第十一話 鬼の正体

 小士郎は、生死の境をさまよった。

 激痛に苦しみながら、夢の中をさまよった。


 十日後、目を覚ました小士郎の前には、宗近がいた。そして、目覚めた小士郎の前で、宗近が最初に発した言葉は、

「すまない、小士郎」

だった。


 一度、目覚めた小士郎だったが、しばらくは夢と現の間をさまよった。すでに生死の峠を超えてはいたが、完全に目覚めるには至らなかった。


 更に十日後、それまでにない気分の良さで小士郎は目覚めた。しかし、左目のあった場所には鈍痛が残り、見えている景色からは立体感が失われていた。


――俺は左目を失ったのか。


 自分の体に負った傷を確かめながら、ゆっくりと体を起こすが、まだ、力が入らない。それでも、小士郎は起き上がり、恐る恐る立ち上がった。


 体がふらつく。

 一歩、一歩、慎重に歩を繰り出していく。


「小士郎!」

 小士郎の姿が目に入ったのか、宗近が小士郎の側によってきた。小士郎に掛ける言葉を探していた宗近が掛けた言葉は、やはり、

「すまなかった、小士郎」

の一言だった。


 宗近が小士郎に深く頭を下げる。師匠が弟子に頭を下げるなど、あってはならないことだ。

「やめてくれ、師匠。俺は師匠のおかげで助かったんだ」

 小士郎が宗近の腕にそっと触り、下げている頭を上げさせた。宗近の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。

「わしがもっと早く戻っていたら、こんなことにはならなかった。すまぬ」

 宗近が詫びの言葉を繰り返す。


 小士郎に詫びる姿には、意識を失う直前にみた殺気を放つ豪傑の面影はない。ただの、老いた人間がいるだけだ。


――俺のせいで、老いたのか。

 小士郎に胸に、未だ感じたことのない感情が生じる。


「俺が弱かったからやられた。それだけだ」

 小士郎が言った。


「いったいあいつは? 柊はどうなったんだ? 今、あいつは?」

 立て続けに聞く小士郎に、宗近が答えた。


「柊様は、お前以上の深手じゃ。全身の骨にひびが入り、筋の肉も断ち切られている」

――深手? いくら、師匠の蹴りをくらったからといって、そこまでの怪我になるか?


「『鬼封じの剣』を振るったせいじゃ」

 小次郎の問いかけるような目を見て、宗近が言った。


――『鬼封じの剣』を振るったせいだと? それなら、俺も同じだ。なぜ、柊だけが傷つく?


 小士郎の心の中の声を聞いたように、宗近が続ける。

「お前は、『鬼封じの剣』をどう思う」

 いきなりの質問に小士郎が戸惑う。


「どうって、昔、鬼を退治したとかいう伝説か? そりゃ、作り話だろう」

「そうではない。『鬼封じの剣』の技をどう思う」

と、宗近が再び問うた。


「技? 斬る、蹴る、投げるを組み合わせた技のことか? だから強いんじゃねぇのか?」

 小士郎には、宗近の質問の意図がわからない。素朴にそう答える。しかし、宗近は言った。

「そんなことは、不可能じゃ」


 宗近が続ける。

「剣術に足技はない。大地を踏みしめる足があってこそ、必殺の剣を繰り出すことができる。剣術に投げ技もない。剣を握りしめる両腕があってこそ、烈風の剣を振るうことができる」


 宗近の言葉は小士郎の耳には届くが、小士郎の頭が、その内容を理解することができない。

「その不可能を可能にするのが、『鬼封じの剣』じゃないのか?」

「どうやって?」

 当然のように尋ねた小士郎に、宗近もまた、当然のように尋ね返した。


――どうやってだと?

