第4話 白い顔 1

僕は暫く病院近くの民宿に泊まって彼女の様子を見る事にした。其れが何を齎すのか僕には未だ分からない。けれどきっと彼女はこの町で自分の最後の時間をゆっくりと消化していくことになるだろう。そう思ったら、僕はこの町で少しの時間を過ごしてみたいと思った。何か劇的な事を望んでいるのではなく、ただこの町を見て、聞いて、何かを感じられたら良い。僕が住む所とは違って、そこではもう雪が積もり始めていた。雪が積もっているのを見るのは久しぶりだった。雪の白さと重みが、僕には美しさよりも恐れを感じさせた。

僕は毎日彼女に会いに行った。僕は彼女の顔が次第に痩せこけて行く様を見る事を自分自身に課した。それは今迄の自分の彼女への贖罪のつもりだったのかもしれない。

この町に来て一週間が経とうとしていた頃彼女の見舞いを済ませた後に、彼女の主治医の先生に呼び止められた。話の内容は彼女の容態について。彼女の容態はここの所悪化の一途をたどっているという話だった。 驚く事でも無かった。彼女の様子からしてそれは素人の僕にも分かる程目に見える狼狽ぶりだったのだから。彼女の命はもう秒読みを始めた。そういう事だった。僕がここ数日考えていたのは、彼女の病状では無く、彼女のこれまでの事。つまり彼女はどうして今その病状に悩まされているのか、どうして此処の病院に居るのか。彼女の引っ越した場所は此処では無かった筈だ。それを誰に聴くべきなのかも、僕には分らなかった。だから僕はその先生にダメ元で時間を取ってもらうように打診した。すると彼は以外にもすんなりと承諾してくれた。病院内でも病棟とは少し離れた場所に有る棟まで案内された。途中何度か明らかに医者ではなさそうな格好をした人たちとすれ違い、その度に不審がるような目つきで睨まれた。彼が向かったのは指紋認証が必要な程厳重なセキュリティーが施されている部屋だった。中は病室と同じように白い壁に白い床だったが、散らかっているためか病院の中とは思えなかった。

「散らかっていてすまないな。しかし私は片付けがどうにも苦手でね」。

急いで目につく物をしまい込んで何とか足の踏み場を作って手で叩いて埃を払った座椅子を僕の方へ転がした。この臭いは知っている。カップ麺と男の汗と煙草の臭い。医者とは言っても自分の事を維持するのは中々難しいようだ。

「換気しましょうか」

「そうだな。窓を開けてくれるかい」僕は窓枠に置いてある物を床に下して窓を開けた。緩やかな風が舞い込む。少しずつ部屋の空気が薄れて行く。落ち着いてきたところで彼も椅子に座った。

「君にとっては辛い状況かも知れないが、気を落とすのは得策ではないよ。君は恋人を勇気付ける義務が有るだろう」

「恋人・・・」

僕は彼から予想外の単語が発せられたのでかなり驚いてしまった。だから僕の声は上ずってしまい自分でも聞いた事のない声が出てしまった。

「なんだ、もしかして違うのか」彼は机の周りの書類を適当に片付けながら僕に話しかけ続けた。周りに居た看護婦さんたちも彼女の元に行く僕に憐みの視線を注いでいた。彼女の恋人か何かだと勘違いされているのは薄々感付いては居たが、僕は敢えて何も言わなかった。どうやらこの先生もそう思っていらしく、僕に事を伝える事をとても躊躇ったとの事だった。

「その反応は違うみたいだな。そうか、君は彼女の恋人さんでは無かったのか。しかし、彼女にとって君が特別な存在であることは変わりないと思うよ。それは彼女の様子を見ていればすぐに分かる事だ。知っているかい。日に日に顔色が悪くなっていく自分を鏡で見て、それを君に見られたくないばっかりに君が来る少し前に薄くではあるが化粧をしているんだ。君は気付いていないかもしれないが」。

「それは・・・。そうだったのか」

「彼女の病気は、簡単に言うと心臓の病気だよ」

「心臓・・・」

「あぁ。生まれつきのものでは無い。つまり突発的な物だ」

「移植で解決する事では、無いんですか」

「あぁ、彼女の場合はそれでは解決できないんだ」

「どうして、そんな事に」

「分からない。しかし、彼女は眠っている間にしか発作を起こさないんだ」

「眠っている間だけ」

「そう、それで真っ先に僕らは彼女の夢の中に何か手掛かりが有るかもしれないと思って色々試したが、夢を見ている間に何かとてもショックな事が有った時に発作が起こるのかもしれない、と言う仮説を建てられただけだ。そのほかの事は何もわかっていないと言っても過言ではないよ」

「夢、ですか」

「人間は眠っている間必ずと言って良い程高確率で夢を見ている。覚えていなくてもね。夢の内容を把握する技術はまだ確立はしていないが、この病院はそれについての研究を進めているんだ」

「夢についての研究、ですか。」

「そう、此処は脳神経についての研究から派遣してそう言った研究も行っているんだ」

「知りませんでした。でもそんなこと可能なんですか」

「それを可能にするために私は此処で働いているんだよ。まあ、僕の研究は置いておいて、彼女の発言を全面的に信じるとすると彼女はここ数年で膨大な時間を夢の中で過ごしている事に成るんだ」

僕は自分の耳を疑うという事をしたことは無かった。しかし僕はこの時は自分の耳が聞き取った言葉の意味を瞬時には理解できなかったのだ。

「彼女の身に一体何が起きているんですか。素人の僕にも分かるように教えて下さい」

僕は今の彼女を少しも理解できていなかったのかもしれない。

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