第2章 十真、一億の男になる編

第7話 逆転(不可能)裁判

 ユグドラシル魔法学園。

 帝都ユグドラシル随一の巨大教育機関である。入学に制限や資格は一切無く、入学金すらも必要としないマンモス学園だ。学問を推奨している今代の賢帝により、このような破格の条件で学問が学べているのだとか。帝都で暮らす人間は誰もがここに入学し、基礎知識を学び大人になるのだとか。


 そんな異世界学園にこの度、外国人留学生が入学致しました。ドーモ、海藤十真です。出身は異世界です。よろしくお願いします。

 この学園にクラスメイトというものは無い。自分で勝手に教室に行き、国語や算数、魔法理論や魔法薬学といった授業をいくつか受講して、勝手に卒業テストに合格すればそれで卒業である。……確か、兄貴が自動車学校がこんな形式だったと言っていた気がする。あぁ、まさか異世界に来てまで学校に行く事になるとは思わなかったなぁ。必要な事とはいえ、色々と大変だぁ、これ。何せ俺ってば異世界語が読めない。話せるのに読めないとは不思議な事もあるものだ。そんな事言ったら俺の存在自体不思議になってしまうけどな。


 さて、俺の学校生活といえば、これがなかなか難しい事になっていた。何せこの国の文字がまだ書けないし読めない。日本語が通じているのが不思議だが、公用語は日本語では無い。このせいで、俺は簡単な算数の問題にすらも悪戦苦闘してしまう。何せ文章問題が読めないから。

 とはいえ、問題さえ分かれば計算は早い。地球仕込みの計算速度はグラシャを圧倒的に凌駕する。『文字が読めないのに何で計算は早いのか』と彼女に文句言われてしまった。アハン? ワタシ、異世界語、ワカリマセーン。鍛錬ではグラシャにボコボコにされるけど基礎学力ではミーの勝ちデース。紅茶が飲みたいネー。でも早く異世界語マスターしなければ俺はドロップアウトボーイ確定なノーネ……。



 また、地球あっちの学校じゃあ絶対に出来ない授業もあって、学校にマンネリ感は全く感じない。


「トーマァァァァッ!」

「甘いッ!」


 ガキィン、と俺とグラシャの間で強い金属音が響き渡る。魔法戦闘の授業で、俺とグラシャは毎度毎度全力でぶつかり合っていた。何せチャンバラごっこ程度で収められる余裕が無い。俺もグラシャも、この頃めきめきと実力をつけている実感があり、若さに任せて全力で打ち合いの稽古をしている。

 俺はグラシャの強烈な槍の一撃を手に持つサーベルでいなすと、返す刀で反撃に移る! くらえ! やたらめったら連続斬り!


「速い……!」

「俺も負けてばかりじゃないって事さ!」


 グラシャは俺の剣技の上達速度に驚いているようだった。しかし彼女は俺の斬撃を全て防御し、有効な一撃は何一つ入れる事が出来なかった。えぇい、グラシャの反射神経は化け物か! ならば! 奥の手を使うしかないようだな!

 俺とグラシャはお互いに距離を取り、仕切り直す。そして俺はサーベルに魔法を込め、炎を纏わせる。俺のサーベルは煌々と紅く燃える炎の剣となり、切っ先から橙色の魔力の粒子を獰猛に立ち昇らせる。


「ふっ、本気という訳ね!」


 俺を見て、グラシャもまた自身の槍に冷気を纏わせる! 彼女の魔法属性は氷。攻撃にも防御にも使える応用性が高い属性だ。俺は防御技が一切持って無いんだよな……まぁ、その分攻撃パターンはたくさんあるんだけど。拝啓、お兄様。俺は無事攻撃力全振りマンとなりました。雨の日とか攻撃力半減するけど、俺は元気です。


「行くぞグラシャ!」

「えぇ! 来てトーマ!」


 そうして、俺の炎の剣と彼女の氷の槍がぶつかり合い、しのぎを削り、幾度とない打ち合いの末――――!


