第四話 浮民の里

「優人はどうした」

「浮民の里で不幸があり、人手が足りないようです」

 御前試合の後、しばらく屋敷の中に姿を見せない優人を心配して、柊が使用人に尋ねた。


「不幸が起きた? どんな不幸だ?」

「詳しくは存じませんが、浮民の里で、何人か亡くなったようです」

「病でも流行っているのか」

「さぁ、どうでしょうか」

 関心がなさそうに、使用人が言う。


――流行り病だったらどうする。万が一、人が死ぬような病でも蔓延したら一大事ではないか。


 使用人と話しても埒が明かないので、柊は自らの目で確かめることにした。一度、浮民の里に行ってみたいという気持ちもある。


 柊は身支度をして馬を駆った。質素な男の格好をすれば、領主の娘だと気付くものはいないだろう。


 鬼ノ国は中心部に小高い丘があり、そこに領主の館がある。その領主の館を囲むようにして有力者達が住み、さらにその下に、下々の鬼民たちが住んでいる。

 浮民の里はさらにその下に位置する。小規模な集落が点々と存在し、大規模なものはない。弱者とて、一箇所に集まれば油断の出来ない集団となる。それを防ぐために分断して支配しているのだ。


 浮民の里へと行く道すがら、鬼ノ国の有り様が目に入ると、嫌でもこの国の歪な構造が見えてくる。どこで生まれ育つか、どのような見かけで生まれるかで、人の運命が決まる。

 最も低い場所で生まれ育ったものが劣っていると言えるのか。より高い場所で、生まれ育った者たちに、蔑まれてよいのか。

 自分は鬼ノ国の最も高い場所で生まれ育った。だからといって、自分が他のものよりも優れていると言えるのか。


 皆が当たり前のように、上下に分かれて暮らす国。代々続く古くからの有り様を、疑問に思うことなく受け入れる人々。しかし、柊は、その当たり前を、当たり前として受け入れることができない。それは、柊が当たり前の存在ではないからだ。


 鬼ノ国がいつ出来たのか。数百年前か、それとももっと前か。国の成り立ちを知るものはいない。ただ、大昔、まだ国といったまとまりが無かった頃、暴れまわっていた鬼を、柊の先祖が退治したという伝説が伝わるのみだ。

 異国から流れてきた剣士が、一人の若者に『鬼封じの剣』を授けた。そして、鬼を退治した若者は、この国を治める最初の領主となった。それが、の一族である。

 そして、その異国から流れてきた剣士の子孫が、の一族と言われている。


 の一族には、男しか生まれない。なぜか理由はわからないが、男しか生まれないのだ。そして、長男は鬼民の中でも、人並み外れた強靭な力を持ち、次男以降は、力を長男に奪われたかのように、貧弱な体で生まれる。

 そのため、お家騒動などは決して起きない。長男よりも優れた次男などいないからだ。家系が途切れることもない。必ず、男が生まれるからだ。

 このことわりは、鬼ノ国が出来たときから続いた。それが途切れたことなどなく、途切れることもなかった。柊が生まれるまでは。


 柊が生まれた時、屋敷の中は静まり返った。ただ、赤子の鳴き声だけが響き、他のものは声を失った。


――なぜ、女児が。本当にお館様の子なのか。


 柊を生んだ母は、生まれてきた我が子を見て色を失った。父親である槐も、言葉にできぬほどの衝撃を受けたに違いない。しかし、赤子を抱き上げ「この子は間違いなく私の子だ」と喜んだ。


 柊は女児だった。そして、間違いなく桐の長子だった。柊の鳴き声は、その秘めたる力を示すように力強く、その内から出る輝くような生命力は、瞬く間に周りのものから、女児であることの違和感を奪った。男だろうが女だろうが関係ない。そう思わせた。


 しかし、家の外では違った。

 領主の長子に女が生まれた。いったい、跡継ぎはどうなるのだ。


 そして、三年後、国中の動揺がまだ収まらぬ中、蓮が生まれた。の一族の理どおり、脆弱な弟が。


 屈強ではあるが女である長子、男ではあるが脆弱な弟。この先、領主の家は、いや、鬼ノ国そのものが、いったいどうなるのか。国中に、目に見えぬ不安が、少しづつ広がる。今まで当たり前だったことが、当たり前でなくなる。柊が育ったのは、そんな空気の中であった。


