鬼姫の剣

明弓ヒロ(AKARI hiro)

姫の章

第一話 子どもたち

 ガッ。木刀が穿つ音が響く。

 屋敷の庭で戦っているのは、少年と少女だ。二人とも年の頃は、十五、六といったところか。


「そんな腕では、私を守れんぞ!」

 少年が打ち下ろす木刀をはねのけ、少女が懐に飛び込む。そして、息つく間もなく、切っ先を跳ね上げた。

 少年が、わずかに体を反らせて躱す。

「うげっ」

 だが、その瞬間、少年のみぞおちに少女の蹴り上げたつま先がめり込む。腹を抱えてうずくまる少年の頭上に容赦なく少女の木刀が振り下ろされる、その寸前、

「やめいっ、そこまでじゃ!」

 稽古を止める声がかかった。


「これでは稽古になりません。私より弱い人間に、私の護衛など勤まりませんよ」

 呆れたような口調で言う少女に対し、うずくまった少年が心の中で毒づいた。

――本気でやれるわけねぇだろうが。くそ女が


「いくら姫様が強くても、敵が多ければ一人では多勢に無勢。こいつでも、いるだけましでしょう」

「とにかく、小士郎こじろうじゃ話になりません。宗近むねちか様が直々に稽古をつけて下さい」

 そう、少女が挑戦的に言うと

「承知しました」

と宗近が答えた。


 なん宗近むねちか。命懸けで主である領主を守る「命守めいしゅ」を勤める、楠一族の当主。本来であれば、すでに隠居の年だが、剣の腕は、まだまだ衰えてはいない。楠一族が振るう剣の御業は、嘘か真か、はるかな昔、鬼を切ったと言われている。


