第二話 弟子入り
「なぜ、本気でやらん」
姫との稽古が終わって屋敷に戻るなり、宗近が小士郎を叱った。
「仮にもお姫様に怪我なんかさせたら、まずいだろうが」
「本気を出せば、まるで勝てるような口ぶりだな」
言い訳する小士郎の態度が、宗近を苛つかせる。
「そりゃ、勝てるだろ」
「姫は強いぞ」
「しょせん、女だ」
たしなめる宗近に、小士郎が馬鹿にしたように返す。
「お前は、何もわかっとらんな」
呆れる宗近に、
「柊は女にしては、たしかに強い。でも、女は男にはかなわない。そもそも、体が違う。小さい頃は柊と俺とそんなに変わらなかったけど、今は俺の方が体がでかい。大人になれば、もっと差がつく」
と小士郎が当然のような物言いをした。
「蓮様は男だが体が小さいがの」
「そりゃ、男だって弱いやつはいる。だが、一番強い男には、女はどうやったって勝てない」
「一番強いとは、ずいぶん思い上がった考えだな」
「別に、俺が一番強いって言ってるわけじゃない。それでも、俺の方が柊よりかは強いだろう」
「そういうことは、一度でも、姫に勝ってから言うんだな」
小士郎の態度に、さすがに普段温厚な宗近も言葉が荒くなる。
「だから、そんなことは出来ねぇって。あいつのことだから、ちょっとやそっとじゃ負けを認めない。本気で負かそうと思ったら、とことんまでやんなきゃなんねぇ。だからって領主の一人娘を傷だらけにしたら、ただじゃすまないだろう。下手すりゃ殺されるかもしれない」
「
「領主様がしなくとも、取り巻き連中が何するかわかんねぇだろ!」
そう言って口をつぐんだ小士郎の目には、他人に心を許さぬ不信の光が、未だ消えることのなく宿っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
小士郎は、宗近の実の子ではない。小士郎が十になる頃に、宗近が街で拾った子だ。小士郎の実の親が誰なのか、宗近だけでなく、小士郎自身にもわからない。小士郎が物心ついたときには、他に身寄りのない子どもたちと一緒に、物乞いのような暮らしをしていた。
人に恵んでもらうだけでは食っていけない。子どもたちは、生きるために、ゴミを漁り、盗み、襲った。そして、殺された。
しかし、子どもの数は減らない。殺された分だけ、捨てられるものがいる。弱いものから死んでいく。強いものだけが生き残る。
そして、小士郎は学んだ。
自分と同じ、髪の色が濃く、浅黒い肌をした人間を襲うと、仕返しに殴られ蹴られる、場合によっては殺される。
しかし、髪の色が薄く、白い肌をした人間を襲っても、誰からも咎められない。しかも、弱い。大人であれば自分たちよりも多少は強いが、子どもであれば赤子同然の力しかない。
十になる頃には、自分と同じ、髪の色が濃く、浅黒肌をした人間が鬼民と呼ばれ、髪の色が薄く、白い肌をした人間が浮民と呼ばれることを知った。浮民は普段は街なかには住んでおらず、街の外の集落に住んでいる。時々、商売のために、街にくる連中が狙い目だった。
あるとき、小士郎と仲間たちは、大人たちとはぐれた浮民の子どもたちを見つけた。そして、いつものように襲った。
しかし、その日は、いつものように糧を得ることはできなかった。
「やめろ!」
小士郎たちが浮民の子どもたちから奪っていると、見知らぬ人間の掛け声とともに、仲間の一人の体が空を舞った。驚いた小士郎が声のしたほうを見ると、身なりのいい一人の鬼民の子どもが、小士郎の仲間たちを蹴り飛ばしていた。
仲間の子どもたちだって、そこらの子どもとは違う。束に慣れば、大人であっても叩きのめす力がある。だが、そいつは子どもにしては恐ろしく強く、仲間たちを一人、また、一人と打ちのめしていった。
「何だお前は! 俺たちに手を出すな!」
小士郎が、その子どもに向かって言う。
「お前たちこそ、何をやっているか!」
その子どもが、怒りのこもった声で応えた。
「何をしようが俺たちの勝手だ。お前はひっこんでろ」
小士郎が、子どもとは思えない凶暴な声を出した。
「口で言ってわからないなら、叩きのめす」
だが、子どもは小次郎のことなど全く恐れずに言い返してくる。
――なんだこいつは? 馬鹿なのか?
