第十五話 天女の舞

 評定を終えて、柊が屋敷に戻ると天女がいた。


 天女が踊る。


 流れるような脚さばきで、まるで宙を飛んでいるかのように、天女が舞う。

 美しい腕により、なにもない空中に、木、花、鳥、動物たちが型取られる。

 高く上げた足は、もう片方の足から一直線に空に伸び、天を指し示す。

 体の周りで、弧を描く指先は、無数の光の輪で天女を包み込むようだ。


 腕、足、指、肘、全てが計算されたようでいながらも、あたかも風に吹かれているかのように自然に動き、普通ではありえない体の形が、しなやかな曲線美を描き出す。


「きれいだ」

 柊のつぶやきに、天女の動きが止まった。


「姫様、じゃなくて、ご領主様」

 慌てて跪こうとする玲奈を柊が止めた。


「そんな、かたっ苦しい挨拶はしないでいい。久しぶりだな、玲奈。すごいじゃないか」

 柊の言葉に玲奈が顔を赤らめる。


「いえ、そんな。たいしたものではありません」

「たいしたものだよ。見とれてしまった。初めて見たが、浮民の踊りか」

 謙遜する玲奈に、柊がたずねた。


「はい。浮民の女が一人前になる時に踊るのです。踊りの上手い女には、良い相手が見つかるそうで」

「玲奈も、そんな年頃か。まぁ、私が領主になるぐらいだからな」

 あらためて玲奈を見つめると、幼い頃の面差しはそのままに、すでに大人の女性の雰囲気を漂わせ始めている。


「今日はどうした」

「蓮様がご覧になりたいとのことで」

 縁側の奥を見た玲奈の視線を辿ると、そこには顔を赤らめた蓮がいた。隣には優人が座っており、庭の反対側には小士郎もいる。


「なんだ、みんな揃って」

「せっかくなので、私がお誘いしました」

 柊が皆を見回すと、優人が言った。


「最近、皆が下を向いていますから、玲奈の踊りでもご覧になれば、少しは気分が上向くかと」

「上向くどころか、天女が舞い降りたかと思ったよ」

 柊が久々に上機嫌な顔を皆に見せた。


「まぁ、一番喜んでいるのは、蓮みたいだな」

と柊が続けると、蓮と玲奈が顔を赤らめた。


「姫様も、いっしょに踊ってみませんか」

 照れ隠しに話を変えようと、玲奈が柊を誘う。


「私がか?」

「柊が踊ったら、天女の舞じゃなく、鬼が暴れているみたいになるな」

 腰がひける柊を、小士郎がはやしたてた。


「そんなことありません。姫様のような剣術の達人なら、踊りも上手にきまってます。小士郎さんだって、お上手に踊ったではありませんか」

「小士郎が天女の舞をか?」

「馬鹿、男の舞に決まってるだろが。男と女がいっしょに踊るんだよ」

 玲奈の言葉に驚く柊に、そんな事も知らないのかと、小士郎が馬鹿にしたように言った。


「とにかく、姫様もやってみましょう。ただ見ているよりも、ご自分で踊られたほうが、気分が良くなりますから」

とせかす玲奈に、柊もしぶしぶと従う。


「まずは天を蹴り上げるように、足を真っ直ぐに高く上げて下さい」

 玲奈の言うとおりに体を動かす。片足に重心をかけて爪先立ちになり、もう片方の足を真っすぐに上に伸ばし天を衝く。


「おおー」

「微動だにしないな」

 皆の歓声が上がる中、

「すごいです、姫様!」

と玲奈も驚く。


「そんな、たいしたことか。こんなこと誰でもできるだろう」

「普通はできませんよ」

 平然という柊に、蓮が飽きれ顔を見せる。


「次は、体の周りに、指先で円を描くように回ってみて下さい」

 玲奈の言うとおりに、柊が体を動かす。

「円がずれています。指先がどこにあるのかに意識を集中して下さい。真上から自分を体を見るような感じで」


――真上から自分の体を見る?

 なるほど、なかなか奥が深いな、と柊は思う。


「こうか?」

「いえ、駄目です。まだ、円が歪んでいます」

――なかなか手厳しい。


「そもそも、目は顔の前に付いているのだから、上から見ることなど、できないだろう」

「自分の体の動きを、頭の中で想像するんです」

「そんなこと言われても」

「では、目をつぶって下さい。そして、自分の腕がどこにあるか、指がどこにあるか、意識を集中して見当を付けて下さい」


 玲奈の助言に従って柊は目をつぶり、自分の体の形を頭の中に描く。腕を動かしたときの筋肉の動き、関節の動き、全ての動きを感じ取り、体の動きを再現する。そして、それを回転させて上から見る。


「おおう、見えたぞ」


 柊がゆっくりと指先を回した。頭の中の右手がわずかにずれる。修正し更に動かす。今度は、左がずれる。腕の動き、体の傾き、頭の中で再現した全ての動きを俯瞰し、真円を描く。


 自分の体が、思い通りに動くのがわかる。指先の一本一本、足先の一本一本の動きが、頭の中の想像と寸分なく動くことの素晴らしさに、柊は衝撃を受けた。


 剣術とは結果だ。途中の動きがどうであれ、最後に相手を倒せればそれで良い。しかし、舞は逆だ。連続する動きの一瞬、一瞬に価値がある。


 集中した指先が、空気の流れを感じる。指先だけでない、体全身がわずかに動くだけで、空気の流れが変わる。まるで、鳥になって空を飛んでいるようだ。いつまでも、飛んでいたい。


 そして、更に柊の集中力が増すと、頭の中に自分の体だけでなく、玲奈の声が発する場所に頭が、玲奈の体が動かす空気を感じて玲奈の体が形を作り始めた。玲奈だけではない。柊の周りで皆が生きている。生きているものは、空気を動かし、風を起こす。蓮が起こす風を、優人が起こす風を、小士郎が起こす風を、柊は感じた。


 まるで神にでもなったかのように、宇宙の暗闇に浮かぶ星のように輝く五人の姿を柊は見た。


「信じられません! これができるまで、普通は三年はかかります!」

 玲奈の感嘆の声に夢から醒めたように柊が目を開けると、心底、驚いた顔がそこにあった。


「頭の中で、自分の体を思いうかべるのに、少しこつがいるな。それがわかると、まるで自分が空を飛んでいるかのようだった。ありがとう、玲奈。初めて舞をしてみたが、これは素晴らしいな! 皆もやってみるといい!」

「だから、普通はそんなこと、簡単にはできねぇんだよ」

 興奮して答える柊に、小士郎がむきになる。


「そうなのか? お前も出来ないのか?」

三ヶ月みつきもあれば、できるようになるだろう」

 全く悪気なく、できない理由が心底わからないという口調で聞く柊に、小士郎が苦々しい顔を見せた。


「姫様も、小士郎さんも、さすが、剣術をなさっている方は違います」

 玲奈が無邪気に喜び、

「それに引き換え、」

と残りの二人を向いて言葉を濁した。


「人には得意不得意がありますので」

 そう優人が言うと、

「踊りなどできなくとも困りません」

と蓮も続く。


「全く情けない奴らだな。本ばかり読んでないで、少しは体を動かしたらどうだ」

 柊が、呆れた奴らだという顔をして、二人を見た。


「そういえば、さっき、小士郎が言ってた、男の舞というのはなんだ?」

と柊が聞くと、

「夫婦になる時、二人で皆の前で舞うのです」

と玲奈が答えた。


「だったら、踊りができないと困るんじゃないか」

 柊が蓮に向かって、いじわるそうに笑った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 しばし、世俗のことを忘れ、子どもの頃のような気楽な時間を過ごすと、小士郎と玲奈は屋敷を後にした。


「久しぶりに皆に会って、気が楽になった。ありがとう」

「柊様のご気分が少しでも楽になれば、ありがたく存じます 」

 柊のやつれ顔の中に、一時の安らぎを見て、優人が頭を下げる。


 そして、残った二人を前に、柊はかしこまって言った。

「二人に相談したいことがある」

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