第2話 告白の翌日

「みーのーりーんっ!」


 短い担任の話の後、全員で体育館へと向かう為出た廊下中に一際大きな高音ボイスが響く。似合わないあだ名で私を呼ぶのは。


愛海まなみ。……えっと、ごめん。何組だった?」


「六組だよー! 何で? 何であたしだけ隣のクラスなのっ? みのりんと佐和さわぽんと壮空そらっちは同じ五組なのにーっ。クラス決めした先生に後で絶対仕返ししてやるーっ」


 全速力で走り寄るなり私の腕にしがみ付いて泣き叫ぶ愛海。大注目されそうなとこだけど、さすがは同じ三年生。周りの生徒たちはまたかって顔で適当にスルーしてくれてる。愛海がある意味有名人でホント良かった。


 でも、愛海の顔を見て初めて二年間同じだったクラスが分かれちゃったんだなって気付いた私は今、自分のことでいっぱいなのかも。


 貝原かいはら愛海まなみ

 中学の頃から壮空目当ての見せかけの友だちしかいなかった私に、入学式で友だちになろって声を掛けてくれて以来、本当に友だちだって言える唯一の相手。本音もやっと言えるようになった唯一の、親友、かもしれない。

 柊二しゅうじとのことも背中を押してくれたのは愛海だったし、愛海の底抜けの明るさには、今まで何度も助けられてきた。


「でも体育は合同だしっ、お昼も選択授業もちょっとした休み時間だってしょっ中会いに来るからねっ! 佐和ぽんにみのりんのこと、一人占めになんて絶対させないんだからーっ!」


「わっ、分かったから落ち着いて愛海! とりあえず、体育館行こう?」


 敢えて誰の顔も見ることなく、愛海を引っ張るように廊下を進む。歩きにくいけど、早くこの場を離れたい。

 よく通る愛海の声は、どこまで聞こえたんだろう。誰まで届いたんだろう。


 私と柊二のことを一番に喜んでくれたのも愛海だった。でも、その愛海にも、私は私たち三人の間にあったことをまだ言えていない。


 去年の十二月二十三日の壮空の誕生日に、壮空から想いを伝えられたことも。それから後に起こったことも。


 今の私の気持ちも、全部。



***



 十二月二十四日、壮空の十七歳の誕生日の翌日となるクリスマスイヴの朝九時過ぎ。柊二との待ち合わせの時間には一時間近く早いけど、


「行ってきまーす」


 昨夜の誕生日パーティの余韻をまだ朝食と共に楽しむ両親に声を掛けて、私は自宅玄関のドアを開けた。


 コツッというブーツの音に、身の引き締まるような冷たい空気が流れ込んで、漂うコーヒーの香りが室内へと押し戻されてく。やっと止んだ風に、閉じてしまった瞼をゆっくりと開けた。

 射す陽と切るような寒さに、痛いと感じる代わり映えしない冬の朝。でも、昨日とは全く違う世界にいるような気がする。

 はあ、と息を吐くと、白く形を変えて光の中に溶けていった。


 うん、大丈夫。

 目元の軽い寝不足はコンシーラーでごまかして、泣いてしまった痕跡は跡形も無く消えていたのを確認した。最近、目を見ると逸らすことが多くなった柊二なら、たぶん気付かない、と思う。


 後は、気持ちの問題、かな。


 まだ半日しか経ってないのに、夢みたいに現実感が無い昨夜の出来事。

 壮空から言われた言葉が、ふとした瞬間何度も心を乱しに来る。



『美乃梨、好きなんだ。本当はずっと、美乃梨のことが好きだった』



 知りたくても知れなかった壮空の本当の想いと壮空の好きは、私の左頰に触れた唇と同じくらい熱くて優しくて、切なさに満ちた声と表情だった。

 小さく胸が鳴る。


 私はちゃんと、柊二が好きって答えたよね? 自信がない。

 ただ、要らないなら離してって言われた壮空の手は、最後まで離すことができなかった。

「これからも俺、ずっと傍にいていい?」って、きつく私を抱き締めながら囁く壮空に、迷いなく頷いてしまった。


 見るとはなしに、通りかかった壮空の家の二階を見つめる。壮空の部屋のある場所を。


 あれはどう受け取られたんだろう。

 分かんない。聞きたくても、聞けるワケない。今日から冬休みで、本当に良かった……。


 とにかく、壮空に会わないうちに早く行こうっ。

 家にいると階段を見る度思い出すから早く出たのに、壮空の家の前にいたんじゃ何の意味も無い。


 顔を伏せ、無意識に触れてたらしい左頰から慌てて手を離して、再び駅方向にコツリと踏み出した。



「美乃梨、おはよ」


 門扉を過ぎた辺りで突然掛けられた声に驚いた。聞き慣れた私を呼ぶ声。間違う筈はないのに、振り返ってもう一回驚いた。


「そ、壮空っ? どどど、どうしたのっ?」


 なんか柊二っぽい反応になっちゃったのが恥ずかしい。ていうか、動揺し過ぎなのバレバレじゃん!


 玄関から小走りに来る壮空が到着する前に、とりあえず、思いっきり別方向に顔を向けた。高速で鳴る胸を隠すようにコートの上から両手を置く。


「あ、いや、そんな驚かせるつもりなかったんだけど……。起きてカーテン開けたら丁度美乃梨が見えて。もし間に合えば見送りしようかなって思っただけで」


「ああ、あっ、そう!」


 むしろ、この見送りが要らないんだけどっ。その辺、察しなよっ!


