第24話 異世界は優しさと共に

 再び訪れた霊峰セクリトは、どんよりと薄暗く重い曇り空に覆われていた。

 聖地セクリトの町を抜け、後ろにそびえる霊峰を駆け上がる。霊峰頂上への道はさほど険しくも無く、道も整備されているようだ。


「そんな苦労して山登りしないでいいのはありがたいですね!」

「霊峰の頂上は観光スポットだ。広く拓かれていて、特に魔物も出ない。ごくまれに迷い込んで来た魔物もいるが、そんなのは一年に一回あるかどうかだと言うな」

「それはお年寄りにも安心ですね!」


 走り抜けながら、一郎さんとそんなやりとりをして。


 そうしてセクリトの頂上に到着した。

 頂上の開けた場所の地面には、かなり複雑な魔法陣が描かれている。その中央には――――やっぱり、彼の姿がある。その彼の奥には、既に地球への時空の扉が開かれていた。…………間一髪間に合ったようだ。


「…………来ましたか。フレイヤたちがいないという事は……。そうですか。あなたたちは私の世界を破壊しに、ここまで来たのですね」

「……はい、先生。これが俺達の答えです。先生の言う『優しい世界』は、どうしても受け入れられません」


 そうだ。紙一重、しかして決定的に、俺達は先生とは異なる選択をしたのだ。

 俺達の今の表情を身て、先生は本当に心底から落胆したように表情を落とした。


「…………理由だけ聞かせて下さい。私の優しい世界の、何が気に入らない?」

「やり方の全てです。何度だって言います。洗脳して、全人類の心を否定して、自分だけに染め上げるなんて、そんなのおかしい。許されるはずもないんですよ、先生……!」


 まずグラシャが先生の問いに答える。グラシャの言う事は正しい。

 先生を受け入れられない理由のまず一つめ。それは先生のやり方。悪い心を全て消すために、良い心までも全て消し去って、自分だけにしてしまう洗脳というやり口は……やっぱり、やりすぎなのだ。


「馬鹿な小娘め……。ここまで来てまだ分からないか。他人の心を認めれば、それは必ずや悪を産み、再び悲劇を繰り返す原因となる! それでは優しい世界が創れぬのだ!」

「違う……! 違うわ、先生……! その発想がまず悪なのだわ……! 優しい世界を作るために、先生は優しくない事をしようとしているのだわ……!」

「アイリス、お前も理解の出来ない劣等生か……。例え悪と呼ばれる事をしようと、その対価は優しい世界の創生という偉業だ。それとも、君には他に優しい世界を作る方法を知っているというのか?」

「その返答は筋違いだ大司教。『他に方法が無いのだから、例え悪の所業であろうとつき通せる』という理屈にはならない。その選択をした以上、あなたも悪に堕ちたのだ……」

「悪……!? ……、この、私が、悪、だと…………!?」


 一郎さんの言葉に、アルトリウス先生はとてもつもなく衝撃を受けたようにふらつき、後ろに下がった。

 そう、理由の二つめ。それは先生の理屈。…………『優しい世界を作る』事を考えすぎて、先生は狂乱に飲まれてしまったのだ。『悪を成してでも悪のない世界を作る』と考えてしまうほどに、歪んだ答えを出してしまったのだ。

 …………先生は、結局のところ一人だった。フレイヤさんたちは彼を止める事をしなかった。先生が歪んでしまっていると、誰かが止めるべきだったのだ。今も先生は一人で考え、一人で実行しようとしている。自身の歪みに気が付かないまま。


「…………違う。私は悪では無い。ならばお前たちは世界をこのまま認めるというのか……? トーマ、イチロー! お前たちが忌み嫌ったあの世界を! 何の行動もしないまま! 思考停止して生きる有象無象の奴らのように! 悪を我慢して生きるというのか!」

「それも違う……! 違うんだよ、先生……! 優しい世界はもうあるんだよ……! 皆、もう見つけてるんだ……だから悪にも負けないんだ……毎日毎日、こつこつ必死に生きてるんだよ……」


 それは兄貴にとっての家族おれ、俺にとっての騎士団みんな。そして先生にとっての――!


