二十六話 夏梛の気持ち

 夏梛が目を開けると、そこには天井が見えた。

 知らない天井だった。

 今朝馬車に乗って、篤紫の案内で商館ダンジョン部分を案内されたときに、夏梛の部屋だと言われた場所だと思う。


「確か私、泣き疲れて寝ちゃったんだっけ」

 横を見ると、二脚ある椅子には誰も座っていなかった。おかしい、椅子には確かカレラとリメンシャーレが座っていたはず。

 私が眠ったから、席を外したのかな――そう思いながら、視線をずらすと、二人が床に寝転がっているのが見えた。


「えっ、なになに。どうなってるの?」

 慌てて身体を起こして、ベッドから床に下りた。

 近寄ってみると、二人とも口から泡を吹いていた。目が半分開いていて、白目が見えていた。


 何これ、気絶してる。


 腰の辺りが濡れていることに気がついて、急いでクリーンの魔法を掛けた。手で触れた場所が、綺麗に乾いていく。最後に床も触れて、一通り綺麗にすることが出来た。

 このまま床に寝かせておくわけにはいかないけど、とても一人じゃ抱き上げられそうになかった。



 ここは、変身魔道具で変身するしかないかな。

 夏梛はベッドの横に置いてあったバッグから、桃色のワンドを取りだした。ワンドを前に掲げて、魔力を流した。

 ワンドの先端に付いている虹色の球体が回り始めて、虹色の光が溢れ出す。光は夏梛の身体を包み込んで、桃色のショートドレス姿に変わった。

 黒い髪が桃色に変わり、肩口から一気に腰まで伸びた。


 魔法少女スタイルは、身体が大きくなっても変わらなかった。


 夏梛は、ワンドを腰のワンドホルダーに収めると、床に横たわっているカレラとリメンシャーレを軽々と抱き上げて、夏梛の寝ていたベッドに寝かせた。

 二人の顔に耳を近づけると、浅い呼吸をしていた。

 とりあえず、大きな問題は無いと判断して、夏梛はリビングルームに向かった。



「えっ、シズカさん? ユリネさん?」

 リビングルームでは、シズカとユリネがテーブルの横に倒れていた。

 何か使えないか――周りを見回すと、入り口の脇でタカヒロがベッドに寝かされいていた。

 あんなところにベッドを出す事ができるのは、桃華だけだ。


 妖精コマイナが、台座で気絶して泡を吹いている。夏梛は、シズカとユリネを呼吸が苦しくならないように横向きに寝かせて、妖精コマイナもテーブルに敷いたハンカチの上に横に寝かせると、馬車に向かう扉に足を向けた。



「おかあ……うわ、綺麗……」

 商館ダンジョンから馬車に足を踏み入れた夏梛は、桃華の深紫色をしたロングドレスに目を奪われた。

 ドレスの背中には白紫色で、精緻な翼の模様が描かれている。さらに裾には、同じ白紫色で綺麗な模様が描かれていた。


 思わず見とれて、扉を開けたまま立ち尽くした。桃華が気がついて、椅子から立ち上がって夏梛の方を向いた。

 オルフェナも、椅子の陰から顔を出した。


「夏梛、気がついたのね。少しは落ち着いたかしら?

 篤紫さんから少し前に電話があって、無事は確認できたわ」

『ただ、少し困った事態になってはおる。翼竜と魔道馬が消滅して、得体の知れない島に墜落したのだが』

「はっ? 消滅って、あの大きいワイバーンが消えたの?」

 篤紫が無事なことは嬉しかったけれど、それ以上に翼竜が消えたことに衝撃を受けた。

 翼竜は分類上はドラゴンの亜種とされているけれど、夏梛からしたら立派なドラゴンだ。その翼竜が何らかの攻撃を受けて、消滅した。

 それも、夏梛が寝ていたほんの数刻の間にだ。


『正確には、上空にいた時だな。この島からの光の攻撃で、一瞬にして消滅したと言った方が良いか。

 いずれにせよ、ここには何か我々にとって危険な何かが隠されている可能性がある。全員の回復を待って、慎重に行動せねばならぬ』

「むしろ、篤紫さんに連絡した方がいいんじゃないかしら……」

 桃華の心配そうな顔に、夏梛は思わず首を捻った。何だろう、桃華らしくない。いつもの切れ者桃華は、なりを潜めている印象だった。

 それに、いま篤紫がどんな状態なのかわからない。


「待って、おかあさん。いま、おとうさんってどんな状況なの?