「隙あり!」

「うごほぉ!?」

「あっ」


 槍の石突きが、俺の鳩尾に抉り込んだ――! うぷ……! やっべ、モロ入った……! やばい。これ無理だ。


「おえええええ……!」

「ごめんトーマぁぁぁぁ!」


 ……勝負あり。決まり手、鳩尾ヒットからの朝食リバース。あぁ、やっぱり、今回も駄目だったよ。いいところまで行ったが、ふと今日もグラシャのおっぱいがたゆんたゆんに揺れているなぁと気にしてしまってから力が抜けてしまった。かくして、スケベ大魔王は今日も倒されたのであった。完。ケモミミ=キョニウノオネエサンスキー先生の次回作にご期待下さい。がくっ……。





「ごめんなさいトーマ、本当に……」

「気にするな……大丈夫だから……」


 まぁ、武器持って打ち合ってるんだからこれぐらいの事故はつきものだ。グラシャは悪くない。

 俺とグラシャは鍛錬を終え、学園の修練場に設置されたベンチで一休みする事にした。俺はリバース後の倦怠感と鳩尾の痛みとですっかり参ってしまい、少し回復するまで横になる事にした。

 

「こっちこそ情けなくてすまないな……。俺との稽古じゃ物足りないだろ」

「そんな事無い。私、毎回全力で戦ってるもの。今ぐらいがちょうどいいわ」


 グラシャは俺の頭を腿に乗せ、俺の髪を指でいじりながらそう答えた。俺のだらしなさを見かねたグラシャは、なんと膝枕をしてくれたのだ。図らずして俺は男のロマン、夢の美少女膝枕を体験する事に成功したのだが……今は気持ち悪さが先に来て全然この喜びを味わえない……。俺の内なるスケベ大魔王は先ほど討伐されてしまい、また長い眠りについてしまったらしい。俺はなんてもったいない事をしているのか……。


「お前は本当に優しいな。もう少し休ませてもらってもいいか?」

「えぇ。ふふっ……」


 せめて、この光景だけでも目に焼き付けておこう。そう、グラシャの巨乳で俺の視界の四割がさえぎられるという素晴らしい光景を。えぇい、最近の十四歳は化け物か!

 グラシャもグラシャで、何が楽しいのか、俺の髪を夢中でいじり続けていた。……まぁ、いいんだけどさ。可愛らしいし。そう、可愛いは正義だ。


「おい、そこの者」


 そんな俺の理想郷アヴァロンに、見知らぬ男の声が聞こえてきた。グラシャの腿から一切ずれぬまま、首だけ横に向けると、俺達の前に生徒の一団が現れていた。何だお前たちは。俺とグラシャの蜜月を荒らすとは空気の読めない奴らめ。ツイッターでその面を晒してくれようか。


「先ほどの槍使い、下民してはそれなりなものだった。魔獣変化モンスターフォーゼ持ちが肉体に優れた者とは聞いていたが、納得がいった。お前はそれなりに使えそうだ」


 そうほざくは、集団の一番前にいた小奇麗な姿の男だった。年齢は俺と同じ、もしくは一つ二つ上だろうか。ねっとりと神経に絡みつくような、生理的に相容れない声音を発し、人を商品のように値踏みするような嫌な瞳をしている。どこかの貴族様とお見受けした。


「お前、名は?」

「……貴族様は、人に名を尋ねる前に、まず自分から名乗るものと聞いていますが?」

「無礼者! まずルキウス様にお答えしないか!」


 グラシャも何やら不穏な気配を察し、警戒した声で答えるが、それが気に入らなかったのか、お貴族様の取り巻きの一人が目を吊り上げて怒鳴った。そんなに怒鳴らんでも聞こえてるわ。


「こちらにおられるは、ルキウス=フォン=スターライト男爵だ! 帝国一の騎士団|【ノブレス・オブリージュ】のスターライト団長閣下のご子息なるぞ!」


 “頭が高い、控えおろう!”とでも続きそうなテンションで取り巻きくんは教えてくれた。説明どうも。騎士団【ノブレス・オブリージュ】は知っている。「貴族だけで構成された烏合の衆じゃい」と我らがドレイク団長が言っていた。その後ろでマヤちゃんが団長秘蔵の高級ワインを開けていたから覚えている。なるほど、確かに目の前の奴らは烏合の衆っぽい。社会的ステータスに惹かれて集まってそうなところが。


「貴様らもいつまでそんな姿でいるつもりだ! 立て!」

「うるさいな……また頭痛くなるだろ……」


 俺はグラシャのお腹の方に顔を向けて引っ込むように背を丸めた。ぽかぽかで引き締まったお腹が何とも心地いい。この程度の小男、グラシャなら余裕で追い返せるだろう。任せた。


「それで、そのルキウス様がいったい何の御用ですか?」


 グラシャはいよいよ機嫌の悪い時の声音でそう問う。取り巻きくんの言葉は完全に無視した。当然である。俺は耳だけ動かして、後はグラシャに任せることにした。俺、ただ膝枕されているだけ……! 至福の傍観……!


「光栄に思え。お前を我が陪臣に加えてやろう。その巧みな槍術をこの私に捧げるがいい」

「お断りします」


 即答だった。その迷いなき拒否に、相手方が息を飲む音が聞こえた。ざまぁみろ。この膝枕は渡さないぞ。


「ふぅ……! 下民、もしや分かっていないのか? 私の陪臣になるという栄誉を。次代の【ノブレス・オブリージュ】団長たるこの私に直々に仕える機会を得たという幸運を、お前は前にしているのだ。ならば返事は一つしかあるまい?」


 ルキウスは怒りを鎮めるように息を吐きながらそう言った。そうだな、答えはイエスですかって? 決まってる。


「えぇ、重ねてお断りします」


 答えはノーだ。グラシャはそう言う。そもそも騎士団ならもう入っているし。


「私は既に【夜明けの星】の一員です。すみませんが、お帰り下さい」

「【夜明けの星】……!?」

「くっ、くははは! 冗談だろう!」


 【夜明けの星】の名前を出した瞬間、ルキウスとその取り巻きたちは一斉に噴き出したようだ。何が可笑しい! …………いや、色々おかしかったわ、ウチ。


「運よく功を立てただけの下民集団か! 三大騎士団の一角などと言われているが、規模にしろ人材にしろ、【ノブレス・オブリージュ】とは比べ物にならん弱小騎士団に入っているなどと……! よくもそんな事が言えたものだ! 俺であれば恥ずかしくて今頃死んでいるわ!」


 クソデカ声の取り巻きはげらげらと汚く笑い飛ばすと、さらにルキウスたちの笑い声が大きくなった。えっ、ウチってそんなに弱小だったの? 嘘だァ、確かにウチは頭のネジがぶっ飛んでる奴しかいないけど弱い訳ないだろ。マヤちゃんさんだろ? ドレイク団長だろ? 一郎さんだろ? ドクだろ? シェフ・アンドレだろ? 絶対敵に回したくないような人間しかいない集まりが弱小なはずがない。

 ……あぁでも、この内情を知っているのは身内だけか。是非とも取り巻きくんにはアンドレのサンドイッチでもつまみながらマヤちゃんさんとポーカー勝負でもしてきて欲しい。二度と喋れなくなるだろうな。ついでに彼女に有り金すべて取られそう。


「やれやれ、笑い死ぬかと思ったぞ。下民、【夜明けの星】が巷でどんな噂をされているか知っているか? “頭のおかしな騎士の集まり”、だ。そんなところにお前の槍を預けるのは、宝の持ち腐れというものだ。私と共に来るがいい」


 えっ、そうなのか? 俺の聞いた噂じゃ、“仕事は出来るが頭ゴブリンのクズの集まり”だったぞ。町の人々はもう【夜明けの星】を騎士扱いもしてくれないし、頭ゴブリンとかいう最低な称号もつけている。やべぇ何も言い返せねぇ。

 やれやれ、こんな貴族がいたらおちおち休んでもいられないな。あっちが退いてくれないのならこっちが逃げるしかない。トラブルに発展しても困るし。そう思い俺は起き上がろうとし――――。


「貴様もいつまで寝ているのか!」

「あ痛ぁ!?」

 

 その瞬間、俺の服の襟首が引っ張られ、俺はグラシャの膝から硬い地面へと叩き落とされてしまった。な、なんて殺生な真似を! 今のは取り巻きのしわざか! 貴様、逆鱗に触れたな……!


「ぎゃははは! 間抜けな奴め! なんだこの下民は! まるで泥のように真っ黒な髪ではないか! 不吉なやつだ!」

「トーマ!」

「……許さん。絶対に……!」


 グラシャが慌てて俺を助け起こしてくれた。俺の中のスケベ大魔王が今再び覚醒を果たした。だが我らが王は嘆いておられる。そしてお怒りであられる。頭にきすぎて何を喋ったらいいものかも整わない。


「貴族だか何だか知らねぇが……よくも俺の、グラシャ、を、笑ってくれたな……!」

「トーマ……!」


 いや、違う。“よくも俺の最高の癒しであるグラシャの膝枕タイムを邪魔して笑ってくれたな”だ。怒りすぎて呂律が回らん。まぁいい。このまま続けよう。二度言うのもださいし。


「何だ貴様は……。お前には用は無い。その反抗的な態度は見逃してやる。消えたまえ」

「黙れ小僧! お前にグラシャが救えるか!」


 地位も財力も権力もあるくせに、ドイヒ村のような人々をほったらかしにしておくからグラシャのような悲劇が生まれるのだ。それをこっちは命がけでグラシャを助けたんだぞ。何が悲しくてぽっと出の貴族にやらねばならんのか。


「何が陪臣だ……! 何が槍を捧げろだ……! 道具のように見やがって! 違うだろ! グラシャの魅力に気が付けないなんて、お前はまず男として二流だ!」


 このデコハゲェェ! ちーがーうーだーろー! まず褒めるべきはケモ耳だろぉぉぉ! 見た目の形、モフっとした手触り、繊細な感度。どれをとっても完璧オブ完璧だというのに! お前の目は節穴か!


「そんな男にグラシャはくれてやれない! 諦めてもらおう!」


 このおっぱいも膝枕もしばらくは俺のものだ。そしてゆくゆくは一郎さんのような、素晴らしい男性にグラシャは幸せにしてもらうべきなのだ。決して七光り二世には渡せない。


「トーマ!」


 その時、後ろからグラシャが思いっきり抱きしめてきた! こら、そんなにぎゅってしたらお前の胸が潰れるだろう。あぁ背中が柔らかい温かい……。ていうか、何だ。今からこのルキウスとかいうのにケモ耳道を教えてやろうと思ってたのに、おっぱいが柔らかくて何話すか忘れてしまっただろ。


「な、何だよグラシャ、いきなり!」

「嬉しい……! 私もトーマが好き! トーマになら、何をされてもいい……!」

「は?」


 このワン子は何故いきなり愛の告白をしているんだ。何故泣きそうなんだ。お前も違うぞ? 今そういう空気じゃないだろ。触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!


「この私に向かって何と無礼な! おい、少し思い知らせてやれ! 自分が誰を相手にしているのかをな!」

「はっ!」


 グラシャにフラれ、逆上してきたルキウスは取り巻きの一人に命じる。すると、声デカ男が前に来て俺の顔面をぶん殴ろうとしてきた! おぉう!? 何という水戸のご老公アトモスフィア! こいつら旅しながら世直しとかした方がいいのでは? まぁ……その前に腕前を磨いたほうがいいか。そんなパンチ、グラシャに比べりゃ止まってみえるね。


「さっきのお返しだ!」

「おごぉ!?」


 グラシャが纏わりついたまま、俺は相手の拳を回避し、逆に反撃をワンパン顔面に入れてやった。あとグラシャはいつまで俺をギュッとしてる気だ。いいぞもっとやってくれ。


「あ、が……?」

「おい、待てブッ!?」


 俺に反撃をもらったでくの坊は今のが効いたようで、フラフラと千鳥足で後退、そのまま後ろにいたルキウスごと仰向けにぶっ倒れてしまった。今、ルキウスにそいつの後頭部が直撃して鈍い音がした。可哀想になぁ。


「この下民が……! 許ざん……! 許ざんぞぉ!」


 起き上がったルキウスは、今の当たりどころが悪かったようで、盛大に鼻血を吹き出しながら起き上がった。ついでにダウンした取り巻きを蹴り飛ばして退かせた。可哀想になぁ。


「傷害罪で告訴してやる! 下民め、生き地獄を味わわせてくれる!」


 ルキウスはそう言って、鼻血を垂らしながら去って行ってしまった。取り巻きたちも慌てて付き従う。ダウンした野郎をほったらかしにして。……えっ? 告訴? 裁判?


「も、もしかして俺、やっちまったか……!?」

「や、やばいかもしれないわ…………」


 グラシャまで我に返ってそう言った。えっ、まじで? そ、そんなまさかァ。俺何も悪い事してな――。







「これより開廷する!」


 ………………………………次の日、【夜明けの星】本部に国の憲兵さんが来てしまった。俺は憲兵さんに拘束されると、そのまま裁判所に連れて行かれ、加害者として裁判長の前に立たされていた。何を言ってるか分からないと思うが、俺も分からん。でもこれだけは分かる。


「このままでは、ヤバイ……!」


 周りには小奇麗な服装を来た大人しかおらず、その人たちに囲まれるようにルキウスが突っ立ってほくそ笑んでいた。しかも裁判はもう始まってしまっていた。あかん……この流れはもうお察しだ……!


「この度問題にしますのは、【夜明けの星】騎士団所属、カイドートーマによるルキウス=フォン=スターライト男爵に対する傷害罪であります」


 裁判長が進行もしていないのにも関わらず、ルキウスの検事らしき男が突然喋り出した。ちょっと!? 何で俺には弁護士いないんですか!?


