二十一話 絶海
呼吸を忘れていたのか、篤紫は息が苦しい事に気がついて、大きく空気を吸い込んだ。肺いっぱいに酸素が供給されて、頭がはっきりとしてきた。
視界が戻ってくると、空中を落下している最中だった。
風が轟々と唸りを上げて耳元を過ぎていく。
篤紫は自分が気絶していた事に気がついた。きりもみ状態で落下しているため、上下の感覚が全く掴めない。大海原と大空が、視界を次々に過ぎ去っていく。
「くっ……! に、虹色魔道ペン、来いっ」
篤紫は念じた。
帰還登録はしてある。通常の状態ならば、手元に戻ってくるはず。ただ、今は虹色魔道ペンはホルスターに収められて、さらに次元収納の鞄の中に入っている。
果たして、手の中に何かが顕れた。
必死に握り、魔力を流した。
虹色の光が握った手の中から迸った。
光は篤紫を包み込んで、姿格好を変えていく。髪が深い紫色に変わって、顔に張り付いてきたので空いた手で慌ててどかした。だが再び髪の毛が顔に張り付いた。ちくしょう。
深紫色のロングコートが顕れたところで、ロングコートに魔力を流した。篤紫の背中に翼が大きく広がって、一気に空を掴んだ。
ずっと回転していた体が止まって、広げた翼が風を受けて空に舞い上がった。それもつかの間、再びゆっくりと降下が始まる。
飛ぶ練習は、一度しかできなかった。
神気の関係で、翼を広げられる場所がなかったのもある。そして練習したときに一度だけ、翼の力だけで空を飛ぶ事ができた。
翼を体の一部だと思い込んで、末端の先まで魔力を通すイメージで、力強く羽ばたいた。
グンッと体に重力がかかった後、再び空に舞い上がった。
辺りは一面に大海原だった。
島影一つない、まさに絶海だった。篤紫は翼を羽ばたかせながら、思わず目が点になった。
そもそもあの翼竜は、どこから来てどこに向かっていたのだろうか?
あの内陸部から、わざわざこんな大海原へ馬車を攫う理由が全く見当が付かなかった。餌として攫ったのなら、どこかの山に連れ去るだけで良かったと思う。
あの島、日本列島だけでも、竜の巣と呼ばれる山はかなりの数があったはず。昔シーオマツモ王国にある大図書館で調べ物をしていたとき、主要な山はほとんど竜が支配していた。
あの富士山ですら、麓から青竜の生息が確認されていたみたいだし。
「あ……マップアプリが使えるんだったか」
ふと思い出して、腰元のスマートフォンをたぐり寄せた。画面を点灯させて、アプリリストの中からマップを起動させる。
案の定、一面真っ青だったので、縮図を変更して広い範囲が見えるようにした。かなり縮小したところで、ここが太平洋のど真ん中だという事が判明した。
「とにかく、近くの島でも探さないと駄目だな」
マップ検索で近くの島――とかできればいいのだけれど、そもそも繋がっているネットワークはインターネットじゃない。
例えば検索をかけたとしても、この世界の生き物が認識している結果しか反映されていないので、人跡未踏の絶海にあるだろう無数の島は、検索にすら引っかからない。
そもそも方位は確認できたけど、翼竜が飛んでいった方向はさっぱり分からなかった。
しばらくマップアプリを触っていたものの、近海に何も見つける事ができなかったため、諦めてアプリを閉じた。
しかし、困った。完全に海の真ん中で、見える範囲に島影すらない。
それに翼竜に連れ去られた馬車組も、どうなっいるのか気になる。
取りあえず、桃華にでも電話をかけてみるか。電話帳から名前を探して、通話を選択した。呼がび出しのコール鳴りはじめただけで、すぐに電話が繋がる。
「あー、もしもし?」
『篤紫さんっ! 無事なのね。今どこなの?
