第11話 とある令嬢の恋慕過程(ラブロマンス)

「では、判決。主文。被告は原告に対し、損害賠償金一億キャッシュを支払うものとする!」


 ――あり得ない。ふざけている。どうしてこんな事が許される?

 義兄が裁判を行うという話を聞き、どうにも嫌な予感がして、私も裁判を部屋の外から覗いていた。その結果、あまりにもひどい判決が、あのハンサムな人に下された。ここにいる裁判官と検事は全員見た事がある。スターライト家の息がかかった大人たちだ。きっと義兄がお金でも渡して協力させたのだと思う。

 あまりにひどすぎる。どうせ今回も義兄が悪いに決まっている。あのハンサムな人は全く存知ないけれど、何とか彼を庇おうとしている女性二人を見れば察する事が出来る。


 ――あの人は優しい人だ。


 きっと義兄が同じ目に遭ったら、義兄を守ろうと必死に声を上げる人なんていない。いつも義兄の周りにいる下級貴族の子息たちなんか、絶対に見捨てる。……なのに、どうしてこの世界は良い人ばかり酷い目に遭うんだろう。それは、嫌です……。



 裁判を終えたハンサムさんはひどく疲れた顔で部屋から出てきた。当たり前ですよね……。一億キャッシュなんて、高位の貴族ぐらいしか払えないほどの大金だもの……。

 私は思わず放っておけなくて、彼に声をかけてしまった。


「……あ、あの」


 自分でも声が出たのに驚きました。自分がひどい口下手なのは自覚しています。他人に話しかける事なんか、どんな魔物を相手にするよりも苦痛かもしれません。けれど、その人には、何故か自分から話しかけてしまった。


「えっと、自分に何か?」


 私の微かな声に、彼はちゃんと反応してくれました。……ど、どうしよう。声をかけたのはいいけれど、何を話せばいいのか思いつかない……!

 人と話す時は、ちゃんと相手の目を見なさいって教えられたから、目だけはしっかりと彼に向けた。よ、よし……! えっと、えっと…………! 最初は、何を話そう……!


 必死に頭を回しながら、目の前の彼を見続ける。遠目でも分かってたけれど、本当に綺麗な人だ。背は高く、手足はすらりと長くて、肩はがっしりとした、バランスの取れた身体をしている。全体的に清潔感があって、腰に差したサーベルが良く似合う、まさに騎士様然としたお方……。年齢は……17くらいかしら? 私よりも一つくらいお兄さんかもしれない。

 何より目を引いたのは、その鮮やかな程の黒髪。私が銀髪だからか、彼の黒髪は魅力的に見えた。『魔物の使う闇属性の魔法みたいな色で不吉』だって、根も葉もない事言う人もいるけれど、私はそう思わない。黒は美しい色だと思うわ。


 …………って、そんな事は今はいいのアイリス! いいからこの人に話かけたのだから、何か言いたい事があるはず! そ、そうだ!


「……大丈夫、ですか?」


 彼が心配で、私は声をかけたんだ。だから、まずはこう言うのが自然よ!


 ……………………本当に?

 待ちなさいアイリス。それは違くないかしら? 大丈夫な訳ないから、彼は困った顔をしてらっしゃるのではないかしら? あぁ、また私はやってしまった……! こ、こんなの馬鹿にしているとしか思われないじゃない! 『これが大丈夫な人間に見えるか? 見えるなら医者に診てもらえ、目と脳みそを』って今にも言われてしまう! そ、それは嫌だな……。

 

「い、いえ、大丈夫な訳、無いですよね……!」


 私は慌てて付け加えた。……あぁ、やっぱり、駄目だ……。どうして、私はいつもこうなの……。私はもう黙っていた方がいい……。彼のような人まで、気分を害するような事を言ってしまうのだから……。


「馬鹿な事言って、ご、ごめんなさい……! 失礼します!」


 あまりに悲しくなって、私はお辞儀を一つして、彼の目の前から逃げてしまった。……私、本当に、どうしようもない女だ……! 分からない……人とちゃんと話す方法なんて、分からない……!




