ミサイル
あじろ けい
第1話
湯を注いだカップ麺を手に休憩室へむかう。正午少し前。三分間クッキングを見ながらカップ麺の出来上がりを待ち、昼のワイドショーを見ながら麺をかきこむという流れだ。
休憩室には先客が何人かいた。テーブルの上には昼食がひろげられている。テレビはつけられていた。
チャララ……と番組のテーマ曲が流れ始めたなと思うと、画面が突然ニュース番組に切り替わった。
「臨時ニュースをお伝えします。本日午前、トンデモ国が日本に向けてミサイルを発射しました。迎撃は失敗、ミサイルの日本列島直撃予定時刻は三分後……くりかえし、臨時ニュースをお伝えします……」
飯食いそびれるのか。とっさに頭に浮かんだのはそんなことだった。
死ぬ前にかみさんに何か一言いっておくかとケータイを手にしたが、すでに通話は不可能な状態になっていた。
奇妙なもので、通信世界はパニック状態に陥っていたが、休憩室は落ち着いていた。騒ぎ出す人間は誰もいなかった。
どうせ三分しかない。どこにも逃げようがない。せいぜいビルの外へ出られるくらいだ。その時には頭上をミサイルがかすめている。
出来ることは何もないのだ。死までの三分間をひたすら待つ以外に。
「顧客データ、どうしましょう。個人情報がいっぱいなんですよね。悪用されたら嫌だなあ。潰した方がいいのかな」
「バカか、お前。もうすぐ全員死ぬんだ。悪用してやろうって奴もひっくるめてな」
「ああ、そうか。そうですよね」
そんなやりとりが耳に入った。
私は介護サービスを提供している会社で働いている。顧客データには、氏名、年齢といった情報以外に持病だとか注意すべき点だとかいった細かい点にいたるまでの個人情報が網羅されている。取り扱いには気をつかってきたが、その必要ももうなくなるのだ。
データと聞いて、自宅のPCに人に見られたくないものを保存しているなと思い出した。死んだ後、かみさんに見られたらとぞっとしたが、焦ることはない。かみさんももうすぐ死ぬのだ。
もうすぐ……もうすぐって、後どれくらいあるのだ?
私はテレビに表示されている時間を確認した。
「あと何分?」
私の心の声を読み取ったかのように、誰かがぼそりと呟いた。
「二分。結構長いね」と別の男性社員が冷静にこたえた。
いつの間にか、社員のほとんどが休憩室に集まってきていた。テレビをチェックしに来たのだろう。同じニュースをくりかえすだけの男性アナウンサーの横で、女性アナウンサーが所在なさげにしている。
それにしても……長い。
何もせずに、というより何もできずにただ死を待つしかない時間は長く感じられる。
死という結果が免れないというのなら、直前に宣告を受けたかった。もしくは、やりたいことをやってしまえるだけの長い時間。三分は中途半端な時間だ。
何か出来ることはないのか。
時間に追われてきた仕事人間として、一分でも時間があると気になってしまう。
一分で出来ること。
「ずっと好きでした」
若い男性社員だった。休憩室の人混みをかきわけ、私の向かいに座っていた女性社員のそばに立ったなり、告白した。
女性社員は驚いた表情で男性社員を見上げていた。なかなかの美人で、若い男性社員に人気があった。
「あの、実は私も岡崎さんが気になっていて……」
頬を赤らめながら女性は返した。
どこからともなく、パチパチと拍手があがった。
休憩室は祝福ムードに包まれた。ハッピーエンドになったドラマの結末を喜んでいるかのようだ。
そうだ、結末だ。二人の恋愛物語はここで終わる。もしかしたら、付き合って別れてしまう運命の二人かもしれない。だが、二人は幸せな気分に浸ったまま、死んでいくのだ。
思い残すこともなくて、幸せだなとうらやましい気持ちになった。
振られてもどうせ死ぬことだし、とやけっぱちな気持ち半分で告白したのだろう。恥ずかしいという気持ちにしたって、死ぬとなったらどうってことなくなる。
死ぬ気になれば――というか、死ぬのだが――何でも出来るものだな。私は男性社員から勇気をもらった気になり、身震いした。
思う通りに生きてきた人生だ。後悔は小さいものならいくつもあるが、概ね満足のいく人生だった。
ひとつだけ、やり残したことがある。それをするなら今しかない。
「主任、どこ行くんですか?」
休憩室を出ていく私にむかって誰かが声をかけた。
私はその声を無視し、席へ戻った。引き出しの中からハサミを取りだす。柄を握りしめ、私は部長室へと急いだ。
川谷部長。常に部下を監視していないと気が済まず、メールでの指示について返事がないと確認を促すメールを送って寄越す。細かい指示を出し続けるのだが、いちいちの指示が矛盾していたり、間違いがあったりして、素直に従うととんでもないミスを犯す。部長指示に基づいて行動した結果のミスだが、自分の出した指示の誤りについては棚にあげ、部下をネチネチとやりこめる。
部長に呼び出されるにつけ、殺意を覚えたものだった。だが、行動は起こさなかった。結婚していて、五歳になる男の子もいる。犯罪者になる一歩手前で踏みとどまった。
だが……。
部長の体をめった刺しにしたところで、逮捕される可能性はなくなった。ミサイルでどのみち死ぬ男だが、どうせなら私の気を晴らして死んでもらおう。
あと三十秒……
ノックもせずに部長室のドアを開ける。
ミサイルでも見えると思ったのか、窓の近くに立って空を眺めていた川谷部長がふりかえった。
ミサイル あじろ けい @ajiro_kei
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