第2話 純白の小箱 ~展開~
足が重い。一定のリズムで訪れる耳元でシンバルを叩かれているような偏頭痛。
明らかに二日酔いだ。徹の腕時計は15:50を示していた。
何とかたどり着いたぜと思いながら、最上階のオフィスに向かう
エレベーターのボタンを押していた。ただ、収穫はあった。「もしも・・・。」
「ちょっと、大丈夫?これから仕事なのに。もう、相変わらずよね!
これ呑んで、シャキっとしておいてよね。」
麗子はそう言って、墨汁のような色をしたコーヒーを徹の目の前に差し出した。
サンキューと軽く手を上げて、徹は一気に墨汁を飲み干した。
あまりの濃さに無言で渋い顔をしている。まさにダンテの考える人のように。
一呼吸を置いて徹が口を開こうとした刹那、麗子のPCにメールが着信した。
麗子は時計を確認する。16:00ジャスト。
クライアントからのメールであると確信して受信ボックスを開く。
そこには、たった一言。
「東京駅八重洲中央口地下男子トイレ一番奥。“×”」
徹が麗子の後ろからそのモニターを覗き込んで、ぼそりと呟いた。
「やはりな・・・。」
「どういうことなの?まったく意味が分からないんだけど。」
「これは挑戦状さ。俺たちに対しての。
さっ、ゲームスタートだ!急いで東京駅に向かうぞ!」
徹はそう言い放つと、先程までの疲弊しきった姿が嘘のように
颯爽とオフィスを駆け出して行った。麗子は困惑しながらも、
純白の小箱が収納されているショルダーバックを小脇に抱え、
その後を追ってオフィスを飛び出した。
銀座七丁目の交差点でタクシーを捕まえて東京駅八重洲口へ
2人は向かっていた。
挑戦状って何?ゲームが始まっている?この小箱の中には何が入っているの?
不可解な事だらけで何から質問すればいいのか分からないでいる麗子に、
外を眺めていた徹が口を開いた。
「どうやらクライアントは、俺たちを指定のルートで移動させたい
みたいだな。ただし、ひとつひとつ、パズルを解決していかなければ前に
進めない。“運び屋”の仕事と言うよりは、今回の仕事はクライアントとの
“知恵較べ”と言った方が正しいかもな。
ただ、何の目的で俺たちにそれを仕掛けてきたのかが。確信が持てない。」
「“知恵比べ”をするだけで、手付金として200万円も払うもの?
それに、何か違う目的があるとすれば、こんな事って意味無いんじゃないかしら?
まさか、大きな事件に巻き込もうって魂胆なんじゃないかしら。」
「何とも言えないが、おれの推理が正しければその可能性は低いよ。
まっ、目の前の問題をクリアしていけば、自ずと答えはみえてくれさ!」
あまりにも呆気らかんと話す徹の姿をみて、麗子は、ホッとした反面、
拍子抜けしてしまったような脱力感に襲われていた。
「さっ、着いたぜ!宝探しの始まりだ!
おまえは、そこのカフェでお茶でも飲んで待っていてくれ!」
タクシーから飛び降りると、徹はみどりの窓口の横にある
“化粧室”のマークを確認し、すぐ横の階段を駆け下りて行った。
東京駅はまさに迷路と言っても過言では無い。地下に進めば進むほど、
選択肢が増えてくる。しかし、徹には確信があった。
“仕掛け人は謎が解けるように仕掛けを施す”というセオリー。
おそらく、徹たちがタクシーで八重洲中央口から構内に侵入する事を想定して、
このトイレを設定してあるはず。
地下一階に到着して、徹は左右を見渡した。
“ビンゴ”という言葉が自然と漏れた。目の前のコインロッカーを正面に見て、
右手奥に“男子トイレ”のマークが光っている。徹は一直線にそのトイレに
入っていった。一番奥の個室。扉を開ける。何の変哲も無いトイレ。
徹は指令を思い出した。
「東京駅八重洲中央口地下男子トイレ一番奥。“×”」「“×”!」
おもむろに、奥側のタイル張りの壁を手で探り出した。その時、
左隅の一枚のタイルの手触りに違和感を感じた。軽く爪で叩いて見る。
タイルではない、ベニヤのような軽い音が返ってくる。ポケットから
ナイフを取り出し、ベニヤの隙間に差し込むとそのベニヤは簡単に剥がれ落ちた。
その裏には“×”のマークが書いてある。
ポッカリと空いた空洞に手を突っ込んで見る。“ガサガサ”とざらついた
キーケースサイズの包み紙のような物が指先にぶつかった。
どうやら、ガムテープで貼り付けられているようだ。
力任せにその包みをはがし取った。グルグル巻きになっている茶色の紙を
剥がして行くと、中からロッカーのキーが出てきた。カギについている
プラスティックの黄色いタグには“714”と書かれている。コインロッカー?