 宗近に剣の指導を乞うは、領主の娘、しゅう。浅黒い肌に、しなやかな筋肉をまとう、野生の獣のような美しさを持つ少女だ。


「小士郎、少し向こうで休んでいろ」

 そう声をかけられた少年は、不愉快な表情で立ち上がり、場所を師匠にゆずった。


「また、負けたー」

 縁側に腰掛けた小士郎に、子どもの声がかかる。小士郎が見上げると、色白で、薄い色の髪の、十二、三ほどの少女が、冷やかし顔をしていた。

「負けてやったんだ」

「嘘つき」

 負け惜しみを言う小士郎に、生意気に口答えする。


玲奈レイナ、失礼なことを言うんじゃない」

 玲奈と呼ばれた少女をたしなめたのは、小士郎より少し年上の青年だ。玲奈と同じく、薄い色の髪を持ち、色白でひょろっとしている。

「おい、優人ユウジン。ちゃんと玲奈に礼儀を教えておけよ。いちおう、俺は鬼民きみんなんだからな」

「失礼しました。小士郎さん」

 優人と呼ばれた少年が頭を下げる。


「玲奈も謝りなさい」

 優人が玲奈の頭を押し下げようとした途端、柊の怒声が飛んだ。


「小士郎、私の前で、鬼民きみん浮民ふみんだと、くだらないことを言うな! お前が私に負けたのは、お前が弱いからだろう。優人も、気安く頭を下げるな!」

「俺はいいけど、玲奈が他の鬼民の奴から目をつけられないように、親切に言ってんだよ」

「口答えするな!」

 問答無用で柊が言う。他人にむかって威張るなと言いながら、自分自身は小士郎に一方的に威張り散らす柊を見て、小士郎と優人が苦笑いした。


「なんだ、何をにやついている」

「姫、稽古を始めますぞ」

 無駄話をして余所見をする柊を、宗近がたしなめる。


「稽古に集中しろよ」

「うるさい」

 ちゃちゃを入れる小士郎に、柊の気が荒ぶる。


「では、姫、お相手いたしましょう。手加減は無用です」

 木刀を構える宗近に、

「そっちこそ、手加減などするな」

 柊が負けん気の強い口調でそう言いしな、木刀を振りかぶり襲いかかった。


 未熟者特有の思いっきりの良さで縦横無尽に振るわれる木刀を、まるで動きを予想していたかのように宗近が最小限の動きで打ち返す。


「姫、動きが単純すぎますぞ」

 宗近の言葉に気合が入ったか、柊の動きが一段と早くなる。木刀だけでなく、蹴りも交えた攻撃は、常人の目には止まらない。しかし、それでも宗近を捉えることが出来ない。


 柊が蹴る、宗近が防ぐ。

 柊が斬る、宗近が払う。

 柊が突く、宗近が避ける。


「姉上は、また一段と強くなってますね」

 縁側の奥から、気の弱そうな少年が出てきた。柊と同じく浅黒い肌をしているが、柊よりも体の線が細い。


れん様は、剣術の稽古はしないの?」

「私は、稽古しても姉上のようにはなれないから」

 玲奈が少年に尋ねると、蓮と呼ばれた少年が寂しそうに答えた。


 剣術に足技はない。大地を踏みしめる足があってこそ、必殺の剣を繰り出すことができる。

 剣術に投げ技もない。剣を握りしめる両腕があってこそ、烈風の剣を振るうことができる。


 しかし、柊と小士郎が稽古をしているのは、剣術、蹴技、投技が一体となった、楠一族特有の武術だ。この少年の体では決して習得できない、生まれつきの剛力と身体能力を持った、一握りの選ばれたものだけが習得可能な『鬼封じの剣』。


