鬼の章

第二十五話 絶望の里

 自分がしでかしたことの恐ろしさに震え、柊は立ち尽くした。小士郎もまた、悲惨な光景に、言葉を失っていた。

 貧しくとも美しかった里の姿は無くなっていた。浮民を救うためにとしたことが、残酷にも全く逆の結果となっている。荒れ果てた田畑と、打ち壊された家々を見て、柊は呆然とした。


 柊は、泣きそうになる自分を奮い立たせ、玲奈がいるはずの優人が住んでいた家へと向かおうとした。

「待て、柊」

 小士郎が柊を呼び止めた。


「この様子はただ事じゃない」

 振り向いた柊の目には、うっすらと涙の膜がかかっている。

「明るいうちはまずい。日が沈んでから出直そう」

 小士郎の言葉に、柊は黙って頷いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 日が沈み、家の中から、うっすらと灯りがもれ始めた頃、柊と小士郎は、目立たぬよう静かに里へと入っていった。昔来たときの記憶をたどって優人の家へと近づくと、運よく優人の家は無事だ。柊が戸に近づくと、中に人の気配がする。


「玲奈、私だ」

 怯えさせないよう抑えた声で呼びかけ、静かに戸を開けて中へと入る。すると、家の中に一人いた玲奈の、死んだような目が柊を迎えた。


「玲奈、大丈夫か」

 柊が声を掛けると、

「何をしにきた」

 冷たい声が応えた。


「玲奈」

 柊が玲奈にゆっくりと近づく。

「帰れ」

 氷のような声が、柊がこれ以上近づくことを拒絶した。


「すまない」

 ただ謝ることしかできない柊に、

「お前のせいだ!」

 怒りの声が浴びせられた。


「お前のせいで、兄さんが死んだ。いや、殺された!」

 玲奈が涙と怒りの入り混じった声で柊を責める。

「すまない」

「なんで、なんで兄さんがこんな目に。あんたが余計なことをしなければ、こんなことには」

 ただ頭を下げることしかできない柊を、玲奈が涙混じりの声で罵倒するが、その声には、怒りよりも、はるかに大きな絶望がこもっていた。親の顔も覚えていない玲奈にとって、優人はただ一人残された家族だった。その、たった一人の肉親を失ったのだ。


「帰れ!」

 目に怒りの炎をともした玲奈が、柊に近づく。


「帰れと言っているだろう!」

 動けない柊を、玲奈が突き飛ばした。


「玲奈……」

 玲奈の悲しみ、そして、怒りをどう受けとめていいのかわからない柊を、玲奈が力づくで追い出し、

「二度と来るな!」

 すべてを拒絶する玲奈の心を映し出すかのように、柊の眼の前で、ピシャリと戸が閉じられた。


 閉まった戸の向こうで、一人で声を出さずに泣いている玲奈から離れることもできず、柊が黙ってうつむく。


 長い時間か、それてもわずかな時が過ぎただけか、何も出来ずに暫しそのままの格好でいた柊に、

「出ていってくれ」

と背後から声がかかった。振り返る柊を、見知った顔の里長が睨んでいた。


「お前と優人のせいで、この有様じゃ」

 里長が、荒らされた田畑と、打ち壊された家々を、顎で指し示し、

「見せしめのためじゃろう」

 声に絶望の響きが交じった。


「すまない」

「捕まる前に、早く出て行け。これ以上、面倒は御免だ」

 力ない声で謝る柊に、強い口調で言う。


「玲奈は……」

 気遣う柊に、

「あの娘のことは、わしが面倒を見る。あんたは、二度とここには来るな」

と、今にも力づくで追い出そうとする勢いになる。


「玲奈のことを、くれぐれも頼む」

 何も出来ない、それどころか自分がいることで、玲奈にも、この里にも、更に悲劇がもたらされるかもしれない。どうしようもない現実に打ちのめされて、柊は、浮民の里から、逃げるように出ていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「何もかも、私のせいだ。優人が死んだ。宗近も殺された。蓮もどうなっているか。もう、どうしていいかわからない」

 浮民の里を後にし、人の足が踏み込まない林の中で、柊が地面に突っ伏して慟哭する。その姿を、小士郎が静かに見守る。

 柊といっしょに過ごした年月は十年を超えるが、柊の怒った顔や笑った顔を見たことはあっても、絶望して泣きわめく顔など見たことがない。その柊が、何もできずに、ただ泣いている。


「小士郎、私はどうしたらいい」

 尋ねる柊に、小士郎も掛ける言葉が見つからず、黙り込むばかりだ。今、小士郎に出来ることは、そばにいて見守ることしかない。


 ずっと泣いていた柊が顔を上げ、感情のこもらない口調で、独り言のように言った。

「優人は死んだ。宗近もいない。玲奈を守ると言った優人との約束も、私には果たすことが出来ない。玲奈のことは里長が面倒を見てくれるだろう。もう、私が守らなければならないものはいない。いや、私がいる方が危険だ」