 数日後、彼は学園で針の筵のような扱いを受けていた。彼が歩けば噂がたち、貴族は上から下まで皆が馬鹿にして卑しく笑う。『ルキウス男爵に逆らった、愚かな下民』と。……なんて酷い。義兄の方に非がある事など誰もが分かっているはずなのに……。いいえ、違う。分かっているからこそ、かしら……。『理由はどうあれ、あのルキウス男爵に逆らってしまった哀れな平民』という意味もこめて、誰も彼も馬鹿にしているのだわ……。


 そんな彼と私は、課外授業でまた再会した。……いえ、再会、という言い方はおかしいかしら……。私が一方的に見つけただけよね……。

 アルトリウス先生の指示を聞く彼の側には、珍しい能力魔獣変化モンスターフォーゼを持つ人がいる。彼女は普段からあの人の側にいる子だ。裁判所では声を荒げて彼をかばい、学園でも唯一彼の友達でいる。……羨ましい。彼女ほどの度胸が私にもあれば……。


 その時、彼の方も私に気が付いたのか、その黒い瞳をこちらに向けて来た! あ、あぁ……あ、謝らないと……この前の失礼な態度の事、ちゃんと……!

 でも、私の身体はその真逆――彼の視線から外れるように、生徒の影に隠れてしまうように動いた。…………………何やっているの私は。この身体にはもう、人と会話する事を拒否するような反応が染みついている。いつからかは分からない。何がきっかけかも覚えがない。本当に、生まれつきの性格としか言いようがない。それが何とも情けなくて、自分が嫌いでしょうがなくなった。


 …………………それでも、こんな私にだって譲れないものはある。


「まさか、森に入るのではあるまいな。アイリス?」


 森に入る準備をしている私に、ルキウス義兄にいさんは優雅に紅茶を片手にしながら問いかけてきた。既にアルトリウス先生により、授業開始の合図が出された。平民出身の生徒や、下級貴族の子息たちが続々と森に入っていく。あの人と魔獣変化モンスターフォーゼの子も。

 でも、義兄さんは普段からつるんでいる取り巻きの下級貴族の子息たちにやらせ、自分はここで待っている気だ。そんな汚い真似、私には出来ない。


「……私には手下なんて、いない」

「ならば、兄のパーティに入れてやろう。そのうち、私の部下たちが戻ってこよう。ここで兄と待つがいい」

「……私は、義兄さんのようにはならない」


 そうだ。例えひどく人付き合いが下手でも、それでも私は正しく生きていたい。自分の事は自分でして、名前を使って他人に偉ぶるような真似はしない、ちゃんとした人間に私はなりたい。あの人のように……!


「子供め。兄は努めて合理的に動いているだけさ。将来、人の上に立つ者が、下民と同じ仕事をする必要があるか? 貴族には貴族の、下民には下民の働きというものがあるのだよ。私の部下たちは泥臭く森を這い地ドリを仕留めるのが仕事、そして私はそやつらの働きを認めるのが仕事だ」

「スターライトの名は父様のもの……。義兄さんは、何もしていない……!」

「生まれついて持つ特権というものさ。それをみすみす捨てるとは、お前こそ兄は理解出来ないよ。……やはり、所詮は妾の子か。もういい、好きにするがいいさ。父上から目をかけるようにと言われていたが、流石に馬鹿の相手はしていられん」


 はぁ、と本当に呆れたように義兄さんはため息をついた。

 ……私は父のスターライト公爵と家に仕えていた使用人の間に出来た子だ。正妻との間に生まれたルキウス義兄さんとは母が違う。父が使用人に手を出し……と、貴族の間ではよくある話。でも、それで生まれた私はたまったものじゃない。父の正妻……義兄さんの母様からは呪いの子だと罵倒され続けた。父様と母様には、私の存在が褒められたものじゃないだけに、まるで薄氷を踏みしめるかのようなぎくしゃくとした感情を向けられた。


 ……そうだ。私は、生まれた時から一人ぼっちだった。読み書きも、宮廷作法も、魔法も、今私を構成する全ては、ほとんど一人で習得したようなものだ。だから、今回だって一人で出来る。



 私は最後に、侮蔑の感情をこめて義兄さんに視線を向けた。すると、義兄さんの方も愚か者を見るような視線を私に返して来る。……名前だけじゃ人はついて来ない。いつかあなたは酷い目に遭う。その時を楽しみにしてなさい……!


