第二十六話 憎しみを糧に
翌朝、玲奈が畑仕事をしていると、二人の鬼民が浮民の里へと入ってくるのが見えた。驚く玲奈に二人が近づいて来る。
「何をしに来た!」
怒り叫ぶ玲奈を、柊が無言で見返す。その感情のこもらない目を見た時、玲奈の背筋に、ぞっと寒気が走った。
――姫様じゃない?
「何しに来た」
眼の前にいる柊の姿をした何者かに向かい、玲奈が震えた声で再度問う。
「黙ってないでなんとか言え」
柊の姿をした何者かが、無言で玲奈を見返す。何を考えているのかわからない、その瞳に、怒りにふるえる玲奈に、微かに怯えが走った。
「気でも
「気が狂れているのはお前だ」
玲奈の言葉に、柊の姿をした何者かが応えた。
――今、なんと言った?
一瞬、常軌を逸した言葉が理解できずに耳を通り抜けたが、その言葉の意味を理解するや否や、玲奈の頭が沸騰し、眼の前にいる存在への違和感が全て吹き飛んだ。
「何だと! 兄さんを殺しておいて!」
「お前の兄が死んだのは私のせいじゃない」
玲奈の怒りの声を、まるで他人事のように否定し、それどころか、
「お前の兄が弱かった。それだけだ」
更に玲奈の心を逆なでした。
「ふ、ふざけるな!」
信じられない言葉を耳にし、理性を失った玲奈が、激高して、
何が起きたかわからず、呆然としたまま、倒れたまま起き上がられない玲奈を、柊が黙って見下ろす。
「おぉぉぅぅっ」
正気が戻った玲奈が立ち上がり、再び怒りに身を任せ、雄叫びを上げて柊に襲いかかる。が、再び、やすやすと払われ、背中から畑に倒れ込んだ。
玲奈が信じられないものを見たというように、ううぅっと声にならない呻き声をあげて柊を見上げる。玲奈の美しい髪は泥にまみれ、見る影もない。
「弱いな。そんなだから兄を殺されるんだ」
柊の馬鹿にしたような口調に、怒りと屈辱が巻き起こった。目に涙を浮かべ、玲奈が再び玲奈が襲いかかる。柊が鞘で払うが、今度は倒れずに耐えた。
「兄よりは、ましだな」
玲奈が更に強い怒りを奮い起こし、再び鍬を打ち込む。それを鞘で抑えた柊が、玲奈の腹を蹴りあげた。
「うっ」
激痛に耐えられず、玲奈が鍬を落とし、うずくまって両手で腹を抱え込んだ。
「隙だらけだな」
敵わない実力差を見せつけられ、玲奈の目に涙が流れた。
「なんだ、泣いて終わりか?」
柊が、玲奈を見下ろし、
「そんなだから、お前たちは虐げられるんだ!」
と声を荒げた。
「兄を殺されても何もしない、何も出来ない、ただ泣いている。お前は悔しくないのか!」
柊の大声に、何事かと浮民たちが家から出てきて、二人を遠目に囲んだ。
「なぜ優人が私の家で働いていたか、お前は知っているか。浮民を殺した領主の家でだ!」
柊の発した言葉に、ぎょっとした浮民たちが、睨みつけてくる。
「お前のために、裏切り者と言われても、領主の家で働いたんだ。自分が領主の家で働けば、誰もお前を傷つけられない、そう思ったからだ!」
柊がどなり声が、玲奈をえぐった。
「命を狙われるかもしれない役目を引き受けたのは何のためだ! 全部、お前のためだろう! 鬼民の狼藉がこれ以上続いたら、お前に何か起きるかもしれない。そう思ったから、命を懸けて引き受けた! それなのにお前は何をやっている! 兄を殺されたのに、泣いているだけか! 立て! 立って私に一撃でもくれてみろ!」
柊の罵声が、諦めかけていた玲奈の心に再び怒りの炎を燃やした。兄を殺した女が、自分がしたことを尻目に、兄を、死んだ兄を罵倒する。こんなやつのために兄は殺された。犠牲になった。
玲奈が鍬をふりかぶり、
「う、うぉおおお!」
雄叫びを上げて、今まで以上の渾身の力で柊にむかって振り落とす。しかし、
「そんなもので、私に傷一つ付けられるか!」
柊が向かってくる鍬を渾身の力を込めた鞘で弾き飛ばし、玲奈を体ごと吹っ飛ばした。
「拾え」
柊が、木刀を玲奈に投げつける。
「何の真似だ!」
玲奈が柊の投げつけた木刀を横見で見、柊を睨みつけた。
「そいつを使え。鍬なんかを、いくら振り回しても、無駄だ」
武器を使い慣れたものが、戦い方など知らないものを馬鹿にする。
「お前のものなんか使えるか」
玲奈が、当然のように敵からの施しを拒否する。
「敵の与えたものは使えないか? 憎いやつの言うことには従えないか?」
玲奈の耳には、だからお前たちは弱いんだ、と言っているように聞こえる。
「敵のものだろうと、憎いやつの言うことだろうと、自分が強くなるなら使え、従え! さっさとそいつを握って、私に斬りかかってこい」
敵の道具を使う悔しさと、例え敵の武器だろうと戦うためには使えという柊の正論に、心が張り裂けるような逡巡を覚えながら、玲奈は歯を食いしばって木刀を拾った。
柊を睨みつけながら両手で木刀を握る。そして、見よう見真似で、木刀を振り回して柊に斬りかかった。
「くらえぇ!」
しかし、柊はそれを軽々と避け、玲奈の腹に突きを食らわせた。
声も出せずにうずくまった玲奈に、容赦なく、柊が、更に攻撃を加えようとした時、
