第十話 鬼となりて

 御前試合の決勝に備え、小士郎は、一人、木刀を一心不乱に振るう。

 一刀、一刀、力を込めて振る。一通り振り終わると、刀を納め、蹴る。一心不乱に蹴る。無心で体を動かすことで、このところ、周りに立ち込めている不穏な空気が、清められるような気がした。


 その小士郎が一人、稽古をしている稽古場に、見知った姿が入ってきた。


「柊か」

 だが、声をかけた小士郎がその顔に目を留めた瞬間、背筋に悪寒が走った。


――だれだ!?

 小士郎の血が凍りつく。眼の前にいるのは柊だ。柊に間違いない。しかし、柊ではない。柊ではない何かだ。


「小士郎」

 その柊ではない何かが、冷たい声で小士郎に話しかけた。

「梟を倒せるか」


――なんだ、いきなり?


「梟を倒せるか?」

 小士郎が自問する。御前試合での梟の試合を脳裏に浮かべ、化け物じみた強さを思い出す。


「難しいな。俺とあいつじゃ体が違う。俺の体が追いつくまで、あと五年は必要だ」

と馬鹿正直に答えた。


「倒せないだと!」

 柊の声に冷たい怒りがこもる。


「お前じゃ、梟を殺せない、か」

 一転、柊の声が冷静になり、冷たい軽蔑が混じった。

「だったら、私と代われ。私が梟を殺す」


――梟を殺す? 何を言ってるんだこいつは。


 噛み合わない会話に、小士郎が戸惑い、尋ね返した。

「何を言ってるんだ、お前は。領主の一族は御前試合に出れないだろうが」 

「お前より、強ければ問題なかろう」


――なんだ。俺よりお前のほうが強いだと? いや、そういう問題じゃない。


「お前、どうかしたのか? そういう問題じゃないだろ。第一、お前より俺の方が強いしな」

 柊の態度にムッとした小士郎が返した言葉に、

「私より強いだと! 梟に勝てないお前がか!」

 突然、柊が激昂し、木刀を手に襲いかかってきた。


 柊が一方的に打ち込んでくる木刀を、小士郎が防ぐ。

「おい、やめろ! どうしたんだ、お前!」

 小士郎が防ぎながら、柊に声を掛ける。しかし、柊からは返事がない。ただ、攻撃が返されるだけだ。


 だんだんと柊の攻撃が激しくなる。

 防ぎきれない斬撃が、小士郎の体をうがち始め、とうとう怒りをこらえられなくなった小士郎が、柊の攻撃に隙が出来た瞬間、回し蹴りを叩き込んだ。


「いい加減にしろ! こっちが下手にでてりゃ、調子に乗りやがって」

 吹っ飛んだ柊に小士郎が罵声を浴びせる。しかし、柊はすぐに立ち上がり、再び小士郎に襲いかかる。互いの攻撃が激しさを増し、小士郎の体に痛みが走るたびに、小士郎の怒りは、ますます強くなった。


――なんなんだ、こいつは。

 柊の蹴りが小士郎をかすめる。


――こいつは俺を完全になめてる。

 柊の拳が小士郎を打つ。


――こいつには何を言っても無駄だ。

 柊の木刀が、小士郎を襲う。


――だったら、


「もういい」

 小士郎の怒りが頂点に達した。

「領主の娘だろうが、なんだろうが、ぶちのめしてやる」

 小士郎の目が凶暴に輝く。


「浮民がかわいそうだの」

 小士郎が上段から柊に斬りつける。

「理不尽だだの」

 小士郎が回し蹴りを柊に叩き込む。

「そんなことは、お前が恵まれてるから言えんだ」

 小士郎が拳で柊を殴りつける。


「俺たちは、みんな我慢して生きてんだよ!」

 柊の一撃を片手で持った一刀で食い止め、刹那、もう一方の腕で、柊の胸ぐらをつかみ、

「女の力で、俺に敵うわけねぇだろうが!」

 一歩背負いの要領で投げ飛ばした。柊の体が宙を飛び、地面へと叩きつけられる。綺麗に技が決まった。これでは強靭な体を持つ柊といえども、しばらくは起き上がれまい。


――ざまを見ろ。

 全身が興奮にまみれ、肩で息をしながら地面に沈んだ柊を見る。一息入れ、若干冷静さが戻る。


――やりすぎたか、

と思ったその時、目の前のが、ゆっくりと立ち上がった。


 突然、小士郎の全身が怖気立ち、そのが言った。


――ゾクッ

 その冷たい声を聞いた瞬間、小士郎の体に恐怖が走った。


 そのが、ゆっくり歩を進める。小士郎の背筋に冷たいものが流れた。


――ゾワッ

 そのが小士郎に一歩近づくと、小士郎の全身が粟立った。



 小士郎が、恐怖で声にならない叫びを上げた。


!!!」


 そのが、更に歩を進めて雄叫びを上げた瞬間、小士郎の眼の前から姿が消えた。どこに消えたと小士郎が訝った直後、小士郎の肩に激痛が走った。


 が、小士郎の脳天めがけて振り下ろした目にも留まらぬ一撃を、小士郎の脳が認識する前に、体が反応して、わずかにそらしたのだ。


 グアッ。

 激痛に意識を失いかけた小士郎に、が斬撃を浴びせる。恐怖と痛みで、小士郎の脳は麻痺しているが、鍛えられた体が自動的に反応し、かろうじて攻撃を防ぐ。


――なんだこいつは。

 小士郎の脳がやっと思考を開始する。


 姿形は柊だ。しかし、髪は逆立ち、血走った目は、まるで獣だ。そして、全身の筋肉が筋立って膨張し、


――まるで、

――この姿は、まるで、

――鬼だ!