「ふざけた事を抜かすなトーマ! 必死になって生きているのは悪があるからだろう! 悪を耐え忍び、それで自身は正しき道を進む事が素晴らしい事とでも言うか! 悪に負けずに生きていくのが人生の尊さとほざくか! あり得ない! そんなものは道徳ですらない! 悪を滅せずして幸福など訪れない!」

「幸せも優しさもこの世界にはあります! そして悪に立ち向かう心だってある! 法律も! 道徳も! 宗教も! 人が正しい道を進みたいっていう心から生まれたものじゃないですか! ロゥ大司教のお言葉を忘れたんですか!」

「ロゥ大司教……、ふっ、あの方には随分と手を焼かされた。この【ブルー・アルカディア】を取り上げるためにどれだけ俺が手を回したか……」


 ――――何? …………待て先生、それは、どういう事だ……?


「…………アルトリウス、貴様、まさか謀ったのか。ロゥ前大司教を倒し、自身が大司教となって、その杖を手に入れるために!」

「……その事は、私の人生でただ一つの汚点だよ。私とて本当に心苦しかった。だが仕方なかったのだ。ロゥ大司教は最後まで私に大司教の座を譲られなかったからな。あのご老人がくたばるまで待ってはいられない。故に、退場してもらった」


 ――そう、彼は無念そうに語った。…………は? おい、何であんたが悲しんでるんだ? 

 俺も、今質問した一郎さんも、あまりに理解が出来なくて表情が凍る。…………まさか、大司教が死んだのは、全て計画のうち……?


「過激派のテロがあんなに鮮やかに起きたのも、ロゥ大司教に毒薬で暗殺するように仕向けたのも、先生が……!?」

「…………この聖杖【ブルー・アルカディア】が必要だったのだ。ロゥ大司教には、あの世で謝罪させてもらおう」


 …………ふざけるな。あんたがやった事だろ。何を惚けた事ほざいてんだ。ロゥ大司教を殺したのも、『優しい世界を作るため』か? ――――――あぁ、正体現したな。マジ、意味分かんねぇ事ほざくのもいい加減にしろよ……!


「…………やっぱり、違う……! あなたはトーマとは全然違う! 同じなんかじゃない! トーマを馬鹿にしないで!」

「ひどい、ひどすぎる…………! 先生、あなたはやっぱり、もう悪よ……!」


 グラシャとアイリスも、もう決定的だとばかりに槍と長杖を構えた。…………あぁ、そうだな。もう、分かり合えない。いや、これ以上ないほど分かり合ってるからこそ、許しておけない。

 これだ、先生を認められない理由、最後の三つめ。――――既にあなたの心は、目的のために、悪意に歪んでしまっているからだ!


「…………もういい。これ以上の言葉は不要だ。お前は斬らねばならぬ。理想に囚われ闇に堕ちた者よ、ここで果てるがいい」


 一郎さんも、軍刀を引き抜いて殺気を漲らせた。…………えぇ、もう、言葉は必要ありません。


「…………確かに俺の所業は悪であろう。だが、私が世界最後の悪となる。この先に待つ未来の全ては、善なるものに満ち溢れよう。だから――誰にも俺を否定させない。この時、私がこの世全ての悪を切り離す聖剣となるのだ!」

「いいやそれは不可能だ! 理想のために理想と真逆の事をしてしまったあなたに、もう優しい世界を語る資格はない! 俺達がここで止める! 何もかも!」


 アルトリウスが右手に聖杖を、左手に魔本を構える。同時に俺はサーベルを引き抜き、その刀身に炎を灯らせる。…………今、やっと分かった。どうして俺が異世界に来たのか。それはきっと、この瞬間のためだ。俺は、あの俺と同じ夢を持ち、夢に飲まれたあの人を助けるためにここに来たのだ。そう言う事なのである!



「俺たちの優しい世界のために」

「俺の優しい世界のために」



 霊峰にかかるは暗闇のような色をした空の雲。そして肌を裂くような冷たい風が吹きすさぶ。切り裂く。全てを終わらせる!



「ここで!」

「消えるがいい!」



 ――アルトリウス、お前に世界は渡さない。渡せない!


「皆行くぞ!」

「「「了解!」」」


 一郎さんの言葉に、俺達三人もただ空気を感じて動き出す。

 アルトリウスの左側から俺が、右側から一郎さんが突撃し、同時に最も足の速いグラシャが彼の背後に回り込み、正面からはアイリスの魔法ビームが放たれる。避けられまい、俺達の四方同時攻撃は!


「くらええッ!」


 アルトリウスはその場から動かない。だが、本を開き、少し脣を動かせて何かを詠唱した。


「温い」


 その瞬間、彼を守るように光の結界が出現し、俺達の攻撃の全てを防いでしまった!


「結界魔法……!」


 アイリスが驚いて呟く。結界!? そんなんもあるのか! 何でもありだな!


「俺がただ洗脳魔法と時空間魔法だけを研究していたと思っていたか? 浅慮だな、あまりにも浅慮だ。いつかこのような時が来ると思っていた。我が世界を拒否し、愚かにも楯突く輩と対峙する日が来るとな! お前たちは私に指一本触れる事無く敗北する。我が神聖魔法と結界の盾によってな!」


 神聖魔法……? 何言ってんのかさっぱり分からんがどうだっていい! 結界ならば、攻撃してりゃあいつか壊れんだろ!


「【六道】!」

「【葬送】!」


 俺と一郎さんは結界に神速の六蓮撃を叩き込む!

 …………が、光の結界は耳障りな音を立てて、俺達の剣を全て弾いてしまった! くっ、地ドリの岩石砲すら易々と切り裂いた必殺の奥義がこんなにも簡単に!?


「効いていないのか……!?」

「いいや! 効いてはいる! だがあまりにも結界の耐久力が高すぎるのだ! 聖杖と魔本の魔力が、奴に尋常ならざる魔法効果を与えている!」


 一郎さんの言葉に、俺も結界の向こう側にいるアルトリウスを見やる。――あれか、あの最強装備が凄まじすぎるのか! インチキ能力も大概にしやがれ!


「ふっ、神たる私に、お前たちが触れる事は永遠にない! 余興だ、まずはこやつとでも戯れるがいい」


 アルトリウスはそう言って、杖でかつんと地を叩く。――新たな気配を感じる! これは!


「ぬおお!? 避けろ小僧!」

「なっ!?」


 その瞬間、俺が反射的に身を屈めると、頭上で何かが空を切り裂いた気配がした!

 急いで転がり距離を取ると、何とアルトリウスの側にあの吸血鬼――ハル……えーっと、そう、ハゲがいるじゃないか! 何でお前こんなところにまでいるんだ!?


「ハゲ! お前どこにいたんだ!?」

「俺はハゲではない! そしてずっとここにいたわ! 貴様らが長ったらしく喋っている間もな!」


 えっ、まじ? 全然気がつかなかった。お前意外と影薄いのな、印象は強いくせに。


「てかお前邪魔すんな! 今お前なんかの相手してる暇ないんだ!」

「ぐぅ……! 我もこんな形で貴様と戦いたくはないのだがな……いかんせん、身体が乗っ取られておってな。その上、意識もだんだん霞んでたまらん……」


 ハゲはそう言って、苦しそうに身体を震わせている。動きたくても動けないといったように歯がゆい表情をしている。…………乗っ取られた? まさか、アルトリウスに!


「…………こんな魔物に、我が洗脳魔法に抗う気力があるとはな。まぁいい。身体のコントロールは乗っ取れている。徐々にその意識も俺に染まるだろう。その間にお前には働いてもらう。さぁ、この愚か者どもを消すがいい!」

「くぅ! おのれ貴様! 絶対に許さぬぞ!」


 アルトリウスが杖を向けると、ハゲは見事に爪をたてて俺に突撃してきた! あぁもう、こんな時に!


「こいつは俺が相手をします! 皆はアルトリウスを!」


 仕方ない! 俺はまずハゲをどうにかするとしよう!

 サーベルを構え、再び俺の剣とハゲの爪が躍るように交わされ、火花を立てる! 見事に操られやがって! いつもの小生意気な態度は飾りか! それともグラシャたちですら一瞬で堕ちた洗脳魔法に少し抗えているこいつの自意識を褒めるべきか!


「お前もう少し頑張れよ! 誇り高き闇のなんたらなんだろ!」

「闇の住人、高貴なる夜の使者だ! お前こそ我を何とかするがいい! 我を助けた暁には、あの小賢しい神父を倒すのに協力してやってもいい!」

「神父じゃねぇ大司教だ!」

「おぶぅ!?」


 俺の回し蹴りがハゲの顔面にヒット! 完全に操られていないからか、ハゲの動きはいつもより緩慢だ! こいつのいつもの動きが分かってしまう自分が嫌になるな! てか考えたらこいつと俺の付き合いってグラシャより長いな! 全然嬉しくねぇ!


 さて、その間にちらとアルトリウスの方へ視線を向けてみると、今度は奴が魔法を放とうとしていた!


「格の違いを知るがいい……。――注ぎし光よ。唸りし雷光よ。合わさり輝き、地を砕け! これなるは、創生を告げる神の一撃!」

「駄目! 止められない!」

 

 グラシャが結界を必死に攻撃するが、結界にはヒビさえ入らない。淡々と紡がれる長い詠唱は、今から凄まじい上級魔法が放たれる事を実感させて、俺も『やばい』と身震いしてしまう。これはまずい!


「――悪しき世界に終焉を。神雷の【スパーク・クラスター】!!」


 ――来る。

 どんより重い曇り空が渦巻き、空いた空から、巨大で真っ白な雷撃が降りかかる! 逃げる場所などない。その神の鉄槌の如き一撃が、俺達の脳天から注ぎ、全身を焼き切り裂く!!


「がああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?」


 白い閃光で視界が霞む。身体の痛みは逆に無い。だが、この雷撃が俺の全身を焼き、骨の髄を砕き、意識を奪い去ろうとしているのは分かる。たった数秒の耐え難いほどの衝撃が、永遠に続くんじゃないかってぐらいに思える。


「―――――っ、ぁ………………」


 …………いつの間にか雷撃が止み、俺は地に横たわっていた。凄まじい一撃に、体力のほとんどが今ごっそり持って行かれた。体中が熱くて、痙攣して、立ち上がる事も難しい。…………だけど、まだだ。


「何という、一撃か……!」

「みんな…………!」

「…………まだ、負け、ない…………!」

 

 皆の声が聞こえる。立ち上がれ、俺……! ここで負ける訳には……いかないのだから……!


「抗うな。そのまま楽になれ。俺は負けぬ。絶対にだ。必ず優しい世界を……もう二度と悲劇が生まれない、誰もが穏やかに暮らせる明日を創ってみせる! それが俺の生きる意味だ! 否定はさせん!」

「……確かに、優しい世界を想う、その心だけは、正しい……」


 地面を抉るように手をつき、二の腕と足に必死に力を入れて立ち上がる。


「…………でも、あんたにその理想を語る資格は無い……だから、認められない……!」

「資格だと? まさかこの俺を疑うのか? 俺以上に優しい世界を創るに相応しい者がいるとでも言うのか! なめるな! この俺以上に平和と優しさを愛する者などいるものか! 人類に愛と平穏を! 心に正義と優しさを! 世界に安息と救済を! この俺が与えようと言うのだ! 祈りだけで終わらない! 自らの手で創造しようというのだ! これよりは人が神となる瞬間だ! 前人未到の歴史の一ページが開かれる! ここまできて、何故俺を否定する!」

「だったら! 何でフレイヤさんたちは悲しそうな顔してたんだよッ!!」


 俺が気力を振り絞って怒鳴り返してやると、アルトリウスはハッと表情を固まらせた。ふざけた事言うのもいい加減にしやがれ……! 誰よりもあんたと一緒にいたフレイヤさんたちが、あんな迷って辛そうな表情をしていたのに、どうしてあんたは優しい世界が創れるとほざきやがる!!


「帝都を出る時に、スカーレットが、泣いてました……。『幸せになる方法が分からない』って……!」

「スカーレットが……!」


 グラシャもどうにか立ち上がり、槍を構え直す。今の一撃が効いて、肩で息をしているが、それでもまだ気迫は十分に残っていた。よかった……。その調子だ、グラシャ!


「フラムだって……『アルトリウス様のためなら、自分たちは何だってする』って言って、ました……。でも、それは、あんな寂しそうに呟くような言葉じゃないです……! 先生……最後に、フラムの顔を見たのはいつですか……!」

「……、フラム…………」


 アイリスもまた立ち上がり、俺やグラシャ以上に、はっきりと怒りの眼差しをアルトリウスに向けた。そして何と、傷ついた身体のままで杖を天高く掲げる。――その動作は、アレを使うつもりか!


「――注ぎし光よ。湧き出ずる闇よ。混じりて原初の輝きとなれ。汝を屠るは、混沌の息吹なり!」

「光と闇……!? 何だ、その魔法は! やらせはせん!」 


 アイリスの詠唱を聞き、アルトリウスは少し警戒して、魔法陣から小規模の雷撃を放つ! やらせはしないのは、こっちの台詞だ!


「邪魔すんなァ!」

「ぬぅぅん!」


 アイリスに雷撃が命中する前に、俺と一郎さんが前に立ってそれを斬りはらう! ――そうか、知らないよなアルトリウス。うちにはなぁ、帝国でたった一人の、混沌魔法の使い手がいんだよ!


「やっちまえェ! アイリスッ!!」

「――良き世界を! 撃滅の【ディザスター・レイ】!」


 かつて俺達を勝利に導いた、モノクロの極太ビームを乱射する必殺の魔法が放たれる!


「行って!!」

「っ!」


 再びそれは地面を抉りながら、俺達の敵を撃滅へと追い込み乱舞する!

 今度はアルトリウスを魔法砲撃の輝きが包みこむ! 彼の結界は凄まじい抵抗音をたてながら、アイリスの【ディザスター・レイ】を何とか弾き、守り、霧散させる!


「ぬおおおおおおッ!」


 だが、この一撃は流石のアルトリウスも涼しい顔を保てなかったようだ。気圧されそうになる身を必死でこらえ、杖と本に魔力を集中して耐え抜いている。くっ、アイリスの最大火力にすらも耐え抜くか!


「…………トーマさん、ありがとうございます。私に、優しさをくれて」

「アイリス……?」


 魔法を解き放ちながら、アイリスは穏やかな表情で俺に言う。その眼差しは、強い決意が宿っていた。アイリス、いったい何を……?


「今こそ、あなたに恩返しをします。私が、アルトリウス先生にその刃を届かせます。トーマさん、イチローさん、後はお願いしますね」


 アイリスがそう言い終わると、【ディザスター・レイ】の魔法が終わってしまった。魔力切れだ。あの大規模魔法は数秒解き放つだけで大量の魔力をくらう。結界破壊前に終わってしまっても仕方のない事だ。


「っく! 光と闇の複合魔法! まさかこんなところに使い手がいたとはな! 凄まじい攻撃力だが、我が結界は破れない! 言った筈だ! 指一本触らせぬと!」

「…………いいえ、もう一度です」


 アイリスはそこで懐からエリクサーの小瓶を取り出した。あれはドクからもらった、アイリスのもの! それを彼女はぐっと飲み干してしまった!

 アイリスのダメージと魔力がみるみる回復する。表情から疲れが消えると、もう一度杖を掲げた。――アイリス、お前……!

 

「行きますよ、今度は耐えさせません。必ず貫きます」

「エリクサー……! まだ持っていたのか!」

「偽りの神を粉砕せよ、【ディザスター・レイ】!」


 そして、二度目の破壊光線がアルトリウスに降りかかる! 一度目よりも太く、大きく、ねじれて回転しながら、結界を食い破るように襲い掛かった!


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!  っ、こ、小娘如きがァァッ!」


 その時だった。“ピシィ!”と何か決定的に脆くなった音が聞こえた。……今、のは――!

 その最大火力の【ディザスター・レイ】は本当に全力だったようで、たった三秒ほどで消え失せてしまった。――後ろでアイリスが崩れ落ちるのが確認出来た。…………ふっ、前にもこんな時もあったな。


「……私が出来るのは、ここまで……あと、は、お願いします…………」


 あぁ任された! おぉ、アルトリウスの結界にメリメリ罅が入っている! 今もう一押しの一撃を入れるしかない、このアイリスが作ってくれた絶好の機会を逃す訳にはいかない! だから!


「愛してるぜアイリス!!」

「お見事、御見事だ!」


 彼女に心からの礼を言いながら、俺と一郎さんは剣を手に突進する。狙うは結界にある数ミリの亀裂! そこを狙って! 切り崩す!


「カイドウ=トーマ! ヒイラギ=イチロー! 貴様らは! 貴様らはァッ! 優しい世界が無くなってもいいというか!」


 アルトリウスも負けじと雷撃を飛ばして迎撃する! しかし! そんなもの! 一郎さん式ブートキャンプによって鍛えられた足腰が易々と回避するぜ!


「優しい世界か。いいや、欲しいさ。全く以て、この世の中で何よりも欲しい!」


 一郎さんが身を屈めて、軍刀を放つ構えになりながら答える。あぁ、その通りだ。俺だって優しい世界は欲しいさ。…………だけどな! 目の前にいるフレイヤさんたちも笑顔に出来ねぇ男が、優しい世界なんて作れる訳無いってんだよ! 洗脳とか、殺人とか、悪を成してまで、そんな世界を作ったところで! 笑って喜んでくれる人間なんざ一人もいやしないって、そろそろ分かれ!


「優しい世界は欲しい! だが! お前のやり方が気にくわない!!」


 そう言う事なのである! くらえ、今必殺の!


「抜刀奥義! 【明鏡一閃】!」


 アルトリウスの横を走り抜け、その刹那に、抜刀の一撃を、放つべし!!

 結界の罅を抉るように切り裂き、後ろに抜けた俺と一郎さん。その背後で、結界がすっぱりと切り裂かれ、ガラスのように白い結界が破片となって砕け散った!


「馬、鹿…………な……!」


 無敵と思いこんでいた自身の結界が砕け散る様を目にして、ようやくアルトリウスの表情が崩れる。いい表情だ。自分が神なんてものじゃないってようやく理解したか。


「ッ、何をしている吸血鬼! この馬鹿共を止めろ!」

「―――――――ククク」


 アルトリウスが杖を振ると、さっき一緒に雷に巻き込まれて悶絶していたハゲがいつの間にか元気そうにやってきた。…………アルトリウスの背後に。


「あぁ、もちろん――――――断る」

「なっ……!?」

 

 そして何と、ハゲはそのまま爪で、アルトリウスの手にあった【魔本 マギ】を引き切り裂いてしまった! な、何ィ!? 馬鹿な、お前、操られていたんじゃ!


「馬鹿な、何故洗脳が解けて――!?」

「フハハハハハ! そこな小娘から変なものを飲まされたら目が覚めたのだ! だがこれで貴様と戦える! 我を意のままに操ろうなど! 千年早いわマヌケがァ!」


 そしてそのまま、今度は【聖杖 ブルー・アルカディア】を掴み、そのまま闇の魔力を流し込んで爆散させて壊してしまった! ああああああ!! 貴重な最強装備がぁぁ!! 馬鹿あのハゲ何やってんだ!


「ばッ! 馬鹿者ォッ!! 吸血鬼如きが! ふざけた真似を!!」

「ごめんなさいね先生! エリクサー、あたしも一本持ってたのよ!」


 慌ててハゲから一歩下がって仕切り直そうとしたアルトリウスの背後に、いつの間にかグラシャが回り込んでいた!

 お前か! さっきアイリスが頑張ってる最中にエリクサーをハゲに飲ませたんだな! 何て贅沢な使い方を! だが最高の機転だ! 愛してるぜグラシャ!


「私たちの勝ちよ、先生」


 そしてグラシャは槍を構え、後ろから先生の脇腹を斬りつけるように振った!


「ぐゥッ…………ウゥッ!!」


 アルトリウスはその槍の勢いに吹き飛ばされ、脇腹から少し出血しながら吹き飛び転がる! ……指一本どころか槍の一撃も当たったな。今グラシャが心臓めがけて突き刺していたら、アルトリウスは確実に死んでいた。グラシャはわざと致命傷にならない攻撃を与えたのだ。だが、それでいい。この人は殺してはいけない。まだ、この人は終わってはいけないのだ。


「…………終わりです。俺達の勝ちだ」


 俺達は再び集結してアルトリウスの前に立つ。優しい世界創生計画のキーアイテムだった魔本と聖杖は今、失われた。ここにいる皆の力で、世界は守られたのだ。…………ハゲも、一応、活躍したな。


「何と言う様だ……! もう少しで……もう少しでおれの世界が出来上がるというのに……! 低級の吸血鬼に時間稼ぎさせられた挙句……子供などに阻まれるなど……!」


 アルトリウスは血のにじむ脇腹を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。髪は乱れ、額には脂汗が滲み、余裕など全く無く、非常に厳しい表情をして、俺達を睨んできた。


「ハァー……、ハァー……、地球人、異世界人、そして魔物……! 揃いも揃って、俺を否定するのか……これが、世界の答えとでも言うか……! ふざけるな…………、諦めぬ……、諦めぬぞ……! 魔本が無ければ代わりを探すまで……聖杖が無ければ、魔杖を手にするまで……! 俺は……、この、世界をォッ!!」


 ――アルトリウスが叫んだその瞬間、彼の腰から銃が握られた! しまった! そういえばこの人はこいつを持っていた!


「魔法科学で再現した、俺の時代の光線銃ブラスターガンだ! 文明の光に消えろ!」

「避けろッ!!」

「うっ!?」

「がっ!」


 俺は叫びながらも、逆にアルトリウスに突進する!

 そんな俺の横をすり抜けるように、銃から乱射された光線が飛び、グラシャの足とハゲの胸を貫いてしまった! くっ、異世界こっちの人は知らねぇよなそりゃ! 反応が遅れても仕方ねぇ!


「せい!」


 だが二度は使わせない! 俺がサーベルの峯でヤツから銃を叩き落とすと、彼もそれに執着せず、また仕切り直して、いよいよ最後の武器を手に取った。…………普段、先生をやっていた頃から腰に下げていた、大きな処刑剣エクセキューショナーズソード。それを鞘から引き抜いたのだ。


「くっ、ごめんトーマ……足が動かない…………!」

「痛い、痛い痛い……! 心臓は駄目だ……心臓だけは無理なんだ…………!」


 先の銃の一撃の辺りどころが悪かったのか、グラシャとハゲはその場に蹲って戦えそうにない。…………いよいよ、これで俺と一郎さんだけが残った。終幕が近い。


「終わらない…………終わりにしてはいけない…………、俺には、その責任がある…………!」

「まだ、そのような事を…………」

「…………ここまでやっても、まだ分かんないですか」


 強い願いが生んだ、歪んだ意思。あるいは、ロゥ大司教を殺してまで進めた為の執念だろうか。あれを砕くには、もう一撃届かせる必要がありそうだ。…………やっぱり、あの人を止められるのは俺達じゃあない。


「…………先生。先生が果たすべき責任は、こうじゃないです。もっと、いの一番にやらなきゃいけない事があります」

「世界を創造すべき事以上に、俺が、やらねばならぬ事など……あるものか……!」

「……だからあなたは悪に堕ちた。優しさを見失い、最も大事にすべきものを落としてしまった。…………歯ァ食いしばれ。もう一回思い出させてやる――!」


 忘れたのならば思い出すべきだ、落としたのならば拾うべきだ、先生。あなたの落としたものは、それほど大事なものなんだから。


「決着をつけるぞ、十真くん」

「はい!」


 ――これが最終ラウンド。アルトリウス、理想の狂気に囚われた、優しい悪魔。今、あんたを人間に戻してやる!







「――今の光は、アルトリウス様の結界……!」

「砕け散ってる…………」

「まさか、無敵の結界が…………!」


 彼らの死闘の最中。聖地セクリトの町には、ちょうど一台の馬車が到着した。

 馬車の中からは、見事にボロボロボコボコにされたフレイヤ・フラム・スカーレットの三姉妹がおぼつかない足取りで現れる。


「さっさと行きなさい。全部トーマくんたちにやらせる気?」


 彼女たちを運ぶ馬車の御者をしていたマヤが呆れ混じりにそう言う。その腹の立つ言い方に三姉妹も少しむっとするが、気持ちを抑えて、聖地セクリトに足を向けた。


「…………いいえ。行きますわ。“あなたたちに負けたら、自分に素直になる…………”そういう約束でしたから」

「殊勝で結構。今頃大司教も追い詰められてるだろうし、さっさと迎えに行きなさいな」

「……ちっ。何でこんな奴らに勝てなかったんだよあたしたち……」

「…………行こう。アルトリウス様に、私たちの気持ち、言わないと」


 そうして、三姉妹は疲れた体を引っ張って、霊峰に昇り始める。

 最終幕も、もう少し。全ての決着が今つこうとしていた。

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