二十七話 魔獣の大群

「なによ……これ……」

 夏梛が漏らした呻くような声に、桃華は慌てて顔を上げて馬車の外を見た。

 いつの間にか、周りを大量の魔獣に取り囲まれていた。それも一種類ではなく何種類もの魔獣に。


『むっ、どうしたのだ』

 オルフェナも気がつかなかったのか、慌てて椅子の上に飛び乗ると、窓の外を見て目を見開いていた。


 本当に、多種多様の魔獣が、牙を剥いて威嚇しながら、馬車の周りに遠巻きに様子を伺っていた。

 ゴブリンにオーク、オーガなどの人型の魔獣だけでなく、シャドウウルフやフレイムボアなどの獣型の魔獣もいる。それこそ、島中の魔獣が集結したような、そんな規模の大群だった。


「どう……なっているのかしら」

 目を離していたのは、夏梛と話をしたほんの数分だ。夏梛が商館ダンジョンから出てくるまで、しばらくオルフェナと警戒していたけれど、何の気配もなかったはずだ。


『此奴らは、どうやら何者かに統率されておるな。

 明確な意思がないから、我も気配を察することが出来なかった』

「嘘でしょ、どう見ても狂っているようには見えないよ」

 夏梛とオルフェナが、それぞれ窓に張り付いて、周りの魔獣を睨み付けている。夏梛の右手には、既に桃色のワンドが握られていた。

 桃華も、いつものキャリーバッグを足下に喚びだした。


「オルフ、商館ダンジョンの中でみんなを守ってもらえないかしら。打って出るわ、こんなの気に入らない」

『むっ、この大群を二人だけでか? さすがに危険だ。推奨できぬ』

「お、おかあさん……?」

 沸々と、怒りが湧いてきた。


 せっかく家族みんなで楽しい旅行に出発したのに、初日からこれはさすがに悲しい。ここの島の主は、翼竜とは関係ないのかもしれない。

 でも、許せない。楽しい旅行を返してもらうわ。


『う、ぬう……。わかった、無理をするでないぞ。

 商館ダンジョンの家族は、我がしっかり守るから、重ねて言うが、無理をするではないぞ』

 桃華の異様な様子を察してか、オルフェナは桃華の瞳をじっと見つめると、馬車内後方の扉から商館ダンジョンの中に入っていった。

 それを見送ってから、商館ダンジョンへの扉を、マスター権限でロックした。これで、何があっても大丈夫。


「夏梛、広範囲殲滅魔法は使えるわね」

「あ、うん。使えるよ。でもこのまま外に出たら、襲われちゃうよ」

「大丈夫、心配いらないわ。ほら私の手を握って」

 おずおずと手を差しだしてきた夏梛に、桃華は優しい笑みを返した。そっと、夏梛の手を握る。



「さあ。誰を怒らせたか、思い知らせてあげましょう」

 そして、時が止まった。



 時間が停止した世界に戸惑っている夏梛を尻目に、桃華は馬車の扉を開けて外に出た。風がない世界で、桃華のドレスがはためく。

 少し高くなっている御者台に乗ると、周りを見回した。


 魔獣が一切の動きを止めていた。この世界で動けるのは、桃華と夏梛だけ。何一つとして、遠慮はいらない。

 ドレスの背中にある翼の模様に、魔力を流し込む。膨大な量の魔力が吸われていき、背中の翼が、片翼だけでも三メートルはある大きな翼が、目映いほどの白紫の光とともに顕現した。


 途端に、止まっている世界のはずなのに、全ての魔獣が桃華を中心に、まるで波紋が伝わるかのように、次々に倒れていった。

 翼から伝わる神気は、時間すらも超えて全ての生き物を跪かせる。


「おかあさん、すごい。これって時間が止まってる?

 それにその翼、すっごく綺麗」

「そうよ。夏梛は私と同調したから、一緒に動いていられるけれど、この世界の時間は完全に止まっているわ。

 他の人からしたら、一瞬の出来事ね。

 さ、もう一回手を繋いで。夏梛なら、全ての魔獣の魔石を一度に破壊できるわね」

「的が止まっているなら、簡単だよ。このまま撃てばいいの?」

 桃華は首を横に振った。

 首を傾げながら桃華の顔を覗き込んでくる夏梛に、とびっきりの笑顔を向けた。夏梛が一瞬息を飲んだのがわかった。


「このままでもいいけれど、時間を動かしてから撃って欲しいわ。

 せっかくだから、この魔獣をけしかけた不届き者に、私たちの力を見せつけてあげましょう」

「うん、わかった」

 お互いにうなずき合うと、桃華は時間停止を解除した。


 動き出した世界は、あまりにも非情だった。

 桃華の翼から発せられている神気が、魔獣達を再び襲う。

 見える範囲の全ての魔獣が、倒れたまま大きく身体を跳ね上げて、完全にその意識を飛ばした。自分が何故倒れているのか理解する前に、視界が闇に沈んでいく。

 