 そんな悪態を吐きつつ、ちらっと壮空を見ると、門扉の向こう側で「さむっ」って白い息を弾ませながら両腕を抱いてる。よく見るとコートも何も羽織ってないラフな格好。そのまま出掛けられそうだけど。あ、一回くしゃみした。

 でも、その顔は。


 ……なんか、普通? 私はこんなに動揺してるのにっ?


「なっ、何か羽織りなよっ。風邪引くよっ。でっ、何の用っ?」


 昨日の続き、とかだったらどうしようっ?

 どうしようも何も答えは一つなんだけど、でも……どうしようっ?


「あー、すぐ戻るし、平気。美乃梨こそ、暖かくして行って来いよ」


「うっ、うん。大丈夫。……ありがと」


 そこで会話が途切れて、沈黙が流れ出す。


 ……え、それだけ? 本当にただ見送りに来ただけ?


 いつもと変わらない普通の会話に、私が歩き出すのを待ってるみたいな壮空が無表情に斜め下に視線を落とす。


 黙ってる壮空の姿を見てたら、一つずつ、手とか腕とか、く、口元とか追っちゃって。思い出したくないのに思い出してしまう。意識したくないのに意識してしまう。

 それは、私だけ?


 ベッドに入った後、随分と遅かった「今日、ありがとな。おやすみ」の、壮空からのメッセージ。

 緊張しながらタップしたのに、一言一句、毎年と同じで。それ以外の意味なんて読み取れる筈も無くて。


 一晩中、今までの壮空の言動とか思い返して本心とかまで考えて、もし、私が気持ち伝えてたら、私と壮空は今どうなってたのかなって想像に、時々柊二の顔がよぎって……。


 今日あったこと全部、夢だったらいいのにって願って、悩んで、眠れなかったのも、もしかして私だけ?


 ねぇ、何で壮空はそんな落ち着いてるの? 寝起きだから? ていうか、今まで寝てたの? こっちはほとんど眠れなかったのに!


 あ、なんかムカついてきたかも。

 そもそも寝不足なのもこんなに悩んでるのも、原因は壮空なのに! もし熟睡してたら……覚えてろ。なんて何一つ聞けないけどっ。


「じゃあ、行くねっ」


 唐突に怒ったように告げて、何の未練も無く壮空に背を向けた。


 私一人でバカみたい。壮空にとって昨日のあれは、夜ぐっすり眠れる程度のことだったんだ? ずっと言えなかったことが言えてスッキリして、これで前を向けるわって、普通に見送りできるくらい俺はもう平気だって、そう言いに来たの?

 すごくモヤモヤする。


 何これ。それでいい筈なのに、今から柊二に会うのに、こんなグチャグチャな気持ち……もう、やだっ。


 弱々しく歩き出そうとした時、後ろで門扉がカシャンと鳴る音がして、コートの袖を掴まれた。


 え?


 掴まれたその先を辿って、また一つ心臓が鳴る。


「な、何?」


 門扉の上から腕を目一杯伸ばした壮空が、顔を伏せたまま私のコートを掴んでる。


「ごめん、やっぱ無理だ。……美乃梨、本当に行くんだよな」


 さっきまでと全然違う苦しそうな問い掛けに、何かが揺れてしまう。



 ——壮空は、全然平気なんかじゃなかった。



「い、行くよ。当たり前じゃん」


「うん。だよな……。でも、今日の約束は、覚えてる?」


「……さ、作戦会議、だよね?」


 昨夜、私を抱き締めながら急に提案してきた壮空と私の両親にサプライズでクリスマスプレゼントを渡す為の作戦会議。今夜するって約束に、二つ返事で応えてしまってた。


「うん。待ってるから、なるべく早く、帰って来いよ」


 ドキリとしてしまった。


「な、何それ……。違う意味に、聞こえるじゃん……」


 こんなこと、言わなくて良かったのかもしれない。

 だって、やっと上げた壮空の顔が、一度も見せてくれたことのない顔で。


「ん。すっげー妬く。当たり前じゃん」


 袖口を強く握り直して言われて、何も返せなくなってしまったから。


 どうしよう。どうしたらいいんだろう?

 この手を、どうしたら……。


「って、あーっ、うざいよな、こういうの。悪い。行って」


 言うなり、パッと手を離し、顔も見ずに玄関に向かう壮空。


 そうだ。私の気持ちなんてお構いなしに、手を離すのはいつも壮空の方だった。

 なのに今は、ずっと頼もしく見えてたその背中が小さく感じられて……。


「……そ、壮空なら、うざくなんてないよっ」


 言ってしまってからはっとした。

 一瞬だけ振り向いた壮空は無表情で、何を考えてるのか全然読めない。でも。


「ばーか。そこはうざいって言うとこ」


 笑顔で言い残して、玄関の中に消えて行った。


 何それ、全然笑えてないじゃん。何で私の方が痛くなるの?


「本気で思えないから困るんじゃん……」


 壮空のこと、うざいなんて思う時が来るのかな。来なくても、距離を置かなきゃダメなのかな。


 考えなくても決まってる筈なのに、私は答えを出せないまま、柊二との待ち合わせ場所までの道を急いだ。

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