第10話 とある狩人の思慕追憶(メモリアル)

「悪魔は、お前だッッ!!」


 ――その人は、本当に怒り狂った形相で、憎き村長を殴り飛ばした。

 あまりの出来事に、私も槍を動かす手を止めてしまった。瞳は怒りの余り見開かれ、肩で息をするほどに狂い、その何も変わったところのない普通の男の子は、見ている私まで怖くなるほどに激昂していた。寒気すら感じて、思わず尻尾の毛がぞわりと逆立った。


「彼女が何をした! 村人を痛めつけに来たか! 家を焼いたか! 家族を殺したか! よってたかってお前を殺しに来たか! お前みたいに、存在そのものを否定したか!」


 先ほどまで散々に私を罵倒していた村長に向かって、その男の子は腹の底から叫ぶように怒鳴りつけていた。その顔は怒り狂っていて、今にも村長を殺してしまうのではないかと思う程鋭い瞳をしていて…………。それでいて、何故か泣きそうにも見えた。


「彼女がこんなボロ小屋にいるのは、村に迷惑をかけないようにするためじゃないのか! 村人に死者が出てないのは、彼女が本当に魔物と同じになりたくなかったからじゃないのか! 彼女だって好きで能力を得た訳じゃないはずだ!」


 ――何故。何故なの。どうしてこの人は私のために怒ってるの?

 分からない。彼と私に繋がりなど何にもない。本当に赤の他人だ。それなのに、彼は今、私のために怒ってくれている。怒りも悲しみも通り越して、何も感じないと思っていた私の胸に今、大きな困惑と、その何倍もの嬉しさがこみ上げてきている。

 その温かい感情がぐっと瞳に宿り、家族を失ってから色を無くしていた私の視界を今、再度染め上げる。同時に瞳の奥が熱くなって、からからの筈の身体の底から、涙がこぼれそうになった。


「それをお前は悪魔だ何だと好き勝手言いやがって! 悪魔の称号はお前の方がよっぽど相応しい! これ以上ふざけた事を言ってみろ! 三倍の量をブッ飛ばし返してやる!」


 ――あぁ。もう、いい。

 その言葉だけで私の全てが救われた。あの人は見ず知らずの人のために泣ける優しい人なんだ。だったら、こんなところにいちゃ駄目。何をされたでもないのに魔物を憎み、昨日まで笑い合っていた村の仲間を火あぶりにして喜び、聞くに堪えない言葉をまき散らす人間がいるこんな汚いところに、あの尊い人をこれ以上存在させてはいけない。


 そう思ったら、足が動いた。腹の底から最後の力をかき集めて、私は憎き村長の元へ飛んだ。あの人のためなら、私は本物の魔物になってもいい。村長にあの人をこれ以上汚させるのは、私が許さない。

 

 あと一歩で村長を突き刺せるところまで来た時、最後にその人の顔に視線を向けた。私を、驚いたように見つめているその人は、何とも優しげで、村の誰よりもずっと整った容姿をしていた。なんて私好みな人なんだろう。一度でいいから、あんな男の人と手を繋いでみたかった。恋をしてみたかった。一緒に、暮らしてみたかった。

 だけどそれは叶わない願いだ。私のような汚らしい獣が、あの人に触れてはいけない。私が出来るのは、この暗黒の世界から彼を逃がす事だけ!


「これで、全て終わり!」


 でも、それだけできれば満足だ。私の全てはそれで救われる。どうして私だけ逃げられたのか。何故家族が死んでも私だけのうのうと生きて来たのか。なぜ、この苦しい命を三ヶ月も長らえたのか。今、その答えを得たから――!

 そして目の前に村長の顔が迫る。その顔をこれ以上見なくてもよくなると思うと、胸も少しすっとする。お母さんたちの仇、ここで討つ!!


 そして私は鉄槍を突き出す。村長の喉笛めがけて、本気の一撃を繰り出した。


 ――だけど。


「なっ!」

「ぐぅッ!」


 私が貫いたのは、名も知らない、あの人だった。彼は私を抱きしめ、自分の身を縦にして村長を守った。

 槍は彼の脇腹を少しえぐり、血をぽたぽたと流させていた。――あ、あぁ……! 私は、何という事を……!


「…………駄目だ。こんな奴のために、君が血を浴びる必要は、無い……」

「……どう、して……。何で、見ず知らずのあなたが、ここまで…………」


 信じられない。あれほど怒りをぶつけていた村長をどうして守ったの? どうして、身を削ってまで私を止めるの?


「君は優しい子だ。そんな君を、俺は好きになった。だから……魔物になった君を見たくない。居場所がないなら、俺と一緒に行こう。世界には、君を愛してくれる人が大勢いるはずだ。君が恋する男だっているはずだ」


 言いながら、彼は私の頬を両手で包んだ。本当に久しぶりに感じる、暖かな感触だった。それが何とも心地よくて、ついに涙が溢れ出てしまう。い、いや……! いやだ……! わたし……この人を、失いたくない……!


「俺が許す。君は、君のままでいていい。たとえ世界中が君を悪魔と罵ろうと……俺だけは君の味方であり続ける……」


 苦痛に顔を歪めながら、彼は私に言葉を続けた。私も……! 私も、あなたとお話したい! あなたに触れたい! もっと見つめていたい! 一緒に草原を駆けて、お腹が空いたらご飯を食べて、日が暮れたら手をつないで帰って、それで、その次の日も、また次の日も、ずっと大人になっても、あなたの声を聴いて、その姿を見ていたい……!



 だから――――魔物には……なりたくないよぉ…………っ!



 もう限界だった。涙で視界が滲んで、彼の顔すらも見えない。それすらも悲しくて、もっと涙が溢れた。だけど、それでも、声だけはこの大きな耳に届く。


「だから…………生きろ。そなたは美しい」


 最後にそう言って、彼は私にもたれかかって気を失ってしまった。あまりの激痛に耐えられなかったのね……。でも、早く手当をしないと、本当に死んじゃう……! 駄目、それは駄目っ!


「ははは……! ま、全く、驚かせおって……! 肉壁になるとはな。クソガキも、腐っても騎士のはしくれと言う事か……ふ、ククク……!」


 私に殺されかかった村長は安心したように笑い出す。何がおかしいのか全く分からない。今にも殺してやりたいと思う程に憎たらしい……! だけど、絶対にもう槍を向けない。この人に『生きろ』って言われたから。私は魔物じゃなくて、人間として生きるから……!


「さぁやれ! そのクソガキが身を削って足止めしているではないか! その首を叩き切ってしまえ!」


 そして、村長はそうもう一人の騎士様に叫んだ。……だけどその騎士様は剣を鞘に納めていた。今はきっと、あの人も私と同じ気持ちだ。この人を、助けなければ!


 私がどうすればいいかと混乱していると、彼と一緒にいた大きな身体の騎士様が指笛を一度鳴らした。すると、森の奥から、にわかに立派な二角獣が飛び出して来た!


「うわぁああっ!」


 その二角獣は村長の目の前で、前足を高く振り上げて停止した。その迫力に、村長は思わず悲鳴をあげながら後ずさりし、ガタガタと震えて怯えてしまう。……こんな男に今まで、私は……。


「ズイカク、特急で頼む。十真くんの命はお前にかかっている」

 

 騎士様は私から彼を引き取ると、そのまま抱いて二角獣に飛び乗った。二角獣の方も言葉が分かっているように大きく嘶き答えた。……トーマ。それが、あの人の名前かしら……。


「君も乗りなさい。こんなところにいたくはないだろう?」

「……はい!」


 騎士様にそう言われ、私も二角獣に乗せてもらう。そして騎士様は懐からパンパンに膨れた小袋を取り出し、目の前でへたり込む村長に向けて、投げつけるように渡した。


「あなたの依頼はお断りさせていただく。袋の金はお詫びに差し上げましょう。ですが、【夜明けの星】は今後、ドイヒ村からの依頼は拒否させてもらう」


 騎士様は吐き捨てるようにそう言い、二角獣の腹を蹴って、森の外へと走り出した。


 頬に風が切り、見慣れた森が通り過ぎて、いよいよ私の知らない大地へと飛び出した。これが、村の外の景色……! 広い。そして、大きい。私はなんて小さな世界で生きて来たのだろう。まるで身を縛っていた鎖が崩れていくような清々しさだ。私は、生きている……!




 こうして、私はカイドウ=トーマという人と出会う事が出来た。

 トーマの初めての友達になれて、すごく嬉しかった。トーマが『稽古に付き合ってくれ』って言ってくれる度に、私を必要としてくれてるって喜んだ。その勢い余っていっつもトーマを叩き潰しちゃうけど、一回も怒らなくて、『グラシャは強いな』って褒めてくれた。……やっぱり、本当に優しい人だった。


 トーマの好きな女の子は、耳や尻尾が生えている魔獣変化モンスターフォーゼ持ちの子……だと思う。私の耳をよく楽しそうに触って来るし、街で魔獣変化モンスターフォーゼ持ちの女の人と出会うと、ほぼ毎回その人を触りたそうに見ちゃうから。


「トーマ! 女の人じろじろ見ない!」

「あぁ、すまない」


 その度にトーマにむかってなって、腕を引いて無理矢理私に視線を戻す。私はこんなにトーマ一筋なのに、どうしてトーマは……って、本当にむかむかしてしまう。


「トーマは耳や尻尾があれば誰でもいいの?」

「ごめんよ。俺はグラシャが一番好きさ」


 そう言ってトーマは私の耳をまた触る。もう、調子のいい事言って! でも耳気持ちいいから許しちゃう……。まぁいいか! どんな人より私が一番すごくなればいいだけだもんね!

 それに……ふふっ。この前、とっても嬉しい事言ってもらえたもん……。


「貴族だか何だか知らねぇが……よくも俺の、グラシャ、を、笑ってくれたな……!」

「何が陪臣だ……! 何が槍を捧げろだ……! 道具のように見やがって! 違うだろ! グラシャの魅力に気が付けないなんて、お前はまず男として二流だ!」

「そんな男にグラシャはくれてやれない! 諦めてもらおう!」


 トーマ、また私のために怒ってくれたもん……。思い出すだけで頬が緩んで、心がぽかぽかしちゃう。本当に嬉しくて、ルキウス男爵の前で思わず抱き着いちゃったほどだ。もうトーマになら何をされてもいい。私の人生、全部トーマにあげてもいい。だって、トーマならきっと私を大切にしてくれるから。そ、それに間接キスも……しちゃったし……。


 トーマと出会ってもう二か月くらい経つ。仲間も多く出来たし、アイリスだっている。私を取り巻く環境は本当に一変したけれど、私はあの最初の頃から何も変わらない。この尊い人を支える槍になる。だから……これからも、ちょっとだけ私を大事にしてくれたら嬉しいな、トーマ!






 と、今までの私とトーマの軌跡をスメラギさんにお話した。暇な時間が出来たので、私はスメラギさんのお手伝いをする事にした。アイリスも今、マヤちゃんと何か書類仕事のお手伝いをしている。トーマはスメラギさんのお使いを任されて、今はこの騎士団本部にいない。


「素敵ねぇ……トーマくんは本当に紳士さんね」

「そうなんですっ! スメラギさんいい事言いますね!」


 微笑ましそうに笑うスメラギさんに、私もお皿洗いの手を止めて言ってしまった。もう、本当に、どんな男の人よりも最高なんだから!


「どうかなぁ。トーマくんも案外、心の中では変な事考えてるかもしれないぜぇ?」

「……どういう意味ですかぁ?」


 じゃがいもの皮をむいているアンドレさんがそこで口を挟んで来た。盗み聞きしていたみたい。趣味が悪い。私が少し責めるように睨むと、アンドレさんは何故か得意気な表情で答えて来た。


「グラシャちゃんは男の人に夢持っちゃう年頃だから分からないだろうなぁ。男はな? もっと単純なんだよぉ。グラシャちゃんを助けたのだって、そのおっぱいに触りたかったからだと思あぶっ!?」

「アンドレさんなんかと一緒にしないでよ!」


 ふざけた事を言い始めたので、手に持っていたタワシを彼の顔面に叩きつけてやった。トーマを馬鹿にするのは私が許さないんだから!


「トーマはそんな変態じゃない! いっつも優しいし、私を気遣ってくれるし、でも頼りにしてくれるし、ほんとにかっこいいんだから!」

「マジでェ? グラシャちゃん騎士団でも結構人気なんだけどなぁ……何がとは言わないが……」

「アンドレさん、もう黙ってた方がよろしいですよ?」

「あっ、ハイ」


 スメラギさんにも窘められ、アンドレさんはじゃがいもの皮むきの作業に戻った。もう、料理も下手で性格も変態とか、アンドレさんもう駄目じゃない。やっぱりトーマが一番だわ。変態なんかじゃないんだから。ね、トーマ?

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