「待て! こちらに弁護士がいない! 弁護士を呼べ!」


 まるでドラマの悪党のように俺は必死の顔で叫んだ。しかし、この声に反応するものは、この場に誰一人いない。参加者0人だ。俺の味方は……誰一人、いませんでした…………うわぁぁぁぁぁぁぁ!!


「トーマ!!」

「トーマくん!?」

「グラシャ! マヤちゃん!」


 その時、傍聴席にグラシャとマヤちゃんさんが駆けつけてくれた! ヘルプミー!!


「原告による証言によれば先日昼頃、ユグドラシル学園内にて、被告が原告の地位を妬み、罵詈雑言を吐いた末に暴行を加えた模様。結果、原告の知人一人が意識を失う重症、また原告も顔を強打する被害を被っております」

「異議あり!!」


 淡々とふざけた事をほざき始める検事に俺は叫んだ。全く違うじゃねぇか! 何が妬みだ! 妬んでるのはあのデコハゲ貴族の方だろ!


「違います! 先に手を出して来たのはルキウス男爵の方です!!」


 傍聴席からグラシャが叫ぶ。だ、だがその声に耳を貸す者は誰もいなかった。くぅ……やはり、この裁判は……!


「ご覧ください、原告の鼻を!」


 検事がそう言うと、ルキウスは少し前に出て、包帯を当てた鼻と顔を曝した。テメェ……!


「なんと痛ましい! この通り、被告による暴行の事実があった事は明らかです!」

「ふざけろ! そんな下手くそな弁論が通じるか!」

 

 くそ! これはルキウスが俺を貶めるために用意した劇場! 何もかもが仕組まれ、どうあがいても俺が有罪となるゴミみたいな裁判だ!


「原告は被告に対し、名誉棄損並びに傷害の損害賠償として、一億キャッシュを請求するものとします」

「一億!?」


 思わずマヤちゃんさんも驚いて声を荒げる。一億って! 俺が一生騎士団で働いてようやく溜まるぐらいの金額じゃねぇか! そうか、つまりルキウスは、俺を一生借金の奴隷にする気か!


「一億なんて馬鹿げてる……! そんなの、どんな罪を犯したって請求されないほどの金額だよぉ……!」

「こんなのおかしい……! これが貴族のやり方なの! 汚い! 汚すぎる! ここの大人全員腐ってるわ! 恥を知りなさい!」

「傍聴人、騒ぐようならば退出を命じますよ」


 グラシャの叫びが裁判所に木霊すると、裁判長はガンガン、と木槌を打って黙らせた。くっ……何を言っても、もう無駄なんだ……! むしろ何か言う度にもっとひどい事になりかねない……!


「うももおぉ~~~~!!」

「グラシャちゃん、お願いだから今は黙ってて!」


 怒り狂ってまだ叫ぼうとしているグラシャを、マヤちゃんが必死に抑えていた。感謝します……。グラシャにまで罪が飛び火すれば、俺はまたルキウスに殴りかかってしまうかもしれない……。


「原告側からは以上です」

「ふむ。それでは被告、何かありますか?」


 裁判長は形の上でだけそう言って来た。……何かあるかだって? そりゃあるさ。あるに決まってる。でも、喋れば俺の罪がもっと重くなる。それは望む事じゃない。勝てない戦はするべきじゃない。いいさ、ここは俺の負けを認めよう。


「ありません……!」


 だが、これで終わりだと思うなよルキウス……! 地べたを這い、泥水を啜ってでもお前に復讐してやる……! 俺はお前のような小汚い男が一番許せん……! この屈辱は必ず晴らしてくれる……!


「ふ、ふん……!」


 憎悪と憤怒をありったけこめてルキウスを睨みつけると、少し焦ったように奴は俺から視線を外した。覚えていろ……! お前には一生好みの女の子と付き合えない呪いをかけてやる……!


「では、判決。主文。被告は原告に対し、損害賠償金一億キャッシュを支払うものとする!」


 そして、絶望の判決が言い渡される。……俺はどこで間違えたのか。おそらく、兄貴とドライブ行った事か。チートも無いし、ダンジョンも行ってないし、お宝も持ってないし、頼れる仲間はグラシャだけだし、賠償金まで作ってしまった。どうして俺の異世界生活はこんなにハードモードなのか。この世界に神はいない。俺はたった今確信した。


「これにて、閉廷!」


 裁判長は木槌を叩き、この裁判を締めくくった。拝啓、お兄様。俺は十六歳にして一億を背負う男になりました。とても生きた心地がしませんが私は元気です。はぁ。どうすりゃいいんだ……。

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