第22話 Re:今より始まる異世界再生
その世界では、人類は宇宙にまでその文明を伸ばしていた。
星の大海には宇宙戦艦が飛翔し、太陽系を越えて、様々な惑星をテラ・フォーミング――人の住める星に人口的に創造する事で、人類の生活圏は宇宙規模で拡大していった。その中では、既に地球すらも小規模惑星の一つに過ぎない存在になってしまった。
そして――宇宙資源を巡って、争いが起きた。
第三次宇宙大戦……惑星規模で戦力が衝突する、史上最大の戦争だった。そんな時代の地球に
彼は特別な生まれではなかった。特別な力や才能に恵まれた訳でもなかった。ただの平民だった。
だけど、人一倍正義に篤い青年だった。強きをくじき弱きを助け、悪を見て見ぬふりが出来ない気持ちのいい青年だった。故に、彼は強く戦争を憎んだ。人が死んでまで獲たい利権とは何かと、戦争に全く理解を示さない優しい人間だった。
やがて地球は大きな勢力に侵略された。地球を統べる人間は降伏をしなかった。『地球に生まれ、地球に死す。それが地球人の誇りである』と、馬鹿のような事を言って。
だが、それは地球に住む人間全てを巻き込んでの自殺であった。降伏しないのならば殺すしか道は無い。
「――――何故、この世界は――」
――何が戦争だ。何が誇りだ。この世界は――――悪意に満ち溢れている。
それが、彼が最後に思い、世界に残した恨みだった。
だが、彼の生はここで終わらなかった。彼はもう一度、世界に誕生した。
二度目の生には『アルトリウス』という名前を授かった。二度目の生は、魔物という未知の生物がいるものの、人の戦争が無い世界だった。
彼は前世の記憶を持って誕生した。故に、この世界に生まれた事を歓喜した。二度と戦争に苦しみ飢え、エネルギー砲で骨の髄まで一瞬で消し飛ばされる事はないのだと。ここには優しい世界があるに違いないと。拳を突きあげ飛び上がるほどに喜んだ。
――――だが、世界は再び彼に絶望を叩きつけた。
「我々こそが真なるアスラ教徒! 魔族滅ぼすべし!」
「邪悪に犯されし大司教滅すべし! 魔族を許す帝国まさに断つべし!」
彼は、帝国で『過激派』と呼ばれている人間を親にして生まれてしまった。
彼らのいる過激派はまさに国賊と呼ばれるほどの勢いで暴れ回った。無辜の平民を『協力しないから』という理由で殺戮し、無害な魔物までも殺し、自身を討伐に来た騎士団には残虐極まる方法で『制裁』と呼び命を奪った。
彼は再び絶望した。
生まれ変わっても、彼は人の悪意から逃げられなかった。目の前で繰り返される悪逆の限りを見つめて彼は再び青年に成長した。そして――
「父上、そして母上――――地獄に落ちるがいい」
両親を自らの手で切り捨てた。
そして、彼のいた過激派集団を、力の及ぶ限り殲滅した。二度目の生は武の才能に恵まれた。所詮は烏合の衆である過激派に、彼に敵う者は誰もいなかった。
生まれた村と育てた人間を自ら捨てた彼は、本当のアスラ教会に入り、そこで帝国を巡礼して回った。
「…………何故、人は、ここまで――!」
帝国巡礼の旅で、彼は三度目の絶望を味わった。
平和な町で、一部の特権階級の貴族が悪逆を働いていた。行く宛てのない人間や金の無い人間を脅し集め、その特権階級の貴族は人を
――平和な世界は、優しい世界ではないのか――!?
彼は深く絶望した。人に、世界に、そして運命に。
「はい、何でしょうか神父様。そうですか寝室に参りましょう。殿方を喜ばせるのが、私の存在価値ですから」
暴行のされすぎで心を殺された使用人・フレイヤの運命に絶望した。
「……………………」
姉のフレイヤを人質に取られ、貴族から逃げだそうとした人間を殺し続ける仕事をさせられた結果、感情と言葉を失った使用人・フラムの運命に絶望した。
「がう! がう! ぐるる~~……。…………そんな目で見ないで下さいよ。笑ってくれよ神父様。頼むから、憐れまないでくれ」
彼はあらゆる手を尽くし、彼女たちを虐げていた貴族を陥れ、考え得る限り最高に無残な最期を遂げさせた。
そして三姉妹を助け出した彼はそこで理解した。――人の世界とは、輪廻転生を繰り返しても、かくも無残で残酷な現実しかないのだと。
そうして彼は、アルトリウスは、世界に優しさを望む事を――――やめた。
人類に愛と平穏を。
不可能だ。愛を抱く善がいるように、平穏を摘み取る悪がいよう。
心に正義と優しさを。
不可能だ。全人類がそんなものを持っていれば、悪も罪も生まれまい。
世界に安息と救済を。
不可能だ。人は悪がいては安らげまい。人は正しさだけを救えまい。
この世界に神はいない。
ならば――――俺が神になればよい。人が人を救えぬのであれば、自分が人を超越した存在になればよい。その神の座に誰も座らぬのであれば、俺が座ろう。
そして創ろう。新たな世界を。つまらぬ悪心も、下らない企みも、理不尽な悲しみも、やりきれぬ怒りも、冷たく暗い絶望も、俺がこの手で終わらせよう。それこそ、俺が目指す世界――――優しい世界なのだから。
――――アスラ教会・大司教アルトリウス。
世界が優しくないのであれば、自分が優しい世界を創るしかない。優しい世界を願った彼はこの時――神を目指す男となった。
◇
「――っは!?」
アルトリウス先生の放った魔力の光を浴びて、俺は一瞬気を失ったように思えたが、すぐに正気を取り戻した。…………何だ、今、アルトリウス先生の記憶が頭に流れ込んで来た気が…………。
「今のは…………」
隣にいる一郎さんも無事なようだ。…………周囲を確認すると、あの魔力の輝きは消え去り、また静かな聖堂が視界に映る。
…………ここで、部屋を出ていたフレイヤさんたち三姉妹が聖堂の中に戻って、アルトリウス先生の背後についた。…………今覗いた記憶は、本当に彼女たちの過去なのか……!?
「…………今日はお集まりいただき、ありがとうございました。集会はこれにて終了です。皆に、よき明日が訪れますよう」
アルトリウス先生はそう言い、この場の解散を告げた。…………え? 終わり? そんな、まだ何も話していないようなものじゃないか。こんなの信者の皆が納得するはず――。
「…………心が洗われた気分だ。ありがとうございましたアルトリウス大司教」
「これよりは、わたしも心を入れ替えて精進します」
「優しい世界のために……頑張らないとなぁ…………」
――おかしい。何だ、他の信徒たちの様子がおかしい。目が虚ろで、不気味に優しい微笑みを浮かべて満足し、次々と聖堂を後にしてゆく。…………これは、きれいな団長やきれいなルキウスと同じ現象……!?
「一郎さん……!」
「あぁ。どうやら、大司教はとんでもない事をしているらしい」
一郎さんはぐっとアルトリウス先生とフレイヤさんたちを警戒した表情で睨みつける。だが、その視線すらも先生はなぜか満足そうに受け入れていた。……何をしたんですか先生、答えてもらいます!
「えぇ……アルトリウス先生はとっても素晴らしい事をしようとしているわ……」
「世界を……皆で……世界を、優しくするのです……」
先生に詰め寄ろうとしたその時、後ろから手が引っ張られて足を止めてしまった。…………グラシャとアイリスが、虚ろな表情で微笑み俺を引き留めている。――――馬鹿な。二人とも、そんな、嘘だろ……!
「でも、私たちにはもう優しい世界があるのだわ」
「優しい世界は…………トーマさんがくれた…………」
「グラシャ! アイリス! しっかりしろ!」
「好き…………好きなのトーマ……」
「…………愛してます、私の王子様……」
その虚ろな二人が、とても愛おしそうに俺に詰め寄り、すっと身体に引っ付いて来た。な、何だ、この不気味で、冷たい感触は……。昨日の夜とは全く違う。抱き着かれても全く嬉しくない。だって、グラシャの中にグラシャがいないって分かるからだ。アイリスの心が存在していないアイリスが、勝手に俺に抱き着いているからだ。
…………どうして、二人から初めて聞く愛の言葉が、こんなにも冷たいんだ……。それが悲しくて悲しくて仕方ない。許せない……! アルトリウス先生……いくらあなたでも、俺の大切な二人に手を出すのなら容赦はしない……!
