十話 夏梛の帰宅
原因が分かれば、後は同じ作業を繰り返すだけだ。
さすがに最新鋭の魔道漁船だけあって、錆びていた魔道機関さえ何とかできれば、後は問題なく稼働した。むしろ、壊れる前よりも調子が良くなったという声が多かった。
喜色一面の様子で歩いているサラティと、篤紫に対して崇拝するような視線を向けるようになったレナードを引き連れて、二時間ほどかけて全ての魔道漁船の修理を終えることができた。
さすがに全てが終わる頃には、時刻も夕方にさしかかっていた。
「本日は、本当にありがとうございました。今回の修理に関しましては、後日また改めて、報酬をお渡しします」
ピンク色の箒の魔道具を、両手で大事そうに抱きかかえながら、レナード真面目な顔で告げる。そんなレナードの姿に、篤紫は苦笑いを浮かべるしかなかった。
箒の魔道具は結局、二人に一本ずつ渡すことになった。サラティの手にも箒の魔道具が一本握られている。
三人はそれぞれに帰るために港を離れて、湖畔沿いの道を北上していた。
程なくして、新スワーレイド城庁舎が見えてきた。
「ありがとう、篤紫。これで明日からみんなの食卓に、ちゃんとお魚を届けることができるよ。
実はダメ元で、引退させていた帆船を引っ張り出してきて、無理矢理に操業していたんだよ。解体しちゃった帆船も多かったし、本当にギリギリだったんだ。本当にありがとう」
新スワーレイド城庁舎の前に着いたところで、サラティとレナードが二人揃って、深々と頭を下げてきた。
篤紫は慌てて二人に頭を上げて貰った。
「俺は今、できることをしただけで、何も特別なことはしていないよ。
そもそも先に、スワーレイド湖国のみんなが、俺たち家族を受け入れてくれたからこそここに無事にいられるんだ。
そんなに改まって頭を下げられると、逆にこっちが恐縮しちゃうよ」
「それでもだよ。私はこの国の魔王をやっているんだから、国民の生活って本当に大事なんだからね。
篤紫も大事な国民だよ。お礼を言うのは、当たり前じゃないか」
「そうですよ。奇跡の魔術師様が、何をおっしゃっているのですか」
「……あの、レナードさんは名前で呼んで?」
そんな二人とスワーレイド城庁舎で別れると、篤紫は大通りを家に向かって歩きだした。
歩きながら、港で魔道漁船の修理をしている間に感じた違和感に、少し思い悩んでいた。
実は今回、魔術という技術が、一般にはあまり理解されていない事にびっくりさせられた。レナードはともかく、話をした殆どの人が魔術文字を、便利な道具に書かれている謎の文字、程度にしか認識していなかった。
実は魔術は魔法と違って、魔術文字を使って魔法現象を起こすため、けっこうな制限がある。
まず、あらかじめ道具や紙などに、魔術文字を描き込んでおかないとならない。文字を空中に書くことはできないし、魔術文だけを口頭で口ずさんでも何も現象が起きないんだ。
むしろ魔法の方がイメージで発動するし、当然だけど魔法は無詠唱だから、魔術が得意な篤紫でさえ、普段は魔法を使う。
そしてその描き込んだ対象に、魔石の魔力を充てるか、自身の魔力を流し込む事で、初めて魔法として発動する。
魔法がイメージだけで即時に発動させることができるのと比べても、準備の段階から、格段に時間と手間がかかるのが、魔術の欠点だとも言える。
さらに問題になるのが、基本的に接地している状態では、魔術を描き込む事ができない。手に持っていても、魔術文字を描き込む時には接地判定される。
専用の魔道台、若しくは魔道布を敷いた上に対象を乗せて、初めて魔術が描き込める。
もし、それなしで描き込んだ場合には、描いた文字が溶けて流れ、大地に吸い込まれてしまうから、いつまで経っても魔術が描き込めないわけだ。
実は篤紫は普段から三本の魔道ペンを持っているのだけれど、ミスリル製の青銀魔道ペンがその接地判定に引っかかる。
ただ残りの紫魔道ペンと虹色魔道ペンは、それぞれがダンジョンコアとニジイロカネで作られているため接地判定を無視することができる。つまり、相当特殊なものだったりする。
魔術に対するその辺の常識も、一般には全くと言っていいほど知られていなかった。
サラティとレナードにも、普通は現場で魔術を描けないことを、何度も説明してやっと理解してもらえたほどだ。
シーオマツモ王国の魔術技師が、魔道漁船の修理の目処が立たない理由や、オオエド皇国が修理派遣を渋っていた理由を、やっとのことで理解してもらえた。
本来なら、修理のためには魔道漁船を陸に揚げて、さらに魔道台か魔道布の上に乗せないといけない。つまり、動かない船を丘に上げることは、事実上不可能だったと言うことだ。
そもそもが魔術文字を描き込む作業も、一般的には今回の魔道漁船は、描き込まれていただろう魔術文字の数が多く、その魔道具としての規模も大きい。
制作にも普通ならば数ヶ月、若しくは数年規模の時間がかかるだけでなく、たくさんの魔術師を動員させてやっと作れる規模のものだ。
午後に寄った魔道具屋の、それこそ受け売りみたいなものだけど、その辺もじっくりと説明して、理解してもらえたと思っている。
最後に浮かれていた二人を思い出すと、今となってはあまり自信はないけれど……。
「あ、おとうさん。こんな所で何してるのよ? 意味分かんないんだけど。
今日の夕方帰るって、先に連絡してあったはずなのに、ブラブラとこんなとこにいるって事は、夕飯の準備は全部おかあさんに任せっきり?
