二十二話 氷の船

 メールアプリを起動させて、メールリストの一番上に夏梛からのメールが、新着のポップアップとともに強調されていた。タイトルはない。

 篤紫は恐る恐る、夏梛からのメールを開いた。


『おとうさんへ

 まずは、ごめんなさい。いつも仕事していないとか、酷い事ばかり言っていましたが、おかあさんからいっぱい話を聞きました。

 おとうさんが、街を良くするために沢山の魔道具を作っているって、知らなかった事がいっぱい聞けました。ごめんなさい。

 すごく、勘違いしていました。

 こっちは無事です。無事、合流できる事を祈っています』


 篤紫は、メールをそっと閉じた。お祈りメールですか。

 そもそも夏梛からの謝罪はいらない。実の娘なんだから、何を言われても気にしていなかった……いや、少しは傷ついたかな。

 そもそも今欲しいのは向こうの情報であって、夏梛の謝罪のメールじゃない。いや、嫌われていなかっただけ心底安心したけど。


 とりあえず夏梛に、メールの返信をしておく事にした。篤紫のいまの状況と、娘なんだから気にしなくてもいい、みたいな内容で送る。

 つづいて桃華に、そっちの状況教えて希望のメールを飛ばした。絶対に桃華は、わざと夏梛に送らせたはず。思わず現場の光景が浮かんだ。



「まあ、取りあえず向こうに命の危険はないという事か」

 当面の問題は、目の前の氷の船だろう。何だかさっきから、足下が寒い。というか、靴裏が凍って動けない。

 このままだと、お約束通り動こうとした途端に転んでしまう。


 篤紫は慎重に、ゆっくりとしゃがむと、腰元の紫魔道ペンを取り出した。甲板に対して追記で魔術を描き込む事にした。

 搭乗者は氷の影響を受けない。それから、船が壊れない、の二文を追記する事にした。


Passengers are not affected by ice.

The ship never breaks.