他の信徒たちが全員聖堂から去ったところで、アルトリウス先生は指を一つ鳴らす。すると、聖堂に通じる全ての扉が閉まり、鍵がかけられた。……密室。先生も俺達に話す気があるって事か。受けて立つ。でも、その前に。
「グラシャ、アイリス、こいつを飲みな」
俺は懐からドクに報酬としてもらったエリクサーの小瓶を取り出し、二人に無理やり飲ませた。…………すると、二人はすぐにはっとして、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「…………私、今、変な気分に……?」
「…………記憶が、ありません。私、いつの間にトーマさんに抱き着いて……?」
「おはよう。エリクサーの味はどう? とりあえず離れてもらってもいいか?」
正気に戻った二人に笑顔で言うと、二人も少し恥ずかしそうにばっと身体を離した。流石エリクサー。効果は団長で証明済みだ。でも、貴重な三本のうちの一つを使ってしまった。
「…………エリクサー、か。まさかそんな貴重なものを君が持っていたとは。全く、世界は易々と思い通りにいかないな」
正気に戻った俺達を確認して、アルトリウス先生は困った様に笑った。なにわろてんねん。俺、今すっげぇ先生を警戒してるんですからね。マジ、ふざけた事抜かすならぶん殴るのも辞さないくらいには気が立ってる。グラシャとアイリスに手を出されたからな。
「怖い顔をしている。
「惚けないで下さい先生! 今の光は何です! どうして信徒の皆さんやグラシャとアイリスはおかしくなってたんですか!」
あの光が原因に違いない。明らかに禍々しい気配を感じた。あれこそが原因だ。そして、元凶は――先生だ。
先生はふっ、と仕方なさそうに微笑み、ゆっくりと俺達を見渡してから口を開いた。
「そうだな…………。まず結論から言ってしまえば――――優しい世界を作るためだ」
「――優しい、世界……!?」
アルトリウス先生から出たその言葉は、俺が今までずっと願い続けていたものと同じ響きをしていた。……優しい世界を、作る……?
「特別課外授業を始めよう。グラシャくん、君はこの世界がもっと優しくなったらいいと思った事はないですか?」
「優しくなったら……?」
「そうだグラシャ。その耳と尻尾のせいで、お前は理不尽を受けた事ないか?」
アルトリウス先生に続いて、スカーレットさんがグラシャに問いかける。彼女のまるで見て来たかのように言う問いに、グラシャは言葉を失ってしまった。それがグラシャの答えだった。
その様子にアルトリウス先生は満足そうに微笑むと、次にアイリスに視線を向けた。
「アイリスくん、あなたはこの世界の人間がもっと優しくなったらいいと願った事はありませんか。……そう、例えば、トーマくんのように」
「…………それ、は……」
「あるはず。自分を殺して、誰かに付け入られないように、一人で必死に生きていた事が」
今度はフラムさんが言葉でアイリスの心を切り込む。…………人は的を射られると返す言葉を失ってしまう。アイリスもまた、何も言わずに視線を悲しそうに下げた。
「そう。この世界は、あまりにも悲しく、辛く、人の悪意に満ちている。――それが少しでも無くなればいいのにと、願った事はありませんか?」
そして最後に、先生が俺を見つめてくる。…………駄目だ。言い返せない。俺が今言えるのは、『ありますその通りです』という一言だけ。だけど、それはもう口に出す必要も無い。無言を返せば、同じ意味になるからだ。
「俺もそう願った。誰よりも強くだ。世界はきっと優しいはずだと、根拠のない希望を抱いて生きていた」
そう言って、先生はイラつきを抑えるようにガン、と床を杖で鳴らした。……そして再度俺達に向けて来た先生の顔は、今までに見た事が無いほどに怒りを湛えた、恐ろしいものだった。
「だが現実は違った。人は醜く争い合う。下らない理由から戦争という名の人殺しゲームが始まる。その中で俺は一度死んだ」
「先生……」
それは、まさか、さっき俺が垣間見たあの記憶の――!