 こうして、私は一人で森に入った。

 だけど、出会うのは地ドリではなく雑魚の魔物ばかりで、私はそいつらの迎撃のために魔力を徐々に削れられてゆく。


「穿つ閃光! 【ハルド】!」


 杖の先から射撃した光の矢が人食い花の魔物を砕く。


「弾けよ魔弾! 【ダークブラスト】!」


 続けて闇色の魔力弾が、群れて寄せる毒蜂の魔物の四肢を爆散させた。……雑魚は敵じゃない。だけど、私の魔力は有限だ。それに、私のスタミナ自体そこまで多くない……。時間制限よりも先に、私の体力が尽きる方が速いだろうな……。


「はぁ……はぁ……」


 森に入って、何時間か経過しただろうか。もう肩で息をしてしまうほどに消耗した身体で、私はようやく一匹の地ドリを見つけた。巨大樹の前の、広く開けた場所で居眠りをしている。一撃で頭を貫けば、私だけでも倒せる……!


「……何、あの大きさは……!」


 だけど、その地ドリは馬小屋のように大きく、肉付きは普通の地ドリの何倍もでっぷりとしていた。もしかして、ここらの地ドリのボス、なのかしら……。よし。


 私はそっと巨大樹の広場に出て、ゆっくりとその地ドリに近づく。私の魔法の射程内に入るまで、少しずつ、少しずつ、ゆっくりと足を動かす。起きないでよ……良い子だから……。


 その時、巨大樹の根元の穴から、小さな子供の地ドリが這い出してきた。――な、んですって……! こ、この木の地下には、地ドリの巣穴が……! しまった……!

 一気に冷や汗が頬を伝う私を、その子供地ドリはくりっとした瞳で見つめていた。心臓がうるさいほどに鼓動を鳴らしている。これは、生物としての警鐘のようにも聞こえた。――今すぐ、ここを離れろ、という。


「グ……」


 そして、その子地ドリは首をもたげる。あぁ、駄目。それは、鳴く時の……!


「グエエエ!」


 ――鳴いてしまった。子と言う事もあって、声は小さいし、地響きもほとんどない、脅威になど全くなりそうにない声でした。だけど、それでも十分みたいね……この巨大地ドリを叩き起こすには。

 巨大地ドリはその声を聴いた瞬間、バッと瞳を開いた。そして飛び上がるように起き、首をもたげた。……あぁ、これは、最悪の展開だわ……!


「グエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!!」


 その凄まじい威嚇の声は、突風のような風を巻き起こし、巨大樹の枝を揺らし、地鳴りを轟かせる! あぁ、なんてついてない!

 しかし、私の不運はこれで終わらなかった。今の声で、近くにいたゴブリンがこぞってこの場に現れてしまった。これは明らかに私一人で相手にするには面倒……! どうしましょう、やっぱりここは退却が正解よね……!


 …………でも、ここで地ドリを逃がしたら、私もう課題クリア出来ない……。駄目、ここで、あの巨大地ドリを仕留める!

 私は覚悟を決めて、杖を握りしめる。私に残された魔力は少ないけれど、この魔物の群れを倒し切る!


「――更なる輝きが、我が道を照らす! 【ジハルド】!」


 まずは光の射撃で、ゴブリンの一団を吹き飛ばす! よし、次に――!


「な……!」


 そこで別方向に首を向けた私を絶望が襲う。なんと、新手のゴブリンの一団がまた現れていた。そんな、このタイミングで……!


