第6話 白い顔 3

「彼女のご家族は、どうしているのですか」

「あぁ、彼女のご家族は彼女の言動を気味悪がっていてね。まあ、色々あって。一言で言えば彼女から意図的に家族を引き離す事で彼女の精神を安定させているんだ」

僕は予想外の医者の反応に戸惑った。僕はここ数日の間ずっと不思議に思っていた。それは、僕は此れだけ毎日通っているにも拘らず、彼女の家族に一度も遭遇していない。普通なら命の危機に瀕している子供の傍には親や親族がつきっきりで居るのが自然な筈。だが僕はそれらしい人物にあった事もすれ違った事すらない。おかしいと思っていたのだ、ずっと。

「何か、酷い事をされていたんですか」

「いや、身体的な虐待などは受けていなかったらしい。彼女自身もそう言っているし、それらしい傷も痕も体には無かった」

「精神的に何か酷い事をされた可能性はあるという事ですか」

「彼女はそれについて何かを言った事は無いが、聴いても話を誤魔化そうとする所を見てもその可能性は大いにあると思う。僕らもそう考えている」

「彼女は、確かに昔から何かに耐えているようにも見えました」

「何時頃からの付き合いなんだい?」

「中学校からです。でも高校に上がる時・・・」

「何かあったんだな。まあそのタイミングで何もない方がおかしいからな」

彼は立ち上がって部屋に有るコーヒーメイカーでコーヒーを入れ始めた。

「カフェインは大丈夫かな」

「えぇ。大丈夫です」

数分して落ち切ったコーヒーを紙コップに注いで僕に手渡して、引き出しから砂糖とミルクの入った箱を出して僕の方に差し出した。

「僕はいりません」

「僕よりも大人だな」

そういうと彼はスティックの砂糖を二袋とフレッシュを一つ、自分のコーヒーの中に入れて念入りに混ぜている。紙コップを通して指にコーヒーの熱が伝わって気付いた。そういえばコーヒーは久しぶりだ。僕の部屋にコーヒーメーカーが無いし、外で自分が満足出来るコーヒーを買う経済的余裕も無い。其れが理由かはわからないけれど紙コップに入れられた其れが妙に美味しく感じた。

「美味しいです」

「安物だけど、その中でも良い物を選んでいるつもりだから。そう言ってくれると嬉しいよ」

砂糖とミルクをたっぷり入れて飲む人がそう言った良さを分別できるのかは此処では言及しないでおいた。

「彼女は両親からの言葉によるストレスから夢に籠るようになってしまった。其れも有って彼女の中の時間は急速に進んで行ったんだ。でもそれは彼らだけの問題ではないよ。理解をして貰うための努力を怠った彼女自身にも原因は有るだろう」

少し突き放すような言葉に胸が痛んだ。自分の事では無いはずなのに。

「随分厳しいですね」

「生き死にに関わる事だからね。まあ最も彼らも彼女自身も其処までの事と考えてはいなかったのだろう。発作を起こして病院に運ばれるまで彼女の体の変化に気付いていたものは誰も居なかったそうだから。彼女自身も疲れが溜まっているだけだと思っていたらしい」

「貴方は会われているんですよね、彼女のご両親に」

「勿論だ」

「貴方はどういった印象を受けましたか」

彼はすすっていたコーヒーを机に置いた。その時の彼の顔には何も浮かんでいなかった。そして僕の方に椅子を回転させて体を正面に向けて言った。

「普通だったよ。普通の人。至って何の異常も無い。精神状態も不安定では無かった。だから、初めて見た時僕は素直に気持ち悪いと思ったよ」

彼の言いたい事は僕にも理解できた。まだ若い自分の娘が心臓の発作で病院に運ばれた時点でかなり取り乱していて当然な筈なのに。しかも彼女の夢への没入を見ていながらも精神状態を保っていられる方が気持ち悪い。普通の人間なら夢の話を娘から聞いた段階で何らかの処置を施そうとする筈だ。しかし彼女が発作で倒れても尚平然としている。其れが何を意味しているのか。僕はある意味では其れを理解できない。

「想像したくありませんね」

「おかしなことを言うな。君は今僕が言った事を出汁に想像したからこそそう思ったのだろう」

「揚げ足を取らないで下さい。でも確かに。其れなら遠ざけている方が彼女の命は伸びるかもしれませんね。でもそれは根本的な解決にはなりませんから、彼女の精心的な負担はさほど変わっていないでしょう。寧ろ新たなストレスになっている可能性も・・・」

「君は人の気持ちを真摯に考える事が出来る人間なんだな。僕にはそう言った考え方が出来ないからとても羨ましい。それにさっき会ったばかりの人間に落ち着いて対応し、理解する努力を怠る事も無い」

彼はこうして時たま僕に皮肉を言ってくるけれど、それはきっと彼なりの打ち解け方の一つなのだろう。そう考えたら普段の僕はそういう人間にはだんまりを決め込む事が多いのだが、自然とそれに答えたくなっていた。

「見せかけだけと言う可能性は考えないんですか」

「それはそれで一つの手だ。特に年上とのコミュニケーションの上では必須の手だ。其れが出来なければ社会に出てから苦労する羽目に成る」

「それで出世が遅れたんですか」

「取敢えず、彼女の両親について話を振らない事をお勧めするよ」

彼は腕時計を一瞥してから紙コップを呷った。

「すまないが、そろそろ時間だ。何か聞きたい事が有るとしても今日はそれを最後にしてくれ」

「分かりました。では最後に一つだけ。僕が来てからの彼女は貴方にどんな風に見えていますか」

彼は何処かへ行くための準備を忙しく始めていたがそれを聴いて一瞬動きを止めた。そして彼の顔には今迄のどの笑顔よりも優しい其れを浮かべて一言だけ。

「今迄で一番綺麗だ」

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遺骨は桜の香り 槙田 華 @kannoseika

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