「そして俺はこの世界に第二の生を受けた。君とは違う。私は異世界
……と言ったその時、先生は今度は拳で目の前の演説テーブルをドン、と叩き怒りを露わにした。そのあまりの勢いに、グラシャとアイリスがびくっと肩を震わせてしまう。
「だが! 人は戦争をしなくとも悪逆に落ちる! フレイヤも、フラムも、スカーレットも! この世界で虐げられていた側の人間だった! 人が悪を働くのは戦争のせいではない! 環境のせいではない! 心だ! 心に悪を芽生えさせる人間がいる限り! 優しい世界は訪れない!」
怒り、憎しみ、そして、悲しみのあまりに泣きそうになりながら先生は叫んだ。…………そのどれもが、俺の心に深く突き刺さる。俺には、先生の気持ちが痛い程に分かる。だって、俺と先生は同じ人間だと思うから。
「…………祈りで世界は変えられない。教えで人は救えない。世に生きる大半の者は、この現実に思考を停止させ、折り合いをつけて生活するのだろう。……それが出来ぬ者を『幼稚』と蔑んでな」
先生はその『大半の者』を蔑むようにそう言った。…………
「だが! 真に幼稚なのはどちらの方だ! 大半の凡愚共は折り合いをつけたのではない! 諦めただけだ! それが世界の悪を許容する結果に繋がっているとも分からずに! そう言った者共に限って、いざ戦争や差別が起きれば、自分は被害者面をする! まともな人間が損をする世界などが許されてたまるか!!」
――そう。兄貴の言う事は正しい。俺はきっとガキなんだ。でも、だからって、俺はこの優しい世界への焦がれるような思いをどうしても捨てられない――!
「最後の問いかけだ、トーマくん。――優しい世界を作るには、どうすればいい?」
「――――――!」
――その問いは、俺が答えるには、あまりにも難しい。だって、俺は物心がついた時から、それをずっと考えていたのだから。そして、今になってもまだ答えが得られていない。
「…………分かりません。俺には、その答えがどうしても見つけられません。……まさか、先生は見つけたって言うんですか、それを」
まさかと思い質問を返してみると、先生は怒りの表情を消し、ふっとまた優しく笑った。…………でも、俺の好きなアルトリウス先生の笑顔じゃない。あまりに不気味で、目を覆いたくなるような、人の狂気が見える笑顔だった。
「…………そう、私は答えを見つけた。いいかいトーマくん。人の悪心が悲劇を生むならば、その心を変えるしかない。――――全ての人間が、私と同じ正義の心を持てばいい。悪心すらも誕生しない、純粋なる善だけが存在する世界を創生すればいい。これが――――優しい世界の作り方だ」
な――――――――――――――!?
…………信じられない。あまりにもスケールの大きな話で、俺も訳が分からず絶句してしまった。全ての人間が、先生みたいな心を持つ、だって……?
「そんなの不可能です! 人は神様じゃない! 全ての人間の価値観を同じにするなんて、そんな事が――」
「出来ない。そう言うのかな君は。さて、それはどうだろう。あるじゃないか、この世界には何でも叶える素敵な力が」
「――っ! 魔法……!!」
はっとなる俺に、アルトリウス先生は口元を歪め、「その通りだ!」とばかりにパチンと指を鳴らした。
「察しが早くて実によろしい。そう、魔法は夢を叶えてくれる。頑張る者は報われる。『灰かぶり姫』……いいや、シンデレラと呼んだ方がいいかな? あれはいい劇だったよ、トーマくん。夢と希望を諦めない人間こそ、幸福を享受すべきだ」
シンデレラ、それは【夜明けの星】と地球人しか知らぬ名前。今劇場でやっているのは『灰かぶりスメラギ姫』だ。そこにシンデレラという言葉は一度たりとも出て来ない。……先生は、やっぱり!
「まさか、さっきの魔法は、他人を洗脳するような効果が!?」
「君は理解が早くて助かるよ。その通り。私が長年研究を重ね、その結果に編み出した私のオリジナル魔法。創生の【マインド・リライティング】。これが私の答えだ。全人類を浄化し、優しき世界を作り出す夢の魔法だよ」
先生はそう、どちらかといえば誇らしげな表情でそう語った。
全人類を自分と同じ心を持つように洗脳して統治する――それが、優しい世界を作る方法…………? 待ってくれ。確かに、全人類がアルトリウス先生のように清廉潔白であれば、理不尽な悲劇も悪意が世界に満ちる事も無いかもしれない。
だけど…………それは、やっていい事、なのだろうか…………?
「この計画を思いついた時には完璧だと思えた。ここまでの道程は楽ではなかったよ。この魔法を作り出すのに十年もの歳月を費やした。魔法を完成させても、あまりに高度な魔法のために、この聖杖を用いなければ発動すら叶わない。そしていざ発動しても、エリクサーならば効果が解けてしまう。全く思い通りにはいかん。次はエリクサーの存在を抹消しなければならないな」
「先生…………何を、言っているのか分かりません……」
そう言うグラシャはとても怯えた表情で、しかし一歩踏み出して、壇上のアルトリウス先生を見上げる。
「先生の言ってる事はおかしいです……。優しい世界を作るために、他の人を洗脳して操るなんて、そんなのおかしいです!」
「操ってはいないよグラシャくん。彼らの心が私と同じになるように書き換えただけだ」
「同じです! 他人の心を良いように改竄するなんて、先生のやってる事がまず優しくありません!」
グラシャが泣き叫ぶかのように懸命に先生に訴える。しかし、先生はその訴えを、子供の我儘を見たかのように、呆れ顔で見つめて首を横に振った。
「……確かに、方法が少し手荒な事は認めよう。しかし、新しい世界を創生をするのに、これほど穏やかな方法は無いと思うがね」
「優しい世界のためなら、何をしてもいいって言うんですか!」
「遙か未来に至るまでの全ての悲劇を否定出来るのであれば、この程度の手荒さなど釣りが来るほど優しかろう。そこまで言うのならば、逆に問いましょうグラシャくん。君は如何にして優しい世界を作る?」
「っ、それは…………!」
堂々と答えた先生に対して、グラシャは泣きそうな顔になって答えに窮してしまう。それはあまりにも難しすぎる質問だ。俺ですらも答えられない。でも、先生はその答えをこうして出した。信念と覚悟の元に。それは、俺にとっては少し眩しい輝きに見える。
その時、答えられないグラシャを庇うように、今度はアイリスが前に出て先生を見やった。
「今は、先生が、邪悪……! 他人を無理やり心変わりさせるなんて、誰であっても、どんな理由があっても、そんな権利、ない……!」
「ふっ。使い古された文句だなアイリスくん。君の思っている事を当てて見せよう。『洗脳して世界を支配するなんて、悪の発想だ』『他人を操るなんて、そんな事は倫理に反している。だから間違っている』……そう言いたいのでしょう?」
「っ…………!」
先生の言う事が図星だったのか、アイリスは悔しそうに睨みつけて黙り込んでしまった。そんな彼女に、先生は憐れみの籠った視線で答える。
「…………若い。あまりにも若い発想だ。いいですかグラシャくん、アイリスくん。俺は優しい世界を創造する神となる。如何なる手を使ってでも善を守る。どんな知恵を使ってでも悪を否定する。優しい世界のために。――世界を創生するのだ。もう常識的な考えなど私には持ち合わせていないよ」
とんでもない事を言っている事は分かる。でもそれ以上に、俺はそう語る先生の気迫に全身の鳥肌が立った。あまりにも本気でそう言っているからだ。正しいも間違いも超越した、信念を果たす人間の姿がそこにあった。
…………あの人は、俺だ。どうしても悪意に歪んだ世界が許せなくて、どうしてもこの世界に蔓延る悲劇が認められなくて……そうして自分が世界からずらされた存在であるかのような気分で日々を過ごしていた、あの夜の俺だ。
確かにグラシャとアイリスの言う通り、先生の方法は全く認められたものじゃない。俺だって、洗脳なんてとてもじゃないが認められない。まさしく悪の所業だ。
…………でも、それがもし、本当に俺の望む優しい世界に繋がるなら――――?
「おかしいわ……そんなの、絶対に違う! ねぇそうでしょうトーマ! トーマも先生を止めて!」
「どうして、黙ってるの……? トーマも、イチローさんも……」
俺の肩をグラシャが揺さぶる。…………先生がおかしい、か。そうかもしれない。だけど、もしかしたら本当にこの人は優しい世界を作ってしまうかもしれない。であれば、俺に先生を否定する言葉は言えない。優しい世界の作り方の答えが出せなかった俺に何が言えようか。
アイリスも必死で巨体の一郎さんに声をかける。でも、一郎さんもまた何も言わない。…………俺には分かる。一郎さんの気持ちが。多分きっと、
「無駄だよグラシャくん、アイリスくん。…………何故その二人が【マインド・リライティング】を受けても全くの正気でいられたと思う? そう、彼らは元々、
アルトリウス先生は本当に嬉しそうな表情でそう言った。……その通りだ。念願の優しい世界にもうすぐたどり着けるかもしれない。もう悪意に歪んだ景色を見ないですむ。下らない意図で組まれた下らないニュースを見る事も無い。町を歩いて、他人の身勝手な行動に気分を落とす事も二度と無い。この喜びはグラシャとアイリスには分かるまい。
…………でも、何でだろう。心に何か強く引っかかる思いがある。それが『アルトリウス先生に賛成します』と喉から出すのを妨げている。何だろう、この引っかかりは捨ててはいけないものな気がする。
「【マインド・リライティング】をかけた時、あなた方に対しては魔力が通過して私に逆流してきたよ。その時、魔力があなた方の記憶を運んできてくれた。俺はあなた方の全てを理解した」
アルトリウス先生は本当に穏やかな声でそう言い、まず一郎さんに目を向けた。
「ヒイラギ=イチロー。西暦1916年8月20日生まれ。大日本帝国海軍少尉。航空母艦瑞鶴の艦載機搭乗員として、様々な戦地に飛び戦うゼロ・ファイター。奇跡のめぐり合わせか、パイロットとしての人生のほぼ全てを瑞鶴の上で過ごした男。被弾少なく、撃墜多し。エースパイロットとまでは行かなかったが、相当の手練れであったようですね。実に見事」
アルトリウス先生が饒舌に語り、俺は衝撃の事実に驚いて一郎さんを見やる。…………軍人さんだとは知っていたけど、まさか、よりにもよって一番地獄であろう戦闘機のパイロット、だって……!?
「…………が、しかし、その腕前とは裏腹にあなたの性格はとても穏やか。子供の頃は文字通り虫も殺せぬほどの小心者。……そして、戦争を人一倍嫌う性質。だからこそ自ら軍人になった。一刻も早く戦争を終わらせるために」
「っ、一郎さん……!」
……もういい。それだけ言えば十分だ。もう俺にはアルトリウス先生の次の言葉が分かる。
一郎さんはそうして軍人になったけれど、結果は歴史の通りだ。日本は最後まで戦争を止めなかった。当事者だった一郎さんの絶望はどれほどのものだっただろうか。
「激戦に次ぐ激戦、劣勢の日本軍はどれも苛烈を極める戦いを強いられていた。そしてイチロー、あなたにも運命の日が訪れる。あなたの居場所でもあった瑞鶴は煙を上げて被弾し、それを守ろうとしたあなたも敵機の物量に圧され撃墜されかかっていた。その時に願ったのでしょう? ――『どうすれば世界は優しくなるのだ』、と。戦争こそは人の悪意の生んだ最も罪深き行為。今日も明日も悪意と絶望だらけの日々を生きるその無念、私にはよく理解出来ますとも」
――――やっぱり一郎さんも願ったんですか。『優しい世界』を。あの時の俺と同じように!
アルトリウス先生はそのまま、今度は俺に視線を向けて口を開いた。
「そして海藤=十真西暦1998年1月10日生まれ。一般家庭に誕生した、ごく普通の正義に篤い少年。それが君だ。…………地球が平和だった頃の時代の人間。確かに戦争のような目に見える悪意はない。だがしかし、大きな悪が見えないからこそ、人間本来の闇が蔓延る。あまりにも下らぬ理由で起きる事件、聞くに堪えないつまらぬ情報、まともな者が損をし、身勝手な者に限って明日を謳歌する平穏の町…………まさに悪意の牢獄だ。日々の穏やかさすらもかえって心を締め上げよう。世界を嫌悪をしてしまう自分は『
――――そうだ。その通りだ。俺はおかしいんだ。ズレてるんだ。馬鹿なんだ幼稚なんだ気狂いなんだ! 優しさを信じていたくて、悪意を受け止められないただのガキなんだ! 大人になれって誰もが言うんだろ! 分かってるそのぐらい!