 その鬼が、小士郎に襲いかかる。


――やばい!

 本能的に、小士郎が理解する。


――こいつは、やばい!

――殺される!


 鬼が振りかぶった一刀を、小士郎が食い止める。本来であれば、片手は空ける。そう鍛錬している。頭では、柊の力で振るった刀であれば、片手で食い止められるはずだと理解している。しかし、体は両腕で反応した。そして、体の方が正しかった。


 ウグッ。受け止めた両腕に想像以上の衝撃が走る。そして、鬼が空いたほうの片手で拳を作り、小士郎の顔面に叩き込んだ。


 グワッ。失心しかける小士郎に追い打ちの斬撃が浴びせられた。滅多打ちの小士郎は、ただ耐えるのみだ。柊の体つきでは到底不可能な力で、攻撃が繰り出される。


 ――逃げろ。

 逃げるしか手がないのはわかっているが隙がない。一瞬でも気を緩めたら、頭が砕かれる。しかし、強烈な斬撃の衝撃を防ぐたびに、両腕の力が奪われていく。


 ――あと一撃で、腕が壊れる。

  そう悟った時、小士郎は斬撃を受けるとみせかけ、鬼の横を跳んだ。そして、逃げた。


 小士郎には逃げるが恥だという考えはない。武勇第一と考える鬼民であれば、死ぬとわかっていても逃げるという選択肢はないであろう。しかし、孤児であった頃に、不利になれば逃げるのが当然という考えが染み付いていた小士郎は、躊躇しなかった。


 だが、鬼の横をすり抜け、全速力で走り抜けた直後、小士郎は投げ飛ばされた。


 ガツン。

 小士郎の体が地面に叩きつけられ、衝撃で一瞬、気を失う。


 起き上がることの出来ない小士郎に鬼が近づく。


――駄目だ。逃げることも、戦うことも出来ない。


「柊!」

 小士郎が鬼に叫ぶ。


 鬼が近づく。


「目を覚ませ、柊!」

 小士郎が再び叫ぶ。


 更に鬼が近づく。


 そして、鬼が木刀を振りかぶり、……、振り下ろした。


「ぎゃー」

 体が反応しわずかに急所を外したが、そらされた木刀が小士郎の左目をえぐった。


 もういちど、鬼が木刀を振りかぶる。


 激痛に悶え苦しむ小士郎が、残った目で、振り下ろされる木刀を見た瞬間、


「小士郎!」

 大音声とともに、鬼の体が吹っ飛んだ。


 小士郎をかばうように、歴戦の武人がそそり立つ。


「師匠……」

 小士郎の言葉が聞こえないかのように、宗近が全身を総毛立たせて、鬼の攻撃に備える。宗近から本気の殺気が迸る。どんなに怒ったときでも、小士郎に一度も見せたことのない殺気が。


 宗近の殺気に容易に倒せない相手だと気づいたか、鬼が間合いをとって構えた。

 鬼の獣のような殺気と、宗近の武人の殺気が交差する。

 そして、鬼が動いた。


――疾い。


 動物的な予測をさせない動きで、縦横無尽に鬼が走る。そして、最後、一気に宗近との距離を詰めるかと思った瞬間、真上に跳んだ!

 まるで轟音が聞こえるかのように、直上から振り下ろされる木刀を、宗近が受け止める! 両手だ!

 しかし、衝撃を受けとめきれず、片膝をついた。


「うぬぅうっ」

 宗近の口から、声が漏れる。


 瞬間、鬼が木刀を引き、渾身の力をこめて振り下ろした。

 以前の稽古の時と同じだ!

 受けとめた宗近の木刀が弾け飛ぶ!


 再度、鬼が木刀を引く。

 もう、宗近に受け止めるすべはない。


 だが、木刀が振り下ろされ、宗近の頭蓋が砕かれる寸前、宗近が前に出た。


 木刀の付け根が、宗近の頭蓋に当たる鈍い音がしたと同時に、宗近が鬼の胸ぐらを掴み投げ飛ばす。そして、鬼が立ち上がる瞬間、満身の力を込めて鬼の腹を蹴り飛ばした。


 鬼の体が宙高く舞い、そして、落ちた。


 ドスン。

 鬼が落下した音が響いた後、衣擦れの音一つなく、静寂があたりを包む。

 暫しの緊張のあと、動かなくなった鬼を見て、宗近の体から殺気が消えた。


 すべての力を出し切り、立っているのもやっとの宗近が、小士郎を見て言った。

「真剣だったら、儂が死んでいた」


 それが、小士郎が気を失う寸前に聞いた、最後の言葉だった。

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