、篤紫のスマートフォンにも新しいアプリが追加されていた。
ナナナシアストアをタップして起動させてみると、真っ白な画面にいくつかアプリが並んでいた。辞書系のアプリが数種類に、鑑定、背面ライト、ななちゃんねる、などなど……正直、突っ込みどころが満載だった。
「それでね、魔術辞書っていうアプリもあって、見てみたたらけっこう魔術が楽しそうだったんだよね」
篤紫の動きが止まった。
「……夏梛、さすがに和英辞典とかまではないよな?」
「あるよ、あったあった。最初ネタだと思ったんだけど、あれ普通に使えるよね。
魔術辞書は単語と効果が書いてあるだけだったけど、和英辞典は文章を打ち込んでも、ちゃんと英語の文に変換してくれたよ。
和英辞典って書いてあるけど、これはどちらかというと、魔術翻訳に近いんじゃないかな」
篤紫は椅子の背もたれに背中を預けて、憮然たる面持ちで天井を仰ぎ見た。
かなりマズい事態になった。
犯人は間違いなく、ナナナシア・コアだな。
正直これは想定外で、かつ一番恐れていた状態だ。今回のパース王国もそうだけれど、世界的に見てもまだ魂樹が伝わっていない地域がたくさんある。それに人間族が、魔力のある生活にしっかり馴染んでいないはずだ。
魔法辞典や身の回りの辞書関連、地図アプリ辺りは個人で使えるので、最初から魂樹にプリインストールされている。これらは、生きるための知識として地域の下支えになる。
だが、魔術辞書と和英辞典だけは危険だったから、あえて外してあった。ナナナシア・コアとも、そういう話をしたはずだ。
この二つが一般的になると、必ず魔術を基軸とした文明が、一気に開花して加速する。魔術がより一般的になって、もっと複雑な機能を持った魔道具が、世界的に流通することになるだろう。
それ自体は、いずれ時間の流れとともに一般的になるとは予測していた。でもまだ今は早い。早すぎる。未だ根本的な問題が解決していない。
人間族と魔族の確執が、完全には解消されていない。
このままだと再び、魔族の命が狙われる……。
「電話もメールも駄目だよな……」
「え、おとうさん。誰に連絡するの?」
「ナナナシアだけど、神気が漏れるとヤバいよな」
「ええっ、それだけは絶対に駄目だよ。たぶんここの国のみんなが気を失っちゃうよ」
「そうなんだよなあ……」
「あの、何かあったのですか?」
夏梛と話をしていたら、どうやらルーファウスの作業が終わったようだ。話の内容が理解できないからか、首を傾げている。
「ああ、スマートフォン……っていうか、魂樹の中にちょっとまずいアプリが追加されたみたいなんだ」
説明しながら、ルーファウスにもスマートフォンを確認してもらうと、同じようにナナナシアストアが追加されていた。
魔術辞書と和英辞典もインストールして、アプリを起動したところで、途端に難しい顔をして考え始めた。篤紫と夏梛が息をのんで見守る中、しばらく考えていたルーファウスは一転、スマートフォンから顔を上げると、その顔が笑顔に変わった。
「政治的な判断ということでいいのですよね?
これは問題ないと思います。むしろ、形としては最も好ましい状態ですね」
「えっ、そうなの?」
ルーファウスは、まさかの太鼓判を押してきた。てっきり危惧されると思っていた篤紫は、思わず変な声が出ていた。たぶん顔も変な表情だったと思う。
「はい。まずこれは情報の一切が秘匿されていません。完全にオープンで、誰にでも使うことができますよね。
つまり、各国の情報統制であったり、あるいは国家間で情報操作ができません。なおかつ全ての国の、全ての国民が、平等な権利と義務を負っています」
篤紫と夏梛は、思わず感嘆のため息を漏らした。今までそういう視線で考えたことが無かった。
同時に、後ろからもため息が聞こえたので慌てて振り返ると、入り口の脇にコマイナが佇んで同じように感嘆の息を漏らしていた。完全にメイドとしての嗜みを遂行しているようだ。
「あとは我が国のように、魂樹そのものが後進の国であっても、何の心配もいらないと思いますよ。新しさに関しても、全国民が平等ですから。
むしろこれはすごいですね、平和の切り札にすらなります」
「ルーファウス君は、すごいんだな……」
思わず篤紫の口から声が漏れていた。
「いえ、そんなこと無いですよ。むしろすごいのは、この魂樹のほうですから。
それに私など、政務ではまだまだ父上や宰相の足下にも及びません」
それでも篤紫には、大きな大局で考えることができなかった。結局のところ、篤紫の危惧していたことは、本当に些細なことだったのかもしれない。
「ちなみに、おとうさんは、ルー君の答えが違っていて、新しいアプリに問題があったらどうするつもりだったの?」
「宝箱型の簡易ダンジョンを七つぐらい用意して、マトリョーシカのように中に入って、さらに中に入ってを繰り返すだろう?
一番中に入ったところで、夏梛に一つずつ閉めていってもらうつもりだった」
「ええ、それ本気で考えてたの? 二つめを閉めると中の時間が止まるのに、どうやって連絡をするつもりだったのさ。
そもそもそんな空間で神力使ったら、それ絶対にエラー起こして異世界行きだったよ。危なかった、やめてよね」
夏梛に指摘されて、心底ゾッとした。
これはもしかして、ルーファウスのおかげで助かったと言うことか。
そんなルーファウスに顔を向けると、やっぱり話の途中で意味が分からなかったのか、真紅魔道ペンを持った状態で笑顔で待っていてくれた。
「先生、さっそく魔道具を作るのですよね?」
そう言えば、それが目的だったな。
せっかくなのでコマイナにも参加して貰って、四人で夕方までじっくりと魔道具作りをした。
まだ魔力の扱いに慣れていないからか、ルーファウスの作った魔道具は予定していた半分以下の動きだった。それでも、初めて自分で魔力まで込めることができたからか、大喜びではしゃいでいた。
ルーファウスを城に送り届け、入れ替わりに田中家の四人と、リメンシャーレが家に戻ってきたものの、夕食を過ぎても桃華が戻って来ることは無かった。
夏梛とリメンシャーレが、それぞれオルフェナとミュシュを抱きかかえて夢の中に旅だったのを見届けて、篤紫は城に向かった。
そしてそのまま、水晶竜のいる場所に足を向けた。
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