だけど…………優しい世界を見たいって、そんなに間違った願いかよ……!
「あなた方の祈りは、決して無駄ではなかった。何故ならば、その願いこそが縁となって、あなた方はこの世界に漂着し、私たちは時代と世界を越えて出会う事が出来たのだから!」
「…………どういう事だ、大司教?」
その言葉に一郎さんがようやく言葉を紡いだ。そうだ、今、先生は俺達が異世界転移した理由を知っているかのように言った。それは、どうしてだ……?
「ふっ、申し上げた筈。私は
「な…………!?」
「私たちの日本すらもだと…………!?」
究極に規模が大きくなった計画に、俺も一郎さんも、もう今日何度目になるかも分からない衝撃に身を固める。あり得ない! そんな事出来るはずが――!
「出来る筈が無い。そう思うか? 忘れたのならばもう一度言おう。『魔法は夢を叶えてくれる』。私が研究したのは洗脳魔法だけではない。時空間魔法も当然調べた。…………お見せしよう、我が第二の奇跡を」
アルトリウス先生はそこで、部屋に入って来た時に手に携えていた聖典……のようなものをまた手に取った。どうやらあれは聖典ではないようだ。
「これなるは【禁書 マギ】。この【聖杖 ブルー・アルカディア】に匹敵する究極の魔道具だ。こちらには時空間魔法の発動の術式を記載してある。――開け、時空の扉!」
先生がその禁書とやらを手に取って魔力を込めると、聖堂の出入り口の扉が消失し、代わりに光のアーチが出現した。…………光のアーチの向こう側に、ぼんやりと景色が映っている。
「――――自動、車……!」
光のアーチの先にある光景に目を疑った。アーチの向こう側に、自動車が走っている。高速道路だ。行きかう車や、夜の高速道路を俯瞰しているような光景が映っている。まさか、本当に……!
「そのアーチの向こう側には、あなた方の世界が広がっている筈。イチロー殿には瑞鶴の艦橋が、トーマくんには高速道路が見える事でしょう。事実、アーチを通れば、地球に帰る事が出来ます。無論、我が魔法も地球に届く。あらゆる時代を越えてね」
その言葉に俺と一郎さんがばっと振り返り、また先生を見やる。…………この人は、いったい、どこまで綿密に計画を……!
「…………お答えしましょう、何故あなた方がこの世界に来たのか。それは、私のせいに他なりません。この時空間魔法を発動した時に、私は二度の失敗をしました。一度目は術式がまだ不完全であったために、開いた門が安定しなかった。二度目は【禁書 マギ】が必要だと知らずに発動し、魔力不足で門が一瞬しか開かなかった。…………その時に一瞬開いた門は、私と同じ願いの縁をたどり、あなたたち二人をこの世界に引きずりこんだのです。一度目にはイチロー殿を。二度目にはトーマくんをね」
「あなたが――!」
「先生が……だから、俺はいつの間にか……」
謎が全て解けた。あらゆる道筋が繋がった。
そうか、俺と一郎さんの異世界生活は、全てこのアルトリウス先生から始まったのか――!
「……………………長い話になりましたね。これで私からの特別課外授業は終了です」
俺と一郎さんが全てを理解すると、先生はそこで光のアーチを消して禁書を閉じた。どうやら、まだ俺達を帰す気はないようだ。
「そして、ここからは本題。以上の事を踏まえて、あなた方にお願いがあります」
先生はまた声音を真剣なものに変えてきた。お願い? 魔法で何でも出来そうな先生が、今更俺達に頼み事だって?
そして先生はすっと一息入れてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「――――私の創る優しい世界の王になっていただきたい。真の優しさを持つあなたたちにこそ、世界を託すに相応しい」
「――――――――――。」
…………今、なんて言った。王様? 俺達が?