それよりも今、私と夏梛、あとオルフ以外が全員気絶しちゃったの。どうなってるの?』
篤紫は思わず頬を掻いた。しまった、翼のせいで神力が漏れているのか。
正直、神力が何なのか全く分かっていない。ナナナシア・コアに電話したときも、向こうの神力がダダ漏れだったから、押さえようとして押さえられるものじゃないのかもしれない。
「こっちは海のど真ん中かな。島影も見えないから、どっちに行っていいのか分からない状態だよ。
気絶はごめん、俺のせいなんだけど今は電話を切るまでどうしようもないと思う。なぜかこの間、変身魔道具が覚醒したんだよ」
恐らくこのままだと、あと数時間もすれば日が落ちる。正直、何とかしなければとは思っていた。翼を出したままだと、満足に電話もメールも使えない。
『何となく様子は分かったわ。
こっちからメールを送る分には、たぶん大丈夫なのよね。後で詳しい状況を送るけれど、こっちはみんな無事だから安心して』
それだけ言うと、桃華は電話を切った。
ゆっくりと、海に向けて降下していった。
海面すれすれまで下りると、海の水面に手を伸ばした。少しドキドキしながら、海面に対して魔法のイメージを流した。
運がいい事に、穏やかで静かな海に、篤紫の魔力が流れ込んでいく。
海面が篤紫を中心に円形に凍った。氷の上に両足を付けて、さらに魔力にイメージを乗せて流し込んだ。
足下の氷が篤紫を乗せてせり上がる。そのまま長方形に展開していき、片方の先が尖っていく。さらに大きく浮き上がって、瞬く間に氷の船ができあがった。
さらに、そのまま右手に握ったままだった虹色魔道ペンで、氷の船に魔術話描き込む。
絶対に溶けない氷。それだけを急いで描き込んだ。
Ice that never melts.
ピリオドを打つと、氷の船が一瞬だけ光った。
篤紫は安堵のため息を漏らした。着ている衣服のおかげで、どんな環境でも問題なく過ごす事はできる。ただ、さっき場所を確認したときに、かなり南方にいる事は分かった。
急がないと暑さで、せっかく作った氷が溶ける恐れがあった。
「しまった、推進装置と舵取り装置を作ってないじゃないか……」
今なら、変身して翼が出ている状態なら、ここからの加工も可能か。
そのまましゃがみ込んで、甲板に手を置いた。
イメージは、つい先日修復したコマイナの中、南都市区にあった魔道船の機関部分。水流ジェットが出るのは前後だけでいいだろう。前二カ所、後ろに四カ所のイメージで水流機関を組み上げた。
操舵には操舵輪で舵を動かす仕様にして、操舵輪を水流機関に取り付けて、操船しながら魔力を流せるようにした。
水流の前後切り替えレバーに、足下に左右独立して水流弁を開く事ができるペダルを二枚設置した。
イメージが具現化していく。
船の真ん中に機関部がせり上がり、後部に操舵輪、レバー、ペダルが氷で形作られる。ついでに、座って操舵するための椅子もせり上げる。
あとは、魔術を刻み込めば完成か。
描き込むのは以前修理したときと同じ、 水を吸い上げて開いたパイプに水を流す。 それから、魔力は操舵輪から流れている間だけ、機関部に供給する。この二点か。
Soak up the water and pour it into the open hole.
If magic flows to the steering wheel, the magic is supplied to the engine.
ピリオドを打つ。せり上がった機関部が一瞬光り輝いた。
操舵と前後切り替えレバー、アクセル弁は機械的に繋いであるから、あとは操舵輪に魔力を流すと動いてくれると思う。
そこまでやって、篤紫はふと右手を見た。やばい、これ虹色魔道ペンじゃないか。もしかして、チート船舶を作ってしまったのかもしれない……。
翼をしまい、変身を解除してから、篤紫は大きくため息をついた。
鞄を喚んで、ホルスターを腰に巻き、魔道ペンをペンホルダーに差し込んだ。鞄をホルスターのサブポケットにしまう。
もう、ホルスターは腰回りに装着したままでいよう。
腰元のスマートフォンが、メールの受信を知らせてきた。
メールの差出人を見たら、夏梛からだった。
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