十五話 キングの嫁さん(天使)

 馬車もどきの走りは、すこぶる快適だった。

 御者台の専用シートに座った妖精コマイナが、楽しそうに身体を揺らしている。篤紫が操舵輪を操作している隣では、妖精クロムが翼を小さくたたんで嬉しそうに、姉である妖精コマイナを見つめていた。


 篤紫は運転しながら、思わず笑みを漏らした。

 馬車もどきは、まるで車だった。操舵輪の足下には、パネルが二枚並べられていて、それぞれが魔力を通すことによってアクセルとブレーキの役目を果たしていた。

 アクセルに魔力を流して加速させると、けっこうな速度が出た。体感で三十キロくらいは出ているだろうか、通常の馬車の倍近くは速度が出ていることになる。


 人通りが見えてきたので、ブレーキを踏んで減速した。すれ違う人々が、馬のいない馬車に一瞬何事かと振り返るも、御者台に座っているのが篤紫だと確認できると、何事もなかったかのようにまた歩き始めていた。

 もっとも、隣に乗っている妖精クロムに気づいて、慌てて二度見している人もいたのだけれど。


「賑やかですね。初めて外に出ましたが、こんなにもたくさんの人がいるのですね」

 妖精クロムが感嘆の声を漏らした。確かに昨日、今の姿に産まれ変わったのだから、全てが初めてなのだろう。

 専用席に座っていた妖精コマイナが、身体ごと振り返った。


「甘いですよ、クロム。ここは西の街区画ですから、南の街はこの倍以上の人かがいますよ。

 まだ出発まで猶予がありそうなので、私が明日にでも案内してあげます」

「はい、お願いします。コマイナ姉様」

 行きに二時間かかった行程を、帰りは四十五分程の時間で、白崎魔道具店まで帰ってくることができた。馬車もどき、恐るべし。

 量産の見込みがないため、魔道具としての自動車の製造は控えていたけれど、これだけ早く動けるとなると、少し欲が出そうになった。


 馬車の構造上、後退はできないため、妖精コマイナに断りを入れた後に、軽量化の魔術を描き込んだ。ゆっくりと手で押しながら、後退させて店の横に駐車させた。




 家に入ると、桃華達はまだ出かけたままのようだ。家の中は静まり返っていた。

 妖精コマイナと妖精クロムを家に上げると、とりあえずお茶を入れた。


「それで、本当にその羽を翼に変えるのか?」

 ストローでお茶を飲んでいた妖精コマイナは、無い胸を張って背中の羽を大きく広げた。

「もちろんです。クロムの姉たるもの、背中に生えているのが蝶の羽じゃ示しがつきませんから」

「そうは言うが、神晶石基準で言えば、長女は夏梛だぞ? 夏梛は、そもそも何も生えていないんだけどな」

 大きく胸を張っていた妖精コマイナが、目を大きく見開いて呆けた顔になった。


「え、夏梛様って……神晶石をお持ちなのですか?」

 夏梛は桃華が産んだ子だけど、神晶石があることは確認できている。ナナナシア・コアも間違いないって言っていたし。

「そういう意味では、メタヒューマンの体内にある魔晶石は、みんな神晶石に近いものらしいけどな」

「ふええぇぇ、知らなかったです。じゃあ、やっぱり私の羽はこのままでいいです」

 妖精コマイナは、机の上にへたり込んだ。

 まさか自分が次女だとは思っていなかったようで、何だか気が抜けたような顔をしていた。代わりに、自分に他に姉妹がいることを知った妖精クロムは、嬉しそうに顔をほころばせた。


 しばらく待っても桃華達は来そうになかったので、ルルガ鍛冶工房で魔道馬の様子を見つつ、アイアン・ダンジョンのキングを訪ねることにした。





 アイアン・ダンジョンの入り口は、最初に入ったときと変わっていなかった。相変わらず苔むした門があって、地下へとと続く洞窟が大きな口を開けていた。


 ここまでの来る行程の途中で、飛び疲れたコマイナは、篤紫の胸ポケットの中で寝息を立てていた。さすがにこの小さな身体で、二時間の飛行は不可能だったようだ。


 午前中に、白亜城から乗ってきた馬車もどきは、馬なしだと目立つため家の横に停車させたままだ。

 ちなみに肝心の魔道馬は、失敗して作り直していたら材料が足りなくなったようで、原料の調達を頼まれていたりする。

 アイアン・ダンジョンの五十四階層の、オルトロス族が作っている素材らしいけど、説明を聞いても何だか分からなかった。階層ごと魔獣の種族と特産品が違っているようなので、行けば分かるはず。