「【ダークブラスト】!」


 とにかく、それも倒さなければ地ドリと戦えない。私は即座に闇の魔弾を放つ。


「グエエエ!」


 しかしその時、横から地ドリが石の破片を飛ばし、私の魔弾を相殺してしまった! そ、そんな! ゴブリンとの連携攻撃だなんて!


「くっ!」


 過ぎてしまったものは仕方ない。私はもう一度魔法を行使しようと杖に力をこめる。その時、私の全身に痛みが走った。いけない、これは、身体が魔力切れだと言っている合図の痛みだ……! そんな、これほど私は消耗していたというの!


「っ! あっち、行って!」


 こうなってしまっては、もう杖で追い払うしかない。本当に、自分の情けなさに今にも泣きそう……! 魔力切れになってしまった以上、もう戦いは私の負けだ……。もう逃げるしかない。そして、そして、私は、落第だ……!


「グエエエエエエエエ!」


 あまりの悔しさに、がむしゃらで杖でゴブリンを追い払っていたその時。ふと強烈な殺気を感じ取った。地ドリの方へ顔を向けると、いつの間にか私の背丈ほどもある巨大な岩石の弾が迫っていた。


 ――あぁ、私、ここで、終わるんだ……。


 そう思った瞬間、視界に映る全てのものがゆっくりに見えた。……今まで、ロクな事がなかった。生まれからして、歪だった。あぁ、そうなのね。私は生まれた時から歪んでいたのでしょうね。だからこんな出来損ないが出来上がってしまったのだわ……。呪われた子というのは、本当なのだわ……。

 人のくせに、人と会話が出来ない。女のくせに、可愛げが無い。貴族のくせに、偉ぶれない。魔術師のくせに、魔法が使えなくて死ぬ。あぁ、お似合いだ。こんな私にはこんな末路が相応しい。強情にも一人で戦おうとした罰だ。


 ……あぁ、でも……ゴブリンと一緒に死ぬのは、ちょっと予想してなかったわ。それだけは、ちょっと……嫌だなぁ……。



 ……………………。



 いや、だなぁ……! 死にたくない……! まだ、まだ、私、何も出来ていない! せめて……せめて……! あの人に一言、謝りたい……!


「うっらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 そう願ったその時、何かが私の身体を弾き飛ばし、そのまま私を覆う様に倒れ込んで来た!

 死を覚悟して、閉じていた目をゆっくりと開く。すると、私の目の前に、最後に願ったあの人の顔があった。


「あ、なた、は……!」

「話すのは二度目だね。怪我は?」


 ――――あぁ、神様はいるに違いないわ。だってあの方が、ここにいらっしゃるのだもの。私を助けてくれた、王子様がここにいるのだもの!

 あまりに突然で、それでいて嬉しくて、思わず胸がまた高鳴る。あぁ、助けるためとはいえ、こんな近くにこの人が! そ、それに……!


「ひゃぁ!」

「ごめん!」

「……っ!」


 じ、事故とはいえ、身体を、触られてしまったのだわ……! 恥ずかしい……! 私のような、みっともない身体を触れさせてしまうなんて! 気分を害されたかしら……思わず声も出てしまったし……。


「トーマ! うわっ!? 何あの巨大地ドリ!?」


 そこへ、あの魔獣変化モンスターフォーゼの子も駆けつけて来た。トーマ……それが、この方のお名前……。い、いえ、そんな事は後! まだ巨大地ドリは目の前にいるのだわ!

 

 トーマさんと耳の女の子は武器を手に取り、目の前の巨大地ドリと早速対峙しようとしていた。あっ、それは、危ない……! あの巨大地ドリは魔法を相殺するだけの知能を持っているし、仲間も呼べる。うかつに近づくのは、危険だわ!


 ……そう、言いたい。けれど……言葉が、どうしても喉から先に出てきてくれない……! そこで、私は勇気を振り絞って、何とかトーマさんの服の袖をつまんだ。あ、あの、気が付いて!


「どうかした?」


 気づいてくれた! トーマさんはそれだけで私を振り向いて、私の言葉を聞こうとしてくれてた! 嬉しい! とても嬉しいわ! 嬉しすぎて、思わず声も出ないほどに!


「…………………………………」

「む、無策で突っ込むな、とか?」

「……!」


 しかも、私の言いたい事を目だけで察してくれた! 私は飛び上がりそうなほど嬉しくて、思わず二度も首を縦にふってしまう。すごい! すごいわトーマさん!


「グエエエエエエエエ!」


 その時、地ドリが再びけたたましい声を張り上げ、別の地ドリを呼び出した! ゴブリンだけじゃなくて、仲間も呼べるようね……。


「あいつ、仲間呼ぶ事出来るのか!?」


 驚いて言うトーマさんに、私はまた首を縦に振る。そのせいで私は死にそうになったのだわ! トーマさんも気を付けて!


「もしかして、あの巨大地ドリはここらの地ドリのボスか!」


 続けて言うトーマさんの意見を、また今度は三度も首を縦に振って肯定する。巣穴を守るように陣取るなんて、ボス以外の何物でも無い。流石だわトーマさん、すぐに気が付かれるなんて。

 さらに繁みからは、またもゴブリンの軍団が姿を現し始める。これで状況はかなり私たちの劣勢になってしまったようね……。この頭数を薙ぎ払うには、私も上級魔法を使う必要がある。……だけど、もうそんな力は私に残っていない……。


「何でゴブリンまで出て来るのよ!?」

「……ゴブリンも、地ドリ、食べるから……。で、でも、取られるかもしれないって思って、まず人間を狙ってくる……」

「喋った!?」


 怒って言う魔獣の子に、ようやく喉から出始めた声で答える。すると、二人して私の方を驚いたように見つめた。……そ、そんなに見ないで下さい……恥ずかしい……!

 その時、私の姿を見つめたトーマさんが、ふと気が付いたような顔をされた。


「なぁ、君、魔術師か?」


 ……! き、気づかれてしまった……! 杖を持っているんだもの、それは気づかれるわよね……。


「頼む、俺達と一緒に戦ってくれないか! 君が必要なんだ!」

「っ!!」


 に、握られてる! 私の手! 積極的すぎるわトーマさん! そんな情熱的なお願い、私なんかでよければ全力でお引き受け致します!


 ……………………そう、言いたかったなぁ。思わず首を縦に振りかけて、でも悲しみを込めて横に振った。無理です……出来ないんです……! 私、もう……魔力が……!


「ッ! この恩知らず! トーマに助けられておいて、自分は逃げるの!?」

「っ……!」


 突然、魔獣の子が私に叩きつけるように叫んだ。思わず驚いて肩を飛び上がらせてしまう。ご、ごめんなさいっ! 役に立たなくて、本当にごめんなさい……!!


「グラシャ、いいって」

「どいつもこいつもトーマを馬鹿にして! あんたたちあんな馬鹿貴族に踊らされて恥ずかしくないの!? いいわ! とっとと消えなさい! そこにいてもトーマの邪魔になるだkひゃあう!?」


 ち、違う! 違います! 私はトーマさんの事そんな風に思ってません! トーマさんのお力になりたいんです! でも、でも出来ないんです!


 ……そう叫びたくてしょうがない。でも、言ったとしても自分が役立たずな事には変わりなくて、やっぱり口を閉ざしてしまった。


 ……駄目だ。私……本当に、駄目な人間だ……! どうして……! よりにもよってトーマさんが私を必要としてくれているのに、私は……! 


「グラシャ、今は怒ってる場合じゃない。二人で何とか地ドリ一匹だけでも狩ろう。そいつを取ってここは退散だ。それで授業はクリアできるんだから、な?」

「……確かに。分かった。地ドリ一匹に狙いを絞りましょう」


 もう既にトーマさんと魔獣の子は、私から視線を外して、二人だけで作戦を立てていた。…………まただ。また私だけ一人だ。ひどい事を言ってしまったのに、命を助けて頂いたくせに、私は彼に何一つしてあげられる事が無い。むしろ、ここにいては邪魔だ。魔獣の子が言う通り、私は、トーマさんのお荷物にしかならない。



 …………嫌。もう、嫌だ……どうして、私はこんなにも情けないの……! 酷すぎて言葉も出ない。何もかも空っぽな自分が情けなくてしょうがない。それを、よりにもよってこの方の前で晒してしまうなんて……!


「……うっく、ぐすっ……! ひっく……! ふぇ……、ふえぇぇぇ…………………………………!」


 思わず声を漏らして泣いてしまった。身も心も空っぽな人間のくせに、悲しくて涙だけは出るようだ。それすらも情けなくて、さらに涙が溢れた。

 私なんか、さっき死んじゃっていればよかったのだわ……! どうせ呪われた子なんだ。友達だっていない。私一人消えたところで、誰も悲しみなんてしない。義兄さんは身が軽くなったと喜ぶかもしれない。消えてしまえはいいんだ……! こんな惨めな思いするくらいなら、やっぱりさっき死にたかった……!



「泣くな。せっかく美人なのに、台無しだぞ」


 

 膝を折って泣き崩れる私の肩に、今もう一度、暖かな感触を感じた。

 思わず顔を上げると、長くて硬い男の人の指が、ゆっくり私の涙を掬って拭う。……どう、して。どうして、トーマさんが私を見ているの……?


「ごめん。そうだよな、戦うのは怖いよな。俺も怖いよ。……安心してくれ。君は俺が守ってみせる。負けないさ、俺は。まだ、俺にはやるべき事があるから。こんなところじゃ、終われ無いからな!」


 ……違う、違うんですトーマさん。怖いのはあなたに失望される事です。涙が流れるのは、あなたのお力になれないからです。やるべき事…………そう、私の、今、やるべき事は、ここで泣いている事じゃない……!


「さ、少し離れていてくれ。あいつの魔法が届かないところまで」

「…………………………………わ、わたし、……も……私も、戦うッ!!」


 あなたに命を救っていただいた、恩返しをする事が、私の今やるべき事!

 そう覚悟が決まった瞬間、私の全身に力が漲る思いがした。……結局、魔力は空っぽだ。でも、まだ魔法を使えるはずだ。まだ、この命を消費していないのだから。私の命を賭して、トーマさんをお助けする一撃を放ちましょう! 私が出来るのは、ただそれだけだ!


「注ぎし光よ……! はぁ……はぁ……! 湧き出ずる、闇よ……うぐっ……!」


 涙を拭いて立ち上がり、眼前の魔物の群れに向かって詠唱を始める。その瞬間、魔力切れに身体が悲鳴をあげ、激痛が全身を駆け巡る。身体の内側からフォークとナイフでめった刺しにされるかのような、想像を絶する痛みに私は一瞬意識が薄れて、詠唱を失敗してしまった。


「おい、大丈夫か!」

「ごめん、なさい……。私、さっきまで、一人で戦ってて……もう魔力が……」


 ……言えた。今日初めてトーマさんとお話出来た。嬉しい……。でも、ごめんなさい……私、やっぱり何にも出来なかった……。


「……だから最初、戦ってくれと頼んだ時に首を横に振ったのか……!」


 ……すごい。私の考えていた事をこの方はすぐに察してくれる。ふふ、目ざとい人。恥ずかしいわ。

 トーマさんは少し考え、懐から一本の小瓶を取り出した。そ……それはもしかして!


「……もし、魔力を回復出来たら、戦ってくれるか?」


 ――――回復薬だ。見た事ない瓶だけど、トーマさんがそう言うからにはそうなんでしょう。戦ってくれるか、ですか。考えるまでも無い。当然とお答えしましょう。

 その小瓶を私はひったくるように奪い、一気に中身を飲み下した。すると、身体の倦怠感がすっと消えて、腹の底から力が溢れてきた。…………これなら、いける。


 私はもう一度立ち上がり、魔力を杖の先に注ぎ込んで詠唱を開始した。


「――注ぎし光よ。湧き出ずる闇よ」


 いける。今度は成功する。感覚で分かる。……お待たせしましたトーマさん。このように、本当に情けない私ですけれど、今ばかりはお役に立てそうです。


「何の光!」

「グラシャ! 戻れ!」

「――混じりて原初の輝きとなれ。汝を屠るは、混沌の息吹なり」


 さぁ、御覧下さい。これこそは、呪いの子である所以となりし魔法。スターライトの血が織りなす光魔法と、私の血が生まれ持った闇魔法が織り成す輝き。帝国の誰にも真似できぬ【混沌魔法】。破壊する事しか能がありませんが、今この時ばかりは、それで十分でしょう?