「修行してだろうが」

 小士郎が何の疑問もなく答える。


「たしかに修行すれば、技の型は覚えられる。しかし、力はどうじゃ。相手が弱ければ、片手で防ぐことも、剣を振るいながら、蹴りを繰り出すことも出来るだろう。だが、相手が強かったら、自分より強い力をもっていたらどうじゃ」


 宗近の言葉に、小士郎の頭に疑問がよぎり始める。


「鍛え上げられた相手が、渾身の力で振るう剣を、片手で受け止めるには、その相手の倍の力が必要となる。そんなことが、人間に出来ると思うか」


――言われてみれば確かにそうだ。両手で振れば片手の倍の力になる。それを片手で防ぐには相手の倍の力がいる。相手が弱ければともかく、鍛錬された相手にそれは不可能だ。


「つまり、『鬼封じの剣』は自分より弱いやつしか倒せない?」

「相手が弱ければ、例え大勢の敵であっても、同時に相手にすることが出来る。それが、命守が振るう『鬼封じの剣』じゃ。主を守るために、一騎当千の力を振るう」


――今ひとつ腑に落ちないが、宗近の説明は理にかなっている。


「そうか。雑魚どもがあいてなら、いくらでも技を繰り出せる」

「だが、人外の者が振るったらどうなる? 人の倍の力をもったものであれば? まさしく、鬼でも倒せる最強の剣じゃ」

「しかし、そんな奴が……」

 言いかけた小士郎の脳裏に、一つの真実がよぎった。


――まさか


「それが、領主の一族じゃ」

 宗近の言葉が、小士郎の予感が正しいことを裏付けた。


「桐の家の長子は、不思議と恵まれた体躯を持っている。そして、情が深い」


――確かに柊は体格に恵まれている。そして、誰よりも感情が激しい。


「いや、情が深いという一言では片付けられないほど、情が激しい。あまりにも激しすぎて、おのれ自身でも抑えられないほどに」

 宗近が何かを思い出したように遠くを見る。はたして、宗近が見つめているのは、いったい何か。


「そして、鬼になる。鬼になって、自らの骨が砕けようが、肉の筋が裂けようが、剣を振るう。普通の人間には不可能な力でな」

 宗近が一息つき、そして続けた。


「柊様が鬼になったのは、浮民の件が、きっかけじゃろう」

「浮民の件?」

 聞き返す小士郎に、宗近が答えた。

「浮民が三人、惨殺された。梟の手でな」


――浮民が殺された? 梟が殺した?

「いったい、なぜ?」

「理由などわからん。おおかた、御前試合前の稽古とでも思っているのだろう」


――試合の稽古に人を殺す?

 一瞬、宗近の言葉を理解できなかった小士郎だが、それが理解できた時、頭の中が弾けた。

「そんな馬鹿な!」

 小士郎の血が沸騰した。

「そんな理由で人が殺されてたまるか! いったい、領主は何をしてる。なぜ、梟をひっ捕らえない!」


 興奮する小士郎に、無念さが入り交じった静かな声で宗近が言った。

「そんなことができると思うか」


――そんなことができると思うか、だと?


 直後、小士郎は理解した。

――できるはずがない。

――黙って捕まる馬鹿がどこにいる。

――捕らえることに失敗したら、領主の権威は失墜する。


「姫様はお館様に戦をしてでも、梟を捕らえてくれと懇願なされた。しかし、そのようなこと、できようはずがない。ご領主様の力が万全であれば、なんとか出来たかもしれぬ。しかし、今のご領主様では、罪のない人間が殺されても、何もできない。そして、自分もまた何も出来ない現実を突きつけられ、加えて、理不尽な行いを誰もが黙って見逃すことに対する怒りで、我を忘れてしまったのだろう」

 宗近の、柊が抱えた心の痛みを慮るように言った言葉に、小士郎はあの日の柊の姿を思い起こす。


――そうか。だからか。


「あいつは俺に言った。御前試合で梟を倒せるかと。御前試合で梟を殺せるかと」

「姫がそのようなことを?」

「誰も梟を罰せない、だったら自分の手で始末をつけてやる。あいつはそう思ったんだろう」

「そこまで思いつめておられたとは。既に、ここに来た時には、正気を失われていたのかもしれん」

 宗近が、やりようのない思いに、うつむく。


――いや違う。

――あいつは俺を頼ったんだ。

――俺ならあいつを助けられると信じた。

――だが、俺はあいつを見捨てた。


「柊はどうなるんだ。治るのか」

「命は助かるだろう。しかし、剣を振れるかどうか」

と、宗近が苦しげな口調で言った。


「『鬼封じの剣』は、一生の一振り。二度と振るうことはできん。少なくとも、ご領主様はそうだ」

「領主様が?」

 いぶかる小士郎に宗近が、遂に意を決した顔をした。


「お前には話しておこう」

 二十年前の出来事を、宗近は語り始めた。

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