「ふざけるのもいい加減にして先生! そんな操り人形しかいない世界の王様なんて、誰がなりたいものか!」
「…………あなたがやれば、いい……!」
「私に王は務まらない。この身は世界の神となるのだから」
激昂して答えるグラシャとアイリスに、先生は穏やかな笑みを浮かべて言う。…………本当に、その表情は人間を超越して神様みたいに穏やかだ。安心感なんて無い。ただ不気味なだけだ。
「優しい世界の…………王…………?」
…………王って、何だ。分からない。頭が付いて行かない。俺はどうすればいい。普通に考えれば、アルトリウス先生の言う、『優しい世界』を受け入れるべきだ。だって、俺は優しい世界が何より欲しいのだから。
……でも、じゃあ何でその選択肢に、俺は強い嫌悪を抱いているのだろう。何かが心に引っかかって、『あの男に従うな』って本能が叫んでる。…………理性が先生に賛成し。俺の本能と身体が先生を拒否している。
――知るべきだ。俺は、この先生を否定する心にある何かを知らなければならない。それはきっと、俺が俺であるための大事な何かなのだと思う……!
「迷っている、か。そうだろう。突然にこんなにも説明されたら誰でも考える時間が欲しくなるものだ。…………よろしい。少し時間を与えましょう。今より一週間後、霊峰セクリトの頂上で私は優しい世界の創生を始めます。そこであなたたちを待つとしよう。答えを見つけて来るがよろしい」
先生はふぅ、と息を吐き、また指を一つ鳴らした。すると、聖堂に繋がる扉の施錠が外れた音がする。…………この場は、どうやら見逃してくれるようだ……。
「――優しい世界のために、よい返事を期待していますよ」
先生は最後にそう言って、教会関係者しか立ち入れない聖堂の奥へ進むように身を翻した。今までずっと控えていたフレイヤさんたちも付き従う。
「待つまでもないッ! そんな計画、誰も認めない!」
「当然……!」
っ! しかしそこで、グラシャとアイリスが武器を手に取り戦闘態勢に映った! いけない!
「待て二人とも!」
「洗脳なんて真似が許される訳もない!」
「――集いし輝きは、我が道を照らす!」
グラシャは絶対零度の氷を纏う槍を振り突進し、それを援護するようにアイリスも複数ビームを射撃する魔法【ジハルド】の詠唱を始める!
しかしそれを予測していたとばかりに、フラムさんとスカーレットさんがグラシャたちより一歩早く動き出していた!
「だからさ、もうそういう許す許されないの話じゃねーんだって。世界を作るか、作らねぇかの二択なんだよ」
「がっ!?」
グラシャが先生に何か仕掛ける前に、スカーレットさんが蹴り飛ばしてグラシャを聖堂の壁に叩き付け、
「……意地悪な事言ってごめんね」
「――!?」
魔法を放つ前にアイリスに接近したフラムさんが、その鳩尾に拳をねじ込んでアイリスを気絶させた!
「…………ん」
「あ、はい」
気絶したアイリスを抱きとめたフラムさんが、近くにいた俺に差し出してきた。なんか親切な対応に俺も畏まってしまい、アイリスを優しく受け取る。
「……………………お願い。アルトリウス様を、止めて」
「えっ…………?」
俺にアイリスを渡したフラムさんは、そう聞き逃せない事を呟いた。それは、どういう――!
「フラム! スカーレット! 行きますよ!」
「っ……。 じゃあ、ね」
そこでフレイヤさんに声をかけられ、フラムさんは何事も無かったかのように去って行った。
「…………ふん」
スカーレットさんもまた、俺に一度だけ視線を向けてから去って行った。…………何だ、今の、スカーレットさんの少し悲しそうな目は。
「……………………帰ろう、トーマくん。私たちにも、時間が必要だ」
「…………はい」
スカーレットさんに迎撃されて気絶しているグラシャを抱えた一郎さんに言われ、俺もアイリスを抱いて聖堂を後にした。
…………一郎さんの言う通り、もう色々と今日は限界だ。休もう、そして考えよう。俺は、どうするべきなのかを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます