三十九話 西海岸
北回りの海路をとったのは、もしかしたら失敗だったのかもしれない。
それにはっきりと気がついたのは、北の海岸沿いを西に向かって、西海岸にさしかかった頃だった。
文明の痕跡が全くない。
拡張収納には食料などの物資が潤沢にある。水も生活魔法で問題なく補給できるからいいものの、完全に航路を間違えていた。
北部一帯は熱帯気候のようで、氷船から見た景色はほとんどが深い森ばかりだった。
未開の地――そんな言葉が頭をよぎる。
交代で操船をしながら、一ヶ月くらいは海岸線沿いに進んだと思う。途中で接岸して調べてみても、探索に魔獣や動物などは引っかかっても、人間族や魔族が住んでいる痕跡すら見つからなかった。
「なかなか、文明圏に辿り着きませんね」
操船交代のために操縦室に上がっていくと、タカヒロが苦笑いを浮かべていた。真夏の日差しが降り注ぎ、周りの景色が必要以上に輝いて見える。
陸地はちょうど遠浅の海岸が続いていて、今日の上陸は難しそうだった。
西に行くにしたがって、湿地帯や遠浅の砂浜、さらには砂漠地帯が多くなってきた。少し前には、入り組んだ海岸線が続いた地形に四苦八苦して、この大陸が一筋縄ではないことを痛感した。
そもそも、北部から西部にかけては人が、魔獣から自身の身を守りながら生活できる環境ではなかった。
「篤紫さんは、この大陸には来たことがあるのですか?」
「いや、ないかな。ここに大陸がある、程度の知識しかないよ。
特に考えずに航路を北にとったんだけど……これ、砂漠気候帯だよね」
「サバクって何ですか?」
「……ああ」
世界的な気候の違いを表す言葉は、ほとんど通用しない。わかってはいたんだけど、どうしても癖で言ってしまう。
今まで通過してきた、アウスティリア大陸北部にある気候の違いを簡単に説明すると、タカヒロは嬉しそうに目を見開いた。知らなかった知識が増えるのが嬉しいのだろう、階段を下りながら、ずっと熱帯雨林、砂漠気候を口ずさんでいた。
操縦桿を握って、魔力を流した。それに呼応するかのように、足下の魔道機関が静かに唸りを上げた。
レバーを前進に入れて、足下のパネルに魔力を流と、氷船がゆっくりと前進を始めた。左にサバンナのような荒涼とした大地を眺めながら、陸沿いに海を進んでいく。
急に辺りが暗くなり、雷が鳴る音と同時くらいに激しい雨が降ってきた。視界が効かなくなったため、慌ててブレーキペダルに足を置いた。
足を置いて、思わず笑ってしまった。
「普通の船に、ブレーキペダルって存在していないよな……」
減速や停止には、後退にレバーを入れて逆噴射するのがが基本だと思う。車の感覚で作ったから、船なのにどうも変な感覚だった。
激しい雨はまもなく止み、再び綺麗な晴れ空が広がった。
「……なんだありゃ?」
篤紫は思わず、氷船を停止させていた。
アウスティリア大陸は、山岳地帯がほとんどない。西部はそれが顕著で、海岸から陸地をみてもけっこう遠くまで見渡せる。
その少しだけ小高い丘の上に、不思議な建物があった。
いや、建物なのか? 赤褐色のそれは、西洋にあるような城だった。それもどちらかというと、砦に近い城なのだけれど。
問題は、茶褐色一色だと言うことか。海から遠目に見ているだけなので、詳細まではわからないけれど、正直言って違和感が半端ない。
「よし、見なかったことにしよう」
目をそらし、氷船を進ませる。背後から、誰かが操縦室に上がってくる足音が聞こえてきた。
「砂の城が移動しているよ」
「篤紫おじさん、見た? ほら、形も変わっている」
いつもの三人組、夏梛、カレラ、リメンシャーレが操縦室に上がってきた。今日はカレラがミュシュを抱きかかえていた。
「いや、まさか……」
氷船の速度を緩めながら、左方向を見ると、確かにさっき見えた赤褐色の城が真横にあった。それも、微妙にだけど形が変わっている。
「シャーレちゃんが見つけたんだよ、いきなりお城が生えてきたって。
そのあと、船が動き出したら一緒に付いてきているよ」
「久しぶりに外に出てきたのですが、いきなりお城が建つなんて、思いもしませんでした。
母の影響で、お城の形だけでしたら色々知っていますが、変形していくお城は見たことがないですね」
篤紫が気づいたのは、城が建った後だったようだ。確かに氷船の動きに合わせて、稜線を滑らかに移動しているのがわかる。
正直、厄介ごとの予感しかしない。
「みんな、急いで椅子に座ってシートベルトをしめてくれ。
それから、リビングには誰かいるかな――」
篤紫は、腰元の虹色の魔道ペンに魔力を流し、光のエフェクトとともに変身する。深紫のロングコートが入れ替わり、背中に翼の絵が現れた。
操縦桿から手を離すと、魔力の供給が止まり、氷船の加速が止まった。
椅子から降りた篤紫は、床に手を触れて魔力を流し込んだ。操縦室の後方に五脚の椅子が生えてきた。
「えっ、おとうさんいつの間に変身したの?」
『あ、ほんとですね。背中に翼の模様が出ています』
篤紫はすかさず椅子に座り直して、左手を操縦桿に触れた。魔力の供給が復活して、氷船が再び海上を走り始めた。
腰元のスマートフォンをたぐり寄せて、桃華に発信する。
「桃華、商館ダンジョンの中には、みんないるか?」
『娘達三人とミュシュがいないわ。シズカさんがいまリビングに入ってきたから、いないのは四人よ。みんなでお茶を飲んでいるところよ。何かあったのね』
「四人はここにいるから、しばらく甲板に出ないようにしてほしい」
『分かったわ、伝えておくね』
振り返ると、四人とも椅子に座ってシートベルトをしめていた。
操縦桿の前にあるタブレットをタップし、魔道機関出力の項目を呼び出した。出力を二十パーセントから八十パーセットにセットし直し、実行をタップする。これで準備完了だ。
「みんな、しっかり手すりに掴まっていろよ」
「分かりました。しっかり掴まっています」
「えっなになに? 飛ばすの? ジェットコースター?」
「ちょっと、夏梛ちゃんはしゃぎすぎだよ。ていうか、じぇっとこーすたーって何よ、ねえ?」
『あわわわわわわ』
篤紫もシートベルトをしめて、前を見た。海岸線は、緩やかに右に曲がっている。マップに目を落とすと、目の前は半島になっていることが分かった。
少し幅がありそうだけど、この程度の半島ならば飛び越えることができるか。
「みんな、歯を食いしばっていろよ」
「「「『はいっ』」」」
左を見る。何かを察したのか、赤褐色の城が全速で近づいてきているようだった。砂浜がうねり、波のように盛り上がって、海に向かって押し寄せてくるところだった。
篤紫は前を向き、シフトレバーを中立に入れて、アクセルパネルに一気に魔力を注ぎ込んだ。氷船の魔道機関が、もの凄い勢いで船底から水を吸い込む。
「えっ? きゃあああぁぁ――」
浮遊感とともに、氷船は一気に海底まで落下した。周りの海がすり鉢状に抉り取られ、なお氷船の船底から海水が吸い込まれていく。
アクセルパネルから足を離して、シフトレバーを前進に倒し、再びアクセルパネルに魔力を注ぎ込んだ
「そのまま、行っけええぇぇ」
『う、きゅう……』
強烈な重力がかかり、全員がシートに沈み込んだ。
氷船は、吸い込んで圧縮した水を、猛烈な勢いで後方に吹き出した。氷船は海底を爆発させながら、すり鉢状の海面を一気に駆け上がって、そのまま空を飛んだ。
一気に膨らんだ海底は、大津波となって周りに波紋のごとく広がっていく。それに赤褐色の城は無残にも飲み込まれていった。
そのまま数十キロの範囲を海水に飲み込んで水没させた。
津波が引き、抉り攫われた大地には、赤褐色の城が無かった。
ただ、一筋抉られた大きな溝が海底まで続いていた。
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