「そんなんじゃ、領主の跡取りが務まんないだろうが」

「人には向き不向きがありますからね。蓮様は賢いお方ですから、剣の腕は立たなくとも、立派な領主になられますよ」

 蓮の言葉に呆れる小士郎を、優人がかばう。


「それじゃ、私が賢くないみたいだろう!」

 柊の大声に、皆が一斉に振り向いた。


「宗近様と稽古しながら、私たちの話を聞くとは」

「さすが、姉上」

「すげえ、地獄耳だな」

「柊様、すごーい」

 呆れながらも、驚く一同。


「眼の前の相手に集中しなさい」

 稽古中によそ見をする柊を宗近が叱った。

「聞こえてくるんだから、しょうがないだろ」

「集中すれば、雑音なぞ聞こえませんぞ。肝心なのは、明鏡止水の心。いつも、言っておりますでござろう」

「戦いの最中でも、常に周りに気を配れと言ったのは、宗近殿です」

 木刀を撃ち合う二人が、言葉でも撃ち合いをする。


「敵に気を配るのと、無駄話に気が散るのとは違いますぞ」

 宗近が柊の隙を付き、横殴りに木刀を薙ぎ払った。

「違わないって」

 宗近の払いを受け止め、柊が足を使い、宗近の背後から撃つ。それを、宗近が軽やかに躱す。


「年寄りのくせに、速い」

「へらず口をたたく暇があったら、頭を使いなさい」

 柊の突きをかわした宗近が、すれ違いざまに腰だめに柊を投げ飛ばした。


「ぐっ」

 すぐさま柊が起き上がり、木刀を正眼に構える。そして、宗近の間合いのわずかに外で上段に掲げた。


 両者の動きが一瞬だけ止まる。


 互いに様子を見て手を出せない中、柊が動いた。


「喝」

 裂帛の気合とともに、柊が宗近の間合いに飛びこみ、一直線に振り落ろす。


 カーン。

 宗近の木刀が柊の木刀を受け止め、衝突音がひびく。


 瞬間、柊がすばやく木刀を引き、瞬く間に二撃目を繰り出し、

「えぇぇいぃ」

 宗近の木刀を力ずくで叩き落とした。まさかの馬鹿正直な真っ向勝負に百戦錬磨の宗近も呆気にとられる。


「どうだ!」

 勝ち誇ったように、柊が雄叫びを上げた。


「すげー馬鹿力だ」

「勝ちは勝ちだ」

 呆れたように言った小士郎に柊が得意そうに応えると、

「年は取りたくないものですな。姫に力負けするとは」

と宗近がため息をついた。


「今日はここまでにしておきましょう。帰るぞ、小士郎」

 宗近と小士郎が木刀をしまい、帰り支度をする。

「おい、小士郎、御前試合でそんな調子じゃ困るぞ。宗近殿もしっかり稽古をつけて下さい」

 柊の言葉に苦笑いした宗近と仏頂面をした小士郎が、屋敷から去っていった。


「姫様、すごーい」

「こら、玲奈。柊様は、お疲れなんだから」

「まだまだ、疲れてなどいない! 玲奈、遊んでやるぞ」

「わーい」

 稽古を終えた柊にまといつく玲奈を優人がたしなめるが、二人は仲の良い姉妹のようにはしゃぐ。


「よし、玲奈。木でも登るか」

「姉上、無茶しないで下さい」

 やる気満々の柊を、心配げな表情をした蓮が呼び止めた。


「私が木登りぐらいで怪我などするか」

「姉上に言っているのではありません。玲奈が怪我でもしたら、どうするのですか」

 呆れる柊に、蓮が口をすぼめて言う。


「そんなに過保護にしてどうする。だいたい、お前より玲奈のほうが、よっぽど機敏だぞ。私がついているのだから心配するな」

 そう言うや否や、柊が玲奈の手を引いて連れて行った。


「姉上が勝手をやり、申し訳ありません」

「滅相もない。姫様に遊んで頂くなど、本来であればありえないことです。私たち兄妹は本当に恵まれています」

 頭を下げる蓮に、それに劣らず、優人が深々と頭を下げる。


「いえ、そんな」

「では、二人が遊んでいる間、私たちは勉学に励みましょう」

 自分よりも賢く、かつ、年上の人間にへりくだられて戸惑う連を誘い、二人で部屋の奥へと下がっていった。


「どうだ、良い景色だろう」

 庭木に登った柊が玲奈に笑いかける。

「きれい」

 玲奈がはしゃぐ。

「全く、連も優人も、家の中に閉じこもってばかりだからな」


 柊の目の前には、美しいノ国が広がる。

 しかし、この国には闇がある。


 柊は、玲奈の薄い色の髪を見つめながら、ひとり物思いにふける。


――浅黒い肌と真っ黒い髪を持つ鬼民と、白い肌と薄い色の髪を持つ浮民。両者にいったい、どんな違いがあるのか。

――なぜ、鬼ノ国では、鬼民は浮民に対し威張り散らすのか。なぜ、それを誰も疑問に思わないのか。



 柊が優人に引き合わされたのは十年ほど前だ。弟の連が生まれた後、柊が五つの時、父のかいが使用人見習いとして連れてきた。優人は、まだ八つの子どもだった。優人は使用人として働きながら、柊の年上の遊び友達としての役割も果たした。柊の教育係などは、つきっきりで教えている柊よりも、仕事をしながら時々そばで聞いているだけの優人の方がずっと物覚えが良い、優人を見習いなさいと、口うるさく小言を言っていた。


 一方、剣術の腕は、年下の柊にもかなわないほど弱かった。腕がどうこう言う前に、そもそも力が弱い。鬼民と浮民では体の出来が違うと、蔑んだ目で優人を見る大人たちに、だったら、頭の出来も浮民と鬼民では出来が違うのかと聞くと、大人たちは不機嫌な顔をしたものだった。


 連が大きくなると、優人が連の教育係としても重宝されるようになった。人見知りが強い連にとっては、年の離れた大人よりも年上の兄のような優人の方が接しやすかったのだろう。

 そして、五年ほど前、優人が妹の玲奈を連れて通ってくるようになった。人形のようにかわいい玲奈になつかれ、柊も妹が出来たようにかわいがった。


 しかし、屋敷の外では優人や玲奈とは決して親しくしないようにと、厳しく言い渡されていた。この屋敷の中では鬼民も浮民も違いはない。しかし、屋敷の外では、大きな違いがある。


 ある時、街なかで、鬼民の子どもたちが浮民の子どもたちをいじめている場に出くわし、柊が鬼民の子どもたちを懲らしめた。その時、余計なことをするなと、大人たちが柊を取り囲んだ。

 一触即発直前、宗近が助けに入り事なきを得たが、あの時の大人たちの目つきは、いまだに忘れられない。


 なぜ、鬼民が浮民を嫌うのか、理由はわからない。はるか昔、祖国を失ったものたちが流れてきて浮民となったと言われる。その時に、なにか不幸な出来事が起こったのかもしれない。


 鬼民が浮民を蔑んでいる、いや、そもそも、自分たちと同じ人間だとさえ思っていないという事実を、柊も理解はした。しかし、納得はしていない。なぜかと問うた柊に、父はいずれわかると応えた。だが、未だにわからない。少なくとも、自分や蓮と優人や玲奈との間に違いはない。


――いずれわかると父は言った。

――しかし、皆がいずれわかるのだ。

――もし、わからなければ、私がわからせてやる。


――鬼民も浮民も同じだということを。

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