「やめろ!」
「いい加減にしろ!」
まわりを取り囲んでいる浮民たちが、怒りのこもった目つきで柊を睨みつけた。
一瞬、柊の動きが止まったが、浮民たちの声など、どこ吹く風と言った様で、うずくまっている玲奈を蹴り飛ばした。柊の容赦のない仕打ちに、浮民たちの顔が真っ青になる。
「うっっ」
身動きできない玲奈が苦悶の表情を浮かべ、苦痛に体を歪めるが、手加減することなど全く考えていないかのように、柊は再度、玲奈を蹴り飛ばす。
「……」
あまりの痛みに苦痛の言葉さえ発することができず、ただうずくまる玲奈を、弱者を見くびるように無表情に見下ろす。そして、柊が更に痛めつけようとした時、
「やめろおぉ!」
浮民の男が、柊を羽交い締めにしようと、後ろから飛びかかってきた。
「邪魔だ」
振り向きざまに、柊が男を投げ飛ばす。男は、なんとか立ち上がるが、刺すような柊の鋭い目つきに、体が凍りついた。
「どうした。もう、終わりか」
柊が冷たく言い放つ。
「お前たちはいつもそうだ。仲間が傷つけられようと、殺されようと、怯えて何もしない。今も眼の前で年若い女が傷つけられても、黙って見ているだけだ」
そう言って、周りを取り囲んでいる浮民たちを睨みつける。
「耐えてさえいれば、なんとかなる、いっとき我慢すれば、通り過ぎると思っている」
しかし、それは違う、と柊が声に出さずに心の中で続けた言葉が、浮民たちには聞こえてきた。
柊は、壊された家々を指差し、
「だが、あいつらはまた来るぞ。何度でも来る。お前たちが、何度立て直しても、打ち壊しに来る」
と断言すると、浮民たちの間に恐慌が走った。
「なぜだ! 俺たちは逆らわない! なんで、逆らわないのに、そこまでされなくちゃならない!」
柊に向かって叫ぶ浮民に、
「お前たちが逆らうかもしれないからだ。ほんのわずかでも、逆らう気持ちを持たせないよう、お前たちの心を完全に打ち砕くためだ」
柊が答える。
「お前のせいだ! お前が余計なことをしたからだ!」
別の浮民が、怒りを込めて柊に叫んだ。
「そうだな。だが、それがどうした。一度付いた疑念の火は消えない。例え、私が死んでも、それは変わらない。未来永劫、お前たちは虐げられる。お前たちの子も、お前たちの孫も、永遠に苦しみ続ける」
柊の断言に、
「そんな……」
絶望の声が広がった。
「お前たちが助かる方法は一つしか無い。私の首を差し出せば、助かるかもしれない。だが、お前たちにできるか。何も出来ない、何の力もない、お前たちに、この私が倒せるか」
柊が鞘に収まった刀で、一人一人、浮民を指しながら言った。
「次は
柊の言葉に、人々の顔色が変わった。
「
残っている家々を鞘で指す。
「それとも、この家か」
柊が優人の家を指した瞬間、
「うわあああああ」
血走った目をした玲奈が、絶叫を上げて柊に飛びかかった。
柊が、鞘で斬り結ぶが、玲奈の勢いは止まらない。顔を血だらけにして、
「殺してやる!」
と叫びながら、敵わない相手に挑み続ける。何度も何度も、木刀を叩きつける。その玲奈の狂気が、里の人々にも伝染した。
「殺せー!」
「おぉぉぉ!」
鋤や鍬を持った持った浮民たちが、柊に次々と襲いかかった。柊は片っ端から、投げ飛ばし、蹴飛ばし、打ち払うが、柊の後ろに一瞬隙ができた。その隙めがけて、一人の男が背後から飛びかかった。
「死ねー!!」
「お前の相手は俺だ」
小士郎がすかさず飛び出し、男を蹴り飛ばした。
「この野郎!」
「お前も殺してやる!」
里中の浮民たちが二人に襲いかかる。若い男たちだけでなく、年取った男たちや里長までもが、手に手に武器となる農具や隠し持っていた刀で襲いかかる。しかし、柊と小士郎の圧倒的な強さの前に、一人、また、一人と、畑に沈んでいった。
既に雄叫びを上げる気力もなく、一人残っていた玲奈も、最後の力を振り絞って、よろよろとした足取りで木刀で柊に斬りつける。しかし、そのふらつく体にも、柊は容赦なく止めを指した。
全ての浮民が、地べたに倒れ込む中、
「明日、また来る」
捨て台詞を残し、柊と小士郎は去っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、柊と小士郎が再び里にやってきた。そして、昨日と同じように、玲奈を先頭に、浮民たちが挑みかかり、昨日と同じように、地べたに沈んだ。
翌々日も、また、その次の日も、それまでと同じように、浮民の里にやってくる柊と小士郎に、浮民たちが挑みかかり、地べたに沈む。
十日後、その日もまた、浮民の里にやってくる柊と小士郎に、浮民たちが挑みかかった。日没までに、全ての浮民が地べたに沈み、柊と小士郎は去っていった。
ただ一つ、昨日までと違っていることがあった。
ただ一人、最後まで、立っているものがいた。
玲奈が、最後まで立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます