第三十話 正々堂々

――なんだ?

 屋敷の中がにわかにざわつき始めた。部屋に一人、静かに座っている蓮の耳に、戦支度をして飛び出しくいく男たちの足音が聞こえてくる。気のせいか、いや、そうではなく、街の喧騒も、微かだが聞こえてくる。


――とうとう、この日が来たか。

 姉上が立ち上がった。決して、何ものにも屈服しない姉上が。自分もこれから起きる事態に備えなければ、と気を引き締めた蓮に、

「助けに来たぞ」

 背後から、いきなり声がかかった。


 ぎょっとして振り向くと、

「小士郎! いったいどこから!?」

 そこには見知った顔が、しかし、いるはずのない顔が、蓮を見下ろしていた。身体中、ほこりと傷まみれで、髪には蜘蛛の巣がかかっている。


「この手の屋敷には、隠された道がある」

 お前は知らなかったのか、という表情で小士郎が言った。


「今、玲奈たちが街で騒ぎを起こしている」

「なぜ、玲奈が!?」

 玲奈までもが戦場に駆り出されている事実が、いかに味方が足りない状況かを、蓮に知らしめる。小士郎の表情からも、本当は玲奈を巻き込みたくはなかった、という気持ちが推し量られた。


「見張りが手薄になっているうちに、さっさと逃げるぞ。こっちだ」

 ぐずぐずしている暇はないと、蓮の返事も待たずに、連れ出そうとする。しかし、蓮から、

「駄目だ」

と予想外の答えが返ってきた。


「なにっ?」

 危険を犯してまで助けに来た小士郎が、どういう意味だと、蓮を睨む。

「それでは、今までと何も変わらない。隠れて逃げたところで、誰も私たちに従わない」

 蓮もまた、小士郎を睨み返す。


「だったら、どうすんだ! とにかく、こんなとこで無駄話をしている時間はない」

 子どものわがままには付き合ってられないと、

「文句があるなら後で聞く。いいから、さっさと来い!」

 問答無用、逆らうなら力づくでも引っ張っていくぞという態度で、隠し通路から連れ出そうとした。


「ここは私の屋敷だ」

 蓮の瞳に強い意志が宿り、小士郎を射抜く。

――なんだ?

 小士郎の知っている蓮とは違う物言いに、小士郎が戸惑う。


「小士郎」

 今更ながら、いつの間にか、呼び捨てにされていることに気付いた小士郎に、

「こそこそ逃げ回るような領主には、誰も従わない」

と、蓮が廊下へと向かった。


「正面から堂々と出るぞ」

 あっけにとられた小士郎を見向きもせず、蓮が平然と歩みを進める。


「馬鹿か、お前は!」

 度肝を抜かれた小士郎に、蓮が振り向いて言った。

「そのためにお前がいる」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「御当主様、街で騒乱が起きています! 前領主が反乱を起こしたようです!」

「そうか」

 国を揺るがす一大事の知らせにも、梟は顔色一つ変えず、

「追い詰められた鼠どもの、悪あがきだな」

と冷たく笑った。遅かれ早かれ、こうなることは狙い通りだ。


「浮民どもを率いているのは若い女のようです」

「若い女? 柊自らがか?」

 しかし、続けて告げられた想定外の報告が、梟を戸惑わせた。


「確かなところはわかりかねますが、詰所が次々と破られています」

「なんだと!」

 家来が続けた報告に、浮民ども相手に一体何をしているかと、梟の頭に血が上る。


「勢いに負けて、前領主の味方に付くものも出てきているようです!」

「裏をつかれたか」

 ろくな手勢もいない柊が、まさか正面から攻めてくるとは。馬鹿のやることは、予想がつかない。

 偽領主との触れを未だ信じないものもいようし、何と言っても柊には、人並み外れた強さがある。梟に敢えて逆らおうとは思わないまでも、事態が収まるまで、柊と無駄に争うことを避け、様子を決め込むものも出てくるだろう。


「俺が出る。念の為、部隊の半分は領主の館に向かわせろ。残りはすぐに出立できるよう集めておけ」

「ははぁ!」

 梟の指示に、配下の者たちが、すぐに動き出した。


 蓮は、逃げ出せないよう烏豌に見張らせているが、万が一に備え守りを増やす。後は、柊に止めをさせば、桐の血筋は終わりだ。これで、代々、桐の家の陰に隠れて、汚れ仕事をやらされてきた葛が名実ともに、鬼ノ国の領主となる。


――俺の代で悲願がかなう、それも、今晩。

 梟の心が、言葉にならない歓喜で満たされ、止められない笑みが浮かぶ。家だけではない。自分の手で柊を始末すれば、『鬼封じの剣』も、もう梟の他には振るえるものはいない。遣い手は自分ただひとりだ。


――最後のひと勝負、楽しませてくれればよいのだがな。

 強すぎる自分を持て余すこと無く戦えるひとときを夢想し、体の興奮が止まらない。


――簡単には殺さない。

 やっと身につけた『鬼封じの剣』を思う存分振るえる最後の機会だ。十分楽しませてもらおう。


「そろそろ、行くか」

 せっかくの楽しみをすぐに終わらせるのももったいないが、いつまでも家臣を待たせるわけにもいかない。


 愛刀を刀掛けから、両手で押し戴くように持ち上げる。

 歴代の葛の領主により、血を吸い続けた刀だ。手に取ると、刀自らが血を求めているかのような欲望が伝ってくる。宗近の血を吸わせたときは、鈍く光る妖しい輝きが一段と増した。今日の獲物は、それ以上、いや、この刀が生まれてから今まで味わったことのない極上の獲物だ。


「お前も、存分に味わえ」

 梟は、愛刀を腰に刺し、家来たちが待つ屋敷の門へと向かった。

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