第12話 mouning work【2】

 そこはもはや「いつもの」と言ってさしつかえないくらいに馴染みとなった、喫茶店のボックス席。エシュと日向氏は「いつもの」ようにそこにかけ、雇い主と雇われ人としての会話をしていた。

 エシュはまだ早瀬に葵の身辺報告を行っている。一応の葵の近親者でもあり、また葵本人は成人しているとはいえど、彼の後見人のような役目を担っている人物なのだ。


 彼にとってもエシュからの報告は必要であるはずだった。葵に調査行動がばれたということを洗いざらい早瀬に白状し調査を切ってしまう方が楽だったかもしれないが、それによってその後の情報が入らない状態に早瀬を陥らせるのは、気の毒でもあるという一種の同情もあった。

 結局、早瀬の依頼の継続を打ち切ることもできず、今になってもなお、葵との間にあった事実をつぶさに報告し続けているのである。


 対象者にばれてしまっている以上はとっくの昔に「調査」とはいえない状態ではあるし、今エシュの手にある報告書は調査結果というよりも、『葵の観察日記』と言ってしまった方が、理解するのもたやすい内容となってはいるのだが。


「随分と仲がいいんだね、ちょっと驚いたよ」


 こうして目の前の男のずれた同情から、根本的な問題を知らされていないはずの雇い主は、とても人の良さそうな笑みを浮かべながら、渡された報告書のおおまかな所見を述べた。


「まぁ、こちらもプロですからね。それなりに相手に取り入る話術ってものがあるんですよ」

(嘘です。葵の他人への関心の薄さで入り込めただけ、ラッキーです)


 話術のプロというよりは役者と呼ばれるべきではないだろうか、と全てを知る第三者がいたならばそんなことを言ったかもしれない。

 嘘を抱えたままいけしゃあしゃあと顔色一つ変えることなく、目の前の依頼主と会話して見せるエシュは、確かに大した役者と言えるだろう。


 「運も実力のうち」。エシュの好きな言葉だ。


 確かに葵の異様とも言うべき淡白さと外界への関心の無さは、これらの報告を取りまとめるにあたっても、最初の邂逅時のエシュの生命の安全においても、とてつもなく運が良かったと言うしかなかった。


 目の前の人物にこそ、報告書の内容を葵から引き出させるのには造作もない、ようである風に話すエシュだったが、その実はこの運の良さに由来する部分も多いゆえ、内心は冷や汗ものだった。


「葵君は君のこと信頼しているんだね……よかった」

「あ…ええ、まぁ」


 この早瀬という男は、普段の立ち居ふるまいからも、非常に人当たりが良い人間であった。その上、表情豊かであり、またそれらを表に出すタイムリーさでも他者を惹きつける人物であり、それによって他人にいとも簡単に安心や信頼を与え、あるいは鼓舞をさせられる人間であった。

 たとえば中小規模集団の統率というものに向いていそうだな、とエシュは思っていた。


 そんな人物であるからこそ、報告書から視線を上げた早瀬の、心底ほっとしたような表情を見てしまうと、エシュはちくりと僅かな良心が痛むのを感じるのであった。


「エレグア君」


 いつものように早瀬は、手早く資料に目を通しテーブルに置き、一呼吸置いてのち、そうエシュに呼び掛けた。 その言葉の纏う空気は、それまでエシュの見ていた「日向早瀬」のそれとはだいぶ違うものであった。

 どことなく硬質な響きがあり、これから話す内容がそれまでの会話とは違っているのだという事を、投げかけられた人間にはっきりと感じ取らせるものであった。


 この、含みのある響きの言葉にエシュは、早瀬と葵との血縁関係を妙に納得してしまっていた。


「葵君のことを、今でも調査対象だと思っているかい?」


 続く言葉は何の前振りもない、いきなりの質問であった。エシュはその言葉の真意を測りかね、思わず眉根を寄せた。


「君の返答次第で、伝えないといけない事があるんだ」

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