第八話 無力なものたち

――そんな馬鹿な。あの父が、過去に浮民を殺しただと。


 柊の心の中に、抑えようのない怒りと、信じられないという思い、そして、自分がその父の血をひいているという羞恥心が入り混じって渦巻いた。


――優人をこの屋敷に招いたのは罪の意識からか。そんなもので、償いになるか。


――このことは他に誰が知っている? 宗近は当然知っているだろう。そして、自分の息子を殺した男の娘に稽古をつけた。自分の息子を殺した男の娘を、自分の孫のようにかわいがった。内心では、何を思っているのか。


――屋敷の他のものはどうだ。古くから仕えるものは知っているか。いや、既に二十年以上前のことだ。宗近であれば、ことの始末に若いものは使わないだろう。当時年配で、長年使えた忠誠心の高いもの達であれば、何も語らずに、既にこの世を後にしているに違いない。


――弟の蓮はどうだ? 柊より年下だがあいつは賢い。物事の表面をただなぞるだけでなく、裏に潜んでいる真実まで見通す力がある。なぜ、宗近の子が亡くなったのか、今までは漠然と気にしていなかったが、仮にも命守だったものが死んだのだ。蓮であれば、詳細を知ってはいなくとも、柊が気づかなかった何かを察しているかもしれない。


――そして、優人は? 優人こそ誰よりも賢い。浮民が鬼民の家で働く、しかも領主の家でだ。ただの下働きであれば、珍しいことだがあり得るかもしれない。


――優人はただの下働きだろうか? 形の上ではそうだ。しかし、ただの下働きが、柊とともに学ぶことが、たとえ黙認という形であっても許されるか? ましてや、今では蓮の教育係と言ってもいい立場だ。


 こうして考えてみると尋常では無い。珍しいどころか、絶対にありえない状況だということに、今更ながら柊は気付いた。そのことに、優人が気付かないでいるだろうか。そんなわけはない。とっくの昔から気付いているだろう。しかも、浮民の里で起きた過去の出来事を知る立場でもある。


――自分一人が知らなかった。


――鬼民が浮民を支配するなどおかしい、梟の残虐な行いを許せないと息巻いておいて、肝心の自分の父親が、誰よりも残虐なことを行っていた。


――なんと愚かな。なんと浅はかな。そして、なんと無力な。


 柊は蓮の部屋へと足を向ける。なぜなら、そこには、優人がいるはずだからだ。そして、優人はいた。


 優人と蓮が、部屋に入ってくる柊に目を向ける。


「優人」

 柊は優人の目を見ることができない。しかし、恥をしのんで優人を見た。


「すまない」

 柊は頭を下げる。

「どうにかすると息巻いておきながら、私は何も出来ない」


 涙がこぼれそうなる柊に、優人がやさしく言った。

「柊様のせいではございません」

と。


――そんなことはない。私は領主の娘だ。そして、私の父は過去に浮民を殺している。


「優人、私はどうすればいい、何をすればいい、教えてくれ。優人ならどうすればいいか、わかるはずだ」

 いつもは勝ち気な柊が、優人にすがりつく。しかし、優人も答えられない。


「姉上」

 心配そうな目で、蓮も柊を見つめる。


「二十年前の鬼は、私の父だ」

 柊の言葉に、蓮がぎょっとする。そして、静寂が三人を取り囲んだ。


「ご領主様が話されましたか」

 静寂を破り、優人が言った。


「やはり、知っていたのか」

「はい、五年ほど前に、ご領主様が話されました」

「憎いであろう。私たちが」

「いいえ」

 柊の問に、優人が即答した。


「なぜだ! お前の里のものが殺されたのだぞ!」

「二十年も前、私が生まれる前のことです。当然のこと、柊様も蓮様も、まだ、お生まれになっておりません」

 興奮する柊をなだめるように、優人が静かに言う。そして、言葉を続けた。

「だから、柊様にも、蓮様にも、関係ないのです」


「しかし、……」

 柊の言葉を優人が遮った。

「ご領主様は里のものを殺しました。しかし、私たち兄妹はご領主様に救われたのです。妹が生まれてすぐ、私の両親は病で亡くなりました。浮民の里は貧しい。親のいない兄妹など、足手まといでしかありません。こちらのお屋敷に拾っていただかなければ、私たちは死んでいたかもしれません」


 優人は、一息つき、更に続ける。

「里の者にとっては、鬼民の領主の家で働く私たちは裏切り者なのかもしれません。しかし、私は恥じてはいません。私にとって一番大切なものは玲奈です。私がこちらで働けば、鬼民であろうが浮民であろうが、誰も手出しは出来ないでしょう」

と。


「柊様は、私のことを賢いと言われる。しかし、私は賢くなどありません。先程、柊様は私に聞かれました。どうすればよいのか、と。私にも、どうすればよいか、わかりません。いったい、どうすれば、この国の形が変わるのか。そもそも、本当にこの国の形を変えることなどできるのか。私に出来るのは、ただ目の前のある小さなものを守るだけです。例え、他のものを犠牲にしてでも」


 そして、優人は柊の目をみつめ、決するように言った。

「今回の件は、諦めるしかありません」


「そんな」

 柊は言葉を失う。


「では、何もしないというのか」

 柊は呆けたように、投げやりに聞く。


 優人は、黙って頭を下げる。


「お前は、どうだ」

 柊が蓮に問うが、蓮は下を向いて黙ったままだ。


「もういい」

 柊が無表情な顔で出ていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「優人殿、本当に何もできないのですか」

 しばしの静寂の後、柊がいなくなった部屋で、蓮が優人に尋ねる。


「世の中は簡単には変わりません」

 優人が悲しい目で言う。

「今のやり方を変えても、かならず良くなるとは限らない。今より悪くなるかもしれない。だったら、それなりにうまくいっている現状を維持しようとする。たとえ、少数の者が犠牲になっても」


 蓮が優人の言葉を黙って聞く。


「柊様は、特別情が深い。見知らぬ者のために、悲しみ、怒る。しかし、普通の人は違う。人は自らの事しか考えない。例え、見知らぬ者のことを考えたとしても、自分を犠牲にする、ましてや、家族を犠牲にするようなことはできません。今、柊様が何かなさろうとしても何も変わらないでしょう。何も変わらずに、柊様だけが傷つく。私は、それが怖いのです」


 自分もまた無力だと蓮が思う。何も出来ない自分を蓮は悲しんだ。


「優人殿、本当に世の中を変える方法はないのでしょうか。簡単でなくとも、たとえ、何十年かかろうとも、いや、私たちの代でできなくとも」

 子ども特有の真剣な口調で蓮がたずねる。


「私には、姉上のような力はありません。それでも、なにか出来ることはないのでしょうか」

 連が重ねて問いかけるが、優人はうつむいたままだ。


 やがて、連の真剣に見つめる眼差しに負けたように、優人が顔を上げ、真剣な口調で答えた。

「わかりました。私も一緒に考えましょう」

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