「叩きのめされんのは、お前だよ!」
小士郎が棍棒を振りかぶり、子どもに殴りかかった。だが、小士郎の棍棒は空を切り、逆に子どもの回し蹴りが小士郎の腹にきまった。
げっ。痛みに腹を抑え、小士郎がうずくまる。
「お前たち、早く逃げろ」
小士郎の仲間たちを蹴散らしながら、子どもが浮民の子どもたちに言うと、うずくまった小士郎が立ち上がれぬ間に、浮民の子どもたちは逃げていく。しかし、一人、また、一人と、倒される仲間を見て、小士郎の闘志に火が付いた。
「なめるな!」
「うわっ」
吐き気が収まった小士郎が油断した子どもの隙をつき、足を絡め取る。
「早く逃げろ」
小士郎もまた、仲間たちを逃がす。そして、尻もちを突いた子どもの上から、小士郎が棍棒を振り下ろした。しかし、小士郎の棍棒は子どもの鞘に受け止められる。
「ぐっ」
今度は、小士郎の足が払われ、逆に、倒された小士郎の上に子どもがまたがり、小士郎を締め付けた。
「なんで、俺たちの邪魔をする」
息のできない小士郎が、かすれ声で子どもに問うた。
「なんでだと!」
子どもが怒りのこもった声で応える。
「俺たちが襲ってるのは鬼民じゃない」
「それがどうした!」
「浮民を襲って何が悪い」
小士郎が当然のように言う。
「みんなやってんだろうが」
小士郎が睨むつけると、
「ふざけるな!」
子どもも睨み返した。
「おい、ぼうず、いい加減にしろ」
子どもたちの争いを見物していた大人たちが、二人を取り囲んだ。
「そいつらだって、生きてかなきゃならんだろう」
「別に、浮民の奴らだって、たいした怪我をしたわけじゃない」
「子どもだけで、こんなところに来んだから、仕方ねぇな」
他の大人も口々に言い、終いには、
「くだらんことで、騒ぎを起こすな」
と、小士郎に跨っている子どもを、凶暴な目つきで睨みつけた。
――なんだこいつらは。
――なんで俺の味方をする。
小士郎の頭に、不審がよぎる。
「おい、ぼうず」
下卑た顔の大人が口を挟んだ。
「そいつらが浮民を襲わなかったら、俺達が被害にあっちまうだろうが。そいつを離して、さっさと帰んな」
とニヤつきながら言った。
――そういうことか。自分らが襲われれば、俺たちを足蹴にするくせに、俺たちが浮民を襲っても、ほっておくのは。くずが。
「お前たち、大人のくせに恥ずかしくないのか!」
小士郎の上に跨っていた子どもが立ち上がり、大人たちを睨みつけた。
「恥ずかしいかだと」
「餓鬼のくせに生意気な」
二人を取り囲む大人の輪が小さくなる。
凶暴な雰囲気が高まり、ひりひりとした空気が爆発しそうなその瞬間、
「やめんか!」
大音声が響きわたった。
歴戦の戦士とひと目で分かる体躯、場を圧倒する雰囲気を持った年配の武人が人混みを睨みつけると、瞬く間に集まっていた大人たちが、蜘蛛の子が蹴散らされたようにその場から消えた。
「これは、いったいどういうことですか」
大人たちを睨みつけていた武人が振り返り、子どもを叱りつける。
「こいつらが、浮民を襲っていたから懲らしめた」
「こんな無茶なまねをして、何かあったら、どうなされますか!」
烈火のごとく怒る武人の言葉に、
「だったら、黙って見過ごせというのか!」
と子どもも反抗する。
「そういうことを言っているのではございません。供のものを呼ぶなり、いくらでもなさりようはありましょう」
「そんなことを言われても、体が勝手に……」
「それを、浅はかというのです」
そう武人がたしなめると、さきほどまでの乱暴な態度とは打って変わって、子供が神妙な態度を見せた。
「屋敷に戻りますぞ」
「こいつは、どうしたらいいかな」
子どもが上目遣いで不機嫌そうな武人の顔色をうかがった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
小士郎は、子どもとともに国の中心にある丘上の屋敷に連れて行かれた。
「そいつはどうするんです」
「いったん、儂の家に連れて帰ります」
「しっかり、仕置をして下さい」
子どもが捨て台詞をはいて小士郎を睨みつけ、大きな屋敷の中へと消えた。武人は小士郎を連れ、先ほどの屋敷の隣にある自分の家へと連れて行く。家のつくりは似ているが、大きさは十分の一にも満たない小さな家だ。
