鏡世界の|境界線《ホライゾン》

朝田アーサー

決意

 この世界には、正義と秩序の二つを語る勢力が蔓延んでいる。

 その二つの勢力は毎日のように対立を繰り返し、激戦地では血を見ない日は稀となっている。


 「戦争、やっぱり始まっちゃうのかな……」


 中ほどの背丈の青年、デュソル・アーノルドが不安げに呟く。


 曰く正義の勢力が手を出してきた。

 曰く秩序の勢力がスパイを送り込んだ。


 互いに確証のない証拠を掲げ、戦争を起こそうとしているのだ。


 「俺、戦いたくないな……」


 陰湿に言う姿には、羨望と渇望が見え隠れしている。

 デュソルは戦うことに憎み妬みを覚えているわけではないのだ。

 単純に戦う力がなく、相手に簡単に組み伏せられ殺されてしまうからだ。


 戦えない自分と、戦場で活躍できる戦士たちを重ね、劣等感を抱いているのだ。


 「強くなりたいって頑張ったところで」


 蔑むような口ぶりで言えば、近くにある手鏡をのぞき込む。


 それは死んだ幼馴染、正義と秩序の連中の戦闘の流れ弾が当たり命を落とした幼馴染の形見だ。


 鏡は割れ、取っ手の部分にはマジックか何かで書き込まれた幼馴染の名前、アイリ・ヴェルクーリという名が見える。

 覗き込めば、その中には滲むように揺れる景色の向こう。


 今とは別の勢力、秩序に属しながらも今と同じように雑用をこなす、下層で生きる自分がみえるのだ。

 デュソルはこれを鏡世界と名付け、暇がある時にはいつものように見ている。


 「別の世界でもこんなんじゃなぁ」


 自分の細腕を見ては、ため息が漏れる。

 細く肉付きも疎く、ましてや筋肉なんて以ての外。

 それはお世辞でも戦場に立つもののものとは見えない。


 「どうしようもない、か……」


 現実が痛く曇る心を刺してくる。

 逃げたいわけでも贖いたくないわけでもなく。

 ただ少しでもいいから役立ちたい、戦いたいと思ってしまうのだ。


 「……なんで俺は戦わなくちゃいけないんだよ」


 本当は戦いたくない、なんて言えたならどれだけ楽なのだろうか。


 俺は俺の居場所と、アイリの墓を護るために。


 「戦わなきゃいけないんだよなぁ」


 悪態を吐くように宙にため息を吐けば、徐に立ち上がる。

 近くの壁に立て掛けた弓を背に背負い。


 「時間、だな」


 時計を確認し、集会場所を目指し家を出た。



    *



 多数の騒めきが混雑するこの場所は、正義の本拠地である都市エガントスフィアの時計塔前である。

 主人公もその場に集っており、間もなく国政と勢力の頂点に立つ者である騎士王ガヴェインによる戦意を鼓舞するための演説が行われるだろう。

 この場に集う皆は、その瞬間を今か今かと待っている。


 そんな瞬間に。


 ─―カーンカンカンカン!


