貪欲は反転し。(戦争の始まりと、主人公の決意)
緊張、焦燥、恐怖。
様々な感情が入り混じるのは、ここ戦場。
見渡してみれば、そこかしこに血飛沫が付着しており、拭いきれない嘔吐感が混在している。
「はぁ。はぁ……っ。はぁ……」
ふらつき倒れそうになる体を支えるために、剣を地面にさして杖替わりに使う。
呼吸は定まらず、熱いわけでもないのに背筋を伝う汗は止めどなくあふれ出す。
「まだっ、終わらないのかよ……っ」
悪態を吐くほどの力しか残っていなかったのか、足が崩れ膝を地面に着けてしまう。
立ち上がる体力すらも残ってはいないのか、その場で休むように目を瞑る。
戦争が始まってからどれほどの時間がたったのだろうか。
先ほどまで集団で戦っていた仲間たちは前線へと進み、戦場区域から離れたこの場にいるのは、デュソル以外には死人しか姿は見えない。
もし今攻めてこられたら、きっと死んでしまうのではないか。
そんな考えが先ほどから脳裏から離れることがなく、心理の余裕を奪い戦意を手放しそうになる。
「なんでこんなになるまで戦わなきゃいけないんだよ……」
辛い、止めたい。
という心の弱音から出た言葉だ。
それは実に今のデュソルの心情を汲んでいるし、そして今、もっともデュソルを鼓舞するものだ。
「そんなものはわかってんだよ……。戦いたくないから戦わなきゃいけないって」
わかってる。
わかってるんだったら。
――もう少しくらいは頑張れよ、俺。
「――っ」
胸に燻る闘志が揺れた。
目を開き、足に力を入れ。
「よし。いくぞっ」
立ち上がった。
未だに足は震えるが、それでも先ほどよりはマシになったような気がした。
「戦争の役には立たないだろうけど。前線まで行くか」
剣を抜いて鞘に納めれば、足を動かし。
地面を踏み進めようと思った刹那に。
「いたぞ! 正義の生き残りだぁ!」
そんな怒号が響けば、瞬時に地震にも似た足音が響く。
なぜ!? なんでここに秩序たちが!?
焦る思考はあるが、その中でも戦わなくてはという思考も存在している。
焦る表情がは見せずに、あくまでも余裕があるように剣を抜刀する。
「それで。俺と戦うのはどいつだ?」
挑発を掛けるように剣の切っ先を秩序たちのほうへ向ける。
人数は五人。武装は粗末な剣を腰に佩くだけの、まるで捨て駒のような小隊だ。
そんな秩序たちはデュソルの挑発に乗り、まるで蛮族のように声を荒げる。
「おいおい、見えなんか張ってよぉ。こんな奥地にいるってことは、どうせびびって戦えなかったってだけの」
「数で囲えばあんなのは兔だぜ!」
「……っち」
退くことはないか、と舌打ちをすれば、途端に恐怖があふれ出てくる。
迫る敵。自分よりも多いい数。
自分よりも体躯の良い男たち。
そんな者たちが自分を殺そうと迫ってくれば嫌でも恐怖はあるだろう。
逃げたい。でも戦わなくては。
そんな思考を繰り返していた刹那に。
「ヒャッハー! 先手必勝だぜ!」
集団の中に在していた男が、剣を振りかぶりながら猛進を繰り出してきた。
男との距離は、剣が触れるか触れないか危うい位置。
目の前に広がった剣に臆病になり、情けなく防御ともいえないほど、お粗末に剣を前に翳す。
「そんなものが! どうしたって言うんだよ!」
振り下ろしで掲げた剣は弾き飛ばされ、崩れた体勢に男の回し蹴りが入る。
「っが!?」
貧相な体を蹴られたデュソルの体は簡単に地面から浮く。
地面に数回転がりながら止まるが、男はそれだけで終わらすことはしない。
「っ……」
「おいおい! 何終わった気でいるんだよ! 殺し合いはこんなもんじゃおわらないぜぇ!!」
苦痛な表情を浮かべるデュソルに、まるで煽るかのように声をぶつける。
これは小競り合いじゃない。戦争なんだ。
続行不可で終われるほど優しいものではないと自分に言い聞かせると、這いずる地面から起き上がろうと腕を突き立てる。
だが、すでに体力が限界を尽きていた身。思うように体が動くはずもなく、不自由に倒れることしか叶わない。
「おいおいおいおい。さっさと立てよ。そんなんで伸びてんじゃねぇよ」
飽きを覚えたように淡々とした口調で言うが、その表情にはまるで違う。
自分よりも下等で弱い相手を地面に伏せさせることの喜びに、悦に浸かるような形相だ。
そんな顔を見て自分の中で何かが萎縮する感覚に、早く立たなければと手に力を籠めるが、結果は同じように地面に体を打ち付けるだけだ。
「そんなに立ちたいなら、俺が立たせてやるよ!」
地面に伏せる滑稽なデュソルを見て優位的な立場にいる余裕を感じたのか、男は突然と笑いながら近くへと歩み寄り。
そして足先をデュソルの顎に宛がえば、力ずくで持ち上げる。
「おいおいどうしたんだよ! さっさと立てよぉ!」
恨むように睨みつけるデュソルに、男は粘着質な喋り方で見下してくる。
デュソルの中には恨めしい気持ちが生まれるが、男に対して反抗する
ほどの体力などもすでになく、睨むぐらいがデュソルに残されているものだ。
だが。
それは甘い考えだった。
先ほどは殺そうと迫ってきた男であったが、今は気分を良くして生かしているだけであることを。
「気に入らねぇな、その目」
ゾクリと背筋に殺気交じりな悪寒が奔る。
行かされていた最低条件の高機嫌を損なわせてしまったのだ。
焦ったような顔を浮かべるが、それは男の嗜虐心を煽らせて狂笑を浮かべる。
勢いのままにデュソルの頭髪を掴みあげ、顔を男自らと同じ場所まで持ち上げ。
「殺してやる! 今! すぐに! この瞬間に!」
――殺してやるよ
今まで以上に濃厚な殺気。
今度こそ死ぬ。殺される。
どうすれば回避できる? どうすれば逃げられる?
どれだけ探そうと、ここから先の生存ルートは一切と摸索できず。
「さぁ、死を楽しみな!」
男が剣を抜き、半身で引き絞り。
やめろ!
死にたくない!
生きていたい!
戦いたい!
戦争を止めたいんだ!
――だからッ。
激しく瞑目し生への願望を強く願い。
男の剣がデュソルの腹部を貫いた。
「戦争を、させろ、よ……」
掠れた声は男には届かず、戦闘に加わらなかった秩序たちと混ざって哄笑を上げているだけだ。
腹部が熱い。
剣を差された傷口から漏れる血は鼠径部や足などを伝って地面に滴る。
温かい、というよりも温いという感覚が、どこか脳裏の感覚を麻痺させているように感じて。
戦意の焔が燻り、そして薄れ。
消え墜ち――。
俺は。俺には……。死を恨む力なんていらない! 今は! 今だけでもっ! 俺に力をくれよっ! 俺に戦える力を! あいつらを! 平然と哂う奴らを!
……こんな戦争を止められるだけの力をっ!
そして、ポっと。
意識が風に吹かれて消え失せた。
新たな所持者、デュソル・アーノルドの転移を開始します。
同調開始。空間リソース消費。鏡世界への転移を実行します。
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