 ピリオドを打つと、スッと足下が軽くなって、しゃがんだまま前のめりに転ぶ。とっさの事に受け身が取れないまま、顔面から甲板に突っ込んだ。い、痛い……。


 しばらく悶絶して、甲板を転がった。



「気を取り直して、船の試運転をしないとだな」

 船倉、船室を一通り確認して特に問題がなかったので、いよいよ船を動かしてみる事にした。

 操舵輪を握って魔力を流し込むと、魔力機関が軽い振動とともに動き始めた。レバーを前進に入れて、アクセルペダルをゆっくりと踏み込むと、少しずつ前進を始めた。

 アクセルを緩めて、レバーを後退に入れて、再びアクセルを踏む。前進していた船は徐々にゆっくりになり、静止したところでアクセルを離した。


 想定通りの動きに、篤紫は安堵の息を吐いた。

 いや、逆にできすぎか。繰船者を限定させないと危険な事に気づき、慌てて船室に向かうと、壁に操船者台帳を作って、青銀魔道ペンで名前を書き込んだ。




 夕日がゆっくりと沈んでいく。

 甲板で魔力機関に背中をもたれつつ、桃華からの連絡を待っていた。かれこれ二時間、何度かメールを送るも一向に返事がなかった。


 海はずっと穏やかだった。

 馬車組と合流しないといけないのに、相手がいったいどこにいるのか分からない。現在地でも分かればいいのだけれど、まで考えたところでハッとした。

 慌ててスマートフォンのメールアプリを開いて、夏梛から来ていたメールを開いた。そこに添付ファイルがある事に気づき、頭が真っ白になった。


 やばい、既に場所の添付ファイル来ているよ……。


 背中を嫌な汗が伝う。スッと立ち上がると、両手でしっかりと操舵輪を握る。魔力を流しながら、アクセルを目一杯踏み込んだ。

 その瞬間、強烈な加速とともに船が空を飛んだ。とっさに操舵輪にしがみついた篤紫の目が、点になった。


 エ、ナニコレ……。


 魔道機関が吸い込んだ海水を、一気に後方に吐き出した。船首が持ち上がり、水面からまるでロケットのごとく飛び上がる。さらに空気も吸い込み、ぐんぐんと加速していく。

 慌ててアクセルから足をを離すと、急速に速度が落ちて、海面に向かって一直線に落下していった。

 海面に落ちた氷船は、激しい水しぶきとともに一旦海中に沈んだ後、船体が氷だったためか、一気に浮かび上がった。


 操舵輪にしがみついたまま、体中びしょ濡れになった篤紫は、呆然とした顔のまま大きく息を吐いた。

 空を飛んだよな。魔道機関の出力が、想定以上に大きい。時間を見て姿勢制御と、空力制御の魔術を描き込まないと、このままだと人を乗せられない事だけは分かった。


 篤紫は魔法で体を乾かすと、夕焼け空の下、今度はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。




 瞬間的に空を飛んだものの、無事着水した氷船は、南東に向けて海上を疾走していた。航行速度は五十ノットほど出ている。時速だと九十キロを超えたくらいだと思う。

 日が落ちて真っ暗になった海面は、全てが闇に沈んでいた。

 氷船が起こしている水しぶきが、静かな夜に大きな音を立てている。


 月がない空には、溢れんばかりの星が瞬いていた。空気が綺麗だからか、星がはっきりと見える。ざっと見た星の並びは、地球のものと全く同じに見える。

 操船しているのが氷の船でなければ、違う世界だとは思えなかった。


 マップアプリに目を落とすと、目的地まではまだ四百キロほどある。思いの外遠い事に、内心ため息をついた。

 いったい翼竜は、どれほどの速度が出ていたのだろうか。

 やっぱり海上移動だと想定以上に時間がかかる。ワープや飛行の魔法が使えれば楽だったと思うけれど、制御が危険なためか使える人がいない。




 島影が見えてきたのは、月が辺りを照らしてすぐの頃だった。

 速度を緩めながら、遠目に見ても大きい島に少し驚いた。徐々に大きくなっていく島は、近づくにつれて見上げるほどの岩壁だった。

 このままでは、上陸する事もできない。


 篤紫は少し考えると、スマートフォンの電話帳からオルフェナを選択して、電話をかけた。


『篤紫か、どこまで来る事ができたのだ?

 我々は今、海岸で待機しているところだ。思いの外早かったな、かなり距離があっただろうに』

「海岸があるのか? 今は切り立った岩壁の下だよ。陸伝いに迂回していけば、海岸にたどり着けるんだな。

 ところで、何で桃華はそっちの情報をメールしてくれなかったんだ?」

 船首の向きを変えて、陸伝いに氷船を進めた。月明かりだけだと心許ないので、船首に明かりの魔法を灯した。

 明かりが岩壁の中程までを不気味に照らし出す。


『すまんな、余計に心配かけたのかもしれんな。

 遠く離れた篤紫が慌てるといけないから、我が止めたのだよ。位置情報さえ送れば、篤紫ならここまで来る事ができるはずだからな。

 どうやってこっちまで来たのかは分からぬが、さすが篤紫だな。

 詳しい話は、合流してからの方がいいだろう』

「わかった、少し待っててくれ」

 しばらく陸伝いに船を進めると、岩壁が切れて海岸が見えてきた。


 そこで一旦、氷船を止めた。

 このまま行くと、船が座礁してしまう。向こうは海岸にいるのだから、船首の明かりが見えているはず。

 船は岩壁に横付けした方がいいな。


 篤紫は、岩壁の縁に向けてゆっくりと後退していった。


 ガガガガッ――。


 もう少しで接岸できるところで、派手に何かが破壊される音とともに、氷船がいきなり静止した。

 あー、氷船大きいからな。不壊処理してあるから、海中の岩壁を破壊したのか。岩壁を破壊できる船って、すごいチートだな。

 ついでなので、もう少し後退噴射をして、しっかりと接岸させた。当然、さらに派手な音とともに、海中の岩壁を削る事になった。


「おとうさんっ!」

 声がした方に視線を向けると、夏梛が魔法で岩壁に道を作って来るところだった。


 そのまま目を見開いてしまっている夏梛に、篤紫は大きく手を振った。

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