第十六話 強いものと弱いもの

「このままでは駄目だ。何も変わらない」

 そう、柊が切り出した。


「警備方は、人手が足りないことを理由に鬼民を捕らえない。法官方は、証拠がないことを理由に鬼民を裁かない。そもそも、捕らえる気も裁く気もないのだ。そこで考えた。浮民による警備隊を作り、法官方にも浮民を抜擢する」

 柊の言葉に、二人が動揺する。


「それは危険です」

と優人が言うと、

「姉上、早まった真似はおやめ下さい」

と蓮も異議を唱えた。


「自分たちの役目が侵されれば、ますます柊様への反発が高まります。下手をすれば、今は大人しくしている者たちの中から、公然と歯向かうものも現れましょう」

「では、どうするんだ。何もしないでおけば、浮民への蛮行は止まらんぞ」

 優人の憂慮を叱責する柊に、二人は返す言葉がない。


「優人、浮民の里の様子は、今どうなっている」

「皆、怯えています」

「当たり前だ!」

 柊が声を荒げて言った。


「いつ、自分が襲われるかわからない、襲ったものも捕らえられないとなれば、怯えるだけではすまん。いつか、必ず爆発する。その前に何か手を打たねば駄目だ」

 柊が語気を強める。


「他に何か良い方法があれば、教えてくれ。私は、どうすればいい」

 柊の言葉に、二人はうつむく。


「家臣たちは誰も私の言葉になど従わない。他に方法がないんだ」

 柊が肩を落とす。


「全てがうまくいかないことはわかっている。取り締まれるとしても、微々たるものだろう。後ろ盾のある奴らには手が出せない。それでも、何もしないよりはましだ。頼む、協力してくれ」

 柊のすがるような目つきに、とうとう優人が折れた。


「わかりました。警備方は、私の方で手配します。問題は、法官方です。ただ、捕まえるだけであれば、詮議せんぎの段階で骨抜きにされることもありましょう。しかし、裁いてしまえば、覆すことができません。ここが一番重要です。そして、一番、危険な役目でもある。全ての欝憤がここに集中しましょう」

 そう言って、優人が、いつになく真剣な眼差しをして、柊の目を見た。


「ここは、私にお命じ下さい」

 優人が柊に叩頭した。


「そうか。やってくれるか」

「正気ですか、姉上! 優人殿に万が一のことがあったら、どうするのです! 姉上は、ことを軽く考えすぎです!」

 上機嫌に喜ぶ柊に、蓮が声を荒げて抗議する。その連を優人がたしなめた。

「蓮様、柊様もわかっています。それでも、他に方法がない。そうであれば、このお役目は、他のものに任せるわけには参りません。私は、先代のご領主様のおかげで、今まで無事に生きてこられたのです。こんな私でも、柊様のために今できることがあるのであれば、喜んでお引き受けいたします」


「しかし、」

 なお、納得のいかない蓮に優人が言った。

「浮民の問題は私の問題でもあります。このままの状態が続けば、いつか玲奈にも、何か起こるかもしれません。蓮様はそれでも、よろしいのですか」

 蓮は返す言葉が出なかった。


「すまぬ、優人」

「おやめ下さい。領主が軽々しく、頭を下げるものではありません」

 柊が深々と頭を下げると、あわてて優人が柊に頭を上げさせた。


「柊様、そして、蓮様にも、申し上げておきたいことがあります」

 優人が佇まいを直し、真剣な面持ちになった。


「人は弱くて、醜いものです。力には従い、弱いものは見下す。例え、正しいことでも、それが通るとは限りません。柊様も蓮様も、恵まれてお育ちになられた。そのため、人の強さや、優しさを過信するところがあります」


 優人がさらに続ける。


「しかし、それでは領主は務まりません。時には、心を鬼にして、たとえ理不尽と思われるような厳しさや、相手に有無を言わせぬ強さも必要です。くれぐれも、そのことをお忘れなきよう」

「わかった。肝に銘じる」

 柊が、真剣な顔で頷いた。


「そして、私に万が一の時は、玲奈のことをお頼み申します」

「そんな、縁起でもない!」

 優人が、柊に深く頭を下げる。更に蓮にも頭を下げると、蓮が血相を変えた。


「愚かな兄とお許しください。それでも、私にとって玲奈は、ただ一人残された大切な家族なのです」

 優人がここまで言うからには、それだけ、今回の件が鬼ノ国に与える影響が重大だということだ。


「わかった。私の命に懸けて誓う」

 改めて気づかされた自分の考えの重さを感じながら、柊は部屋を後にした。


 残された二人を、しばし沈黙が包む。


「やはり、私は心配です」

 蓮が沈黙をやぶる。


「だからと言って他に何かよい方法があるわけでもない。姉上の言うようにするしかない、何もしなければ被害が大きくなるとわかっていても、それでも、私は優人殿には何もせずに、ここにいてもらいたい」

 蓮が力のない声で続ける。


 そして、言った。

「私は臆病者です」

と。


「私に姉上のような力があれば、私が領主を継ぐことができたら、きっと家臣たちも今のような態度はとらないでしょう。それどころか、なまじっか私がいるせいで、姉上に苦労をかけています。いっそ、私が生まれてこなければ、良かったのかもしれません」

「断じて、そんなことを考えては、いけません」

 自分を卑下する蓮を、優人が叱責した。


「柊様は素晴らしい御方です。生まれつき恵まれた力がある。育ちの良さが、心も大きく広くしている。あのような方は特別です。しかし、力が強すぎる、それゆえ、人一倍、責任を背負い込む。一人で背負いきれない荷物を背負い込んでしまう」


 優人が続ける。


「そして、心根が優しすぎる、美しすぎるのです。だから人を信じる、世の中を信じる、信じすぎてしまう。理不尽なことなど通るわけがない、許されるわけがない、誰も認めるわけがない、と」


 更に続ける。


「しかし、人は弱い。弱くてずるい。他人を犠牲にしてでも自分が生きる、強いものにすべて押し付け自分は逃げる、そういう醜さを、柊様は決して理解なされないでしょう」


――そのとおりだ、自分も姉上に何もかも押し付けている。

 優人の言葉を理解できてしまうのは、皮肉にも連が弱い人間だという証拠だ。


「人を信じる。それは本当に素晴らしいことです。人を信じない領主など、あってはなりません。疑心暗鬼のものが領主になれば、国が滅びます。しかし、それだけでは駄目なのです。人の弱さや醜さを知らなければ、国は治まりません」


 優人が蓮の目を見る。そして言った。


「弱さを恥じるのはおやめ下さい。強いものと弱いものがいて、初めて国は治まるのです。柊様が蓮様の助けを必要とする時が必ず来ます」


――強いものと弱いものがいて、初めて国は治まる。


 そんな考え方もあるのか、思ってもいなかった優人の言葉に、蓮は目を見開かされた。弱いものは力に弱い。たとえ僅かな力にでも怯える。姉上であれば全く意に介さないことであっても、自分なら恐れるだろう。

 力で人を抑える、決して褒められるやり方ではない。姉上であれば、けっして許さぬやり方だろう。しかし、自分なら、惰弱な自分だからこそ、力の怖さも、使い方もわかる。


 しかし、柊が蓮の力を必要とする時、それは、柊の思いが通じない時だ、力づくで、恐怖で、人を抑える必要がある時だ。そうであれば、そんな時など永遠に来ないほうがいい。


 蓮の心に複雑な思いが去来した。

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