「お前は、孤児か」
「ああ」
小士郎を屋敷の中へと上がらせ、武人が小士郎に問うた。
「子どもたちだけで、暮らしておるのか」
「ああ」
小士郎が不機嫌に答える。
「どうすんだ。百叩きか?」
「そんなことはせん」
挑戦的な態度の小士郎を安心させるように、強面の武人が穏やかに接する。
「お前を街に戻したらどうする」
「どうするも、こうするもねぇ。普段どおり暮らすだけだ」
「浮民を襲ってか」
「鬼民を襲ったら、こっちがやばいからな」
「お前は、悪いことをしているとは思わんのか」
「いいも悪いもねぇだろが。他にどうするってんだよ」
小士郎が武人を睨みつける。
「お前を返すわけにはいかんな。ここで、しばらく下働きをせい。お前の仲間たちも、どこかの使用人として働かせよう」
武人の一見温厚だが威厳のある態度は、小士郎に否と言わせなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
小士郎は武人の家で雑用の下働きとして暮らし始めた。そして、武人の名が楠宗近であること、領主に名守として仕えていること、小士郎を叩きのめした子どもが、今の領主の娘の柊であることを知った。
「なんで、あいつは浮民の味方をする」
しばらくして、小士郎が宗近の家に住むのに慣れたころ、小士郎が宗近にたずねた。
「柊様は情が深い。それに、領主様のお屋敷では、浮民の子どもも働いておる」
「ただの世間知らずじゃねえか」
「世間知らずかもしれぬが、ただの姫ではないぞ。あのような姫は他におらん。それに」
宗近の目に笑いが浮かび、
「お前を簡単に、のしたしな」
と続けた。
「あいつが強いのは、あんたが鍛えてるからだろうが。俺だって、剣術を習えば、あんなやつには負けん」
「そうか?」
「当たり前だろ。あいつは女だ」
「だったら、試してみるか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、宗近が領主の家へと小士郎を連れて行った。そして、
「姫、今日から、こいつもいっしょに稽古します」
と小士郎を柊の前に引き出した。
「宗近殿、どういうつもりですか?! なんでそんな奴が、いっしょに稽古するのですか?」
宗近が予想したとおり、柊が不機嫌なふくれっ面をする。
「こやつが、自分も修行すれば姫には負けんと言いますので、連れてまいりました」
「そんなやつが、私より強いわけないだろう」
「ものは試しでございます」
宗近が、しれっとした態度をみせる。
「それに、姫にもそろそろ命守が必要でございます。こいつを鍛えれば勤まるかもしれません」
と宗近が言葉を続けると、今度こそ、柊が激昂した。
「そいつが命守だと! 宗近、お前とうとう
いくら姫様でも言葉が過ぎますぞと、宗近と柊が言い争う。しばらく、二人のやり取りを聞いていた小士郎だが、二人の言葉が止んだ隙に、疑問を口にした。
「おい、じじい。命守ってなんだ?」
尋ねる小士郎を、柊が馬鹿にしたかのような目で見る。
「命守とは、己の命を懸けて主を守る者のことだ。お前は、今日から、柊様を命懸けでお守りするのだ」
そう宗近が言うや否や、
「ふざけんな! なんで俺がこんなやつを、命懸けで守んなきゃなんねぇんだ!」
「こいつに、私の命守などつとまりません!」
「こんなやつ、俺が叩きのめしてやる!」
「お前なんかに、私が負けるか!」
「お前が強いのは、じじいのおかげだ。修行すれば俺の方が強くなるに、決まってんだろう!」
「やってみろ。返り討ちにしてやる!」
口汚く罵りあう子どもたちに、とうとう宗近の堪忍袋の緒が切れた。
「二人とも、いいかぜんにせんか! このことはご領主様も了解済みじゃ!」
宗近の大音声に、二人の背筋が縮こまる。
「それと、小士郎。今日からは、わしのことは師匠と呼べ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宗近に弟子入りして五年、小士郎の初舞台となる御前試合の幕が上がる。
小士郎と柊の、いや、鬼ノ国全体の運命を変える、舞台の幕が上がる。
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