第二十七話 鬼の姉弟

 里の惨状など知らぬかのように無数の星が夜空に輝く。その星空の下で、玲奈が一人、木刀を振るい、見えない敵を相手に戦っていた。体中を傷だらけにし、木刀の柄には血豆から出た血が滲む。それでも、歯を食いしばり、無心に木刀を振り続ける。


 しばし、熱心に振るった後、

「何しに来た」

 暗がりに声をかけると、

「様子が気がかりでな」

 小士郎の声が返ってきた。


「お前に心配される筋合いはない」

「ああ、そうだな」

 暗がりから現れた小士郎に玲奈が冷たい視線を向けるが、小士郎には、それを気にするそぶりもない。


「お前は、姫様を守るのが務めだろう。こんなところにいないで、姫様のところに行け」

 一人稽古に励む時間を邪魔をするなという態度で、小士郎を邪険に扱う。

「あいつなら心配ない。安全なところにいる」

 小士郎の問題なさげな口調を、玲奈が睨んだ。


「そういうことじゃない。一人でほっておくなと言っている」

 玲奈の怒った口調に、小士郎が微笑む。

「お前が気にするとは意外だな」

 小士郎の言葉を聞こえなかったように無視し、玲奈が一人、木刀を振り続ける。


 しばし木刀が空気を斬る音だけが響く。沈黙に耐えきれなくなったか、それとも、疲れた体をしばし休めるためか、玲奈が木刀を降ろし、小士郎の方を向いた。

「あいつらは、また来ると思うか」

「ああ、間違いなく来る」

 小士郎が真剣な顔つきで応えた。

「こんな事をして、何か変わるのか」

「わからん。俺は、柊について行くだけだ」

 沈んだ口調の玲奈に、小士郎が朴訥に応える。


「姫様は、いつまでここに?」

「お前たちが戦う限り、いつまででも、あいつはここにいる。だから、心配するな。あいつは、お前たちを絶対に見捨てたりはしない。俺も出来る限りのことはする」

 小士郎の言葉に、玲奈は内心ほっとするが、そんな素振りは一片も外に出さない。


「今、あいつは優人との約束を守ろうとしている。あいつは優人に、自分の命に懸けても必ずお前を守ると誓った。だから、たとえ自分が死んだ後でも、お前が自分で自分の身を守れるようにしたいんだ。あいつのことを許せなくとも、その気持はわかってやってくれないないか」

 そう言った小士郎を、玲奈が、きっ、と睨んだ。


「わかってないのはお前だ! 姫様は何もかも全部一人で背負ってる。一人で、怒りも悲しみも憎しみも、全部受けとめてる。お前がそばに居てやらなくてどうする! 姫様を守るのがお前の役目だろ!」

「お前……」

 怒りをぶつけてくる玲奈を、驚いたように小士郎が見つめた。


「本当は、自分たちのことは、私たちが自分でどうにかしなければ駄目なんだ。でも、どうしたらいいかわからない。どうにかする力もない。だから、全部、姫様に押し付けた」

 玲奈が目に涙を溜めた。


「兄さんのことだって、姫様も苦しんで決断した。兄さんも、それをわかって引き受けた。だから、兄さんが死んだのは姫様のせいじゃない。姫様のせいにしたら、それは兄さんの意思をおとしめることになる」

 玲奈が続ける。


「でも、兄さんの晒された首を見た時、姫様が許せなかった。逆恨みだとわかっていても、怒りが止まらなかった。それを姫様は全部受けとめた。私だけじゃなく、里のもの、皆の怒りを」

「そうだな」

 玲奈の独白に、小士郎も静かにうなずいた。


「俺は、あいつが死に急いでいるんじゃないかと心配だ。今は、自分ができること、やらなければいけないことをやっている。だが、ここでやるべきことが終わったら、もう生き続ける理由はない。そして、誰も気づかないうちに、一人で死に場所を探しに行く」

 小士郎が遠い目で、今ここにいない柊の気持ちを推し量る。


「だったら、なおのこと、さっさと行け」

 玲奈を見つめる小士郎を、振り切るようにして、再び、玲奈が木刀をとった。玲奈の態度が、自分は一人でいい、お前は邪魔だと、雄弁に語る。


「なんだ」

 木刀を構える玲奈の前に、小士郎がすっくと立った。


「そんなふうに闇雲に振り回すんじゃない。刀を振る前に、まずは、相手をしっかり見ろ。体の重心のかけ方、視線の方向、相手の腕の長さ。それを、一瞬で、頭に叩き込め。試しに、俺の間合いのぎりぎり外に立ってみろ」

「だから、さっさと……」

 小士郎が玲奈の言葉を遮る。


「夜ぐらい、あいつを一人で静かに休ませたい。だから、しばらく、ここに居させてくれ」

 小士郎がやさしげな口調で玲奈に言う。


「それに、お前には以前、舞を教えてもらったからな。これは、その礼だ。ほら、さっさと俺の間合いを測ってみろ」

 小士郎の言葉に、渋々といった態度で、玲奈が距離を詰めた。


「そこでいいのか? 最初は、もう少し離れたところからで、かまわんぞ」

「ああ、ここでいい」

 小士郎が、木刀を振り上げる。もし、間合いがずれていたら、玲奈の頭に直撃する。わずかにずれただけでも、玲奈の顔はただではすまない。しかし、木刀を構える小士郎を見つめる玲奈の顔は、恐怖のかけらもなく平然としている。


