第六話 二十年前(前編)
「父上も隠居したからといってだらけていると、すぐ
「誰に向かって言っておる」
宗近が不機嫌そうな顔をした。宗近の前で笑っているのは、息子の
当主になったばかりの頃は、何かと宗近に相談することがあったが、近頃は宗近の出番もなく、暇を持て余すばかりである。
「お前が嫁でもとれば、孫の世話でも出来るのだがな」
「槐がまだなのに、私が先に嫁をとるわけにはいかないでしょうが」
宗近が嫌味を言うと、当意即妙に言い返してきた。
「お前、いい加減にせんか! ご領主様を呼び捨てにするとは、どういうつもりだ!」
修行中は、いくら弟弟子だったとは言え、仮にも現領主に対する馴れ馴れしい態度を怒る父に対し、
「他人行儀な呼び方は槐が嫌がるんですよ。それにあいつの方が私より年下だし、弟みたいなもんです」
と悪ぶれる様子もなく答える。
「馬鹿者! ご領主様が良くとも礼儀をわきまえろ! 他のものに聞かれたらどうする!」
「私も馬鹿ではありません。人前では礼儀正しくしておりますとも。では、私は今日は、お供にでかけますので」
怒り心頭の父の説教を、
――全く、近頃の若い奴らは。
剣術の修行には厳しくあたったが、礼儀作法の教えには失敗したか、と宗近は頭を抱える。先代の領主より、領主の跡継ぎと遠慮せず、厳しく当たってくれと言われ、なるべく二人を別け隔てなく稽古を付けてきたが、それが仇になったようだ。
これで、剣の腕が未熟なら、申し開きが立たないところだが、軽薄な性格とは真逆に、宗茂の剣の実力は親である宗近でさえひと目置くほどの秀でた物があった。
親として子が育ち、自分の手を離れれば寂しくもあり、自分よりも秀でていれば誇らしくもある。
師として弟子が育ち、教えることが無くなれば寂しくもあり、自分よりも強ければ誇らしくもある。
宗茂は、わが子であるだけでなく、弟子でもある。宗茂が自分の手を離れることは二重の寂しさだが、同時に二重の喜びだ。宗近は思う、儂は果報者だと。
楠家は代々、歴代の領主の命守を勤める。文字通り命懸けで主を守る役目だ。一国の主を守るのだから、それ相応の実力が必要となる。その要となるのが、代々伝わる『鬼封じの剣』だ。
言い伝えでは、他国から流れてきた楠家の祖先が、この国に巣食った鬼を退治するために、桐家の初代当主に教えたと言われる。そして、桐家の当主が、この国を鬼ノ国と名付け、領主となった。桐家の当主とともに鬼と戦った者たちは、鬼民と呼ばれるようになり、この国を支配者となった。
以来、楠家は桐家の命守を務めると当時に、桐家の跡取りに『鬼封じの剣』の稽古を付けるのが役目となっている。
桐家の当主が自ら跡継ぎに教えることもできそうだが、領主として多忙であるとともに、桐家の人間は、そもそも人に剣術を教えることができない。
なぜか桐家には男しか生まれない。そして、なぜか長子は強靭な力を生まれつき持つが、弟は貧弱な体になる。
斬、蹴、投を組み合わせた『鬼封じの剣』を会得するには、強靭な体が必要となるため、必然的に長子のみが会得できる。しかし、長子は強靭な体ゆえか、天性の感覚を持っており、体の使い方を他人に説明できないのだ。
相手に向かって刀を切り下ろし、渾身の力をこめて蹴り、相手の隙を見て投げる。それ以上の説明ができない。具体的に、体をどう動かすか、相手のどこをつかめばよいかなど言葉が出ない。そのため、楠家が代々、師として鍛えるのである。
宗近が修行をつけるにあたっても、息子の宗茂と、槐とでは差があった。宗茂は、基本宗近が教えたとおりに技を繰り出す。そして、鍛錬するごとに着実に精度があがっていく。しかし、槐は、宗近が教えたとおりには動かない。具体的にどこが違うのかと問われると指摘ができないが、何かが違うのだ。そして、鍛錬しても、なかなか上達しないかと思うと、突然、進歩する。むらがある。
剣術の究極は平常心だ。何があっても揺るぎない明鏡止水の心。心が静まれば静まるほど強くなる。しかし、槐は違う。心を鎮めることで確かにある程度は強くなるのだが、その奥底に何か底知れないものがある。
『鬼封じの剣』を理解し伝えているのは楠家だが、『鬼封じの剣』の真髄は、やはり、桐家のものにしか極められないのではないか。そう思わせるなにかが、宗茂と槐を、ともに育てて感じたのだった。
『鬼封じの剣』を伝える。『鬼封じの剣』を教える。更にもう一つ、楠家には担う役目がある。歴代の楠家の当主でも、この役目を果たしたものは少ない。自分にはその機会がなかった。宗茂にも、その機会が来なければよい、それが親としての宗近の願いだった。
しかし、宗近の願いはかなわなかった。
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