 連絡して、すぐ来てくれるくらいの距離にいるの?」

「そうね。時間はそんなに経っていないと思うけど――」

 そうして桃華から聞いた話に、夏梛は頭を抱えた。


 翼竜は、時速換算で三百キロ超えて飛んでいたらしい。

 時速三百キロは、夏梛でもその早さはわかる。一時間も進めば、三百キロの距離を進めるほどの速度だ。

 スマートフォンの時間で確認してみると、篤紫が落ちてから一時間半は経過していた。つまり、最低でも四百五十キロは進んでいる。


 どう考えても、篤紫はすぐに来ない。


「駄目だよ、おとうさんは呼べない。役に立たないから」

「……そう……よね」

『そうだな。今は呼ぶべきではないな。

 篤紫のことだ、今頃魔道具でも作っておるだろう』

「えっ、おとうさんって魔道具作るのやめたんじゃないの?

 仕事だって、どうせ何もしていないんでしょ? いつも、何もしていなかったじゃない」

 夏梛はびっくりして目を見開いた。思わず目つきがきつくなる。


 いつも学園が長い休みの時、カレラと一緒に家に帰ってきていた。その時いつも、篤紫は仕事をせずに夏梛とずっと遊んでいた。

 いつしか夏梛は、そんな篤紫のことを疎ましく思うようになった。仕事もせずに、いったい何をしているのか、と。


 卒業して帰ってきたときも、気を遣って早めに連絡を入れたのに、桃華の手伝いすらしていなかった。

 家に向かっていたときに、相変わらず街をふらふらしていたから、思わず怒鳴ってしまったほどだ。


「夏梛、それは違うわよ。篤紫さんは夏梛が帰ってくるときには、仕事を入れないようにしていたのよ。

 それに、魔道具は数を売ることが出来ないわ」

『そうだな。いまは全人類が魔法を使えるから、そもそもが魔道具の存在価値は低くなっておるな。

 その中でいま必要なのは、いかに人の心を動かす魔道具が作れるか、にかかってているとも言えるな』

 オルフェナの言葉に、夏梛は首を傾げた。

 桃華は小さくため息をついて、夏梛の知らない篤紫の姿を、ゆっくりと話してくれた。桃華から聞いた篤紫の話は、普段篤紫が絶対に夏梛に見せていない姿だった。


 そもそも魔道具は単価が高いので、需要も考慮すると売れる魔道具は少数だという。

 例えば明かりの魔道具なら、生活に必要なため定期的な需要はある。それでも、売れても数年に一個のペースだとか。


「実は、夏梛から卒業の連絡があった後、ちょうど魔道具の注文がたくさんあったのよ。

 あのとき、篤紫さんは急いで材料を調達して、夏梛が帰ってくる日のお昼まで魔道具を作っていたわ。

 その時の魔道具の売り上げは、二日で金貨二十五枚よ」

 夏梛は、目を見開いた。

 金貨二十五枚は、鉄貨換算で二千五百万枚。普通に生活するだけなら、一生何もせずに生活していられる金額だ。


「夏梛が帰ってきた日も、午後から一緒に買い物に行った港で、サラティに頼まれて魔道漁船の修理をしていたのよ。

 夏梛が帰ってくるから、絶対に夕方までに直すって、張り切っていたわね。

 篤紫さんの両親はずっと家にいなかったから、夏梛には辛い思いをさせたくないって、常日頃言っていたわ」

 なによ、篤紫のくせに、生意気だよ。思わず桃華から目をそらした。

 夏梛は唇をキッと噛んだ。勘違いしていたのは、自分だったんだ。父である篤紫の気持ちなんて、少しも理解できていなかった。



 夏梛は腰元のスマートフォンを手に持つと、まずマップアプリで現在地を記録する。そのあとメールアプリを開き、篤紫の宛先に位置情報を添付した。

 タイトルは、添付ファイルが目立つようにあえて書かない。少し考えてから、本文を打ち込んだ。


『おとうさんへ

 まずは、ごめんなさい。いつも仕事していないとか、酷い事ばかり言っていましたが、おかあさんからいっぱい話を聞きました。

 おとうさんが、街を良くするために沢山の魔道具を作っているって、知らなかった事がいっぱい聞けました。ごめんなさい。

 すごく、勘違いしていました。

 こっちは無事です。無事、合流できる事を祈っています』


 それだけ打ち込むと、篤紫にメールを送信した。


 太陽がだいぶ傾いてきていた。あと二時間もすれば、水平線に日が沈む。

 何気なく馬車の外に目を向けて、夏梛は思わず息を飲んだ。


 いつの間にか馬車は、多数の魔物に取り囲まれていた。

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