信じられない。そうでなくても普段から仕事していないのに、家事すらも手伝えないの?」
急に声が聞こえて、ギョッとして横に振り向くと、夏梛がいて篤紫のことを冷たい目で睨んでいた。心なしか、夏梛の黒く長い髪の毛が、逆立っているようにも見える。
夏梛がマスコットのように、いつも通り抱きかかえている羊のオルフェナも、あまりの勢いにだんまりのようだ。
篤紫の思考が停止した。
俺、今何してたっけ?
「ねえ聞いてるの? 一丁前に、無視までするようになったの? 信じらんない。サイテー。
どうせ買い物すら、一緒に行っていないのでしょ。今の時間にこんな所にいるんだもんね。何でこんなふうになっちゃったのかな」
「えーっと……うん?」
篤紫が言い淀んでいると、夏梛は抱えていたオルフェナをカレラに手渡した。
「急いで帰らなきゃだよ。
カレラちゃん、悪いんだけど先に行ってるね。ゆっくりでいいから、シャーレも一緒に連れてきてね」
夏梛は篤紫を強く睨むと、走って行ってしまった。
「……えと、ごめんなさい?」
篤紫は既に行ってしまった相手に、取りあえず謝っておいた。
五年前、夏梛が隣国の魔道学園に行った頃から、何故か篤紫に対する態度が硬くなった。
もともとスローライフというものを体験してみたかったから、今の家に引っ越して桃華とゆっくり過ごしていた。そこに、半年ぶりに帰ってきた夏梛が、何かにキレたようだ。
そのときは、言いたいことだけ言って部屋に閉じこもってしまった。
顔を合わせて話しかけてもそっぽを向かれ、桃華に代わりに聞いて貰っても何も問題ないと言われて、首を傾げるしかなかった。
魔道学園は楽しいみたいだし、向こうでもシーオマツモ王国の女王である、リメンシャーレ女王の城で楽しくやっていたらしい。
隣のタナカ家の一人娘であるカレラも一緒に学園に行っているので、この世界の成人年齢でもある十五歳までの間、義務教育の代わりに行って貰ったのだけれど……俺の扱いが何か、腑に落ちない。
「お久しぶりです。えと……おじいさま?」
そしてそのリメンシャーレ女王陛下が、目の前に来ているのは何故なのか。
リメンシャーレは少しだけ複雑な血のつながりがある。篤紫の妻である桃華の、その妹の子が鳴海麗奈。その麗奈が、リメンシャーレの実の母親にあたる。
桃華の妹夫婦は地球にいた頃に既に亡くなっているので、篤紫と桃華は、麗奈を二人目の娘として本人了承のもと受け入れた。
その時点で、麗奈の娘であるリメンシャーレは孫になったわけで――。
「……えと、違和感がないのならいいけど、今まで通り篤紫でいいよ。
それよりどうしたんだ。女王陛下は忙しいんじゃないのか?」
「それでは、篤紫さんで。実は凄く違和感がありました。ふふふ」
そう言いながら、リメンシャーレは柔らかく笑った。
「実は私、女王は五年前に退位しているのです。母上がもう一度、女王に即位されて、今は楽しそうに執務に励んでいますよ」
「ええっ、嘘だろ……あの麗奈が?」
「本当なんですよ? 北極からもたくさんお友達を連れてきて、魔導城も一気に賑やかになりましたから。
おかげで、夏梛さんとカレラさんと一緒に、私も魔道学園に通うことができました」
親が知らないところで、そんなことになっていたのか。
でも、それが何で今回一緒に来たのだろうか?
「あの、篤紫おじさん? 取りあえず……家に向かいませんか?」
オルフェナを抱きかかえて、苦笑いを浮かべたカレラが、遠慮気味に提案してきた。確かに、早めに家に向かわないと、それでなくても怖い夏梛が、さらに鬼になってしまうはず。
「夏梛ちゃん、篤紫おじさんと会うのを、とっても楽しみにしていたんですよ」
歩きながら、カレラの口から聞き捨てならない言葉が耳に入ってくる。
『そうだな、いつも同級生に自慢もしておったな』
カレラの腕の中にいるオルフェナまで、さっきの姿からは信じられないような言葉が飛び出してきた。
「そうですよ。コマイナの街で魔道具店をやっていて、いっぱい魔道具を作っているんだ、って。
何年か前に魔道具科を選択したときも、勉強できることを嬉しそうしていましたから」
でも待って、話を聞いていると何かが引っかかる。
夏梛はもしかして、今の俺に幻滅している?
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