 警戒用として都市の門に設けられた警鐘が悲鳴を上げたのだ。


 「――っ!?」


 殺気や怒気など、さまざまな感情がこの場に篭る。

 警鐘の鐘の音を聞いた戦士たちのものだ。 


 『この場に集った戦士諸君には申し訳ないが、演説などしている暇がなくなった! 今すぐ戦闘形態を成せ!』


 警鐘の鐘の音を聞いた騎士王が、慌てた面持ちで集う戦士の前に躍り出たのだ。

 明らかに不詳。明らかに動揺。

 そんな事態に皆の中には志気の鼓舞などを気にしていられるはずもなく。


 「しゅっ、出撃だぁ!!」


 誰が叫んだのか。

 その言葉を行動の切っ先に、割れんばかりの声で溢れる。


 焦燥。

 不安。

 恐怖。


 競り上がるそれらに、戦士たちは慌てながらも装備を整え、警鐘の鳴り響いた正門目指して進みだす。


 「ほらそこの坊主も! 一緒に行くぞ!」


 他の冒険者に交じりながらも、デュソルも正門を目指した。


 誰もいない正門前の通りには一般人は誰もおらず、通りに面した家々などの窓など、一つ残らず綺麗に閉ざされている。


 「なんだ坊主。そんな物珍しそうに見るってこたぁ、戦争には初参加ってところか?」


 そんな風景に物珍しさを抱いていたデュソルに、先ほどの初老が声を掛ける。

 普段は賑わっている通りが急に風貌を変えれば誰だって驚くだろう。

 悪態を吐きたくなる気持ちを押さえながらデュソルは小さく頷く。


 「戦争自体は。でも小競り合いには強制の方は毎回出てた」


 「おぉそうかそうか! なら今回の戦争はちと厳しいかもな!」


 う、うるせぇ。

 内心で悪態こそ吐くが、初老に言われたように今回の戦争の行く末に訝し気な表情を浮かべる。

 疑うように初老の横顔をのぞき込んでみれば、口ぶりでは大なりいじるよなものだが、それに そぐわないような狼狽したような汗を滲みだしている。


 「今回の戦はいつものような簡単なものじゃねぇんだ。正義と秩序以外の何か。まぁ、なんか他の勢力が生まれたかもしれないってことなんだよ」


 「他の、せい、りょく……?」


 頭に入っては来なかった。

 勢力というのは、この世界には二つだけ。正義と秩序しかなかったはずだったのだ。

 それなのに、新しい勢力がなんの兆しもなく現れるなんて……。


 「まさか、その勢力の発端が今」


 「おっ。どうやらその頭はからっきしじゃないようだな」


 脳裏に浮かんだ言葉同士を繋ぎ合わせただけの推理ではあったが、どうやら初老の思考と重なったのか、機嫌の良さそうな声を上げる。


 「まぁ今回の新勢力がこの戦争に関わってくることはないんだがな」


 「違うんかいっ」


 あまりの迫真さから吐き出された言葉につい口を挟んでしまい、それを咎むように初老には睨まれる。

 ため息交じりながら睨む眉間を解く。


 「火種を起こしたのは新勢力の奴らなんだが、それに油を注いだのが両勢力ってことなんだよ」


 「元から戦争をしたいとうずうずしていた両勢力を引き合わせたってこと?」


 「あぁ。だからこそ収拾がつかないからこそたちが悪いってもんだ」


 悪態のように言ってのける初老は、腰に付けた雑嚢から取り出した葉巻を加え、マッチで火を付ける。

 幾らか吸えば吐く息とともに煙を吐き出し、見上げる顔に苦悩を滲ませる。

 それに釣られたのか、デュソルも顔を滲ませる。


 「戦争なんて、したくないなぁ……」


 ぽっとでた独り言。

 そこら中を見渡せた数人は口にしているであろう言葉。

 当のデュソルも意識して出したものではなかったのだが、それでも初老の反応は目を張るほどの反応をした。


 「そうか。いいじゃないか、それ」


 「……は?」


 「はってお前なぁ。だから、戦争をしたくないっていうのも悪くない。むしろその思想はいいものじゃないかって言ってんだ」


 そう笑えば、初老の男がまるで独り言をするように天を仰ぎながら口を開いた。


 「戦うのもいいし、護るのもいいし、逃げるのもいいし。抱くのもなんでもいいんだよ。でも、それを実行するのはこれからのお前次第だ」


 「……ん?」


 初老の言うことにデュソルが疑問の顔を向ければ、初老は笑う。

 近づき肩に手を置けば、何度か確かめるように撫でてくる。


 「戦うんだよ。戦わずに済むように戦うんだ」


 「戦わないために、戦、う?」


 「あぁ、そうだ……ってところで時間だな」


 初老は腰に着けた懐中時計を見て、声を上げる。

 懐中時計の中には、何か写真が入っているなどということはないが、その代わりというものにないが、何かのメモというものなのか、懐中時計についている鎖に手帳のようながもの括りつけられてあった。


 「おじさんはちょっとホライゾンを探しにいかなきゃだからね」


 「ホライゾン?」


 思考より疑問が先に出れば、初老はどこかバツの悪そうに両手を『わからない』といった具合に両手をあげる。


 「まぁ。俺からお前に言えることは何もないってことだ」


 「なんか奥深そうっすね」


 「そう言うわりには中々に興味なさげじゃないか」


 大げさに笑いながら言えば、会話を切り上げたかったのかむりやりに体を翻らせる。

 背に纏うポンチョのようなマントがデュソルの目を遮り開こうとした口を閉ざされる。


 そして初老はデュソルに影ながらに口端に笑みを刻み。


 「まぁ知られてもおじさんが困っちゃうだしね」


 そういうと、まるでさきほどまでのかいわがなかったかのように平然とした様子で去っていく。

 その際にさりげなく手を振ってくるので、デュソルも申し訳ない程度に振っておく。


 「ホライゾンホライゾンかぁ……」


 手の中に滲む手汗に危機感のようなものを覚えながら、安堵にも似たため息を吐いた。


 「ちょっと、危なかったかなぁ」


 思い出すように懐に手を入れれば、割れた鏡を撫でるように指先で触れる。


 「……いや、今は戦争か」


 気分を切り替えるように……。


 「気分を切り替えるようにって……」


 そんなの、俺がまるで気分が高まっているとでも言いたげな思考に、ため息。

 そして嘲笑が漏れる。


 そして。

 嘲た風貌を鳴りを潜ませ、視界まで垂れてくる髪をかき上げた。



 きっと俺は――。


 「戦争を止めるために。戦争をするんだろう」


 静かに揺れる心で。

 デュソルは未来を定めた――。

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