はっと気がつき、今さっき駆け下りてきた階段の前にあったコインロッカーへ
向かってトイレを飛び出した。
“714”、“714”、“714”、“714”・・・。
呪文のようにその番号を唱えながら、コインロッカーの番号を探していく。
4段目の一番左のロッカーの番号が“714”。徹はそのカギを差込み右へ回した。
ゆっくりとその扉を開いていく。恐る恐る、中を覗き込むと、またしても
一通の封筒が入っている。「なんだよ~」と安堵のため息を吐きながら、
封の空いている封筒の中身を確認して見ると、一枚のレシートが出てきた。
「東京駅地下駐車場 B-604」
電車に乗るんじゃないのかよ。そう思いながら徹はレシートを握り締めて、
麗子が待っているカフェへ階段を駆け上っていった。
麗子は何もオーダーせずに、大事そうにショルダーバックを抱えている。
一人きりで不安そうな顔は、似合わないなと思いながら彼女の肩をポンッと
叩いて徹は声を掛けた。
「次は、ドライブらしいぜ。まんまと振り回されている感じだよ。」
徹はそう言いながら、駐車場のレシートを見せて“行くぞ”という風に
首で合図をし、着いてくるように促した。もう行くの?どこへ?と言いながらも、
麗子は徹の後に着いて地下駐車場へと向かって行った。
管理事務室と書いてある掘っ立て小屋が見えてきた。中には初老の男性が2名。
やる気もなさそうにテレビを見ていた。テレビではサブプライムローンによる
金融ショックを有名な金融アナリストが熱弁していたが、この初老の2人には
まったく関係の無い話だろうなと思いながら、ドアをノックした。
「へいへい。お車ですか?レシートをお願いします。」
徹は先程、ロッカーの中にあったレシートを差し出した。
清算はいったいいくらなんだろうか?と思わず考えてしまったが、
その必要はどうやらないようだった。
「あっ、もう御代はいただいてますね。今すぐ出しますので
そちらにおかけになって、おまちくださいな。」
徹と麗子は、古びたコカコーラの長椅子に腰を下ろして。大きく息を吐いた。
その瞬間、2人は目を合わせて、「車のカギは?」とハモッて言った。
最初の指示もメール。ロッカーのカギが入っていた茶色の包みの中にも無かった。
無論、封筒の中にも。アタフタしている麗子に徹が呟いた。
「麗子、そのバックの中の箱を開けてみろ。」
「えっ、でもルールでは引き渡すまで開けてはいけないルールでしょ?」
「どう考えても、その中しか考えられないだろう?」
「まさか。車に刺したままかもしれないじゃないの?」
「いいから。おそらくその中だ!」
麗子は渋々、バックを開け、純白の小箱の蓋を開いてみた。その中には、
四方からしっかりと固定された“S-2000”のカギが収められていた。
それと同時に、立体駐車場の扉が開いた。その駐車場の中には、ピカピカに
磨き上げられたイエローの“S-2000”がゆったりと収まっている。
徹は小箱の中からキーを取り出し、何食わぬ顔で運転席に乗り込んだ。
シートの座り心地。ステアリングの感覚。シフトレバーの感触。このために
準備されたような新車であることは明白だった。
キーを回すと、地響きのような唸りを上げるエンジン音。麗子の前へ車を寄せた。
麗子は助手席に乗り込む。車を地下駐車場から一先ず出した所で停車させた。
呆然とする二人。運ぶはずの小箱の中身がこの車のキーだった事で、
全てが振り出しに戻ってしまった。しかし、
「必ず、ヒントがあるはずだ。この車の何処かに何かが隠されている。
シートの下とか、ほら後ろのトランク・・・。」
「徹、あなたが言っているのはコレかしら?
ダッシュボードの中に、入っていたわ。」
麗子の手には、モーションブルー横浜のチケットが2枚。
それも、昨年のグラミー賞を獲得した女性シンガーのプレミアチケットである。
「私、この人大好きなんだ。。。この車のチョイスと良い、このチケットと良い、
何かクライアントは何を狙っているのかしら?この先に何が仕掛けられているかは
分からないけど、あなたの言うとおり指示をクリアしていくしかないみたいね。」
腹を括ったのか、それとも自分の趣味に合ったシュチエーションに
満足しているのか、麗子は俄然、生き生きとして来ている。
最近、仕事ばかりでろくに自分の時間も取っていない事は遠く離れている
徹にも伝わっていた。仕事ではあるが、麗子の嬉しそうな顔を見ながら、
ふと、昨晩、呑みに行ったバーのママの呟きを思い出した。
「もしかしたら・・・。」
徹は意味深な言葉を呟いた。
車は赤レンガに向かってスピードを上げていった。
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