九話 奇跡の魔術師

「こちらが、問題になっている船の魔道機関になります」

 目の前の錆に覆われた丸い物体に、そっと触れてみる。触る端から錆が崩れていって、手を真っ赤に染めていった。

 どうしてこんなになるまで、錆びるに任せていたのだろう?

 そもそもが部屋の中の湿度が異様に高い。これでは、金属に対して錆びろと言っているようなものだが。


「一つ聞きたいんだけど、どうしてこんなに錆びるまで、誰もメンテナンスしなかったんだ?」

「あの……サビって何ですか……?」

 その場にいた三人が、一斉に首を傾げた。互いに顔を見合わせて、横に首を振っているのを見ると、本当に知らないようだ。


 錆に包まれた丸い物体からは、床に向かってたくさんのパイプが伸びていることから、目の前にあるのが魔道機関であることがはっきりと分かった。

 しかし何故、主要な機関に錆びやすい材質を使っているのだろうか。そもそも周りを見回しても、除湿するための換気設備がない。

 篤紫は、盛大にため息をついた。


「サラティ……いや、レナードさんの方がいいか。

 この手の船は、普段から換気するなりして、日常的な点検が必要不可欠だと思うんだ。ここの環境は、金属に対してあまりにも悪すぎる。

 もしくは定期的なメンテナンスのために、ちゃんとそれ別の部署なりを立ち上げてあるのか?」

「いえ。その部分に関しては、詳しい補足がされていなかったので、シーオマツモ王国から魔道技師の派遣をしてもらって、稼働チェックをしてもらっていただけですが……」

 篤紫は額に手を当てて、天井を仰いだ。

 確かに旧スワーレイド湖は、淡水湖だった。淡水であれば、多少の錆対策を施しさえすれば、それ程深刻に錆びることはないはずだ。

 それに対して、現在のスワーレイド湖は、塩水湖だ。となると、塩分によって錆びやすくなる。確か海辺の潮風には、塩分が含まれていたはずだから、錆びやすい金属部分はちゃんと真水で洗ってあげないと、すぐに錆が浮いてくる。


 もっともそれ以前に、サラティ達に錆が何か分かっていない感じだ。


 それにレナードの話だと、製造元のオオエド皇国から、管理責任を問われたと言っていた。

 正直俺も思う、これは管理不備なだけだ。


 船を納めて貰った時に、その辺の説明がなかったとしても、掃除やメンテナンスをしないのはただの怠慢だよな。

 もっとも、内陸部に広大な塩湖――湖面面積からすると、既に海と言ってもいいのだけれど――があるなんて、オオエド皇国側でも想定していないのかもしれない。


 まあ、ここは淡水湖の湖畔にあるダンジョンの中だから、想定する方が難しいとは思う。


「とりあえず、この球体が魔道機関で間違いないんだな?」

「はい、そう聞いています」

 レナードの言葉に、船長も首を縦に振る。これは、完全にメンテナンスフリーにしておかないと、またすぐに詰むな。

 そもそも、普段のメンテナンスは船長を初めとした、搭乗者全員の責務だと思う。機関部があって初めて船体が動くのだから、こんなに錆びまみれになるまで放置するなんて、本来あってはいけないことだ。


「まずは、錆取りからだな」

 肩掛け鞄を喚び出して、その中からホルスターを取りだして腰に巻いた。

 そのまま肩掛け鞄を、ホルスターのポケットに収納する。その時点で、見ていた三人が目を丸くしていた。

 さらにホルスターのポケットから、今度は箒の魔道具と魔石を取りだした。

「うわぁ、素敵……」

 穂先が桃色になっている箒の魔道具に、サラティが反応する。サラティには、あとで一本進呈しよう。その横でレナードと船長が、顎が外れそうなほど口を開けていた。


「少し離れていて欲しい」

 箒の魔道具の柄に魔石を嵌めて、錆びた球体の表面を軽く掃いた。箒の魔道具が撫でた部分が元の鉄色に戻り、錆が箒の穂先に吸い付いて穂先が赤く染まった。

 よかった、錆を汚れだと認識してくれたみたいで、錆を取り除くことができた。想定外だったのが、触れた部分の錆が、最初から無かったことになったことか。


「あ、あの……篤紫さん。それはいったい、何ですか……?」

 相変わらず三人揃って、篤紫の作業に見入っている中、レナードが箒の魔道具をじっと見つめてきた。

「すごいですね。あっという間に、綺麗になっちゃったじゃないですか。

 魔道具ですか? それを、どこで購入されたのですか?

 可能であれば是非、入手経路を教えて貰いたいのですが――」

 篤紫が持っている箒が、魔道具だと言うことに気がついたらしい。レナードが異様に興奮して、ものすごい勢いで箒の魔道具のそばまで寄ってきた。


「……れ、レナード? 待って。ストップ、レナード」

 サラティが慌てて駆け寄ってきて、レナードを箒から離した。

 何だか、レナードの顔が紅潮しているように見える。視線の先は、どうやら篤紫の持っている箒の魔道具のようだけど……。


「落ち着いてよ、レナード。それ悪い癖だよ。

 何でも新しい魔道具を導入しようとするから、今回の問題に繋がったんだよ?