「梟だけは、あいつだけは許すわけにはいかない。刺し違えてでも、あいつを殺す」

 悲壮な決意を持って立ち上がり、力のこもらない足で歩き出した柊に、

「そうか、だが、俺は付き合わないぜ。今のお前に何が出来る。梟のところに辿り着く前に、死ぬな」

 小士郎が、突き放したように言った。


「それでもいい」

 泣きはらした目で応えた柊に、

「お前は死にたいのか」

と小士郎が問うた。


 小士郎に何も応えず、黙って立ち去ろうとする柊に、

「死んで楽になりたいか」

と小士郎が言う。


 柊は聞こえないふりをして先に進もうとする。


「蓮はどうなる」

 柊の足が止まった。


「お前が死んだら、蓮は殺されるぞ。あいつが生かされているのは、お前がまだ生きているからだ。お前が生きているうちに殺せば、さすがに他の奴らも梟の自分勝手な仕打ちに黙っちゃいない。お前を立てて、梟と戦うやつが出てくるかもしれん。だが、」

 小士郎が息を継ぐ。


「お前が死んだ後なら別だ。お前が死ねば、他に桐の血をひくものはいない。蓮は用済みだ。殺して病死とでも偽れば、梟に逆らうものは誰もいなくなるだろう。お前はそれでもいいのか」


「だったら、どうすればいいんだ!」

 柊の体が震え、小士郎に泣き叫んだ。生きていても地獄。しかし、死ぬことも許されない。そうであれば、ただ屍のようにこの世をさまよい歩くしか無い。

「俺は、事実を言っているだけだ」

 そんな柊の気持ちを気遣うふりもせず、小士郎が冷たく言い放つ。


「玲奈の身もあぶない」

 小士郎の意味深な言葉に、柊の胸がざわついた。


「あの浮民の里の荒らされよう、お前はおかしいとは思わなかったか。あれだけ、荒らされていて、なぜ玲奈の家は無事だった」

 何か隠された事実が、柊の聞きたくない企みが、そこにはあるかのように、小士郎が言った。


「わざと残してんだ。なぜだと思う?」

 小士郎が柊の答えを待つ。


――わざと残す?

 小士郎の言葉が、柊の心に底知れぬ不安を抱かせた。柊には、その理由が思いつかなかったが、それが柊の想像を超えるおぞましいことであろうことはわかった。


「また、襲撃するためだ」

 小士郎が言い放つ。


――また、襲撃する? 何のためだ?

 柊の心が、事の核心をとらえはじめる。


「全部は壊さずにな」

 小士郎が続ける。


――あえて無事な家を残す。また、襲撃できるように。

 柊の心に、今まで感じたことのない恐怖が芽生えた。


「何度も何度も襲撃する。直しても直しても壊される。鬼民に逆らう気など起きないよう、徹底的に心を打ち砕く。これが、未来永劫つづく」

 小士郎が柊を睨んだ。


 想像を絶する小士郎の言葉に、柊の心に、底知れぬ人の悪意と、言葉にできない際限ない恐怖と、足の先から頭の天辺まで体のすべてを燃え尽くすような怒りがあふれた。


「なぜ、そこまでする!」

 激昂する柊に、

「お前のせいだ」

 小士郎が言い放った。


「お前が変えたからだ。お前のせいで、浮民が逆らうことを覚えた。だから、それを忘れさせるために、二度と逆らうことなど思いつきもしないようにだ」

「そんな……」

 小士郎の言葉に、柊の心が打ち砕かれる。


「この事態を招いたのはお前だ。お前のせいだ」

 小士郎が更に柊を追い詰め、

「たとえ、お前が死んでも、このことは変わらない。それでも、お前は死にたいのか」

 止めを刺した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 小士郎が去り、一人残された柊が、暗闇に沈む。自分の足で立つ気力も失われ、一本の巨木に、すがりつくようにしがみついた。


――私が死んでも変わらない。

 その事実に、柊の胸が張り裂けるように傷む。


――優人も、宗近も死んだ。私が殺した。

 変えようのない過去に、柊の胸が罪悪感で満ちる。


――私が死んだら、蓮も、玲奈も死ぬ。いや、私が殺す。

――私が、生きていても、死んでも、皆死ぬ。


 自分の存在自体が皆を苦しめている事実に、生きても死んでも何も変えようがない絶望に、柊の身も心も全てが張り裂ける。


――私はどうすればいいんだ!

 柊が、声を出さずに、天に叫んだ。いつまでもいつまでも叫び続ける。泣きながら叫び続けた。


 男しか生まれないはずの桐の家に女として生まれた。怒りに身を任せ、小士郎の目を奪った。父の後を継ぎ、領主となったにもかかわらず、優人を宗近を殺した。そして、今、蓮と玲奈の命の灯が失われようとしているにもかかわらず何も出来ない。


 叫び止んだ柊に残されたものは、たった一つだけだった。

 何もかも失った柊に出来ることは、たった一つだけだった。

 無力な柊に力を与えるものは、たった一つだけだった。


 桐の家の長子だけができること。

 桐の家の長子にしかできないこと。


 柊にできる唯一のこと。


 それは、鬼になることだけだ。

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