「――良き来世を。撃滅の【ディザスター・レイ】!」


 瞬間、目の前が純白と漆黒の光線に包まれた。

 それらが交じり合い、私の魔法の色――モノトーンの極太光線が解き放たれたれ、目の前にいた魔物の一切合切を薙ぎ払う。父様にも言っていない、私の最強魔法……ご満足いただけましたか、トーマさん。


「……私が出来るのは、ここまで……。ごめんなさい……」

「……ありがとう。よく頑張ってくれた」


 ――――その言葉だけで、十分。トーマさんに褒めて頂けただけで、本当に嬉しい!

 そうして、薙ぎ払う訳にはいかなくて残しておいたボス地ドリを、トーマさんと魔獣の子は鮮やかに倒してしまった。今までに見たどんな剣舞よりもかっこよかった。



 …………よかった。トーマさんたちはあの巨大地ドリを持って、授業をクリアできるのだから。私は落第になってしまうだろうけれど、後悔は微塵もない。トーマさんたちと一緒に戦えただけで、私は十分だわ。


「……あのさ。今の戦闘、俺達力合わせて戦っただろ? それってさ、パーティ組んだって事にならないかな?」


 …………でも、だけど、トーマさんはそんな事を言ってくれた。何を言っているのか理解出来なくて、また私は口をつぐんでしまう。


「俺達も、今のボス地ドリが狩れなかったら授業クリアできなかったかもしれない。だから、俺達の手柄は君の手柄でもあると思うんだ。……俺たちのパーティに入らないか?」

 

 そう言って、彼は私に手を差し出してくれた。……………………私を、あなたの、パーティに……? 私……こんなにも頼りないのに……? それでも、あなたは仲間に迎えると、そう言ってくれるのですか……!?


「もう一人で頑張らないでくれ。一緒に帰ろう」

「…………!」


 それは、まるで見て来たかのような優しい声音だった。胸が温かい。そうだ……私が欲しかったのは……この、この温かさだった……! やっぱり、一人は、もう嫌だ……。私を愛して欲しい……! あなたに、私を、愛して欲しい!


「……………………、あり、がとう……! ありがとう……ありがとう……! 私の、王子様……!」


 もう限界だった。もっとこの温かさが欲しくて、思わず彼に抱き着いてしまった。暖かい……気持ちいい……! お願いです、あなたの側に、私の居場所を下さい。あなたのためなら何でもします。その優しさに、私はこの身を捧げます……!


「……ちょっと? あなた何やってるの?」


 びりっとした魔獣の子の声がして、トーマさんが私から離れようともぞもぞと動く。あぁ、そんな……! もう少しだけ……!


「ほら、そろそろ離れて。 えーっと……そう言えば名前聞いて無かったか。君の名前は?」

「あっ、すみません……」


 ――その事実に言われて気が付いた。それはまずいわ! 名前を知らない人に抱き着かれるなんて、トーマさんも良い気はしないわよね! もう、本当に私ったら……!


「……あ、挨拶が遅れて……申し訳、ありません。アイリス=スターライト、といいます。危ないところを助けていただき、本当に、ありがとうございました」


 こんな名乗りで恥ずかしがっていたら、本当にトーマさんに愛想尽かされてしまう。戦いの高ぶりの勢いに任せて、ちゃんと口に出して言った。

 ……すると、お二人はびっくりなさったように私を見つめていた。な、何か変でしたか!?


「……スターライト?」

「ルキウスは……義兄です。ご迷惑をおかけして、大変、申し訳ありません……」

「「何ぃぃぃぃぃぃ!!」」


 ……………………考えてみれば、私は彼らの仇の妹なのでした。父様や義兄様からは色々お小言を頂くかもしれませんが、些細なことです。私の忠誠はトーマさんに捧げます。今そう決めたのです。うふふ。







「そっかぁ……トーマくんそんなキザな事してたんだぁ」

「キザなんかじゃ、無いですよ……」


 と、先日の出来事をマヤさんにお話ししました。暇な時間が出来たので、皆で本部のお手伝いをする事になったのです。グラシャはスメラギさんのお手伝いをしています。私は読み書き計算の速さを買われて、マヤさんの書類仕事のお手伝いをしています。トーマさんはスメラギさんのお使いを任されて、今はこの騎士団本部にいません。早くお帰りにならないでしょうか……。


「ふふっ。トーマくんは随分アイリスちゃんに夢見せちゃったかなぁ? どうするアイリスちゃん。もしトーマくんがアイリスちゃんに抱き着かれてる時に、えっちな事考えてたら」

「えっちな……! そ、そんな筈ありませんっ! トーマさんはそんな人じゃありません!」


 思わず声を荒げてしまった。なのにマヤさんはにやにやと口元を緩めて楽しんでいるような表情をしていた。私をからかってらっしゃるんですね……!


「アイリスちゃんも怒るんだねぇ。それに、自分の事はそれほど話さないのに、トーマくんが絡むとちゃんとお話し出来るようになってる。どうしてだろうねぇ?」

「へっ……?」

「気が付かない? 今のお話、アイリスちゃんしっかりマヤにお話出来てたよ? 人とお話するの苦手って言ってるのに」

 

 マヤさんはニコニコしながら私にそう言った。……そう言えば、私、お話出来てる。マヤさんがじっと私のお話を聞いてくれたのもあるけれど……私、伝えたい事をちゃんと口に出せた……?


「アイリスちゃん、気持ちは言葉に出さないと伝わらないよ。トーマくんに甘えてばかりじゃ駄目っ。甘えてばかりの女の子は男にフられるよぉ? だってそういう子って疲れるもん。そうやって勘違いしてフられた子、マヤいっぱい知ってるよぉ?」

「そ、そんな……!」


 目の前が真っ暗になる心地がした。トーマさんは、もう視線だけで私の気持ちを察してくれると思っていた……! けれど、それは疲れる女、なんでしょうか……!


「ど、どうすれば……!」

「簡単だよ。アイリスちゃんがお話すればいいの。自分の気持ちを、正直に。男の人は察しの悪いゴブリンばかりだから、黙って察してくれないんだからぁ。だから、もうあえてバシバシ言っちゃうの。そうしたら男の人はいい気になって色々やってくれるから♪」


 マヤちゃんはそう悪戯っぽい表情で教えてくれた。……つまり?


「お話する事が、トーマさんと仲良くなれる一番の方法……?」

「んー! マヤ、理解の速い子は大好き! あ、でも男の人が色々してくれたらお礼しなきゃ駄目だよ? 飴と鞭を使い分けてこそなんだからね?」

「お礼……?」

「うん♪ そうだねぇ……トーマくんには、えっちな事が一番喜びそうかなーって」

「も、もう! マヤさん!」

「ひゃぁ、ごめんって!」


 トーマさんを何だと思ってるんだろうマヤさんは! ……でも、うん。もっとトーマさんとお話するのが大事って事は分かった。何か困ったらマヤさんに聞いてみよう。私は彼女の事を心の中で先生と呼ぶ事にした。


「……………………本当だよぉ? トーマくん絶対喜ぶと思うんだけどなぁ……。そう睨まないで。ほら、お仕事しましょ! マヤ、よく仕事してくれる人が好きだなーって」

「……………………」


 私が睨むと、マヤさんは困った様に笑い、仕事を再開なさりました。







 ………………えっちぃ事って……う、うぅ……自信が無いです……。

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