 篤紫もごめん。レナードって魔道具が大好きだからさ、タカヒロから引き継いで宰相になってからは、街のみんなに生活の質を向上して貰おうと、最新の魔道具をあちこちから取り寄せているんだよ」

 篤紫は自分が手に持っている箒の魔道具を、改めて見てみた。

 確かにこれは魔道具だ。自分としては簡単に便利道具を作った感覚だったけれど、今日の午後から魔道具屋を覗いて分かったことは、これは確実にチート魔道具だ。

 もし仮に、生活魔法の浄化を使ったとしても、錆は落ちない。


 篤紫は、持っていた箒の魔道具をレナードに手渡すと、魔道機関の前にしゃがみ込んだ。

「うぇっ、はははは……これが。何でも綺麗にする、奇跡の魔道具――」

 どうやら後ろでレナードが、脳内小旅行に出かけたようだ。サラティが一生懸命に声を掛けているけれど、箒の魔道具を見つめたまま、何かをブツブツ呟き始めた。



 さてあらためて、件の魔道機関を見てみる。

 錆を取った場所がちょうど、魔術が記述されていた面だったようで、薄く文字らしき物が描かれていた。ただ浸食した錆で、既に読み取れる状態ではなかった。動かなくなった原因が錆で間違いないようだ。

 ただ描き直しできそうもなく、表面を均して新たに魔術を描くしか無さそうだ。


 これは確かに通常ならば、修復の目処が立たない程の損傷だ。


「どうにかなりますかね?」

 少し離れた場所で篤紫の様子を見ていた船長が、心配そうな声で側に寄ってきた。篤紫と魔道機関を交互に見て、申し訳なさそうに眉をひそめている。

「魔道機関は初めてでしたし、下手に手を入れて動作に問題があったらいけないと、ここには一度も入っていないんです。派遣されてきた魔道技師の人も、操舵室で魔力反応を調べただけで、ここには入ろうともしませんでした。

 ただこれは、釣り具が赤くなるのに似ている。釣り具は、毎日ちゃんと手入れすれば、使えなくなることなんて滅多にないんだ」

 篤紫はそんな船長の肩を軽く叩いた。


「大丈夫。何とかできるよ」

「よろしく、おねがいします」

 船長はこれ以上篤紫の邪魔をしないようにか、頭を下げたあと数歩下がった。



 さて、やりますか。


 この魔道機関が載っている漁船は、塩湖に浮いている。水面に節水しているため、これは接地しているという判断ができる。接地状態では、ミスリル製の青銀魔道ペンは使えない。

 今回使うのは接地判定を条件付きで無効にできる、紫魔道ペン。ダンジョンコア製の魔道ペンを、腰のホルスターから取り出した。


 元々描いてある魔術は、既に何の効果も発揮していないようなので、そのまま上書きの描き込みでいけるはずだ。

 この魔道機関に描かれていたのは、恐らく水を吸い上げるだけのはず。

 ただ『水を吸い上げる』だけだと効率が悪いので『水を吸い上げて、弁が開いたパイプに水を流す』まで記述することにする。


Soak up the water and let the water flow in a pipe with an open valve.


 ピリオドを打つと、魔道機関が振動とともに動き始めた。

 動力源の魔石が填まったままなのか。突然動き始めた魔道機関に、さすがの篤紫もびっくりした。動かないからそのままだったんだろうけど、せめてメインスイッチぐらいは切っておいて欲しかった。


「えっ、何が起きているのですか?」

「うわっ、うわっ! 何で魔道機関が動いてるの?」

 離れたところにいたサラティとレナードが、目を見開きながら駆け寄ってきた。船長もびっくりして、口を大きく開けている。


 篤紫は船長に声をかけて、メインスイッチを切ってきて貰うようにお願いした。頼まれた船長は首を縦に振ると、笑顔いっぱいで機関室から駆け出していった。よほど嬉しかったのだろう、目が真っ赤に潤んでいた。


 程なくして、魔道機関は静かに停止した。


 このままだとまた錆びるから、さらに別の魔術も追記することにする。

 描き込むのは、部屋の空気の浄化と、魔道機関本体が錆びないようにすることか。ついでだから、船全体が錆びないようにしておこう。


This ship does not rust or deteriorate.

This room should always be comfortable air.


 魔道機関が輝き始めた。びっしり浮いていた錆が空中に浮かんで、そのまま光の粒になって消えていった。

 篤紫は紫魔道ペンをホルスターに収めると、大きく息を吐いた。もしかしたら空気の浄化までは、必要なかったかな?


「き、奇跡の魔術師です――」

 振り返ると、レナードが目をキラキラさせて篤紫を見ていた。サラティも、驚いた顔のままで固まっていた。


 ……やっぱり、こうなるよね。

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