 小士郎が、木刀を振り下ろす。そして、振り下ろした木刀は、玲奈の顔面を紙一重で通りぬけた。


「ほおう、お前は間合いを測るのがうまいな。これなら、すぐに上達する」

 小士郎が感心と、わずかばかりの驚きを交えて言い、

「それに、楠の人間は、教えるのが得意だ」

 にやりと笑った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「今日も、よく召し上がられましたようで、安心いたしました。ご心労で食が細くなるかと心配しましたが、何よりでございます」

 烏豌がうやうやしく、膳を下げる。

「食べられる時には、食べておく必要があるからな」

 蓮が、冷たい口調で言った。


「さようでございますな」

「いつでも、姉上の助けに備えておく必要がある」

 軽く相槌を打った烏豌だが、蓮が発した言葉にぎょっとした。


「あの日以来、御姉上様の姿を見たものは、おりませぬが」

 蓮の本心を推し量ろうとする烏豌に、

「生きているに決まっているだろう。現に私が生かされているのだから」

 烏豌の目を覗き込み、当たり前のように蓮が言った。


――人が変わったか?

 烏豌の知る蓮と、今蓮が見せた態度の違いに烏豌がいぶかしむ。


「そのような軽口、それがし以外の者の前では、御慎み下さい」

 烏豌が、さも心配そうな口調で深々と頭を下げると、

「ああ、わかっている」

 そんな当然なことを念押しするなといった口調で、蓮が言った。


――こやつ、わしをなめている? いや、そうではないか

 内心の考えを推し量らせない蓮の態度に、烏豌が戸惑う。いったい、捕らえられた直後から、今日までに何があったのか。しかし、屋敷に幽閉されていれば、誰かに会えるはずもない。この蓮の変わりようは、いったい何だ。


「烏豌、お前は私の姉上をどう思う?」

 唐突に蓮が烏豌に尋ねた。

「お強い方でしたが」

 蓮の言葉の裏の意図を計りかね、烏豌が無難に答える。


「怖かったか?」

――怖かったか?

「間一髪、殺されるところでございました」

 蓮の問に戸惑いながらも、烏豌が柊との一戦を記憶の中で振り返った。

「まさか、それがしの必殺の突きを避けるとは思いもよりませんでした。そのうえ、素手で槍を捩じ切るとは、人間離れした怪力。屋敷の中でしたので仕掛けを使って逃げられましたが、外でしたら殺されておりましたな」

「それは、姉上らしいな」

 蓮が、烏豌の言葉に微笑んだ。


 そして、顔に浮かんだ笑みを消して言った。

「姉上は、恐ろしいか?」

――恐ろしいか?

――恐ろしいに決まっておろうが

「恐ろし」

 何を当たり前のことをと、蓮の問にそう答えようとした烏豌だが、しかし、ふと違う答えが浮かんだ。

「くはございませんな」


「怖いが、恐ろしくはないか」

 蓮が微笑みを浮かべて頷き、

「なぜだ?」

と探るような目で詰問した。


――なぜ?

 蓮の言葉に、ふと考え込んだ烏豌だが、言われてみると確かに不思議だ、なぜ、怖いが、恐ろしくはないのか、頭の中に疑問が芽生える。そして、まだ答えを見いだせていない烏豌に、更に蓮がたずねた。

「梟は恐ろしいか?」

と。


 烏豌は更に考え込む。確かに、梟は恐ろしい。怖くて、恐ろしい。しかし、柊は恐ろしくはない。梟に匹敵するかもしれない力を持ちながら、恐ろしいとは思わない。


「私は臆病者だ」

 烏豌の考えを遮るように、蓮が言った。


「恐ろしいものがたくさんある。しかし、姉上は怖いが、恐ろしくはない。私が知っている中で、姉上はこの世で最も強い人間だ。梟よりも強いだろう」


――梟様よりも強い? さすがに、それは同意できない。

 蓮が何気なく言った言葉に、烏豌が敏感に反応する。


「ではなぜ、姉上は恐ろしくはないのか。それは、姉上が理不尽に人を傷つけることがないからだ。絶対にない。そして、たとえ間違ったことしても姉上なら許す」

 蓮が断言する。


「しかし、それが裏目に出た。恐ろしくないものには、誰も従わない」

 心の底にある悲劇を噛みしめるように、蓮が言った。


「なぜ、人は、そもそも理不尽に人を傷つける?」

 蓮が、自分自身に問うように言う。

「それは、人が弱いからだ。弱いから他人に当たる、他人を支配しようとする、他人を恐れる。自分の身を傷つけられないように、必死に守る。他人を傷つけてでも、自分を守る」


 一通り自分の考えを述べ終わった蓮が、烏豌を見つめた。

「姉上は強いぞ」


「少し、喋りすぎたな。下がってよいぞ」

 蓮が烏豌を下がらせた。


 領主の館の廊下を歩く烏豌が、蓮との今のやり取りを思い起こす。


――確かに、あの娘はまっすぐだ。

 なるほどと、烏豌が連の言葉に納得する。


――強いゆえに、人を支配しないか

 皮肉な笑みを浮かべた烏豌に、直後、脳天を貫かれるような衝撃が走った。


――では、なぜ、梟様は恐ろしい?

――なぜ、梟様は人を支配しようとする?

 烏豌の背筋が凍る。


――あの娘は、自分の身を守るために、他人を盾にしたりはしない。そんなことは、考えもしない。

――なぜなら、人を守ることがあっても、人に守られることなど、考えもしないからだ。

――あの娘は、を知っている。を。


――姉上は強いぞ

 烏豌の頭に、蓮が最後に放った言葉が蘇る。


「あいつも鬼の弟か、いや、鬼の姉弟か」

 烏豌が、顔をこわばらせ、蓮の居る部屋を振り返った。

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