 篤紫の隣で、妖精クロムがアイアン・ダンジョンの大きな門を見上げて、目をキラキラさせていた。


「自分がずっと過ごしてきたダンジョンを、外から見るのは初めてです。すごく新鮮に感じます」

 妖精クロムは、ここアイアン・ダンジョンのダンジョンコアだった。

 ずっと、このダンジョンの最下層で、ダンジョンマスターの相棒としてアイアン・ダンジョンの維持と管理をしてきた。

 その任から解放された今、自分の足で立って外から見るダンジョンは、感慨深いものがあるのだろう。


「キングに会いに来たんだろう? 中に入ろう」

「はい、篤紫様。キングの居場所は把握していますから、ここからは私が案内しますね」

 三人は、アイアン・ダンジョンに足を踏み入れた。




 一階の洞窟フロアを抜けて階段を下りると、そこには家が建ち並ぶ町の風景が広がっていた。

 大通りがまっすぐ、次のフロアに続く階段まで延びていて、等間隔に街路樹が植えられていた。街路沿いには露天が立ち並び、様々なものを売っている。見た目だけなら、人間族の町そのものだ。

 町にはそこかしこにゴブリンがいて、見るからに文化的な生活をしている。


  緑色の肌に尖った耳、顔は小さめの童顔だ。顔は特に醜くなく、服装もみんな違った色のシャツやズボンを履いている。ゴブリンにしては妙に小綺麗だ。

 何人かのゴブリンが、イメージ通りの醜い顔の小ゴブリンをつれて、通りを往来している。

 いつ見てもこの光景は、不思議に感じる。



 近くの露天で果物を売っているゴブリンが、篤紫に気がつき手を振ってきた。相変わらず、不思議な色の果物を扱っている。

『今日は奥様と一緒じゃないんだな。隣にいるのは新しい奥様か?』

 真っ赤な、梨のような果物を手渡してきたので、篤紫は思わず受け取ってしまった。甘い、なんとも言えないいい香りが一緒に流れてきた。


「まさか、うちの娘のクロムだよ」

「アインゼルさん、こんにちは。こうやって顔を見ながら話をするのは、初めてですね。

 一昨日の話ですが、八十七階層のアルラウネさんたちが、新種の虹色オレンジを作り出せたみたいですよ。行ってみてはいかがですか?」

 妖精クロムの言葉に、ゴブリンの動きが止まった。ゴブリンは妖精クロムの顔をまじまじと見つめると、首を横に傾げた。


『あんた、なんで俺の名前を知っているんだ?

 いや、それよりアルラウネ族の新種の話は本当なのか? 急いで仕入れに行かなきゃじゃないか』

 言うが早いか、あっという間に露店を畳むと、カートを引いて大通りを駆けて行ってしまった。

 あまりの行動の早さに、苦笑いを浮かべるしかなかった。



「やっぱり、詳しいんだな」

「はい。ここの中のことは、全部見えていましたから。

 キングのおかげで、みんな優しい魔獣ばっかりなんです。ほんとに、直接話ができるようになるなんて、夢のようです……」

 大通りの途中を曲がって、キングの家に向かって広めの横道を歩いていた。出会うゴブリン全てに声を掛けていた妖精クロムが、笑顔のまま瞳に涙を浮かべていた。

 ダンジョンコアを生体化させて、本当に良かったと思った。


 程なくして、キングの家が見えてきた。いつも、どうやって感づいているのか知らないけれど、玄関の前で二メートル程のイケメンゴブリンキングが、腕を腰に当てて仁王立ちしていた。


「あ、てめぇ。ふざんなよ、篤紫。何でオレが魔獣辞めなきゃなんだよ。

 どうせてめえのやった事なんだろ? ルルガに対する当てつけか、俺を追い出そうって魂胆かよ」

 風が、篤紫の横を駆けていった。

 妖精クロムが、翼を広げてキングに向かって羽ばたいていった。そのまま、正面からキングに抱きついた。


「やっと……会えました。私の大切なキング……」

「はっ? ……なっ、てめ。グギャッ?」

 反射的に腕を回して抱きとめたキングが、状況が分からずに目を白黒させていた。


 おめでとう。


 たぶん妖精クロムは、一番近くでずっと、キングの事を見ていたんだと思う。魔獣から魔族に生まれ変わったキングの、お嫁さんだよ。

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