 それでも、柊は幸せに育った。物静かだが姉を慕う蓮、幼い頃より兄のように慕っている賢い優人、実の妹のようにかわいい玲奈、小憎らしいが元来悪い人間ではない小士郎、一人ひとりが大切な家族だ。

 母親は蓮を生んですぐに亡くなったが、槐からは言葉には出すことがないが、娘に対する惜しみない愛情を感じる。宗近は厳しい師でありながらも、実の孫のように柊を可愛がっている。


 館の中の幸せと、館の外の不穏。館の中のつながりが強くなればなるほど、それに対抗するかのように、館の外からの不信が強くなる。優人や玲奈に対する親愛が強くなればなるほど、浮民の境遇に対する違和感が大きくなる。


 そんな思いを抱きながら、柊は浮民の里へと続く道に入った。里の外れに馬をつなぎ、徒歩で里へと入る。


――美しい、そして、貧しい。

 それが、浮民の里を目にした柊が、最初に感じた思いだった。


 整然と耕された田畑。一寸の狂いもなく整地され、まるで天空から絵を描いたように美しい。

 一方、住んでいる家は貧弱だ。家というよりも、これでは物置小屋だ。収穫したものが、ほとんど奪われている。いや、自分たちが奪っているのだ。そして、奪われたもので、柊たちの生活が成り立っている。


 柊が浮民の里の奥へと足を進めていくと、浮民たちが、緊張した視線を向けてきた。好奇心に駆られた子どもたちが柊に近寄ろうとすると、あわてて大人たちが子どもを抱き寄せる。浮民たちから漂ってくる感情は、緊張、怯え、そして、怒りが入り混じっている。


 柊がさらに足を進めると、里長らしき年配の浮民が近寄ってきた。

「何か御用でございますか」

 声に不信が滲んでいる。


「優人の様子を見に来た」

「優人の? すると、あなたはご領主様のお使いの方ですか?」

 里長の口調が若干、和らぐ。


 しかし、

「そうだ。こちらの里で死人が出たというので、様子を見に来た」

と柊が言うと、再び顔色が変わった。


「さようですか。しかし、浮民の里の問題は、私どもで処置いたしますので、お気遣いは結構でございます」

「そうもいくまい。もし、流行り病でもあれば、浮民の里の問題だけではすまん」

「病などではございませんので、ご心配御無用でございます」

 慇懃無礼な態度で応える里長に柊が詰問すると、里の問題によそ者がこれ以上関わって欲しくないという拒絶の意思が伝わってきた。


「念の為、死体を見せてもらえるか」

「いい加減にしろ」

 不信に思い食い下がった柊の後ろから、怒りが含まれた声が飛んだ。


「誰だ?」

 柊が声をした方を見るが、皆、うつむいて、柊の顔を見ようともしない。振り返って里長を見ると、怯えたような表情が浮かんでいた。


「何を隠している」

「何も隠してはおりません。お引取り下さい」

 厳しい口調で問い詰める柊に、何もせずに里から出るよう、里長が必死に懇願する。


「では、何が原因だ」

 柊が更に強く問い詰めると、

「鬼が出たんだ」

という声が聞こえた。


――鬼が出た?

 里長の顔が真っ青になる。声のした方を見ても、やはり、皆がうつむいている。見た目には従順だ。しかし、そこには、恐れと目に見えない怒りがある。


――いったい、何が起きているんだ?

「柊様」

 訝しむ柊に、聞き覚えるのある声がかかった。


「優人か」

「いったい、このようなところで何をなさっているのですか」

 優人が驚いた顔で尋ねてくる。


「里で死人が出たと聞いたのでな。いったい、何が起こっている?」

 正直に答えたものか逡巡した優人だが、絶対に引き下がらないぞという態度をまとう柊に、遂に意を決したように真剣な顔つきで、

「わかりました。こちらにお越し下さい」

と、小屋の中へと柊を招き入れた。


 一体何を見せられるのかと、神経をとがらせて、柊が中へと入る。すると、そこには、里の若者の遺体が横たわっていた。


 惨殺された、三体の遺体が……。


「この国には鬼がいるのです」

 優人の顔に悲しみが漂う。


――鬼だと? 鬼が人を殺した?

――そんな馬鹿な。鬼などいるはずがない。

――この者たちを殺したのは人だ。


 柊の心の中に、殺された者たちへの憐れみと、殺したものへの怒りが渦巻く。そんな柊に、優人が続けた言葉が更なる衝撃を与えた。


「私が生まれた頃にも、鬼が里の者を殺したそうです」

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