「いくよっ」

 夏梛がワンドを頭上に掲げた。

 複数の光の玉が、二人の周りに浮かんだ。その数六つ、全ての色が違っていた。


「六属性の同時操作なのね、すごいわ」

「えへへへ。じゃあ、一気に。えいっ」

 赤い光から、おびただしい数の火の玉が飛び出し、青い光からは濃い青に圧縮された水が弧を描いて飛んでいく。

 緑の光からは、可視化するほど研ぎ澄まされたかまいたちが、土色の光からは鋭い黒曜石の槍が顕れ、まっすぐに空気を切り裂いていく。白と黒の光からも、それぞれ光の玉と黒い何かが顕れ一直線に、倒れ伏している魔獣に向けて降り注いだ。


 断末魔の悲鳴を上げること無く、夏梛の魔法は正確に魔獣の魔石を貫いた。全ての魔獣が、瞬く間に魔石を砕かれていく。

 喧々としていた戦場は、あっという間に静まりかえった。既に、桃華達以外に動く物は無かった。


 それを見届けると、桃華は背中のに流していた魔力を止めた。翼が光の粒になって空中に消えていった。



「夏梛、お疲れさま。すごいわね、昔よりも魔法の精緻なコントロールが出来ているわね」

「いっぱい勉強したもん。ほとんどが、麗奈おねえちゃんに教えて貰ったんだけどね。

 最後の年なんて、教えることがないって笑われちゃった」

「羨ましいわ。私なんて、時間魔法以外は未だに生活魔法レベルの魔法しか使えないのよ。見て、未だに水流と浄化は得意よ」

「なんでかな、おとうさんもでしょ?

 でも普通に生活するだけなら、生活魔法だけで十分だよ」

 魔獣の死体の中から、素材として使えそうなものを、桃華がキャリーバッグに次々に収納していく。

 食材になるもの、篤紫が作る魔道具の素材になるもの。目に付く端から触れてキャリーバッグの中に入れる。そこはまさに、宝の山だった。


「あ、夏梛。そこにある魔獣はいらないわ」

「わかった、しっかり燃やしちゃうね」

 人型などの素材にならない魔獣は、夏梛が高温の炎魔法で消し炭すら残さずに焼き尽くしていく。

 血だまりは桃華が生活魔法の、水流と浄化を使いながら綺麗にしていった。水流で流し集めて、まとめて一気に浄化していく。


「それにしても、首謀者はいつ出てくるのかしら?」

「え、無理じゃないかな。おかあさんが出した翼で、魔獣がみんな気絶していたんだよ。犯人も一緒に寝ちゃったんじゃないかな。

 この島にいた魔獣が全部集まってきていたから、全部倒しちゃったもん」

 泥まみれになって、何だかわからない人型の塊を焼き尽くしながら、夏梛が首を捻った。

 二人で顔を見合わせて、戦場になっていた海岸を見渡した。


 夕焼けに照らし出された海岸は、魔獣が踏みつぶしてきた植物以外には、何も破壊の跡が見られなかった。

 唯一、馬車が落ちた辺りが、丸く抉れて海水で満たされている位だった。


「あ、やばい。おとうさんからメール来てるじゃん」

「あらあら、私のところにも来ているわ……ね」

 気づかなかったけれど、たくさんのメールが来ていた。桃華の顔が真っ青になった。


「そうよ。状況をメールするって、約束したのよね……」

 しばらく前に来たメールを最後に、篤紫の送信が止まっていた。殲滅の後、夏梛と一緒に後片付けをしていて、全く気がつかなかった。

 文面は怒っていないけれど、一時間前に来たのを最後に、それ以降メールが来ていなかった。

 これ、絶対に怒ってるわよね……。


「ほら見て、おとうさんわかったって。今は何か、氷の船を作ってるって、すごいよ。

 あと……え。こんなの反則じゃん……」

 桃華が顔を上げると、夏梛が目から大粒の涙を流していた。


「おどうさん、わだじのこと、許してぐれるっで……よがっだ……」

 涙声でスマートフォンを見つめている夏梛を、桃華は優しく抱きしめた。

「だって娘じゃない。嫌いになるわけないわよ」

「うん……うんっ……」


 泣きじゃくる夏梛の頭を優しく撫でながら、桃華は内心焦っていた。


 どうしよう、絶対に怒っている……。

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